家族のためのリソース
第11課:父親と母親の神聖な役割(その2:母親の役割)


第11課

父親と母親の神聖な役割

その2:母親の役割

応用のための提案

あなた自身の必要や状況に合わせて以下の提案に従ってください。

  • 「家族-世界への宣言」の中で,わたしたちは「父親と母親は対等のパートナーとして互いに助け合うという義務を負っています」(この『学習ガイド』のiv)という勧告を受けている。伴侶はんりょとともに,本書44-45ページにあるエズラ・タフト・ベンソン大管長の父親に対する10の提案,および49-50ページにある母親に対する10の提案を復習する。協力してこの責任を果たしていくには何ができるかを話し合う。

  • あなたの母親または祖母に手紙を書く。

読書課題

以下の記事を研究する。既婚者の場合は伴侶はんりょと一緒に読んで話し合う。

「彼女は母親だからさ」

十二使徒定員会
ジェフリー・R・ホランド

母親への称賛

ビクトル・ユーゴーが書いたとされる次のような詩があります。

彼女はパンを二つにちぎり,二つとも子供たちに与えた。

彼女の子供はむさぼるように食べた。

「自分の分を残さないなんて……。」軍曹がつぶやいた。

「腹がすいてないんでしょう。」一人の兵士が言った。

「いいや」と軍曹。「彼女は母親だからさ。」

この1年間,わたしたちはアイオワ,ネブラスカ,ワイオミングを横断する過酷な旅に取り組んだ人々の信仰と勇気をたたえますが,この時期にわたしは開拓者の母親に匹敵する現代の母親たちを称賛したいと思います。開拓者の母親は乳飲み子の世話をし,子らのために祈り,にもかかわらずあまりにも頻繁に遠い道のりの途上でわが子を埋葬しなければなりませんでした。わたしの話を聴いてくださっている女性で,母親になりたいと心から望みながらかなえられずにいる人々に申し上げます。このことで流した皆さんやわたしたちの涙が報われ,神はいつの日か「わびしき心にも希望を与え」1てくださるでしょう。預言者らがこの説教壇から繰り返し説いてきたように,忠実な人々には,たとえ即座に与えられないとしても,最終的に「いかなる祝福も差し控えられることはない」2のです。さらには子供を養育する召しが実子に限られないことに,わたしたちは喜びを感じます。

母親について話すうえで,わたしは父親にあるきわめて重要な火急の役割をなおざりにするつもりはありません。とりわけ現代の家庭における父親の不在は「この時代の中心的社会問題」3とされています。実際,父親不在の問題は家庭に父親がいる家庭にさえあり得ます。家で食べて寝るだけの,いわば意思を持たない「リモコン人間」のような父親の場合です。しかしこの話題は,別の機会に神権者を対象にして話しましょう。今日わたしは,乳飲み子を揺りかごの中で育て,自分の子供たちに義を教え,主が地上の人間に定められた目的の中で大切な働きをする母親の手について,特にほめたたえたいと思います。

わたしはパウロの言葉を繰り返したいと思います。彼はテモテの「偽りのない信仰」を称賛し,こう語りました。「この信仰は,まずあなたの祖母ロイスとあなたの母ユニケとに宿ったものであった……。」4「〔あなたは〕幼い時から,聖書に親し〔んでいる。〕」5幼いときからそうした真理を教えてくれるすべての母親,祖母の皆さんに感謝します。

若い母親がささげる犠牲

母親について一般的な話をするに際し,わたしはとりわけ若い母親の皆さんをたたえ,励ましたいと思います。母親の務めは重く,ほとんどの場合目立ちません。若いうちは,往々にして夫か妻,あるいはその双方がまだ学生であったり,生計を立てるために夫が働き始めたばかりで蓄えもなかったりします。わずかに収入があったかと思えば,すぐに底を突いたりします。アパートの装飾は,普通,洗練された二つの選択肢のいずれか-デゼレト産業で購入した中古家具を据えるか,何もないか-です。車は,あったとしてもタイヤの溝がすり減り,ガソリンは空っぽです。しかも,若い母親にとってはしばしば最もつらい深夜の授乳や夜泣きで疲労こんぱいします。この時期,母親は,わたしの知るかぎりどのグループの人々より睡眠不足が続き,人のために働き個人的な気分転換の時間が持てません。目の下のくまが時にはロードアイランド州くらいの大きさになっても不思議ではありません。

