「御霊によって教える」『救い主の方法で教える—家庭と教会で教えるすべての人のために』
「御霊によって教える」『救い主の方法で教える』
御霊によって教える
救い主は,ジョセフ・スミスとシドニー・リグドンに福音を宣べ伝えるように命じられたとき,彼らに次のように約束されました。「聖霊が注がれて,あなたがたの述べるすべてのことを証するであろう。」(教義と聖約100:8。教義と聖約42:15-17;50:17-22も参照)同様の約束が,福音を教えるすべての人に当てはまります。あなたも例外ではありません。イエス・キリストの福音を教えるとき,聖霊があなたとともにいて導いてくださり,あなたが教える人々の思いと心に真理を証してくださいます(教義と聖約8:2参照)。教えるとき,あなたは独りではありません。「語る者はあなたがた自身ではなくて,聖霊」(マルコ13:11)だからです。
聖霊が真の教師です。死すべき人間である教師は,どれほど優れた技量と豊かな経験があろうと,真理を証し,キリストのことを証し,心を変えるという役割を,聖霊に代わって果たすことはできません。しかしどのような教師でも,神の子供たちが御霊によって学ぶのを助ける器となることができます。
救い主は教えるために霊的な備えをされた
教導の業に備えるため,イエスは40日間,荒れ野で過ごされました。それは「神とともにいるため」でした(ジョセフ・スミス訳マタイ4:1〔「学習ヘルプ」内「ジョセフ・スミス訳付録」〕)。しかし,主の霊的な備えはずっと以前から始まっていました。主はサタンの試しに遭ったとき,「必要なそのとき」のために大切に蓄えていた「命の言葉」を,必要なタイミングでお使いになることができました(教義と聖約84:85参照)。教えるために霊的に備える自分自身の努力について,考えてみてください。霊的に備えるためにどのように救い主の模範に従えばよいかについて,マタイ4:1-11からどのようなことが学べますか。
御霊がほんとうの教師であり,改心の真の源です。福音を力強く教えるにはレッスンの準備をするだけではなく,教えるそのときよりもずっと前から霊的に備える必要があります。霊的に備えていれば,教える際に御霊の導きを受け,その導きにさらによく従うことができるようになるでしょう。聖霊をレッスンに招く方法とは,まず自分の生活の中に聖霊を招くことです。そのためには,救い主の模範に従おうと熱心に努め,心を込めて福音を実践していくことが必要です。そして,これを完全に行える人はだれもいないので,毎日悔い改めることも必要です。
考えるための質問:教えるために霊的に備えるとは,あなたにとって何を意味しますか。霊的に備える方法を改善するために,何をしようと思いますか。霊的な備えがあれば,自分の教え方をどのように変えることができると思いますか。
救い主は常に人々に必要なことを行う備えができておられた
会堂司のヤイロはイエスの足もとにひれ伏し,死にかかっている娘を助けてくださるよう請い求めました。イエスと弟子たちが群衆の中を押し進んでヤイロの家に向かっていると,突然イエスは立ち止まり,「わたしにさわったのは,だれか」と尋ねられました。それは実に奇妙な質問でした。人々が押し迫る中で,主に触れていない人などいたでしょうか。しかし,その群衆の中に,具体的に助けが必要で,主がお与えになる癒しを受けることができるという信仰をもって近づいてきた者がいたのです。救い主はそれに気づいておられました。ヤイロの娘を訪れるには,まだ時間的な余裕があったのでしょう。救い主はまず,御自分の衣に触れた女にこう言われました。「娘よ,あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。」(ルカ8:41-48参照)
