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第4章:大管長会定員会


第4章

大管長会定員会

はじめに

1833年3月18日,預言者ジョセフ・スミスを大管長として,シドニー・リグドンとフレデリック・G・ウィリアムズを顧問として大管長会が正式に組織されました(History of the Church,第1巻,334参照;教義と聖約81章;90章〔見出しを含む〕も参照)。大管長会に関するさらなる情報がその後の啓示によって与えられ,今日大管長会は,「教会におけるすべての職務を行う権利を持つ」教会の最高の神権定員会として機能しています(教義と聖約107:9教義と聖約124:126も参照)。

大管長会定員会は,通常,大管長と二人の顧問によって構成されますが,必ずしもそうであるとは限りません。また顧問は,ほとんどの場合,十二使徒定員会から選ばれますが,必ずしもそうであるとは限りません。この「三人の管理大祭司が,教会の大管長会の定員会を構成」(教義と聖約107:22)します。この三人に,地上における神の王国を指導する責任が託されます(教義と聖約90:12-16参照)。主は大管長会の重要性を強調され,次のように宣言されました。「だれでもわたしを受け入れる者は,わたしが遣わした者,わたしの名のためにあなたがたへの助言者とした者,すなわち大管長会を受け入れる」(教義と聖約112:20)。

本章は,大管長会がどのようにこの地上における主の業を管理し,導くかについての知識を高めるために役立ちます。

解説

4.1

大管長会の先駆けとなる新約聖書の教会における組織

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初代大管長会,1833年

1833年3月に確立された末日聖徒イエス・キリスト教会の初代大管長会は,大管長ジョセフ・スミス(中央),第一顧問シドニー・リグドン(左),そして第二顧問フレデリック・G・ウィリアムズ(右)で構成されていました。

ジョセフ・フィールディング・スミス大管長(1876-1972年)は,末日の大管長会定員会の先駆けとなる組織は,イエス・キリストの教会の新約聖書時代の組織にあると教えました:

「ペテロ,ヤコブ,ヨハネがほかの使徒たちとは区別され,特別な権能を与えられていたという事実は,今日の大管長会定員会の先駆けでした。記録されている内容から,この三人の使徒たちがこのような会長会を組織したことは疑う余地もありません。……この三人の使徒たち全員が預言者ジョセフ・スミスとオリバー・カウドリを訪れ,彼らにメルキゼデク神権を授けたという事実からも,この三人が大管長会であったことは末日聖徒にとってきわめて明白です。」(Seek Ye Earnestly〔1970年〕,207-208,強調付加)

4.2

大管長会の確立

以下の表には,大管長会の確立に関する幾つかの出来事を記載しています:

日付

出来事

1830年4月6日

「神から召されて,イエス・キリストの使徒に聖任され,この教会の第一の長老となった」ジョセフ・スミスと「イエス・キリストの使徒となり,この教会の第二の長老となるために神から召され〔た〕」オリバー・カウドリによって教会が組織された(教義と聖約20:2-3)。

1831年11月11日

預言者ジョセフ・スミスは,教義と聖約107:59-100に記録されている啓示を受けた。64-66節には,「教会の大神権の大管長」についての記述がある(ロビン・スコット・ジェンセン,ロバート・J・ウッドフォード,スティーブン・C・ハーパー編,Revelations and Translations: Manuscript Revelation Books,ディーン・C・ジェシー,ロナルド・K・エスプリン,リチャード・ライマン・ブッシュマンの編集によるThe Joseph Smith PapersRevelations and Translationsシリーズ,復刻版,第1巻〔2009年〕,216-219参照)。

1832年1月25日

オハイオ州アマーストにおける長老,大祭司,そして教会員の大会で「ジョセフ・スミスは大神権の大管長に支持され,聖任された。」(教義と聖約75章見出し。教義と聖約82章見出し;History of the Church,第1巻,243の脚注も参照)

1832年3月

預言者ジョセフ・スミスが大管長会の将来の役割についての啓示を受けた(教義と聖約81:1-2)。「この啓示は大管長会の正式な組織への一歩と見なされるべきものであり,特にこの組織における顧問の職を指定し,この職が尊いものであることを説明している。」(教義と聖約81章見出し)

