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第3章:大管長の職の継承


第3章

大管長の職の継承

はじめに

教会の大管長の職の継承は,主によって定められています。教会には霊感を受ける指導者が常にいるため,だれが次の大管長になるかについて憶測や論争が生じる理由はありません。ハロルド・B・リー大管長(1899-1973年)は次のように説明しています:「〔主〕は,この教会を管理させたい人を御存じですし,お間違えになることはありません。主が不意に何かをなさることはありません。主がふと何かをなさったことも決してありません。」(Conference Report, 1970年10月,153;またはImprovement Era, 1970年12月号,127)エズラ・タフト・ベンソン大管長(1899-1994年)は次のように教えています。「神はすべてを御存じです。初めから終わりまで知っておられます。ですから,イエス・キリストの教会の大管長に偶然になる人はいませんし,その地位に偶然とどまる人もいません。また,偶然に神のもとに召される人もいないのです。」(「イエス・キリスト—待ち望んだ賜」『聖徒の道』1977年4月号,235参照)

神は預言者ジョセフ・スミス(1805-1844年)を通じて「神は忠実な者に対して,教えに教え,訓戒に訓戒を与える」と宣言されました(教義と聖約98:12教義と聖約42:61128:21も参照)。教義と手順を徐々に明らかにするというこの過程は,大管長の職の継承についての原則が霊感を受けて進展していくさまにも見受けられます。

本章を研究するとき,新しい大管長の召される過程が,官僚を選出する政治上の過程とどのように異なるかを深く考えてください。主が新しい大管長をどのようにお選びになるかを理解することにより,現在の大管長に対する信頼と確信が増すでしょう。

解説

3.1

教会の大管長補佐

「1834年12月5日,預言者ジョセフ・スミスはオリバー・カウドリを大管長補佐として聖任した〔History of the Church第2巻,176参照〕。彼はアロン神権とメルキゼデク神権の回復の際に預言者とともにいた。1830年に教会が組織されたときには,オリバーは『第二の長老』として,ジョセフの次に権限を持つ者であった〔教義と聖約20:2-3参照〕。このように,神権の権能や鍵が回復されるときにはいつも,オリバーが一緒であった。『神の証人の律法に従い,ジョセフ・スミスにはそれらの鍵を持つ同僚が必要であった。』〔ジョセフ・フィールディング・スミス,Doctrines of Salvationブルース・R・マッコンキー編(1954年)第1巻,211〕オリバー・カウドリは教会管理においてジョセフ・スミスを援助したのみならず,回復の第二の証人として預言者の側に立った教義と聖約6:28参照。2コリント13:1も参照〕。1838年,オリバー・カウドリは背教と破門により大管長補佐としての地位を失ったが,1841年に主はハイラム・スミスをこの職に召された(教義と聖約124:94-96参照)。大管長と大管長補佐,すなわち第一と第二の証人は,カーセージの監獄で自らの血をもって証を結び固めることになる。」(『時満ちる時代の教会歴史』〔教会教育システム手引き〕 153,強調付加)

ジョセフ・フィールディング・スミス大管長(1876-1972年)は,神権の鍵が回復されるときにオリバー・カウドリが常にその場にいたことによって,証人の律法(2コリント13:1参照)がどのように成就したかを説明しています:

「主は,鍵を持つことにおいて預言者を補佐してこの神権時代の長として立つようオリバー・カウドリを第2の証人として召されました。記録から,預言者が天から神権の権能と鍵を受けたときは常に,オリバー・カウドリが預言者とともにそれらの力を授けられたことが分かります。オリバー・カウドリがこうした状況で信仰を持ち続け,しかも預言者の死後も生き延びていたとしたら,その神聖な召しのゆえに教会の大管長として後を継いでいたでしょう。」(Doctrines of Salvationブルース・R・マッコンキー編〔1954〕第1巻,213,強調付加)1841年1月19日,オリバーが信仰を持ち続けなかったことから,「主は,ハイラム・スミスを聖任し,オリバー・カウドリの頭上に授けられた鍵,権能,特権のすべてを授けるよう,そしてハイラムを教会の『第二の大管長』とするようジョセフ・スミスに命じられました。」(Doctrines of Salvation第1巻,220)

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ジョセフ・スミスとハイラム・スミス

ジョセフ・スミスとハイラム・スミス

ブリガム・ヤング大管長(1801-1877年)はこう述べました:

「もしハイラムが生きていれば,ジョセフと十二使徒会の間に立ちはだかることなく,ジョセフを支持したでしょう。ジョセフは自らの後を継ぐ人物を聖任したのでしょうか。しました。それはだれでしょう。それはハイラムでしたが,ハイラムはジョセフより先に殉教しました。ハイラムが生きていれば,ジョセフの代わりを務めたでしょう。」(“Conference Minutes,” Times and Seasons, 1844年10月15日付,683)

ジョセフ・フィールディング・スミス大管長(1876-1972年)は,現在教会に大管長補佐がいない理由を説明しました:

「オリバー・カウドリが預言者とともに鍵を持つよう聖任され,罪のためにその鍵を失った後で,この権能がハイラム・スミスに授けられたならば,今日の教会に同じ体制がなく,大管長会の二人の顧問に加えて大管長補佐がいないのはなぜかという質問を受けることがあります。

答えは簡潔です。業を確立するために二人の証人が必要であるという特殊な状況がその理由ですが,その業が確立した後は必要ないからです。ユダヤ人への答えとしてわたしたちの主が定められたとおり〔マタイ18:16参照〕,ジョセフ・スミスとハイラム・スミスは律法を全うする二人の必要な証人として,ともに鍵を持ち,この神権時代の長として立つのです。福音が再度回復されることは決してないため,この状況が再び生じる機会もありません。わたしたちは皆,神の律法に完全に従って証を述べるように召されたこの二人の特別な証人を振り返るのみです。」(Doctrines of Salvation第1巻,222,強調付加)

3.2

十二使徒定員会

「救い主の教会の回復にまつわる最も重要な出来事の一つに,十二使徒定員会の組織が挙げられる。教会員は教会が設立される前からこの重大な出来事を待ちわびていた。……〔1829年6月,〕オリバー・カウドリとデビッド・ホイットマーは啓示を通して,『すべての造られたものにわたしの福音を宣べ伝える』12人の人々を探すように指示された〔教義と聖約18:26-37参照〕。後に,マーティン・ハリスも人選に加わるように言われている。つまり,『モルモン書』の3人の証人が大管長会の指示と同意により,この神権時代における救い主の特別な使徒として主に仕える十二使徒を選ぶことになったのである。」(『時満ちる時代の教会歴史』153)この選出は,1835年2月14日の特別な大会で行われました。

「主はそれまで何年かの間に,十二使徒定員会に教会の指導を行わせるための備えを周到に進めておられた。1835年に初めて十二使徒会が召されたとき,彼らの責任はステークが未組織の地域に限られていた。しかし,やがて彼らの責任は全教会員を管理する権能を含むまでに広げられた。

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十二使徒を指導するジョセフ・スミス

十二使徒を指導する預言者ジョセフ・スミス

© 1998 Paul Mann

大英帝国での十二使徒会の伝道は,彼らをブリガム・ヤングの指導の下一つの定員会として結束させた。使徒たちがアメリカへ戻って来ると,預言者ジョセフは実務と教会に関することの両面において彼らの責任範囲を広げた。……十二使徒会は,多妻婚と神殿儀式について,ジョセフ・スミスから最初に教えを受けている。十二使徒会会員は教会の出版事業の管理責任を授けられていた。また彼らは宣教師の召し,割り当て,教育を担当し,伝道地やノーブーにおける大会を管理し,……遠く離れた地域の支部の管理も行った。

中でも特に重要なことであるが,自分の死期の近いことを感じたジョセフ・スミスは,殉教の前の最後の7か月間,十二使徒会を入念に教え備えをさせていた。ジョセフ・スミスはほとんど毎日のように十二使徒定員会と会合を持って指導し,新たな責任を与えていた。彼は1844年3月下旬に開かれた特別な評議会において,自分の務めは終わり,神の王国の発展の土台も据えられたので,自分は彼らのもとを去ることができると話した。」(『時満ちる時代の教会歴史』293

1844年,ウィルフォード・ウッドラフ大管長(1807-1898年)は十二使徒定員会会員でした。ウッドラフ大管長は,ジョセフ・スミスの十二使徒に対する当時の指導についてこう述懐しています:

「わたしは,十二使徒全員が〔ジョセフ・スミス〕の手によってエンダウメントを受けたときに預言者がわたしたちに述べた証の生ける証人です。わたしは〔ジョセフ・スミス〕が世を去る前に語った最後の話を覚えています。それはわたしたちが合衆国東部へ伝道に赴く前のことでした。ジョセフは3時間ほど立ち続けていました。部屋は焼き尽くす火のようなもので満たされ,預言者の顔はこはくのように澄んでいました。ジョセフは神の力に包まれていました。預言者はわたしたちの義務について語りました。この神の完全な大いなる業について語り,そしてこう言いました。『わたしは,神がかつて地の面に住む人に授けられた,命と救いのすべての鍵,すべての力,すべての原則を,頭上に結び固められています。これらの原則とこの神権と力は,天の神が地上に確立し始められたこの大いなる最後の神権時代に属するものです。』そして十二使徒会に言いました。『今わたしは,主がわたしの頭上に結び固められたすべての鍵,すべての力,すべての原則を皆さんの頭上に結び固めました。』……

このように述べた後に,ジョセフは言いました。『皆さんに申し上げます。この王国の重責は今や皆さんの肩に置かれています。皆さんは全世界において王国の重責を担わなければなりません。』」(Deseret Weekly, 1892年3月19日付, 406;『歴代大管長の教え-ウィルフォード・ウッドラフ』xxxixxxiiも参照)

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十二使徒を指導するジョセフ・スミス

預言者ジョセフ・スミスは死を迎える前に,使徒に教会を導く備えをさせました。これにより,権能を持つ者の指示に従って主の業が継続することが確実になりました。

同じく当時の十二使徒定員会会員であったパーリー・P・プラット長老(1807-1857年)は次のように説明しています。預言者ジョセフ・スミスがその同じ集会で「十二使徒会会長の〔ブリガム・〕ヤング長老に結び固めの力の鍵を授けました。……