そしてもちろん皮肉なことに,このような姉妹に限ってわたしたちはワードやステークの補助組織の責任に召したい-あるいは召す必要がある-と思う場合がしばしばあります。気持ちはお分かりいただけると思います。ロイスやユニケの卵とも言える,このような模範的な影響力を持つ人々を責任に召したいと願わない人はいません。皆さん,知恵を用いましょう。まず家族を何より優先しなければなりません。子供が小さいうちは特にそうです。しかしそれでもなお,ほかの人々が皆さんや皆さんの家族に仕え,励ましを与えてくれるのと同じように,若い母親は教会で忠実に奉仕するすばらしい方法を見いだせるでしょう。

この忙しい時期に最善を尽くしてください。何をするにも,自分に託されたほかに比べるもののない役割を重んじてください。その役割のゆえに神は天使を遣わされ,皆さんと皆さんの子供たちを見守ってくださいます。教会の指導者やいろいろな方面での友人の方々はもちろん,特に夫の皆さんは妻によく協力し,心を配り,知恵を用いてください。「あめが下のすべての事には季節があり,すべてのわざには時がある」6ことを忘れないでください。

母親の皆さん,わたしたちは皆さんの「信仰こめて,一歩ずつ」歩む姿に感謝し,尊敬の念を抱いています。その姿がこれまでも,現在も,将来においても意味のあることを知ってください。皆さんが何らかの理由でこの勇気の要る務めを,夫の力を借りず独りで果たしているとしたら,わたしたちは皆さんのためにいっそう強く祈り,いっそう固い決意をもって助けの手を差し伸べたいと思います。

母親は神の業に携わっている

ある若い母親から最近手紙を頂きました。彼女の心配はほぼ三つに集約されると言います。一つ目は末日聖徒の母親の務めについて話を聞く度に,自分がふさわしくないか,期待される働きができるようにはならないという心配に駆られると言います。二つ目は子供が言葉を始める前から彼らに読み書きやインテリアデザイン,ラテン語,計算,それにインターネットについて母親が教えるよう世間から期待されているように感じることです。三つ目は,人々の言動がほとんどの場合そういうつもりはないにしても,時折,恩着せがましい無益なものと彼女には感じられるということです。なぜなら,彼女が受ける助言や称賛の言葉でさえ,その中に神が望まれる母親になるために,あるいはなりたいと思うために,ときに必要とされる精神的な苦労,霊的・情緒的な努力,終日終夜力のかぎり果たさなければならないものが感じられないからだと言います。

それでも,一つのことが彼女に頑張り続ける力を与えてくれたそうです。「これまでの様々な苦労や悲喜こもごもを通して,心の奥底で自分は神の御業(みわざ)に携わっているという自覚がありました。母親の務めを果たすとき,わたしは神と永遠に手を取り合って働いているのです。たとえ一部の神の子供たちが主を悲しませても,人が親となることに神は究極の目的と意義を見いだしておられるという点に,わたしは深く感動しました。

結局,すべてが耐え切れないように思えたあの避けられない困難な日々に,わたしが思い起こすように努めたのは,この点でした。自分の力不足や心配のせいで人は主を求めるようになり,主の御力みちからを受けられるようになるのかもしれません。もしかすると主は,わたしたちが不安になって主に助けを求めるようになることを,ひそかに望んでおられるのかもしれません。だとすると,主はわたしたちを通じて,何の妨げも感じずに,子供たちを直接お教えになることができると思います。わたしはこの考え方が気に入りました。」そして彼女は手紙をこう結んでいます。「そう考えると希望がわきます。わたしが天の御父の御前みまえに義にかなった状態を保てば,きっと何の障害もなく,子供たちに導きが与えられるでしょう。だとすると,これが主の御業みわざ主の栄光の文字どおりの意味かもしれません。」7