1832年4月26日

ミズーリ州ジャクソン郡での「教会の総会」で,「預言者ジョセフ・スミスが大神権の大管長として支持された……。彼は……すでにこの職に聖任されていた。」(教義と聖約82章見出し)

1833年3月8日

預言者ジョセフ・スミスは,教義と聖約90章にある「大管長会を確立するにあたっての継続的な一段階」(見出し)についての啓示を受けた。この啓示において,主はシドニー・リグドンとフレデリック・G・ウィリアムズが大管長会の顧問として奉仕することを示された(6節参照)。

1833年3月18日

シドニー・リグドンとフレデリック・G・ウィリアムズが大管長会の顧問として任命された。預言者ジョセフ・スミスは次のように記録している。「リグドン長老は,1833年3月8日に与えられた啓示に従って,……彼自身およびフレデリック・G・ウィリアムズ兄弟が召された職に聖任されるべきであるという希望を述べた。それに応じて,わたしはシドニー兄弟とフレデリック兄弟の頭に手を置き,わたしとともにこの最後の王国の鍵を持つ業に携わり,わたしの顧問として,大神権の大管長会を援助するように彼らを聖任した。」(History of the Church,第1巻,334)

1835年3月28日

預言者ジョセフ・スミスは,教義と聖約107:1-58にある,大管長会を教会の管理定員会としてさらに定義する次のような啓示を受けた:「メルキゼデク神権を持つ者の中から,この団体によって選ばれ,その職に指名され,聖任され,また教会員の信頼と信仰と祈りによって支持された三人の管理大祭司が,教会の大管長会の定員会を構成する。」(教義と聖約107:22

4.3

大管長会の権能

大管長会の一員は,教会全体に対する管理大祭司です。このため,大管長会は現世におけるすべての事柄に対して最終的な権能を持つ者です。主は次のように宣言されて,大管長会の権能の範囲を示されました:

「さらにまことに,わたしはあなたがたに言う。教会の最も重要な事務,および教会の最も困難な事件は,ビショップや判士たちの判決が満足のいくものでなければ,これを教会の評議会に,すなわち大神権の大管長会の前に引き継いで渡さなければならない。

大神権の評議会の大管長会は,顧問として補佐する他の大祭司,すなわち十二人を召す力を持つ。このようにして,大神権の大管長会とその顧問たちは,教会の律法に従って証拠に基づいて判決を下す力を持つ。

この判決の後は,もうそれを主の前に持ち出してはならない。これは神の教会の最高評議会であり,また霊にかかわる事柄に関する論争についての最終判決だからである。」(教義と聖約107:78-80,強調付加)

大管長会のスティーブン・L・リチャーズ管長(1879-1959年)は,大管長会には教義を解釈する権能があると説明しました:

「教会の教義を解釈する権利はだれにあるのでしょうか……。わたしは,これについて真摯に考えるならば,この質問に対する会員の間の意見に大きな違いはないと確信しています。これはわたしたちが受けた啓示,そして大管長とその顧問たちに権能が与えられた教会の慣行によって十分に確立されているため,これについて真剣に異議を唱える教会員がいるとは思えません。啓示の言葉によると,大管長会は『全教会のために神託を受ける……定員会』〔教義と聖約124:126〕を構成するとされています。彼らは,神の律法の解釈におけるこの地上の最高裁判所なのです。

大管長会の役割を果たし,託された権威を行使するに当たり,彼らは,書き記された部分と書き記されていない部分がある,憲法によって支配されます。書き記された部分とは,真実であることが証明されている古代および現代の聖文,そして記録された末日の預言者の言葉です。書き記されていない部分とは,大管長会の召しに付随する啓示の霊と神からの霊感です。」(Conference Report, 1938年10月,115-116,強調付加)

4.4

教会の大管長の優越性

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ジョセフ・F・スミス大管長と顧問たち

ジョセフ・F・スミス大管長(中央)と顧問のジョン・R・ワインダー(左)およびアンソン・H・ランド(右)

1833年3月8日,主は預言者ジョセフ・スミスに,大管長会の顧問は「この最後の王国の鍵を持つことに関して,〔大管長〕と等しい」と言われました(教義と聖約90:6)。しかし,この神権定員会を管理し,顧問たちの働きを指導するのは教会の大管長です。