この神権の鍵は最も神聖なものであり,教会の大管長会だけに属するものです。」(“Proclamation,” Millennial Star, 1845年3月号,151)

十二使徒定員会は,教会を導くために必要な神権の鍵,力,権能のすべてを持っています(教義と聖約107:23-24112:14-15参照)。十二使徒定員会の各会員は,使徒として聖任され,定員会に召されるときに神権の鍵を授けられます。神権の鍵のすべてを行使する権能を持つのは教会の大管長だけですが,ゴードン・B・ヒンクレー大管長(1910-2008年)が説明したように,十二使徒定員会の各会員は「召されればいつでも用いることのできる,この神権時代の鍵を有しています。そのことは,教会の指導力が決して絶えることなく続くことを意味しています。」(「主はまどろみも眠ることもされない」『聖徒の道』1983年7月号, 8参照,強調付加)

3.3

主はブリガム・ヤングがジョセフ・スミスの後継者であることを聖徒に確認させられた

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ジョセフ・スミスであるかのように見えたブリガム・ヤング

ブリガム・ヤングがジョセフ・スミスであるかのように見えたとき,その場には何百人もの聖徒がいました。この現れは,ブリガム・ヤングが教会を導く神権の鍵を持っていることを明確に示すものでした。

預言者ジョセフ・スミスの死後,だれが教会を導くかについて混乱が生じました。大管長会のシドニー・リグドンは,自らがジョセフの後継者だと主張した一人でした。1844年8月8日,主は,十二使徒定員会会長であるブリガム・ヤングが教会の新しい預言者として選ばれたことを聖徒たちに公に示されました。

後に大管長会で奉仕したジョージ・Q・キャノン管長(1827-1901年)は,この主からの奇跡的な現れを次のように説明しました:

「預言者の殉教後,十二使徒はすぐさまノーブーに戻り,シドニー・リグドンの野心について知りました。シドニーは,教会には後見人が必要であり,自分こそがその後見人であると主張しました。彼は後見人が選出される日を決め,そして言うまでもなく,その集会に出席しました。集会は野外で行われました。そのとき演壇に向かって非常に強い風が吹きつけていたため,会衆の後ろに止めてあった荷馬車を急ごしらえの演壇としました。この荷馬車には,シドニー,〔ウィリアム・〕マークス,ほかに何人かが乗りました。彼は話そうとしましたが,非常にまごついていました。シドニーは教会の弁士でしたが,今回はその雄弁さを失い,話の内容がまったく伝わりませんでした。その間にヤング会長と兄弟数人がやって来て演壇に上りました。そのときにはもう風はやんでいました。シドニー・リグドンが話し終えた後,ヤング会長は立ち上がり会衆に向かって話しました。会衆はヤング会長の姿を見ながら話を聞くために向き直り,シドニーが乗った荷馬車に背を向けました。」(Deseret News, 1883年2月21日付,67)

「それは〔ブリガム〕が伝道のために合衆国東部に旅立って以来,人々が初めて聞いたブリガムの声であり,それが人々に与えた影響はまったく驚くべきものでした。その場にいた人々は,そこで受けた感銘を決して忘れることができないでしょう!ジョセフが死からよみがえって再び皆の前で演説したとしても,その集会にいた多くの人にこれ以上の衝撃を与えることはできなかったでしょう。その声はジョセフ自身のものだったのです。そして聞こえてきたのがジョセフの声であっただけでなく,人々の目には,ジョセフ自身が目の前に立っているかのように映ったのです。その日その会衆の面前であった出来事よりもすばらしく奇跡的な事柄を耳にしたことはありません。主は主の民に,彼らを導くために主がお選びになった人がだれなのかについて,疑う余地のない証をお与えくださったのです。人々は,肉体の目と耳でこの出来事を目の当たりにし,聞きました。次に,確固たる神の力を伴う言葉が心に語られ,御霊と大きな喜びに満たされたのです。意気消沈することもありました。心に疑いや不安を抱いた人もいたかもしれません。しかし,ジョセフの代わりに人々の間で行動するために必要な権能を主から授かった人がいるということが,今やすべての人に明らかとなったのです。」(“Joseph Smith, the Prophet,” Juvenile Instructor, 1870年10月29日付,174-175)

七十人会長会のゼラ・プルシファー(1789-1872年)がこの集会で起こったと説明する奇跡を,何百人もの教会員が目撃しました:

「ブリガム・ヤングが話し始めたとき,わたしはほかの多くの人々と同じく演壇に背を向けて座っていました。ブリガムがジョセフの声で話しだしたとき,わたしたちはジョセフの声で話すブリガムを見ようと振り返りましたが,まことに,ブリガムはジョセフの預言者の権威の外套をかけられていたのです。そこにいた人々も,同様に理解しました。ブリガムは十二使徒会の長であったため,教会は彼を頼りました。」(リン・ワトキンス・ジョーガンセン,BYU Studiesスタッフ共著,“The Mantle of the Prophet Joseph Passes to Brother Brigham: A Collective Spiritual Witness,” BYU Studies第36巻,第4号〔1996-1997年〕 173,強調付加)