母親は祝福された者の中に数えられる

この手紙を読むと,目の下の大きなくまの原因は乳飲み子や幼児の世話のためだけでなく,少なくとも,神が望まれるような子供を育てる能力を熱心に得ようと自分を吟味して眠れぬ夜を過ごしているためだと分かります。そのような献身と決意に感動して,わたしは主の御名みなにより母親の皆さん全体に申し上げます。皆さんはすばらしい方々です。すばらしい働きをしていらっしゃいます。皆さんにそのような責任が与えられているという事実そのものが,天の御父が皆さんに信頼を寄せておられる永遠の証拠です。皆さんが子供をもうければ,それですぐに全知の力を得て何もかも分かるわけではないことを主は御存じです。皆さんが夫とともに神を愛し,自ら福音に従って生活するように努めるなら,忠実な人々に約束された聖なる御霊みたまの導きと慰めを求めるなら,神殿に参入して男性も女性もこの世で交わせる最も貴い聖約を交わして祝福を求めるなら,自分の子供たちを含めた周囲の人々に,自分も天から示してほしいと望むような思いやり,同情,ゆるしの気持ちを示すなら,自分にできるかぎりの最上の親になるべく全力を尽くすなら,皆さんは人間としてなし得ること,神がなすように期待されることはすべて行えるでしょう。

時には,子供や孫の決断に心が傷つけられることもあるでしょう。すぐには期待どおりにいかないかもしれません。どんな母親,父親も同じ悩みを抱えています。人々に愛され,親としてすばらしい成功を収めたジョセフ・F・スミス大管長でさえ,次のように懇願しました。「おお神よ,わたしの子供たちを失うことのないように助けてください。」8それはすべての親の心の叫びであり,同時にすべての親の恐れている点でもあります。しかし努力と祈りを怠らなければ破綻はたんを来すことはありません。皆さんには励ましを得,次のことを知る十分な権利があります。すなわち最終的には子供たちは皆さんの名前を祝福された者の中に数えるようになるでしょう。皆さんより以前に母親であった人々も,皆さんと同じ希望と恐れを抱いたのです。

皆さんには全人類の母であるエバから受け継いだ立派な伝統があります。エバは,自分とアダムは「人が存在するため……喜びを得るため」9に堕落しなければならないことを理解していました。皆さんはサラ,リベカ,ラケルの伝統も受け継いでいます。彼女たちがいなければ,わたしたちすべての祝福となる,アブラハム,イサク,ヤコブに与えられた偉大な族長の祝福はなかったでしょう。皆さんにはロイスやユニケ,2,000人の若い兵士の母親の伝統もあります。創世の前から選ばれ予任されて,神の御子を身ごもり,育て,生んだマリヤの伝統もあります。わたしたちは自らの母親も含め皆さんに感謝し,こう申し上げます。神の御業みわざと栄光に直接携わること,すなわち高い所にある日の栄えの領域で不死不滅と永遠の命を受けられるように,神の息子,娘たちの死すべき状態と地上の命をもたらすこと,これ以上に大切なものはこの世にほかにありません。

救い主に永遠に頼る

柔和な心のへりくだった状態で主のみもとに来て,ある母親が語ったように「天国のドアをドンドンとたたき,この大いなる務めを果たすために必要な導きと知恵と助けを求め,嘆願して」ください。そうすればドアは大きく開かれ,皆さんに永遠にわたる力と助けが授けられるでしょう。世の救い主が言われた約束を求めてください。皆さんや子供の抱える問題が何であれ,あがないといういやしの薬を求めてください。信仰さえあれば,皆さんがどのような状態にあろうと,いやもっと正確に言えば,皆さんだからこそ物事は必ず正しい方向に向かいます。

