セミナリー・インスティテュート
教える人々を愛する


「教える人々を愛する」『救い主の方法で教える—家庭と教会で教えるすべての人のために』

「教える人々を愛する」『救い主の方法で教える』

3:11

教える人々を愛する

救い主が地上で教え導かれたときに行われた業は,すべて愛に根ざしていました。キリストに真に従う者になろうと努めるならば,わたしたちはこの同じ愛で満たされるようになります(ヨハネ13:34-35モロナイ7:47-488:26参照)。心の中に救い主の愛があるとき,わたしたちはありとあらゆる方法を探し求めて,キリストのことを学び,キリストのもとに来ることができるよう,ほかの人を助けるようになります。愛するがゆえに,教えるようになるのです。

教える人々を愛するために

  • 神が御覧になられるように学習者を見る。

  • 学習者を知るように努め,彼らの境遇や長所,彼らに必要なことを理解する。

  • 相手の名前を挙げて祈る。

  • すべての人が大切にされ,自分の意見が認められると感じてもらえる,気兼ねのない環境を作る。

  • あなたの愛を表現する適切な方法を見つける。

救い主は御自分が教えたすべての人に,神の子として秘めている可能性を見ておられた

エリコのほとんどの人は,ザアカイについて知るべきことはすべて知っていると思っていました。ザアカイは税金を取り立てる取税人,より正確に言えば取税人の長で,金持ちでした。周囲の人々は明らかに,彼は不正直で,不正な方法で利益を得ていると思っていました。しかし,イエスはザアカイの心を御覧になり,立派な「アブラハムの子」(ルカ19:1-10参照)と見ておられました。救い主は,人の外面だけでなく,ほんとうの姿,すなわちなり得る姿を御覧になったのです。シモン,アンデレ,ヤコブ,ヨハネのような洗練されていない漁師たちの中に,主は御自分の教会の将来の指導者の姿を御覧になっていました。人々に恐れられていた迫害者サウロを,主は,王や国々の前で福音を宣べ伝える「選〔ばれた器〕」として御覧になっていました(使徒9:10-15参照)。そしてあなたやあなたが教える一人一人を,救い主は無限の可能性を秘めた神の息子や娘として御覧になっておられるです。

あなたが教える人々の中には,忠実で改心しているように見える人もいれば,興味のない人,反抗的な人もいるかもしれません。しかし,目に見えるものだけで決めつけないよう,気をつけてください。聖霊はあなたを助け,一人一人の中に,救い主が御覧になる姿を幾分か見ることができるようにし,主が愛されるように彼らを愛せるようにしてくださいます。

考えるための質問:あなたが教える一人一人について考え,天の御父とイエスがそれぞれの人についてどのように感じておられるか,深く考えてください。御二方はその人たちの中に,どのような姿を御覧になっているでしょうか。そう考えると,その人の教え方はどのように変わってきますか。

聖文から:サムエル上16:7詩篇8:4-5ローマ8:16-17教義と聖約18:10-14

救い主はわたしたちを御存じであり,わたしたちの境遇や長所,わたしたちに必要なことを理解しておられる

サマリヤの女は,福音のメッセージを聞くために井戸に来たのではありません。水を汲みに来たのです。しかし救い主は,彼女の霊が肉体よりも渇いていることを見抜かれました。また,彼女がそれまで不安定な人間関係に悩まされていたことを御存じでした。そこでイエスは,彼女の目下の関心事である,命を維持する水という肉体に必要なものを採り上げ,それを彼女の霊にとってより必要性のある「生ける水」と「永遠の命」とに結びつけられたのです。会話が終わるころには,この女にはイエスがキリストであるという個人的な証がありました。それは一つには,イエスが彼女のことを非常によく知っておられたからです。「〔主は〕わたしのしたことを何もかも,言いあてた」と,彼女は言っています。「この人がキリストかも知れません。」(ヨハネ4:6-29参照)

