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第1章:生ける預言者の必要性


第1章

生ける預言者の必要性

はじめに

アダムの時代より,主は預言者を通じてその子らに御心を明らかにしてこられました(アモス3:7参照)。預言者は神の御心をわたしたちに教え,神の属性を明らかにします。彼らは義を説く者であって,罪を非難し,時には将来について予告をするように霊感を受けることがあります。預言者の務めで最も重要なのは,イエス・キリストについて証することです。わたしたちが預言者の言葉を「心に留め」るならば,「地獄の門も〔わたしたちに〕打ち勝つことはな」く,「主なる神は〔わたしたちの〕前から闇の力を追い払い,また,〔わたしたち〕のためと,神の名の栄光のために天を震わせる」と主は約束しておられます(教義と聖約21:4,6)。わたしたちを導く預言者を通じて,わたしたちに対する神の計らいを知ることができます。生ける預言者の勧告に従うことで,わたしたちが暮らす問題の多い時代も乗り越えて行けるという確信を得ることができます。

解説

1.1

古代と同じように現代においても主は御心を生ける預言者に明らかにされる

十二使徒定員会のラッセル・M・ネルソン会長は,アダムから現在の大管長まで,主の計画において預言者は重要な役割を果たしていることを次のように説明しています:

「最初の〔福音の〕神権時代はアダムの時代でした。それからエノク,ノア,アブラハム,モーセへと続きました〔『聖句ガイド』「神権時代」の項参照〕。それぞれの預言者は,主イエス・キリストの神性と教義を教える使命を負っていました。各神権時代において,これらの教えは人々を助けるために与えられました。しかし,人々の不従順さが背教を生んだのです。……

このため,完全な回復が必要でした。父なる神とイエス・キリストは,この神権時代の預言者としてジョセフ・スミスを召されました。過去の神権時代に存在した,神から与えられるすべての力がジョセフ・スミスによって回復されました。」(「散らされたイスラエルの集合」『リアホナ』2006年11月号,79-80;強調付加)

預言者ジョセフ・スミスが召されたことで,最後の神権時代が始まりました。古代の神権時代でもそうであったように,神の御心は啓示の過程を通じて神の子らに与えられます。

大管長会のジェームズ・E・ファウスト管長(1920-2007年)は,絶えざる啓示の必要性について次のように教えています:

「古代と同様に現代でも,与えられた啓示の多くは,福音の教義に関するものでした。中には,教会の管理運営や具体的な指示事項に関するものもあります。その多くは奇想天外なものではありません。ジョン・テーラー大管長はこう語りました。『アダムの受けた啓示は,ノアに箱舟を造るように指示するものではありませんでした。ノアの受けた啓示は,ロトにソドムを捨てるようには告げませんでした。またどちらの啓示も,イスラエルの子孫にエジプトから逃れるように命じてはいません。これらの預言者はすべて自分たちのための啓示を受けたのです。』(Millennial Star,1847年11月1日付,323)」(「絶えざる啓示」『聖徒の道』1996年8月号,5参照;強調付加)

大管長会のヒュー・B・ブラウン管長(1883-1975年)は,教会員ではないある人と,生ける預言者と預言者によってもたらされる啓示の必要性を話し合った経験について説明しています。その人はイギリスの下院議員であり,かつてはイギリス最高裁判所の判事も務めたこともある人です:

「〔わたしは言いました,〕『それでは,聖書の時代には,神が人に語られるのは当たり前のことだったと間違いなくお認めになるということですね。』

〔彼は答えました〕『それは認めましょう。しかし,そのようなことは紀元1世紀を過ぎて間もなく終わりました。』

『なぜ終わったと思われるのですか。』

『よく分かりません。』

『それ以来,神が人間に語りかけられることはなかったと考えておられるのですね。』

『わたしには分かりません』

『では,その理由として考えられることを幾つか提案させてください。恐らくもう神は話せなくなったので,人間に語りかけることがおできにならないのです。話す力を失われたのです。』

彼は言いました。『それは明らかに冒瀆です。』

『それでは,それが受け入れられないとおっしゃるのなら,神は恐らくもう人間を愛していないので,語りかけてこられないということですね。神はもはや人間のことなどには関心を持ってはおられないのです。』