皆さんはあるいはこの務めを独りでは果たせないかもしれません。しかし,必ず助けが与えられます。天地の主は皆さんのそばにいて,祝福してくださいます。いなくなった羊を断固として探し出し,念入りに掃き出してなくした銀貨をされる主は,放蕩ほうとう息子の帰りをいつまでも待ってくださいます。皆さんは救いの業に携わっています。ですから誠実な努力を続けるかぎり,たとえ時にはそれが頼りなく思えても,皆さんは強められ,不足を補われ,大きく成長し,今まで以上にすばらしい人になるでしょう。

母親の務めを果たすとき,いつも次の言葉を心に留めていてください。「もしキリストを信じる確固とした信仰をもってキリストの言葉に従い,人を救う力を備えておられるこの御方の功徳にひたすら頼らなかったならば,あなたがたは,ここまで進んで来ることさえできなかった……。」10

主に頼ってください。心を込め,永遠に頼ってください。そして「キリストを確固として信じ,完全な希望の輝きを持ち,……力強く進〔んで〕」11ください。皆さんは神の業を行っています。しかもすばらしい働きをしています。主は今も皆さんを祝福しておられ,これからも祝福してくださいます。最も苦しい日々でさえ,いえ,そのようなときだからこそ,祝福してくださるでしょう。人知れず辛抱強く,恐らくはためらいといくばくかの恥じらいを感じながらも,群衆を押し分けて主の衣のふさに触ったあの女性のときと同じように,キリストは,母親の務めに心を悩まし,思案し,時には涙を流している女性の皆さんにこう言葉をかけられるでしょう。「娘よ,しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」12その信仰によって子供たちも同様に救われるでしょう。

シオンの母親の皆さんへ

第13代大管長
エズラ・タフト・ベンソン

シオンの母親の皆さん,神が与えてくださった皆さんの役割は,皆さん自身の昇栄と家族の救いと昇栄のために欠くことのできないものです。子供は金で買えるあらゆるもの以上に母親を必要としています。子供と時間を過ごすことはあらゆる賜物たまものの中で最大のものわたしはシオンの母親の皆さんへの愛を込めて,子供と効果的に時間を過ごすための10の方法を提案したいと思います。

いつも子供のそばにいる。最初に,子供が出かけるとき,また帰宅するとき,それが学校でも,デートでも,また友達を連れて来るときでも,時間を取っていつも家にいるようにしてください。子供が6歳であろうと16歳であろうと,家にいてください。箴言にはこうあります。「わがままにさせた子はその母に恥をもたらす。」(箴言29:15)今のわたしたちの社会が抱える大きな問題として,何百万ものかぎっ子が毎日だれもいない家に帰宅し,共働きの両親からは監督されていないということがあります。

真の友人になる。2番目に,母親の皆さん,時間を取って子供の真の友人になってください。子供の話をよく聞きましょう。しっかり耳を傾けるのです。よく話をし,笑い,冗談を言い,歌を歌い,遊び,泣き,子供を抱き締め,心から褒めてください。そうです。子供と落ち着いた雰囲気の中で定期的に一対一の時間を取り,真の友人になってください。

子供に本を読んであげる。3番目に,母親の皆さん,時間を取って子供に本を読んであげてください。赤ちゃんのころから子供に本を読んであげましょう。ある詩人がこう書いています。

あなたは目に見えるどんな富をも手にすることができる

それこそ宝石をちりばめた黄金のひつぎ

でも,あなたはわたしよりも豊かにはなれない

わたしには本を読んでくれた母親がいたのだから

Strickland Gillilan, “The Reading Mother.”

