マタイ26:26-30;ルカ22:19-20
聖餐
階上の部屋として知られている場所で,救い主は「十二弟子と一緒に食事の席につかれ」(マタイ26:20),現世で最後の過越の食事をお取りになりました。この最後の過越の食事のときに,イエス・キリストは弟子たちが御自分を思い起こす新しい方法として聖餐の儀式を定められました。この課では,聖餐を受けるときに救い主を思い起こすことの大切さを理解し,感じてもらいます。
学習活動案
聖餐の大切さ
次の質問をされた場合,あなたはどのように答えるでしょうか:
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末日聖徒イエス・キリスト教会の会員が毎週日曜日に教会に行くのはなぜですか。
わたしたちが教会に出席する重要な理由の一つは,聖餐を受けることです。元初等協会会長会のチェリル A・エスプリン姉妹は,96歳の男性とその息子との会話を伝えています。これは,教会に行く目的の中心が聖餐を受けることだということを示す会話です。
「聖餐の大切さについて深く考えれば考えるほど,聖餐が神聖で意義深いものとなります。ある96歳の父親は息子に次のように尋ねられました。『父さんは何のために教会に行くの。目は見えないし,耳も遠いし,歩くのも大変なのに,何のために教会に行くの?』父親はこう答えました。『聖餐があるからだよ。聖餐を取るために教会に行くんだ。』」
(チェリル A・エスプリン「聖餐-霊の更新のとき」『リアホナ』2014年11月号, 13-14)
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この男性にとって聖餐がそれほど大切なものだったのは,聖餐について何を理解し,感じていたからだと,あなたは思いますか。
教会に来て聖餐式に出ている自分を評価してください。1を最低,5を最高として,1から5の尺度で次の質問に答えます:
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あなたは,教会に出席して聖餐を取ることをどれくらい優先していますか。
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聖餐を受けたときに,イエス・キリストについて考え,価値ある経験をする可能性はどれくらいありますか。
自分のことを評価したら,そのように評価した理由を考えてください。この課の学習では,聖餐を受けるときに救い主を思い起こすことの大切さがどうしたらよく理解できるようになるか分かるよう,主の助けを求めてください。
イエス・キリスト,聖餐を定められる
イエス・キリストは,ゲツセマネでの苦しみと十字架での死の直前に,過越の祭に参加されました。この出来事は「最後の晩餐」として知られるようになりました。救い主は,使徒たちとこの過越の食事を取ったときに,聖餐の儀式を定められました。
マタイ26:26-30 と ルカ22:19-20 を読んで,救い主が聖餐の目的について使徒たちに何を教えたか調べてください。大切な言葉に下線を引くとよいでしょう。ビデオ「いつも御子を覚える」(タイムコード0:00-0:53)を見てもいいかもしれませんこのビデオはChurchofJesusChrist.orgにあります。
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救い主はどのような目的で聖餐の儀式を定められたのでしょうか。
この聖句から学ぶことのできる一つの真理は,イエス・キリストはわたしたちに御自身を思い起こしてもらうために聖餐を定められたということです。救い主はまだ贖いの犠牲の苦しみと苦悩を経験していませんでしたが,使徒たちに儀式と象徴を教えられたのは,救い主と,救い主の贖罪の賜物を思い起こしてもらうためでした。
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救い主が自分のために行ってくださった犠牲について考えるのに,どのような聖句や個人的な経験が役に立ちましたか。
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この聖句を読んだり,その経験について考えたりすると,あなたは救い主に対してどのような気持ちを感じますか。
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聖餐の象徴は,救い主があなたのために何をし,何がおできになるかをよく理解するのにどのように役立ちますか。
レッスンの概要の作成
家庭で行われる聖文研究の話し合いで,聖餐について教えるようにと言われたと仮定します。勉強したばかりの聖句と自分で選んだその他の参考資料(福音のテーマ,「聖餐」の項,topics.ChurchofJesusChrist.org,最近の総大会の話など)を使いながら,聖餐の大切さを理解し,感じてもらうためのレッスンを準備します。
レッスンの概要には,次の内容を入れてください。(1)調べてよく考えてもらうための,聖餐に関する聖句や教会指導者の言葉を一つ以上,(2)理解を深めるために尋ねる質問を少なくとも二つ,(3)話のテーマである真理を実践するようにという勧め。以下の質問の一部またはすべてを使って,レッスンの概要を作成する際の指針として役立ててください:
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聖餐とは何ですか。
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聖餐は,救い主とその贖罪をよく理解するためにどのような助けになりますか。
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聖餐を価値ある時にするために,これまでどのようなことが役に立ってきましたか。
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イエス・キリストのことをもっと頻繁に思い起こすようにしたら,あなたの人生はどのように変わるでしょうか。
注釈と背景情報
過越の祭と聖餐にはどのようなつながりがあるか
聖餐でぶどう酒ではなく水を使うのはなぜか
教義と聖約27:1-2 には,聖餐が「〔キリストの〕栄光にひたすら目を向け」るかぎり( 2節 ),聖餐に何が使われるかは問題ではないと書かれています。現在,教会の指導者は,聖餐を取るときに水を使うよう求めています。
聖餐を価値あるものにするために何ができるか
中央若い男性のスティーブン J・ランド会長は,次のように教えています:
「執事が聖餐のトレイを手にする度に,わたしたちは最後の晩餐,ゲツセマネ,カルバリ,園の墓に関する神聖な話を思い起こします。救い主は『わたしを記念するため,このように行いなさい』と使徒たちに言われたとき〔ルカに22:19〕,時代を超えてわたしたち一人一人にも語りかけておられました。主は,未来の執事,教師,祭司たちが主の象徴を示し,主の贖いの賜物を受け入れるよう主の子供たちを招くときに,主がもたらされる奇跡について語っておられたのです。
聖餐の儀式の象徴はすべて,わたしたちの意識をその賜物に向かわせるものです。わたしたちは,主がかつて割かれたパンについて,また,今はわたしたちの前にいる祭司たちが割いているパンについて思いをはせます。聖餐の祈りの言葉が,若い祭司の口からわたしたちの心と天へ厳かに届けられ,キリストの救いの力そのものにわたしたちを結びつける聖約を新たにするとき,わたしたちは当時の,また現在の聖別された液体の意味について考えます。また,執事が神聖な象徴をわたしたちのもとに携えてきて,イエスがそこにおられたら立たれるであろう場所に立っているとき,わたしたちはそこで,主がわたしたちの重荷や苦痛を取り除くよう申し出ておられることの意味について考えることができます。」
(スティーブン J・ランド「キリストに喜びを見いだす」『リアホナ』2020年11月号 ,36参照)
大管長会のダリン H・オークス管長は,次の勧告をしています:
「聖餐会の間,特に聖餐の儀式の間は,礼拝に集中し,ほかのどのような行為も控えるべきです。特に,ほかの人の礼拝を妨げる恐れのある行為は控えます。静かに居眠りする人でさえ,ほかの人のじゃまはしていないのです。聖餐会は,本や雑誌を読む時間ではありません。若人の皆さん,聖餐会は携帯電話で別の場所にいる人と小声で会話したり,メールを送ったりする時間ではありません。聖餐を取るとき,わたしたちはいつも救い主を覚えるという神聖な聖約を交わします。まさにその聖約を交わしている集会で,それを明らかに破っている人を目にするのは,何と悲しいことでしょうか。」
(ダリン H・オークス「聖餐会と聖餐」『リアホナ』2008年11月号,18-19)