『そんなことはありません。神は全人類を愛しておられますし,さらに人を偏り見る御方でもありません。』

『それでは,……わたしにはあと一つしか答えが考えられません。それは,わたしたちがもう神を必要としていないということです。人間は科学を著しく進歩させ,高度の教育を受けてきていますから,もう神を必要としなくなったのです。』

すると彼は,差し迫った戦争〔第二次世界大戦〕のことを考えて声を震わせながら,こう言いました。『ブラウンさん,世界の歴史を通じて,今ほど神の声が必要な時代はないでしょう。たぶんあなたなら,神がなぜ語られないのか,その理由をお教えになれるはずです。』

わたしは答えました。『神は今も語っておられます。これまでもずっと語ってこられました。人類に必要なのは,その御声に耳を傾ける信仰なのです。』

次いでわたしたちは『預言者の特徴』とでも呼ぶべき文書をまとめました。……

判事は腰を下ろして注意深く耳を傾け,非常に的を射た質問を幾つかしました。そして,会談の終わりにこのように言いました。『ブラウンさん,あなたの教会の人たちは,今あなたが語ったメッセージの重要性を理解していますか。あなたはどうでしょうか。』そしてこう言いました。『今話したことが真実だとすれば,それは,天使がキリスト降臨を告げたとき以来,地上にもたらされた最も偉大なメッセージです。』」(Conference Report, 1967年10月,118,120;強調付加,「預言者の特徴」〔ブリガムヤング大学ディボーショナル,1955年10月4日〕,2-3,5,8,speeches.byu.edu;または「預言者の特徴」『リアホナ』2006年6月号,12-13,15も参照)

1.2

現代の諸問題は神の解決法で対処する

預言者ジョセフ・スミス(1805-1844年)は,この神権時代の人々の「状況に合った」絶えざる神の導きが必要であることを教えました(History of the Church第5巻,135)。また「わたしたちは,かつてこの地上にいたほかのどんな人々とも異なった状態に〔ある〕」ために,わたしたちに合わせて与えられる啓示と導きが必要であると教えました。(History of the Church第2巻,52;『歴代大管長の教え—ジョセフ・スミス』195も参照)「わたしたちは,神がこれまでに啓示されたすべてのこと,神が今啓示されるすべてのことを信じる。またわたしたちは,神がこの後も,神の王国に関する多くの偉大で重要なことを啓示されると信じる。」(信仰箇条1:9

1883年にジョン・テーラー大管長(1808-1887年)に与えられた啓示の中で,主はこれからも啓示によって教会を祝福し続けることを約束されました:

「わたしは折々にわたしの選んだ経路を通して,将来におけるわたしの教会の発展と完成,わたしの王国の調整と拡大,そしてわたしのシオンの建設と確立のために必要となるすべての事柄をあなたに明らかにしよう。」(ジェームス・R・クラーク編,Messages of the First Presidency of The Church of Jesus Christ of Latter-day Saints〔1965年〕,第2巻,354)

十二使徒定員会のボイド・K・パッカー会長(1924-2015年)は,教会における不変の事柄と変化する事柄は啓示によって決まることを末日聖徒たちに再認識させています:

「過去において変更があったように今後も変更が加えられるでしょう。中央幹部〔預言者と使徒〕が変更を行うか否かは,時の初めに定められた正しい道による啓示を通して受ける指示次第なのです。

教義は永遠に変わりませんが,組織やプログラム,手続きは,この教会を治めておられる御方の導きにより変わるでしょう。」(「変化する世における啓示」『聖徒の道』1990年1月号,16参照)

ジョン・テーラー大管長(1808-1887年)は,主のまことの宗教には,現代の啓示が不可欠であることを次のように話しています:

「わたしたちは,人は神と意思の疎通ができる状態にあることが必要であると信じています。すなわち神から啓示を受けなければならないと信じています。もし聖なる御霊の霊感による影響下になければ,神に関する事柄は一切知ることができません。……神と交流のないまことの宗教などあるでしょうか。わたしにとって,そのような考えは人間の心が描き得るこの上ない不合理です。現在も啓示が与えられるという原則を大多数の人が否定している今日,無神論や不信仰が驚くほど激増していることは不思議ではありません。非常に多くの人が宗教を軽蔑し,宗教は知性ある者の注意を引く価値などないと見なしていることを不思議には思いません。……