子供に定期的に本を読んであげるようにすれば,良い書物,そして聖典への真の愛着を育てることになります。

子供とともに祈る。4番目に,時間を取って子供とともに祈ってください。家族の祈りは,父親の指示の下に朝夕行います。子供たちのために天からの祝福を呼び求めることによって,子供たちに皆さんの信仰を肌で感じさせてください。新約聖書のヤコブの言葉を言い換えるとこうなります。「義人(である母親)のいのりは,大いに力があり,効果のあるものである。」(ヤコブの手紙5:16)子供たちが個人でも家族でも祈りをするように導いてください。そして,天の御父とのすばらしい語らいのときに喜びを見いだすようにしましょう。

毎週家庭の夕べを行う。5番目に,時間を取って有意義な家庭の夕べを行ってください。夫を管理者として,霊的で心が鼓舞される家庭の夕べを毎週行いましょう。子供たちを積極的に参加させてください。正しい原則を教えましょう。家庭の夕べを家族の最大の伝統にしてください。家庭の夕べが最初に導入されたときのジョセフ・F・スミス大管長の驚くべき約束を思い起こしましょう。「もしも聖徒の皆さんがこの勧告に従うならば,大いなる祝福が得られると約束いたします。家庭には愛が深まり,両親への従順さが増すでしょう。イスラエルの若人の心には信仰がはぐくまれ,彼らにのしかかる悪の影響や誘惑と戦う力を得ることができるのです。」(James R. Clark編,Messages of the First Presidency of The Church of Jesus Christ of Latter-day Saints,全6巻〔1965-75年〕,4:339で引用)このすばらしい約束は今も生きています。

一緒に食事をする。6番目に,時間を取って,食事はできるだけ一緒にするようにしてください。これは子供たちが成長して忙しくなると難しいことです。でも,和やかな会話や一日の計画や活動の調整,それに特別な教える機会は食事どきに訪れます。父親も母親も子供も一緒だからです。

毎日聖文を読む。7番目は,毎日時間を取って家族で一緒に聖文を読むことです。個人で聖文を研究することは大切です。しかし,家族での聖文の研究は欠かすことができません。モルモン書を家族で読めば家庭の霊性が高まり,両親も子供たちも誘惑に対抗する力を強め,聖霊を常に伴侶はんりょとすることができるようになります。約束します。モルモン書は皆さんの家族の生活を変えます。

家族一緒の活動をする。8番目に,時間を取って家族一緒の活動を行ってください。家族の外出やピクニック,誕生会,旅行などを,特別な思い出に残る行事にしましょう。また,いつでも可能なときには,家族の一員が参加する行事,例えば学校の劇,スポーツ,講演,リサイタルなどには家族みんなで参加します。教会の集会にも家族で参加し,できるだけ一緒に座るようにしましょう。家族が一緒に祈ったり,遊んだりするのを助ける母親は,子供たちとともにとどまり,彼らの人生に永遠に祝福をもたらすのです。

子供たちを教える。9番目に,母親の皆さん,時間を取って子供たちを教えてください。教える時を捕らえてください。これは一日の中のどの時間でもできます。食事のときも,気楽に話しているときも,特別に時間を取って座って話しているときも,一日の終わりにベッドのそばにひざまずいているときも,早朝に散歩しているときもです。母親の皆さん,皆さんは子供にとって最良の教師です。この貴重な責任を保育園やベビーシッターに任せないでください。母親の子供への愛と祈りを込めた思いやりの心は,子供たちを教えるうえでもっとも重要な要素なのです。

子供たちに福音の原則を教えてください。いいことをすれば報いがあることを教えましょう。罪には安らぎがないことを教えてください。イエス・キリストの福音への愛とその神聖さへのあかしを教えていただきたいと思います。

息子さん,娘さんにつつましくあるように教えてください。男性であることや女性であることに敬意を払い,道徳的に清くあること,デートの標準を守ること,神殿結婚,宣教師としての奉仕,そして教会の召しを受け入れ,それを尊んで大いなるものとすることの大切さを教えてください。