ドルシラ・ドリス・ヘンドリックスも自身の経験を記録しています:

「ブリガム・ヤング会長が話し始めました。わたしは驚いて跳び上がり,ジョセフ兄弟でないかどうか見て確かめました。ジョセフ兄弟の声としぐさそのものだったからです。神権の権威がだれに降ったかを末日聖徒のだれもが容易に理解することができました。ブリガム・ヤングが神権の鍵を持っていたからです。」(ジョーガンセン,BYU Studiesスタッフ共著,“The Mantle of the Prophet Joseph,” 163,強調付加)

ナンシー・ナオミ・アレクサンダー・トレーシーは次のように書き記しています:

「わたしはその日,エリシャがエリヤから外套を引き継いだように〔列王上19:19列王下2:11-15〕ジョセフの権威がブリガムに引き継がれたと証できます。ブリガムの声,しぐさ,すべてがジョセフのようだったからです。ジョセフが再びわたしたちのもとに戻ってきたかのようでした。ブリガムは,人々の声により,預言者,聖見者,そして啓示者として支持されました。」(ジョーガンセン,BYU Studiesスタッフ共著,“The Mantle of the Prophet Joseph,” 177,強調付加)

3.4

継承の重要な原則

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スペンサー・W・キンボール大管長とゴードン・B・ヒンクレー大管長

スペンサー・W・キンボール大管長の腕を支えるゴードン・B・ヒンクレー大管長と話しかけるエズラ・タフト・ベンソン大管長

一人の大管長から次の大管長への継承の重要な原則は,1996年のEnsignの記事に詳しく説明されています:

「預言者ジョセフ・スミスの死以来,大管長の職の様々な継承は,特定の手順と手続きがそれぞれわずかに異なりますが,基本原則は同じであり,啓示にしっかりと基づいています。4つの基本原則と手順が,1844年に実施されて以来,すべての継承において行われています。

1.王国の鍵が十二使徒会に授けられる。継承における最初の原則あるいはステップは,聖なる使徒職に聖任され,十二使徒定員会の会員として任命された人すべてに対する王国の鍵の授与です(教義と聖約27:12-13参照)。 ……

2.先任順位:会長会の管理原則。十二使徒会のうちだれが管理するか,およびだれが大管長の死に当たって王国の鍵を自ら行使できるかを決定する要因は,先任の原則です。1835年に最初の十二使徒定員会が召されたとき,先任順位は年齢で決まりました。それ以降,先任順位は十二使徒定員会に聖任された日付によって決められてきました。……

3.大管長が亡くなると,十二使徒を管理する大管長会は存在しなくなります。預言者ジョセフ・スミスによって教えられた原則に従い,教会の大管長が死去すると,大管長会定員会は自動的に解散し,顧問は,以前に十二使徒定員会に属していた場合は,同定員会のそれぞれの先任順位に戻ります。先任使徒は,十二使徒会の会長として,その先任の地位によって自動的に教会の『管理大祭司』となり,したがって,王国のすべての鍵を自ら保有して行使し,『全教会を管理』します(教義と聖約107:65-66,91参照)。大管長会と『同等の権能』を持つこの十二使徒の管理定員会は,それが完全に組織され機能するときに,大管長会と同等の教会の会長会です(教義と聖約107:23-24参照)。同様に,その時点の十二使徒会会長は,職務および機能において,大管長会が新しく組織されて大管長として支持されるときと同等です。

4.大管長会の再組織。教会の管理役員として,十二使徒会会長にはいつ大管長会を再組織するかに関して啓示を受ける特権があります。この判断は,十二使徒定員会と協議し,全会一致の支持を受けたうえで下されます。……

ハワード・W・ハンター大管長〔1907-1995年〕が教会の大管長として支持された日,ハンター大管長はこのように証しました:

『使徒として聖任され,十二使徒定員会の会員として任命された一人一人の兄弟は,預言者,聖見者,啓示者として支持されます。神権の鍵を持つように召され,聖任される大管長会と十二使徒定員会は,教会を治め,儀式を執行し,教義を教え,慣行を確立して維持するための権能と責任を持っています。

大管長が病気のときや,その職にかかわるすべての義務を完全に果たすことができない場合は,大管長とともに大管長会の定員会を構成する二人の顧問が大管長会の務めを遂行します。重要な問題や方針,プログラム,教義は,大管長会の顧問と十二使徒定員会による評議会で祈りをもって検討されます。大管長会と十二使徒定員会が発表する決議で,関係者の全会一致によらないものはありません。

この霊感による方式に従い,教会は妨げられることなく前進します。教会の統治と預言者としての賜物の行使は,使徒の権能を持ち,すべての神権の鍵を持って行使する人々に常に委ねられます。』〔Conference Report, 1994年10月,6-7;または『聖徒の道』1995年1月号,8〕」(ブレント・L・トップ,ローレンス・R・フレーク共著,“‘The Kingdom of God Will Roll On’: Succession in the Presidency,” Ensign, 1996年8月号,29,31-34)

