セミナリー・インスティテュート
何を教えていようと,イエス・キリストについて教える


「何を教えていようと,イエス・キリストについて教える」『救い主の方法で教える—家庭と教会で教えるすべての人のために』

「何を教えていようと,イエス・キリストについて教える」『救い主の方法で教える』

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何を教えていようと,イエス・キリストについて教える

イエス・キリストの回復された福音には,原則,戒め,預言,聖文の物語など,教える事柄がたくさんあります。しかしこれらはすべて同じ木から伸びている枝であって,そのすべてが,あらゆる人がキリストのもとに来て,キリストによって完全になれるように助けるという一つの目的を持っています(ジェロム1:11モロナイ10:32参照)。ですから何を教えていようと,実際にはイエス・キリストについて教え,イエス・キリストのようになる方法について教えているのだということを忘れないでください。聖霊はそれぞれの原則,戒め,預言者の教えの中にある,救い主とその贖いの力についての真理を理解できるように助けてくださいます(モルモン書ヤコブ7:10-11参照)。

犠牲について教えているときには,自分が犠牲を払うと救い主の「大いなる最後の犠牲」(アルマ34:10)のどのような点に心が向くか,学習者と一緒に考えるといいかもしれません。一致について教えているときには,イエス・キリストが到達された御父との一致や,御二方と一つになるようにという主の招きについて話し合うとよいでしょう(ヨハネ17章参照)。あらゆる福音のテーマの学習を,イエス・キリストについて教え学ぶ機会と捉えてください。

どの戒めの学習も,キリストについて学ぶ機会になります。福音の律法だけでなく,その律法を授けてくださった御方についても学んでください。知恵の言葉について論じるのであれば,健康な生活のために行うべきことと行うべきでないことを採り上げるだけで終わってしまうと,イエス・キリストがどれほど深くわたしたちの霊と肉体の両方の福利を心にかけてこの律法を授けてくださったのか,深く考える機会がなくなってしまいます。律法に従った生活ができるよう,御自分の力で喜んで助けたいと,主が切に願っておられることを大切にしてください。主が与えてくださるどの戒めにも,主の御心と思いが表れています。それを見いだす喜びを一緒に味わいましょう。

イエス・キリストの模範を強調する

イエス・キリストを教えと学びの中心に据えるもう一つの方法は,イエス・キリストがあらゆる福音の原則を完全に実践した模範であられることを認め,強調することです。弟子であるわたしたちは,ただ原則に従っているだけではなく,イエス・キリストに従っているのです。救い主の完全な模範に焦点を当てれば,聖霊が主を証され,主に従いたいという気持ちをわたしたちの中に引き起こしてくださいます。

あなたが,最後まで堪え忍ぶという原則を教えているところを,少し想像してみてください。救い主がどのように最後まで堪え忍ぶ模範を示されたかについて話し合うなら,主に対する深い尊敬の念が湧いてくるのではないでしょうか。あなたが教える人々は,主の模範から何を学び,感じ取るでしょうか。

地に伏す男性を癒される救い主

救い主はあらゆる人々のために,完全な模範を示された。「イエスは彼らを皆,癒された」マイケル・マーム画

イエス・キリストの称号,役割,特質について教える

イエス・キリストは聖文の中で,数多くの称号で呼ばれています。どれも神の計画における主の役割の一つを反映しており,主が持っておられる神聖な属性について教えています。あなたは神の小羊,弁護者,わたしたちの信仰の完成者,世の光といった称号が,イエス・キリストについて何を教えているか,学習者とともに探求することを考えてもいいかもしれません。また,学習者が救い主についてさらによく理解できるよう助けるとき,主の言葉や行いだけでなく,主がどのような御方で,わたしたちの生活の中でどのような役割を果たしたいと願っておられるか,といった点まで理解できるように助けるとよいでしょう。救い主の特質や人格について一緒に学ぶとき,聖霊はあなたが救い主をよく理解し,さらに深く愛することができるようにしてくださるでしょう。

イエス・キリストについて証する象徴を探す

主は「すべてのものは,……わたしのことを証するために創造され,造られ〔た〕」(モーセ6:632ニーファイ11:4も参照)と宣言されました。この真理を心に留めると,聖文の中から救い主について証する数多くの象徴を理解できるようになります。こうした象徴には,パン,水,光などがあります。これらのものが救い主とどのような関係にあるかを理解すると,そこから主の力と属性について学ぶことができるようになります。さらには,聖文に登場する預言者やそのほかの忠実な男女の生活の中に,救い主の生涯との類似点を見いだすこともできるようになります。象徴を探し求めると,それ以外の方法では見過ごしてしまうかもしれない箇所からも,救い主に関する真理が見つかるようになります。