彼らに働く喜びと優れた教育の価値を教えましょう。

適切な映画やビデオ,音楽,書物,雑誌を含め,正しい娯楽の大切さを教えてください。ポルノグラフィーや麻薬がいかに邪悪なものであるかを説明し,清い生活をすることの大切さを教えてください。

そうです。母親の皆さん,福音は皆さんの家庭で,皆さんの暖炉のそばで教えるのがいちばんです。これこそが子供たちが受けることのできる最も効果的な教育なのです。主の教育の方法です。教会は皆さんのようには教えることができません。学校もできません。保育園もできません。でも,皆さんはできます。主が助けてくださるからです。子供たちは皆さんから教えられたことをいつまでも忘れないことでしょう。そして成長しても皆さんの教えに背を向けることはないのです。そして皆さんを,祝福された天使のような母親と呼ぶことでしょう。

母親の皆さん,こうした天国のような,母親としての教育には時間がかかります。長い時間です。パートタイムではうまくできません。子供たちを救い,昇栄に導くには,全時間を要するのです。神からの召しなのですから。

子供たちを心から愛する。最後の10番目は,母親の皆さん,時間を取って子供たちを心から愛することです。母親の無条件の愛はキリストの愛に通じます。

ある息子が母親にあてた賛辞を紹介しましょう。「わたしは母が政治についてどんな見解を持っていたか,また社会的地位がどのようなものであったか,覚えていません。また子供のしつけや食習慣,優生学についての母の考えを思い出すことができません。数々の成長の経験から心に浮かぶおもな事柄は,母がわたしを愛していたということです。母はわたしと一緒に芝生に寝転んでよく話をしてくれました。また,わたしたちとかくれんぼをしてくれました。いつも抱き締めてくれました。うれしかったです。いつも笑顔でした。わたしにとっては神様のようでした。聖徒たちが語る徳をすべて備えていました。それに,歌です。わたしの感覚に心地よいものとして残っているものの中で,はいはいをしてロッキングチェアに座る母のひざに乗り,揺られながら母が歌う歌を聞いて,いつの間にか眠りにつくあの心地よさに優るものはないでしょう。そのことを考えながら,すばらしい考えや計画を持っている現代の女性は,子供の行く末を形作る万能の力が自分にあることを自覚しているだろうかと思うのです。子供の人生において真実の愛と思いやりがどれほど大きな価値を持つか,現代の女性たちは自覚しているのでしょうか。」

母親の皆さん,皆さんの10代の子供たちも同じ愛と思いやりを必要としています。多くの母親と父親にとって,小さな子供に愛や思いやりを示すのは簡単なように見えますが,大きくなると難しくなります。祈りをもって取り組んでください。世代の違いは克服できます。かぎは愛です。若人は愛と思いやりを求めています。甘やかされたいのではありません。共感と理解を求めているのであって,両親からの無関心を求めているのではありません。両親が時間を割いてくれることを求めています。10代の息子,娘に対する母親の思いやりのある教えと愛と信頼が,彼らを文字どおり世の悪から救うことになるのです。

  1. 「イスラエルの救い主」『賛美歌』4番。3ニーファイ22:1も参照。

  2. ジョセフ・フィールディング・スミス『救いの教義』ブルース・R・マッコンキー編,2:69;ハロルド・B・リー,Ye Are the Light of the World: Selected Sermons and Writings of President Harold B. Lee(1974年),292;ゴードン・B・ヒンクレー『聖徒の道』1991年7月号,72-75参照。

  3. トム・ロー,“Fatherlessness: The Central Social Problem of Our Time,” Claremont Institute Home Page Editorial,1996年1月。

  4. 2テモテ1:5

  5. 2テモテ3:15

  6. 伝道3:1

  7. 個人の書簡。

  8. ジョセフ・F・スミス『福音の教義』441。

  9. 2ニーファイ2:25

  10. 2ニーファイ31:19

  11. 2ニーファイ31:20

  12. マタイ9:22