したがって,現在も啓示があるという原則は,わたしたちの宗教の基そのものです。」“Discourse by Elder John Taylor , ” Deseret News, 1874年3月4日付,68;強調付加;『歴代大管長の教え—ジョン・テーラー』157-159も参照)

1.3

この神権時代において啓示が途切れることはない

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啓示を受けるジョセフ・スミス

預言者ジョセフ・スミスは,神の思いと御心を聖徒たちに明らかにしました。

スペンサー・W・キンボール大管長(1895-1985年)は,わたしたちの神権時代に啓示が絶え間なく流れていることを次のように証しています:

「わたしは心からへりくだって,しかしまたわたしの心の内にある燃えるような証の力によって申し上げます。回復の預言者から現在の預言者に至るまで,天との間で交信する回線は途切れておらず,権能は途絶えておらず,きらめく光,刺し貫く光は輝き続けています。主の声は絶え間なく流れる旋律であり,雷鳴のようにとどろく呼びかけです。」(“Revelation: The Word of the Lord to His Prophets,” Ensign, 1977年5月号,78;『歴代大管長の教え—スペンサー・W・キンボール』241

大管長会のジョージ・Q・キャノン管長(1827-1901年)は次のように教えています:

この教会は,その誕生から現在に至るまでひとときも啓示がやんだことはありません。わたしたち教会員の間には常に神の思いと御心を伝える者が立ち,その者は,わたしたちが何をすべきかを教え,キリストの教義とその真偽を説明し,わたしたちがこの世で経験するあらゆる事柄において注視すべき勧告と指示を与えてきました。それが途絶えたことはありません。」(“Discourse by President George Q. Cannon,” Deseret News, 1885年1月21日付,3;強調付加)

1.4

主の教会は使徒と預言者の土台の上に建てられる

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2009年当時の十二使徒定員会

2009年当時の十二使徒定員会

ゴードン・B・ヒンクレー大管長(1910-2008年)は次のように証しています:

「この教会は,イエス・キリストの回復された教会です。わたしたちは一つの民として,末日聖徒と呼ばれています。わたしたちは,すでにもろもろの天が開かれ,幕が開き,神が語られ,イエス・キリストが御姿を現され,それに続いて神聖な権能が回復されたことを証します。

イエス・キリストはこの業の隅石であられ,この業は,『使徒たちや預言者たちという土台』の上に建てられたものです(エペソ2:20)。」(「わたしたちの信仰の驚くべき基盤」『リアホナ』2002年11月号,81)

十二使徒定員会のジェフリー・R・ホランド長老は,なぜ現代に使徒と預言者の土台が必要であるかを次のように説明しました:

「あらゆるときに,特に逆境や危険のときに,子供のように当惑し,方向を見失い,幾分恐れを感じるときに,人間のよこしまな行いや悪魔の策略により,足もとをすくわれ,道をそれそうになるときに,教会の使徒と預言者という土台が祝福となります。……新約聖書の時代も,モルモン書の時代も,現代も,これらの役員は教会の土台となって隅のかしら石の周りに立ち,隅のかしら石から力を受けます。かしら石とは『神の御子でありキリストである贖い主の岩』のことです〔ヒラマン5:12〕。」(「預言者,聖見者,啓示者」『リアホナ』2004年11月号,7)

1.5

大管長会と十二使徒定員会は預言者,聖見者,啓示者である

ハロルド・B・リー大管長(1899-1973年)は,大管長会と十二使徒定員会を預言者,聖見者,啓示者として支持するとはどういう意味かを次のように教えています:

大管長会と十二使徒定員会の全構成員は,定期的に『預言者,聖見者,啓示者』としての支持を受けます。……これの意味するところは,もし『この団体〔十二使徒定員会全体を指すと解釈されている〕によって選ばれ,その職に指名され,聖任され,また教会員の信頼と信仰と祈りによって支持され』るなら,その任に選ばれ聖任された使徒は,教会全体を管理するようになるということです。これは,この事柄に関する一つの啓示からの引用ですが,これには,その人が,その団体の先任会員すなわち会長であるという条件が伴います(教義と聖約107:22参照)。」(Conference Report, 1970年4月,123;またはImprovement Era, 1970年6月,28;強調付加;『歴代大管長の教え—ハロルド・B・リー』86も参照)