教師であるあなたは,時として,準備してきたことを教えるために急ぐことがあるかもしれません。それも大切なことかもしれませんが,急ぐあまりに,あなたが教える人々にとってまさにそのときに必要なことを見過ごしてしまうことがないようにしてください。準備の段階で霊的な導きを求めるだけでなく,教えている最中にも御霊の導きを求めてください。学習者には何が必要か,どのような疑問や関心があるかを察知できるように努めてください。聖霊は,あなたが教えていることを学習者がどのように受け入れ,理解しているかを識別できるように助けてくださいます。時には,プランを変えるように促されることがあるかもしれません。例えば,あるテーマのためにあなたが考えていた以上の時間を費やしたり,幾つかの話し合いを脇に置いて,今,学習者にとってより重要な事柄を採り上げたりした方がよい,という印象を受けたりすることがあるかもしれないのです。
考えるための質問:両親をはじめとする教師が,学習者であるあなたに何が必要なのかを把握しているとあなたが感じたのはどのようなときでしたか。あなたが教える人々は,あなたが気にしているのはレッスンを全部教えることではなく,自分たちが学んでいるかどうかの方だということを,知っているでしょうか。あなたの関心がそこにあることを,どのようにすればもっとうまく伝えられるでしょうか。
救い主は聖霊から教えを受ける機会を人々に与えられた
イエスの時代では,多くの人にとってイエスがほんとうは何者であるかを理解することは難しく,様々な意見がありました。弟子たちは次のように報告しています。「ある人々はバプテスマのヨハネだと言っています。しかし,ほかの人たちは,エリヤだと言い,また,エレミヤあるいは預言者のひとりだ,と言っている者もあります。」しかしその報告を聞くと,イエスは弟子たちに,ほかの人々の意見を脇に置いて,自分の心の中を見つめるよう招く質問をされました。「あなたがたはわたしをだれと言うか。」イエスは彼らに,「血肉」からではなく「天にいますわたしの父」から,直接答えを得てほしいと思われたのです。ペテロが次のように宣言できたのは,このような証,すなわち聖霊からの個人的な啓示を受けていたからでした。「あなたこそ,生ける神の子キリストです。」(マタイ16:13-17参照)
この末日に霊的に生き残るために,あなたが教える人々には,真理に対する霊的な証が必要です。それを与えられるのは,あなたではありません。しかし,あなたは招き,励まし,鼓舞し,求めるように教えることができます。福音の学習にとって聖霊がなくてはならないことを,あなたには言葉と行いを通して,はっきりと示すことができます。例えば,あなたが作り,奨励する学習環境について考えてみてください。教室の椅子の配置や,学習者とのあいさつや交流の仕方といった簡単な事柄が,学習者が霊的な経験をするための下地になります。また,あなたが教えるための霊的な準備をするように,学習者にも学ぶための霊的な準備をするよう招くこともできます。御霊を受けられようにしてレッスンに来るという責任を果たすよう,学習者にお願いしてください。そうすればあなたも彼らに,イエス・キリストとその福音のことを証する御霊を感じる機会を,提供することができるようになります。その証は彼らにとって「岩」となります。そうなると,「黄泉の力も〔彼ら〕に打ち勝つことはない」(マタイ16:18)でしょう。
考えるための質問:あなたがこれまで見てきたことの中で,福音を学ぶ霊的な環境を作るのに役立つ事柄には,どのようなものがありますか。霊的な環境を壊すものには,どのようなものがあるでしょうか。あなたの教える人々が御霊から学べるようにするには,どのようなことが役立つでしょうか。あなたが一番教えることの多い環境を考えてみてください。あなたはそこにいると,どんな気持ちを感じますか。どのようにすればその場に,もっと御霊を招くことができるでしょうか。
聖文から:ルカ24:31-32;ヨハネ14:26;16:13-15;モロナイ10:4-5;教義と聖約42:16-17;50:13-24
救い主は人々が個人の啓示を求め,認識し,それに基づいて行動できるように助けられた