3.5

主は教会の大管長の職の継承に関する秩序を定められた

ジョセフ・フィールディング・スミス大管長の死後,ハロルド・B・リーが教会の大管長として支持されたとき,スペンサー・W・キンボール大管長(1895-1985年)は大管長の任命における神の役割について話しました:

「リー大管長が,対立,批判に満ちた委員会や会議で人の投票によって選ばれたのではなく,神によって召されてから人々に支持されたと知っているのはとても心強いことです。

この神聖な規範に,誤り,対立,野望,隠れた動機の余地は一切ありません。主は,主の教会を導く指導者の召しを御自分に残しておかれたのです。」(“We Thank Thee, O God, for a Prophet,” Ensign, 1973年1月号,33,強調付加)

ゴードン・B・ヒンクレー大管長(1910-2008年)は教会の大管長となって間もなく,主によって定められた神聖な規範について説明しました:

「ハンター大管長の死去に伴い大管長会は解散しました。顧問を務めてきたモンソン兄弟とわたしは,教会の管理機関となった十二使徒定員会の会員という立場になりました。

3週間前の日曜日,生存する聖任された使徒が全員,断食と祈りの精神をもって,神殿の階上の部屋に集まりました。わたしたちはそこでともに神聖な賛美歌を歌い,祈りをささげました。そして,主の晩餐の聖餐を受け,その神聖かつ象徴的なしるしによって,聖なる贖い主である御方との聖約と関係を新たにしました。

その後,過去何代にもわたって確立されてきた慣行に従い,大管長会が再組織されました。

そこには役職を巡る選挙運動も論争も野心もありませんでした。静かで,平穏で,明快で,神聖なものでした。主御自身が定められた規範に従って行われました。」(「主のみ業」『聖徒の道』1995年7月号,74,強調付加)

ハロルド・B・リー大管長(1899-1973年)は,大管長の職の継承について憶測することは,「主の目から見て,好ましいことではない」と提言しました。「だれが次の大管長になるのかなどと前もって推測しようとする人々は,競馬と同じような賭け事に興じているのだ,ということです。主のみがその予定を御存じだからです。」(“Admonitions for the Priesthood of God,”Ensign,1973年1月号,107)

3.6

十二使徒定員会の先任順位

教会の大管長は,最も先任の使徒です。その次の先任順位にある使徒が十二使徒定員会の会長となりますが,その使徒が大管長会で奉仕している場合は,次の先任順位にある使徒が十二使徒定員会会長代理として奉仕します。使徒の先任順位は,年齢ではなく,使徒として聖任された日付と順序によって決まります。例えば,スペンサー・W・キンボールとエズラ・タフト・ベンソンは両者とも1943年10月7日に使徒として聖任されましたが,スペンサー・W・キンボールが先に聖任されました。このため,キンボール大管長がハロルド・B・リーの死去に伴って1973年に教会の大管長になりました。

スペンサー・W・キンボール大管長(1895-1985年)は,大管長の職の継承は先任順位に基づくものであるため,継承の順序を左右するのは主のみであると説明しました:

「ジョセフ・スミス以来,〔1972年までに〕80名ほどの使徒が〔権能の鍵を〕授けられましたが,ほかの使徒の死によって教会の大管長の職に就いたのは11名のみです。主の僕の死は主の力と支配の範疇にあるため,主は,その指揮を執るようあらかじめ定められた人のみに長となることをお許しになります。死と生がそれを左右する要因となります。順に召される新しい使徒はそれぞれ主によって選ばれ,そのときの生ける預言者に明らかにされ,預言者によって聖任されるのです。」(“We Thank Thee, O God, for a Prophet,” 34,強調付加)

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ペテロとアンデレを召されるキリスト

使徒を召される救い主

ゴードン・B・ヒンクレー大管長(1910-2008年)は,十二使徒定員会に召されるときに始まる先任順位と継承の過程について説明しました:

「わたしは権能が継承される過程にこれまで何度もかかわってきましたが,その明快さは見事です。その方法は,主が物事をどのように進められるかを示しています。主の手順に従い,ある人が預言者によって,十二使徒評議会の会員となるように選ばれます。その人はこれを職業として選ぶのではありません。イエスの時代の使徒と同じように,召されるのです。主は使徒に,「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして,あなたがたを立てた」と言われました(ヨハネ15:16)。歳月が流れ,その人はその職に伴う務めを果たしながら訓練され,鍛えられます。世界中を旅して,使徒の召しを果たします。それは長い備えの過程です。その間にあらゆる地の末日聖徒と知り合い,聖徒たちもその人のことを知るようになります。主はその人の心と本質を試されます。自然の成り行きとして,その評議会に空席が生じます。そして,新たな指名が行われます。この過程で,特定の人が先任使徒になります。彼と同僚の兄弟たちには,それぞれ聖任のときに授けられた神権のすべての鍵が内在しています。しかし,それらの鍵を行使する権限は大管長に限られているのです。〔預言者が〕死去すると,先任使徒がこの権限を行使できるようになります。それから十二使徒評議会の会員たちによって,預言者および大管長として指名され,任命され,聖任されるのです。」(「幸福への招き」『聖徒の道』1986年7月号,49参照)