大管長会のJ・ルーベン・クラーク・ジュニア管長(1871-1961年)は次のように説明しています:

「一部の中央幹部〔使徒〕には特別な召しが与えられていることを覚えておく必要があります。彼らは特別な賜物を持っています。預言者,聖見者,啓示者として支持されており,それによって,人々を教えることに関して特別な霊的な賜物を受けているのです。彼らは,大管長が持つすべてにわたる力と権能の下で,神の思いと望みをその民に宣言する権利と力と権能を持っています。」(“When Are Church Leaders’ Words Entitled to Claim of Scripture?” Church News, 1954年7月31日付,9;強調付加)

1.6

預言者,聖見者,啓示者とは何か

1.6.1

預言者

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イエス・キリスト

預言者とは「神によって召され,神に代わって語る人。神の使いとして神から戒めや預言,啓示を受ける。その責任は,人類に神の御心と真の属性を知らせることと,人類に対する神の計らいの意図するところを示すことである。預言者は罪を非難し,罪のもたらす結果を予告する。預言者は義の説教者である。時には,人類のために将来について予告をするように霊感を受けることがある。しかしながら,預言者の本来の務めは,キリストについて証することである。末日聖徒イエス・キリスト教会の大管長は,今日の地上における神の預言者である。大管長会と十二使徒会の会員は,預言者,聖見者,啓示者として支持される。」(『聖句ガイド』「預言者」の項scriptures.lds.org;強調付加)

1.6.2

聖見者

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キリストの誕生を予告するイザヤ

聖見者のイザヤは,将来を目にしました。

聖見者とは,「神が世の人々から隠されたことを,霊の目をもって見るのを許された人(モーセ6:35-38)。聖見者は,啓示者であり,また預言者でもある(モーサヤ8:13-16)。『モルモン書』の中でアンモンは,聖見者だけが特別な解訳器すなわちウリムとトンミムを使うことができると教えている(モーサヤ8:1328:16)。聖見者は,過去,現在,将来の出来事を理解している。古代において,預言者はしばしば聖見者と呼ばれた(サムエル上9:9サムエル下24:11)。

ジョセフ・スミスは末日の偉大な聖見者である(教義と聖約21:1135:3)。また,大管長会と十二使徒評議会は,預言者,聖見者,啓示者として支持を受ける。」(『聖句ガイド』「聖見者」の項scriptures.lds.org;強調付加)

十二使徒定員会のジョン・A・ウィッツォー長老(1872-1952年)は次のように説明しています:

「聖見者は霊的な目によって見る人です。聖見者はほかの人々には分かりにくいと思われることの意味を理解します。したがって彼は永遠の真理の解釈者であり注釈者です。……要するに,聖見者とは,明らかな目をもって主の光を見,主の光の中を歩む人です〔モーサヤ8:15-17参照〕。」(Evidences and Reconciliations, G・ホーマー・ダラム編,全3巻,第1巻〔1960年〕,258で引用)

ジョセフ・フィールディング・スミス大管長(1876-1972年)は,聖見者の賜物を持つリー管長について次のように語っています:

「ハロルド・B・リー管長は真理と義の柱であり,偉大な霊の力と洞察力と知恵とを持ったまことの聖見者です。教会と教会が必要とする事柄に対する知識と理解において彼の右に出る人はいません。」(Conference Report, 1970年4月,114;またはImprovement Era, 1970年6月,27)

1.6.3

啓示者

啓示者である大管長会と十二使徒定員会は,教会と全人類に対して主の御心を明らかにします。啓示者は霊的な事柄,物質的な事柄両方において主の御心を明らかにしますが,主にとってはすべてが霊にかかわるものです(教義と聖約29:34参照)。教義を教える,神権の定員会や補助組織を導く,集会所や神殿の建設を管理することが啓示者の役割であり,また「あたかも人手によらずに山から切り出された石が全地に満ちるまで転がり進むように,……福音〔が〕地の果てまで転がり進む」(教義と聖約65:2)ようその他すべてのことを行います。