キリストのような教師になるためには,自分の教える人について知り,その人の心の中を理解しようと努める必要があります。彼らの生活に関心を持ち,思いやりを示してください。彼らにどのような背景や才能,興味があって,何が必要なのかを理解する方法を探してください。彼らにとって最も良い学習方法を見つけてください。質問し,話によく耳を傾け,彼らを観察してください。何よりも,御霊を通してしか授かることのできない理解力を求めて祈ってください。その人のことをよく知れば知るほど,その人がイエス・キリストの福音に個人的な意義と力を見いだせるよう助けることができるようになります。ある人が渇いていることが分かると,救い主の生ける水でその渇きを癒す方法を,御霊から教えていただくことができます。

考えるための質問:あなたは自分が教える人々について,すでにどのようなことを知っていますか。彼らにとって大切なことは何でしょうか。彼らにはどのような長所があるでしょうか。彼らはどのようなことで悩んでいるでしょうか。彼らのことをさらによく知るために,あなたには何ができるでしょうか。

聖文から:詩篇139:1-5マタイ6:25-32マルコ10:17-21ヨハネ10:143ニーファイ17:1-9

救い主は御自身が教えた人々のために祈られた

シモン・ペテロが救い主から次の言葉を言われたときにどのように感じたか,想像してください。「シモン,シモン,見よ,サタンはあなたがたを……ふるいにかける……しかし,わたしはあなたの信仰がなくならないように,あなたのために祈った。」(ルカ22:31-32)イエス・キリストが自分のために天の御父に祈ってくださったことが分かると,あなたはどう感じるでしょうか。古代アメリカの人々は,これと似たような経験をしました。彼らはそれを,次のように説明しています。「わたしたちは,イエスがわたしたちのために御父に祈ってくださるのを聞いたが,そのときにわたしたちの心に満ちた喜びは,だれも想像することができない。」(3ニーファイ17:17

また,あなたがだれかのために祈るとき,それも常に名前を挙げて祈るときに,自分の中でどのような変化が起きるか考えてみてもいいかもしれません。そのように祈ると,その人に対するあなたの気持ちはどのように変わるでしょうか。あなたの行動は,どのように変わるでしょうか。確かに天の御父は,学習者を助けたいと願う,教師の心からの祈りを聞き,それに答えてくださいます。そして多くの場合,御父は教師の心に触れて,学習者に主の愛を感じてもらえるようなことを行ったり語ったりするよう促すことによって,祈りに答えてくださいます。

考えるための質問:自分が教える人々について考えてください。あなたの祈りが特に必要だと感じる人はいますか。その人のために,何を祈り求めるよう御霊がささやいていると感じますか。学習者に互いのために祈るよう招くなら,どのような祝福がもたらされるでしょうか。

聖文から:ヨハネ17章アルマ31:24-363ニーファイ18:15-2419:19-23,27-34

救い主は,自分のことを価値ある大切な存在だとすべての人に感じてもらえるようにされた

イエスの時代,宗教指導者たちは一般的に,罪人は避けるべきだという態度をとっていました。そのため,この指導者たちはイエスが罪人と交流するのを見て驚きました。そのような人たちとかかわりを持つ人が霊的な教師といえるでしょうか。

イエスは,もちろん,別の見方をしていました。霊的に病んでいる人々を癒そうとされましたし(マルコ2:15-17ルカ4:17-18参照),周囲から浮いている人や暗い過去を持つ人に常に手を差し伸べ,罪を犯した人々と交流されました。また,ローマ兵の信仰を称賛されました(マタイ8:5-13参照)。主は人々から不信感を持たれていた取税人を,御自分の信頼する弟子の一人に召されました(マルコ2:14参照)。ある女が姦淫で訴えられたとき,主はその女を安心させ,悔い改めてもっと良い生活を送るようにと諭されました(ヨハネ8:1-11参照)。

しかし,イエスはそれ以上のことをなさいました。御自分に従う者の中でも,受け入れ,愛するという姿勢を育まれたのです。使徒たちがすべての人に福音を伝える時が来たとき,主の模範は確かに彼らの心の中に生きていました。ペテロの次の言葉の中に,それが読み取れます。「神は人をかたよりみないかたで〔ある〕ことが,ほんとうによくわかってきました。」(使徒10:34-35