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ゴードン・B・ヒンクレー大管長とトーマス・S・モンソン大管長

ゴードン・B・ヒンクレー大管長(右)の死去に伴い,トーマス・S・モンソンが教会の大管長になりました。

十二使徒定員会のボイド・K・パッカー会長(1924-2015年)は,先任使徒が確かに教会の大管長となることについて話しました:

「ゴードン・B・ヒンクレー大管長が亡くなって間もなく,王国の鍵を授けられている14人の使徒が,教会の大管長会を再組織するために神殿の階上の部屋に集まりました。何が行われるかははっきりしており,ためらいはありませんでした。わたしたちは先任使徒が教会の大管長であることを知っていました。その神聖な集会において,トーマス・スペンサー・モンソンが十二使徒定員会により教会の大管長として支持されました。」(「十二使徒」『リアホナ』2008年5月号,83参照,強調付加)

3.7

十二使徒定員会の指導と継承の時機

スペンサー・W・キンボール大管長(1895-1985年)は,現大管長の死後における十二使徒定員会への権能の移行について説明しました:

「主の業に終わりはありません。たとえ強力な指導者が亡くなったとしても,王国に継続性と永続性をお与えになった神の恵みによって,教会は一瞬たりとも指導力を欠くことがありません。

教会の大管長が亡くなるその瞬間から,すでに十分な経験と訓練を積んだ人々が一体となって教会の合同指導者となります。その任命は長きにわたって行われてきたものであり,権能が与えられ,鍵が授けられてきました。……主の王国は,すでに権能を与えられたこの評議会のもとで前進するのです。『立候補』もなければ,選挙戦も選挙演説もありません。何と神聖な計画でしょうか!もろく貪欲な人間の弱さをこれほど完全に超越するよう計画された主の知恵は計り知れません。」(Conference Report,1970年4月,118;またはImprovement Era, 1970年6月号,92)

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大管長会と十二使徒定員会(1870年)

預言者ジョセフ・スミスの肖像画(最上列左から2番目)と,大管長会と十二使徒定員会(1870年ごろ)

「教会の管理役員として,十二使徒会会長はいつ大管長会を再組織するかに関して啓示を受ける特権があります。この判断は,十二使徒定員会と協議し,全会一致の支持を受けたうえで下されます。」(トップ,フレーク共著,“The Kingdom of God,” 33,強調付加)預言者ジョセフ・スミスの死後,大管長会が再組織されるまで3年半の間,十二使徒定員会が教会を導きました。十二使徒定員会は,ブリガム・ヤング大管長の死後3年余り,そしてジョン・テーラー大管長の死後約2年間教会を導きました。最近では大管長会が再組織され新しい大管長が任命されるまでの数日間のみ,十二使徒定員会が教会を導くことが一般的です。

ウィルフォード・ウッドラフ大管長が1898年9月2日に死去した後,9月18日に大管長会のジョージ・Q・キャノン管長(1827-1901年)が大管長会の組織について話しました:

「9月13日,使徒の集会で管財人を任命する必要性について話し合ううちに,大管長会を組織する必要性も兄弟たちにとって明白となったため,十二使徒が相次いで,その時点で大管長会を組織することに賛成しました。使徒たちの見解を聞いたスノー会長は立ち上がり,ウッドラフ大管長の死以来,神殿で,祭司の衣をまとい,主の前に出るよう導かれていたこと,そして主がスノー会長に対し,大管長会を組織すべきこと,そしてだれが顧問となるべきかを明らかにされたと兄弟たちに述べました。しかし,スノー会長は,使徒たちがこれについて発言してしまうまで,何も言いませんでした。使徒たちにとってスノー会長のこの言葉は,自分たちの述べたことが神の御霊の霊感を受けたものであることを明白に示すものであり,提案した業が承認されたことのしるしであったため,使徒たちは非常に喜びました。わたし自身も,その時点で取りかかるとはまったく予期していませんでしたが,心から賛同しました。わたしは,大管長会はできるだけ早く,または主が組織するよう霊感をお授けになったら直ちに組織されるべきだと常に感じていました。」(Deseret News, 1898年10月8日付, 514)

3.8

大管長会の再組織

1974年,大管長会のN・エルドン・タナー管長(1898-1982年)は,ハロルド・B・リー大管長の死の前後にあった出来事を語り,新しい教会の大管長が十二使徒定員会によって支持され大管長会が再組織されるときの権能の移行と手順について説明しました:

「ハロルド・B・リー大管長が亡くなったときの出来事は非常に重要です。ロムニ一管長が病院に呼ばれて話し合ううち,しばらくの間任務を遂行できないかもしれないと悟ったリー大管長は,ロム二一管長に言いました。『タナー管長が不在ですので,あなたに教会の業務を引き継いで進めていただきたい。』その後で入って来たキンボール会長は,ロムニー管長のために尽力しようと申し出ました。しかし,リ一大管長の死が知らされるとすぐに,ロムニー管長はキンボール会長に向かって言いました。『さあ,これからは十二使徒定員会の会長であるあなたが責任を負うことになります。何なりとおっしゃってください。援助できることならば何でもするつもりです。』