主はわたしたちに御心を伝えることを望んでおられ,御心を伝えようとしていることを知ってほしいと望んでおられます。1829年,オリバー・カウドリという名の22歳の学校の教師は,だれでも個人の啓示を受けることができるという,大胆で胸躍る教義を知りました。しかし彼には,わたしたちの多くが抱くような疑問がありました。「主はほんとうに,わたしに語ろうとしておられるのだろうか。また,主が語っておられるということは,どうすれば分かるのだろうか。」この疑問に答えるために,イエス・キリストはオリバーに,霊的なものを探し求めていた,オリバー自身しか知らない時のことを振り返るよう招かれ,「わたしは……あなたの心に平安を告げなかったであろうか」とお尋ねになりました(教義と聖約6:21-24参照)。後に主はオリバーに,御霊が語りかけるそのほかの方法について教えられました(教義と聖約8:2-3;9:7-9参照。教義と聖約11:12-14も参照)。
霊的な事柄を気に留めないことが多い世の中でわたしたちは生活しているため,御霊の声を識別するために,だれもが助けを必要としています。わたしたちは,それとは気づかずに御霊を感じているかもしれません。そして,わたしたちは皆,どのようにして御霊を求めるのか,御霊の影響を受けていることはどのようにすれば分かるのか,主が与えてくださる促しに従って行動するにはどのようにすればよいのかを,もっと学ばなければなりません。教えるときには,御霊がどのようにして語るのかを発見することができるよう,そして特に,御霊のささやきがどのようなものかを知ることができるよう,学習者を助けてください。あなたが教師として贈ることのできる最高のプレゼントの一つは,あなたの教える人々が個人の啓示という生涯にわたる探求の道を進むことができるように助けることです。
考えるための質問:個人の啓示を受けられるようになることは,なぜ大切なのでしょうか。啓示を求める方法と,啓示を受けたことを知る方法を,あなたはこれまでだれかに教わったことがありますか。あなたが教える人々に,聖霊からの啓示を求め,啓示を受けたことに気づき,それに従って行動するよう,どのような方法で勧めることができるでしょうか。
聖文から:ガラテヤ5:22-23;アルマ5:45-47;教義と聖約42:61;121:33;ジョセフ・スミス—歴史1:8-20
救い主は御自分が教えた人々に証をされた
イエスは,教え仕える際に特に思いやりが必要になる状況で,兄を亡くした友人マルタを慰めようとされました。主は永遠の真理について,簡潔な証をマルタに伝えました。「あなたの兄弟はよみがえるであろう。」(ヨハネ11:23)この証を聞いて,マルタは自分の証を述べたくなりました。「終りの日のよみがえりの時よみがえることは,存じています。」(ヨハネ11:24)このパターンがヨハネ11:25-27で,どのように繰り返されているかに注目してください。救い主の模範のどこが印象に残りましたか。福音の真理について証を分かち合うことは,なぜ教えることの大切な要素なのでしょうか。
あなたの証は,あなたが教える人々に強い影響を与えるでしょう。雄弁である必要も,長々と証をする必要もありません。「証を述べたいと思います」という言葉で始める必要もありません。あなたの知っていることを,聖霊の力によって素直に分かち合ってください。人が心の底から率直な証を述べるとき以上に,真理の証に力が宿ることはありません。救い主のことや救い主の福音,あなたの生活の中で働く主の力について,しばしば証してください。そして,あなたが教える人々にも同じことをするよう勧めましょう。また時として,教師ではなく,仲間の学習者が述べる証が最大の力を発揮する場合があるということを,忘れないでください。
考えるための質問: 証を述べる人の絶大な影響力を示している例を,聖文から見つけてください。その例から,どのようなことが学べるでしょうか。だれかの証があなたにとって祝福になったのはいつでしたか。あなたが分かち合った証は,あなたが教える人々にどのような影響を与えましたか。それはあなたにどのような影響を与えたでしょうか。
聖文から: 使徒2:32-38;モーサヤ5:1-3;アルマ5:45-48;18:24-42;22:12-18;教義と聖約46:13-14;62:3