あなたが召しを受けて教える人の多くが,自分のことを価値ある大切な存在だと認めてもらうために,何らかの形で苦労しているという可能性が十分にあります。彼らに愛と敬意を示すことによって,彼らは歓迎されているだけでなく,必要とされていることを伝えることができます。クラスに来ない人や悩んでいる人,興味がなさそうな人に,手を差し伸べることができます。進歩が遅いように見えても,忍耐強く働きかけましょう。また,だれもが安心して,気兼ねなく自分の悩みを同じ信仰を持つ人たちに話せるよう助けることができます。できることはほかにもまだたくさんあります。敬意と帰属感と愛の中で教義が学べるような環境づくりに協力するよう,すべての学習者に呼びかけることもできます。

考えるための質問:自分のことを価値ある大切な存在だと人に感じてもらうには,どのようにしたらよいでしょうか。どのようなことが,ほかの人を価値ある大切な存在だと思うきっかけになるでしょうか。あなたが教える人々についてよく祈りながら考えると,彼ら全員に歓迎され必要とされていると感じてもらうために,何をしたらよいと感じるでしょうか。

聖文から:ヨハネ4章2ニーファイ26:27-28,33アルマ1:263ニーファイ18:22-25

子供を教える父親

教師は,教える人たちに愛を感じてもらうことができる。

救い主は御自身が教えた人々に愛を示された

ニーファイ人の間で教え仕えた,すばらしい,啓発された日の終わりに,イエスは御自分の去る時が来たと言われました。ほかにも訪れるべき民がいたのです。そしてこう言われました。「自分の家に帰り,……明日のために心が備えられるように〔し〕なさい。」しかし人々は「涙を流しながら」座ったまま,「もうしばらくとどまっていてほしいと願うかのように,イエスをじっと見詰めてい」ました。イエスは,彼らが言葉には出さないけれども自分を必要としていることに気づいて「哀れみに満たされ」,もうしばらくとどまられました(3ニーファイ17:3,5-6)。そして,病人や苦しむ人々を祝福し,ひざまずいて,民とともに祈られたのです。主は彼らとともに泣き,彼らとともに喜ばれました。

3ニーファイ17章に記された救い主の言葉や行いを,よく祈りながら研究するとよいでしょう。御自分の教えた人々に対して主が示された愛について,深く考えてください。また,聖文のほかの箇所で見られる主の愛の表現を探してください。次に,自分が教える人々のことを考えてください。どのようにすれば,ふさわしい方法で彼らに愛を示すことができるでしょうか。御霊の導きを求めてください。自分の教える人に愛を感じたり,愛を表現したりするのが難しい人は,まず神の愛について証することから始めましょう。そして,「御父が御子イエス・キリストに真に従う者すべてに授けられたこの愛で満たされるように,……熱意を込めて御父に祈〔ってください〕。」(モロナイ7:48)。また,レッスンを教えることに気を取られ,言葉や行いによって愛を示すのを忘れることが決してないように,気をつけてください。人への接し方が教えている内容と同じくらい大切だということがよくあります。

考えるための質問:救い主は,御自分から愛されていることをあなたに知ってもらうために,これまでどのように助けてくださいましたか。両親をはじめとする教師の人々は,あなたに主の愛を感じてもらうために,どのようなことをしてくれましたか。あなたが教える人々は,あなたの愛を感じていますか。彼らは自分が救い主から愛されていることを知っているでしょうか。

聖文から:マルコ6:31-42ヨハネ13:3-16,34-3515:12-131コリント13:1-71ヨハネ4:7-11

学んでいることを応用するアイデア

  • クラスを受け持っている人は,学習者の名前を覚え,レッスン中には名前で呼ぶ。

  • 学習者が発言してくれたら,感謝の気持ちを伝える。

  • 教える前と後に,学習者と交流する。

  • 互いに愛と敬意を示し合えるような雰囲気を作れるよう,学習者たちを助ける。

  • 教えるときだけでなく,そのほかの場面でも,彼らの話によく耳を傾ける。

  • 教える人々のために,奉仕の行いをする。

  • 教える人々にとって意味のある原則に多くの時間を使えるよう,ためらわずにレッスンプランを変える。