これは教会の秩序に完全に即しており,教会が大管長会のないまま放置されることは決してなく,大管長の職がいかに円滑に継承されるかを示す好例です。キンボール会長が十二使徒会会長として速やかに教会の管理役員となりました。

キンボール会長の大管長としての任命および聖任時に踏んだ手順について簡単に話したいと思います。……

……リ一大管長の死の4日後,十二使徒会会長のキンボール会長は,大管長会の再組織について話し合い,何であろうと決まったことに取りかかるために,十二使徒会会員を神殿の階上の部屋に集めました。大管長の顧問であった二人,すなわちロムニー管長とわたしは,それぞれ十二使徒定員会の自分の位置に座りました。

キンボール会長はリ一大管長の死に深い悲しみを表し,自分の力不足を痛感している旨を述べた後,大管長会再組織についてどのように感じるかを先任順に一人ずつ述べるよう十二使徒に求めました。

十二使徒はそれぞれ話しながら,今こそ大管長会を再組織する時であり,主がこの時期に教会を管理するよう望んでおられるのはスペンサー・W・キンボール会長であると感じていると述べました。愛に満ちた主の御霊があふれんばかりに注がれ,兄弟たちの思いにも話す言葉にも完全な一致と調和がありました。我々の望みも目的も,ただ主の御心に従うことだけでした。心の中にあったのは主の御心が明らかにされた事柄のみで,何の疑問も生じませんでした。

その後,教会の大管長会を再組織すること,スぺンサー・W・キンボールを教会の大管長,預言者,聖見者,啓示者,および管財人として支持,聖任,任命することを,エズラ・タフト・べンソン長老が正式に提議しました。この提議は即座に全会一致で支持されました。

キンボール会長は心底へりくだって進み出て,決議を受け入れることを表明し,主の御霊と祝福がともにあって主の御心を遂行できるようにしてくださるよう祈りました。キンボール会長は,リー大管長が健康で,体力と活力があるように,そして教会の大管長として責任を果たすときに主の祝福がリー大管長とともにあるよう常に祈っていたと言いました。また,愛する妻力ミラとともに,この責任が自分の肩に置かれることがないように真心から祈り,リ一大管長は自分よりも長生きされるに違いないと思っていたことを強調しました。……

その後,第一顧問としてN・エルドン・タナーを,第二顧問としてマリオン・G・ロムニーを選び,推薦しました。二人はそれぞれ,キンボール会長を教会の大管長として支援し支持すること,また全力を尽くしてその職を全うすることを心からへりくだって誓い,主の祝福があるよう祈りました。

続いて,ベンソン長老が十二使徒評議会会長として支持されました。次にキンボール大管長は部屋の中央の席に着き,部屋にいた全員が彼の頭に手を置きました。わたしたちは主の御霊がまことに我々とともにあり,温かな御霊が胸に満ちるのを感じました。こうして,スペンサー・ウーリー・キンボールは,ベンソン会長のすばらしい祈りと祝福により,末日聖徒イエス・キリスト教会の預言者,聖見者,啓示者,および大管長として聖任され任命されたのです。」(“Chosen of the Lord,” Ensign, 1974年5月号,84-85)

3.9

聖会とは何か

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聖会

教会の聖会における支持

トーマス・S・モンソン大管長は,ゴードン・B・ヒンクレー大管長の死後,2008年2月3日に教会の大管長となりましたが,教会員が世界中の定員会およびグループごとに,モンソン大管長を預言者,聖見者,啓示者,および末日聖徒イエス・キリスト教会の大管長として支持したのは,聖会として指定された2008年4月の総大会土曜日午前の部でのことでした(「教会役員の支持」『リアホナ』2008年5月号,4-6参照)。

前の聖会で,十二使徒定員会のデビッド・B・ヘイト長老(1906-2004年)は,聖会とは何かについて,およびそのきわめて重要な集会の神聖さについて話しました:

「わたしたちは今日,天にかかわる事柄に従うために,最も神聖な機会である聖会に加わって,その証人となりました。いにしえの時代と同じように,世界中の大勢の聖徒が,この日に主の御霊を豊かに受けられるよう,断食をし祈りをささげてきました。そして,今朝この時に当たりこの会場はまさに御霊に満たされています。

聖会とは,その名が示すように,神聖,厳粛,かつ敬虔な機会であり,聖徒が大管長会の管理の下に集う会です。聖会は次の3つの目的で開かれます。神殿の奉献,神権指導者たちへの特別な指示,そして教会の新しい大管長の支持です。今日のこの大会の部会は,新しく召された教会の大管長およびほかの教会役員を支持するための聖会です。