ジョン・A・ウイッツォー長老(1872-1952年)は次のように教えています:

「啓示者は主の助けによって,かつては知られていなかったことを明らかにします。それは新しい真理であったり,忘れ去られた真理であったりすることもあるでしょう。あるいはすでに知られている真理に関しても,人類の必要に合わせて応用するための新しい方法や忘れ去られている方法を明らかにすることもあるでしょう。」(Evidences and Reconciliations, 258

1.7

預言者はわたしたちがイエス・キリストを信じる信仰を築く助けとなる

生ける預言者の言葉に耳を傾け,従うことでイエス・キリストを信じる信仰を強めることができます(ローマ10:17参照)。預言者ジョセフ・スミス(1805-1844年)は次のように教えています。「信仰は,神の僕たちの証を通じて神の言葉を聞くことによってもたらされます。その証には,常に預言と啓示の霊が伴います〔黙示19:10参照〕。」(History of the Church,第3巻,379;強調付加)預言者は,自分の声を聞く者たちがイエス・キリストを信じる信仰を働かせることができるように,預言の霊によって神の言葉を宣べ伝えます。

天の御父は子らを愛し,「地に住む者に下る災いを知って」(教義と聖約1:17)おられることから,その対策法を与えられました。それは預言者ジョセフ・スミスを通じてイエス・キリストの完全な福音を回復されたということです。その過程で,主は「信仰も……地に増す」(教義と聖約1:21)ように道を用意されました。主は次のように約束されています。「たとえ天地が過ぎ去っても,わたしの言葉は過ぎ去ることがなく,すべて成就する。わたし自身の声によろうと,わたしの僕たちの声によろうと,それは同じである。」(教義と聖約1:38)わたしたちが預言者の教えを通じて主の言葉を聞き,その言葉が成就するのを目にするとき,わたしたちの信仰は深まります。疑いや邪悪,災いに満ちたこの世においても,その信仰は平安,望み,喜びをもたらします。

1.8

預言者はわたしたちのためになることを教える

預言者の勧告や警告を受け入れ難いと感じてしまう人々に対して,ゴードン・B・ヒンクレー大管長(1910-2008年)は次の約束を与えています:

「どうぞ,わたしたちの嘆願の言葉が利己的な気持ちから出たものではないことを分かっていただきたいと思います。また,わたしたちの警告には十分な目的と理由があることを理解していただきたいのです。様々な問題についての決定が発表される際には,必ず熟考と討議と,祈りによって決められていることも分かっていただきたいと思います。わたしたちのただ一つの望みは,皆さん一人一人の問題や困難,家族や生活をお助けすることです。……

わたしたちの様々な勧めの言葉に,私心はまったくありません。わたしたちの望みは,愛する兄弟姉妹が幸福であり,家庭に愛と平安がとどまること,そして全能の神の力によって皆さんが,その義にかなった多くの行いに対して祝福を受けることだけです。」(「教会は正しい方向に進んでいます」『聖徒の道』1993年1月号,65)

1.9

生ける預言者の教えを知り実践することで安全がもたらされる

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総大会,カンファレンスセンター

教会の総大会が開かれるカンファレンスセンターの中

現在この世が直面している物質的または霊的な危険は,わたしたちがどれほど預言者を必要としているかのしるしと言えます。大管長会のジェームズ・E・ファウスト管長(1920-2007年)は,そのような危険から身を守る方法を次のように説明しています:

「『大管長は教会の啓示者としてすべての会員のために導きを受ける』という約束を,わたしたちは受けています。わたしたちの安全は,預言者の言葉を心に留め,その勧告に従うかどうかにかかっているのです。」「絶えざる啓示」『聖徒の道』1996年8月号,6;強調付加)

十二使徒定員会のクエンティン・L・クック長老は,いかに預言者の教えが忠実な会員を危険から守ったか,その一例を紹介しています:

預言者は霊感を受けて何を優先すべきかを教え,わたしたちを危険から守ってくれます。例えば,1918年から1945年までの預言者ヒーバー・J・グラント大管長は,霊感を受けて知恵の言葉を固く守るよう強く勧めました〔『歴代大管長の教え—ヒーバー・J・グラント』189-197参照〕。この戒めは,主が預言者ジョセフに啓示された約束を伴う原則です〔教義と聖約89章参照〕。グラント大管長は,タバコを吸わないこととアルコール飲料を飲まないことの大切さを強調し,神殿推薦状の面接ではこの原則を確認するようビショップに命じました。

当時,喫煙は好ましいものとして社会に受け入れられていました。魅力的な行為であるとすら考えられていました。喫煙とある種のがんとの関連について科学的な研究が進められたのはかなり後になってからのことですから,当時の医療専門家たちは何の心配もなく喫煙を容認していました。グラント大管長が非常に精力的に知恵の言葉について勧告したため,教会員は禁酒禁煙の民として知られるようになりました。……

会員,特に若者が薬物の使用に陥らずに済み,健康上の問題や道徳面での危険から救われたのは,知恵の言葉を守っていたためでした。」(「預言者たちの言葉を心に留める」『リアホナ』2008年5月号,48;強調付加)

十二使徒定員会のM・ラッセル・バラード長老は,わたしたちが生ける預言者の言葉に従うことで安全を見いだすことができることから,預言者の言葉に耳を傾ける際に妨げとなるものに気をつけるよう警告しています:

「兄弟姉妹,神の預言者がわたしたちに与えられているのは,決してささいなことではありません。……すなわち,教会の大管長の言葉を通して示される主の勧告を聞いたなら,わたしたちは前向きに,即座に従う必要があるのです。いにしえのニーファイがそうであったように,預言者の勧告に従うとき,安全と平安,繁栄と幸福がもたらされることは,歴史から明らかです。『わたしは行って,主が命じられたことを行います。』(1ニーファイ3:7

わたしたちは,重い皮膚病を患って最終的に預言者エリシャのもとを訪れたナアマンの話を知っています。彼は『ヨルダンへ行って七たび身を洗いなさい。そうすれば,あなたの肉はもとにかえって清くなるでしょう』という指示を受けました(列王下5:10)。

最初,ナアマンはエリシャの勧めに従うことに,気が進みませんでした。彼は自分がするように求められたこと,つまり,ヨルダン川で7度体を洗うことの意義を理解できませんでした。言い換えれば,高慢でかたくなな心のために,預言者を通して主の祝福を受けられなくなるところでした。ナアマンは最終的には,下って行って『神の人の言葉のように七たびヨルダンに身を浸すと,その肉がもとにかえって幼な子の肉のようになり,清くなった』のです(列王下5:14)。

高慢でかたくなな心によって預言者の勧告に聞き従わないために,偉大な清めの祝福をもう少しで逃してしまうところだったと悟ったとき,ナアマンはどれほど謙遜な気持ちになったことでしょう。どれだけ多くの人が,預言者が今日行うように告げている比較的容易な事柄に耳を傾けず,実行しないために,約束された偉大な祝福を逃しているか考えてみてください。……

今日,皆さんに約束します。単純なことですが,真実です。生ける預言者と使徒の言葉に耳を傾け,その勧告に従うなら,皆さんは道に迷うことはないでしょう。」(「『彼の言葉を受け入れなければならない』」『リアホナ』2001年7月号,80-81参照;強調付加)

大管長会のディーター・F・ウークトドルフ管長は,預言者による霊感に満ちた答えに基づいてわたしたちが行動するときに,祝福が与えられることを教えています:

「わたしたちはこの地上に生ける預言者……を与えられています。〔預言者〕はわたしたちの試練と不安を理解しています。霊感に満ちた答えを持っています。……

預言者は主の御名により,また分かりやすい言葉でわたしたちに語ります。モルモン書の中に明言されているように『主なる神は理解力に光をお与えになる。主なる神は,人々が理解できるように彼らの言葉に倣って語られる』のです(2ニーファイ31:3)。