聖会には,教会役員を支持するほかの一般の集会とは違う規範があります。預言者ジョセフ・スミスの確立したこの規範に従って,まず大管長会から始めて神権定員会が起立し,右手を挙げて,預言者,聖見者,啓示者として教会の大管長を支持する意志,また信頼と信仰,祈りによって支える意志を表明します。こうして神権定員会が挙手により順次その意を表した後,すべての聖徒が起立して,同様にして支持する意志を表明します。ほかの教会指導者も,それぞれの職と召しについて,同じように支持を受けます。

わたしたちが教会の大管長を挙手によって支持するとき,それは大管長がすべての神権の鍵の正当な保有者であることを神の御前で認めることを意味するだけでなく,預言者を通して与えられる指示や勧告に従うという聖約を神と交わすことを意味します。これは厳粛な聖約なのです。

教会が設立されたとき,主は教会に対して次のような戒めを与えられました:

『あなたがたは忍耐と信仰を尽くして,あたかもわたし自身の口から出ているかのように,彼の言葉を受け入れなければならない。

これらのことを行えば,地獄の門もあなたがたに打ち勝つことはないからである。そして,主なる神はあなたがたの前から闇の力を追い払い,また,あなたがたのためと,神の名の栄光のために天を震わせるであろう。

主なる神はこのように言う。わたしは,善のために大いなる力をもってシオンの大義を推し進めるようにと彼に霊感を与えた。』(教義と聖約21:5-7

最初の聖会が開かれたのは,1836年3月27日,カートランド神殿でのことでした。わたしが先ほど話した規範に従って賛意の表明がなされた後で,預言者ジョセフ・スミスは次のように記しています。『わたしはすべての人に預言します。聖徒がこの人々をそれぞれの職に支持するかぎり……主は〔イエス・〕キリストの御名の下に,彼らを祝福されます。天の祝福は彼らのものとなるでしょう。』(History of the Church第2巻,418)

今日,わたしたちは,同意の原則に従って,自らの意志を明らかにしました。この特権と責任はどれほど神聖なものでしょうか。主は,偉大な神権の啓示の中でその神聖さを強調し,これらの事柄は『教会の霊にかかわる権能を持つ者たちが構成する複数の定員会の総会の前にそれを持ち出すことができる』とおっしゃっています(教義と聖約107:32,強調付加)。」(「聖会」『聖徒の道』1995年1月号,16-17参照)

3.10

教会の大管長を支持する方法

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総大会で指導者を支持する教会員

教会員の特権の一つは,教会を管理するように召された人々を支持する機会があることです。

トーマス・S・モンソンが教会の第16代大管長として支持された聖会の終わりに,大管長会のヘンリー・B・アイリング管長は,わたしたちが持つすばらしい祝福と,挙手して指導者を支持するときに約束することについて話しました:

「神の民は,今日わたしたちがともにあずかった驚くべき経験をできるほどのふさわしさを,いつでも備えていたわけではありません。キリストが天に昇られた後,使徒たちは主から委ねられた鍵を引き続き行使しました。しかし,会員が不従順で,信仰を失ったために,使徒たちは鍵を継承者に伝えることなくこの世を去りました。その悲劇を,わたしたちは『背教』と呼んでいます。もし当時の教会員に,今日の皆さんのように信仰を働かせる機会と意志があったなら,主は神権の鍵を地上から取り去ることはなさらなかったでしょう。ですから今日は,世界の歴史の中で,そして天の御父の子供たちにとって,歴史的に意義のある,永遠の観点から見て重要な日なのです。

さて,わたしたちの義務は,ふさわしく生活し,召されている人々を支持するという約束を果たすのに必要な信仰を持ち続けることです。……今日召された人々を支持するには,自分の生活を吟味し,必要に応じて悔い改め,主の戒めを守ることを約束し,主の僕に従わなければなりません。これらのことを行わないなら,聖霊は退き去られると,またわたしたちは受けてきた光を失い,主のまことの教会における主の僕を支持するという今日交わした約束を守ることはできないと,主は警告しておられます。」(「まことの生ける教会」『リアホナ』2008年5月号,20-21参照)

理解を深めるために

  • 大管長の職の継承における,神の霊感を受けた手順を理解することは,教会の大管長に対する信頼をどのように高めますか。

  • 継承の過程は,新しい使徒が聖任されるときの神権の鍵の授与によってどのように始まりますか。

  • 先任使徒を教会の預言者および大管長として支援し,支持することから受ける祝福には何がありますか。

課題の提案

  • 本章を参考に,教会の新しい大管長の選出において主が定められた手順の概要を説明してください。この過程は,新しい使徒の選出によってどのように始まりますか。

  • 次の質問に対する答えを書き留めてください。教会の新しい大管長を支持するとき,わたしたちには何が求められますか。これは,わたしたちがビショップはじめ教会指導者を支持することにどのように当てはまりますか。

  • 大管長の職の継承に関して神の霊感を受けた手順が,どのようにこの職への野心,誤り,および対立を排除するかを友人または家族に簡単に説明してください。

  • 十二使徒定員会の先任順位の原則を理解することが,教会の指導力が主の手にあることへの信頼,そして主が十二使徒の各会員を御存じで備えさせておられることへの信頼をどのように強めるかについて,あなたの気持ちを書き留めてください。

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