わたしたちは,回復された福音の儀式と聖約により与えられる祝福にあずかることができるように,主の御言葉を聴くだけでなく,御言葉に基づいて行動する責任があります。主は次のようにおっしゃいました。『あなたがたがわたしの言うことを行うとき,主なるわたしはそれに対して義務を負う。しかし,あなたがたがわたしの言うことを行わないとき,あなたがたは何の約束も受けない。』(教義と聖約82:10

完全な教会員になろうと熱心に努めるとき,圧倒され,傷つき,絶望の淵に立っているように感じることがあるかもしれません。安心してください。ギレアデには乳香があります。現代の預言者の声に耳を傾けましょう。神の子供たちの永遠の行く末のために立てられた,創造主の計画にとって重要な事柄に焦点を当てることができます。」(「預言者の声により祝福を受け,世界に広がる教会」『リアホナ』2002年11月号,12;強調付加)

1.10

わたしたちに最も必要なことは預言者に聞き従うことである

ハロルド・B・リー大管長(1899-1973年)は,たとえわたしたちの見方が預言者の勧告とは違うことがあっても,預言者の勧告を心に留めることの価値について説明しました:

「教会の会員としてわたしたちが受けている唯一の安全策は,教会が設立された日に,主が教会員に向けて語られた教えを,そのまま実行することです。わたしたちは,主が預言者を通じて下された言葉や戒めに聞き従うことを学ばなければなりません。『〔預言者〕が〔主〕の前を完全に聖く歩み,〔主〕の言葉と戒めを受けるとき,……あなたがたは忍耐と信仰を尽くして,あたかも〔主御自身〕の口から出ているかのように〔預言者〕の言葉を受け入れなければならない。』(教義と聖約21:4-5)信仰と忍耐を必要とするものもあるでしょう。教会の役員からのメッセージを快く思えないこともあるかもしれません。あなたの政治上の見解や社会観と相いれないものもあるでしょう。また,あなたの社会生活を多少なりとも犠牲にしなければならないようなメッセージかもしれません。しかし,忍耐と信仰をもって,主御自身の口から出ているように,これらの教えに耳を傾ける人々に対しては,次のように約束されています。『地獄の門もあなたがたに打ち勝つことはない……。そして,主なる神はあなたがたの前から闇の力を追い払い,また,あなたがたのためと,神の名の栄光のために天を震わせるであろう。』(教義と聖約21:6)」(Conference Report, 1970年10月,152-53;またはImprovement Era, 1970年12月,126;『歴代大管長の教え—ハロルド・B・リー』88-89も参照)

十二使徒定員会のロバート・D・ヘイルズ長老は,わたしたちが預言者の勧告に従うならば,「不必要な苦痛」を招くことはないと約束しています:

「預言者たちの勧告に従うなら,不必要な苦痛や自滅の生涯を招かずに済むでしょう。何のチャレンジにも遭遇しないと言っているわけではありません。チャレンジや試練は確かにあります。なぜならそれも人生の目的の一部だからです。しかし,もし預言者の勧告に耳を傾けるなら,わたしたちはさらに強められ,現世での試しに耐えていけるでしょう。また希望と喜びが得られるでしょう。預言者たちが勧告の言葉を述べるのは,わたしたちが強められ,それによってほかの人々を高め強められるようになるためなのです。(「予言者の声に聞き従う」『聖徒の道』1995年7月号,18参照;モーサヤ2:41教義と聖約59:23も参照)

理解を深めるために

  • この章の解説によると,なぜわたしたちには聖典に書かれた預言者の言葉のほかに生ける預言者の教えが必要なのでしょうか。

  • 生ける預言者の教えがなかったら,あなたの生活はどう違っているでしょうか。

  • M・ラッセル・バラード長老は,預言者の言葉に従うときの妨げの一つとして高慢さを挙げています。ほかにどのような妨げがあるでしょうか。そのような妨げから自分を守り,それを克服するにはどんなことができますか。

課題の提案

  • 預言者,聖見者,啓示者という言葉について,自分の言葉で3つ短い説明文を書いてください。これら3つの言葉の違いは何でしょうか。その違いがなぜ大切なのでしょうか。

  • 次の言葉が真実であるということについてあなたの気持ちを書いてください。「末日聖徒イエス・キリスト教会の会員は,主を受け入れる一方で預言者を拒むことはできない。」

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