十二使徒定員会のジョン・A・ウイッツォー長老(1872-1952年)は,大管長会の働きを指導するのは教会の大管長であると説明しました:

「ジョセフ・スミスは2人の顧問を与えられ,この3人で教会の大管長会が組織されました。(1833年3月18日。)これに先立つ1833年3月8日,『あなた〔ジョセフ・スミス〕を通じて,神託は別の者,すなわち教会員に与えられるであろう』〔教義と聖約90:4〕と宣言する啓示が与えらました。教会の大管長の優越性が維持されたのです。顧問が大管長と同じ権威を持っているのかどうかという疑問についての論議が人々の間に起こるには時間はかかりませんでした。顧問は,大管長からの直接の指示なくして何ができるのでしょうか。これらの疑問は,1836年1月16日の集会で答えられました。預言者はその集会で,次のように述べています。『十二使徒が大管長会以外の承認を必要とすることはありません。……そしてわたしがいない所では,大管長会が十二使徒以上の力を持つことはありません。』(History of the Church,第2巻,374,強調付加)言い換えると,大管長がいなければ,顧問には何の権能もないとうことです。顧問は大管長が持つ権威を持たず,大管長の指示と同意なく教会の事柄について行動することはできません。」(Joseph Smith: Seeker after Truth, Prophet of God〔1951年〕,303,強調付加)

4.5

大管長会は教会を管理する

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大管長会,2008年

トーマス・S・モンソン大管長(着席)と顧問のヘンリー・B・アイリング(左)およびディーター・F・ウークトドルフ(右),2008年

ジョセフ・フィールディング・スミス大管長(1876-1972年)は,大管長会の管理的立場について次のように話しました:

「今日,イエス・キリストの教会には,使徒評議会とは別に,大管長会定員会があります。神権および教会におけるすべての事柄において,使徒は大管長会の指示の下で行動するのです。」(Doctrines of Salvation,ブルース・R・マッコンキー編〔1956年〕,第3巻,152,強調付加)

大管長会は,「神の教会の最高評議会」(教義と聖約107:80)として,現世のことにも霊的なことにもすべての事柄に関し,霊感された判断によって教会を導きます。ジョセフ・フィールディング・スミス大管長(1876-1972年)は次のように教えています:

「啓示により,教会の大管長には顧問たちが与えられました〔教義と聖約107:78-80参照〕。……

教会の最高の管理権は,大管長とその顧問たちに委ねられています。大管長会は,最高の任命権と指名権をもって,教会のすべての評議会,すべての定員会,そしてすべての組織を管理します〔教義と聖約107:9参照〕。任命,指名,そして管理の権威は,大管長会が選出し,教会の管理において大管長会の代理を務めるよう人々に指示されたほかの人々に委任することができます。

大管長会は,神の生ける信託,最高審判者〔意思決定者〕,そして教会の律法の解釈者です。彼らは,方針,組織,および管理のすべての事柄において,教会全体の働きを監督します。教会の働きで彼らの権能の範疇を超えるものはありません。」(“The First Presidency and the Council of the Twelve,” Improvement Era, 1966年11月号,978)

大管長会のジェームズ・E・ファウスト管長(1920-2007年)は,このように言っています:

「大管長会は地上における神の王国の諸事について最終責任を負っています。大管長会について,主はこう言われました:

『メルキゼデク神権を持つ者の中から,この団体によって選ばれ,その職に指名され,聖任され,また教会員の信頼と信仰と祈りによって支持された三人の管理大祭司が,教会の大管長会の定員会を構成する。……

大神権の評議会の大管長会は,顧問として補佐する他の大祭司,すなわち十二人を召す力を持つ。このようにして,大神権の大管長会とその顧問たちは,教会の律法に従って証拠に基づいて判決を下す力を持つ。』〔教義と聖約107:22,79〕」(「羊飼いの責任」『聖徒の道』1995年7月号,53)

4.6

大管長会における顧問の重要性

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大管長会,2005年

ゴードン・B・ヒンクレー大管長(中央)と顧問のトーマス・S・モンソン(左)およびジェームズ・E・ファウスト(右),2005年

七十人のウィリアム・R・ワーカー長老は,大管長会が教会のそのほかの会長会が従うべき模範であると教えました:

「教会のどの会長会であれ,そこで奉仕する人は皆,管理の職を遂行するに当たって,大管長会を規範,模範とする必要があります。大管長会のようになり,大管長会と同じように愛と調和の中でともに働くよう努力する必要があります。

ゴードン・B・ヒンクレー大管長は,顧問の大切さについて幾度となく話しました。こう述べています。『主はある目的のために彼ら〔顧問〕を召されます。』(Teachings of Gordon B.Hinckley〔1997年〕,94)

さらにヒンクレー大管長は次のように教えています。『大管長会は月曜日を除く毎朝,不在でさえなければ,集会を開きます。ファウスト管長に彼の扱っている問題を提示してもらい,話し合い,決定を下します。次にモンソン管長に彼の扱っている問題を提示してもらい,話し合い,決定を下します。それからわたしの方で提示したい項目を提示し,話し合い,決定を下します。わたしたちはともに働きます。……会長会は個人運営の事業などではありません。顧問がいるということはほんとうにすばらしいことです。間違いを犯すことがないように,また,正しいことが行えるように助けてくれるからです。』(Teachings of Gordon B. Hinckley, 95「助言者が多ければ安全である」『聖徒の道』1991年1月号,54-57も参照)

ジョセフ・F・スミス大管長の顧問が,大管長会はどのように審議するかについてこのように説明したことがあります。『判断を求めて,〔大管長〕の前に問題が提示されると,大管長と二人の顧問は,その問題についてよく話し合い,全員が同じ結論に達するまで慎重に審議します。』(アンソン・H・ランド,Conference Report, 1919年6月,19,強調付加)

これこそ,会長会の従うべき規範です。

わたしたちは啓示の中で,定員会や会長会で何かを決議する際には,『完全な義により,聖さとへりくだった心,柔和と寛容により,また信仰,徳,知識,節制,忍耐,信心,兄弟愛,および慈愛により』決めるように,と教えられています(教義と聖約107:30)。

主はわたしたちに規範を与えてくださっています。」(「3人の管理大祭司」『リアホナ』2008年5月号,39,強調付加)

4.7

大管長が病気である場合は,顧問が大管長会の業務を遂行する

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一人で総大会に出席するゴードン・B・ヒンクレー管長

スペンサー・W・キンボール大管長とマリオン・G・ロムニー管長の病気のため,ゴードン・B・ヒンクレー管長は時折一人で総大会の壇上に座りました。

ゴードン・B・ヒンクレー大管長(1910-2008年)は,教会の大管長が病気であったり,義務を果たせないときでさえも,大管長会の業務を継続する方法を次のように説明しました:

「大管長が病気のときや,その職にかかわるすべての責任を十分に果たすことができない場合,二人の顧問が大管長会定員会を構成し,大管長会の日常の業務を遂行します。例外的な状況で一人しか働けない場合には,教義と聖約第102章10節から11節に定められたとおり,その人が大管長会の職の権限により行動することがあります。」(「神がかじを取っておられます」『聖徒の道』1994年7月号,60)

その3年半前,ゴードン・B・ヒンクレー大管長は,長い間病を患った二人の大管長の顧問としての個人的な経験について次のように話しました:

「キンボール大管長がご病気だったとき,タナー管長の病状が悪化し,やがて他界されました。ロムニー管長が第一顧問として召され,わたしがキンボール大管長の第二顧問に召されました。そのうちにロムニー管長が病の床に伏し,わたしはとてつもない責任を負うことになりました。わたしは十二使徒の兄弟たちによく相談しました。彼らが事情をよく理解し,知恵に満ちた判断力を示してくれたことに口で言い表わせないほどの感謝を覚えています。すでに明確な方針が定まっている件については,わたしたちで事を進めていきました。しかし,新しい方針を発表したり実行に移したりする場合,あるいは重要な事項を変更する場合,必ずキンボール大管長のもとへ行き,大管長の前にそれを提示し,完全な了解と承認を得てからそれらを行ってきました。

そのような事情で大管長のもとを訪問するとき,わたしは必ず秘書を同行させ,会話の一部始終を詳細に記録させました。愛する兄弟の皆さん,わたしは皆さんの前に明言することができます。わたしは故意に預言者の前を行ったり,教会の方針や指示を出す際に預言者の前に立とうと思ったりしたことは,一度もありませんでした。キンボール大管長が当時主の任命を受けた預言者であることを知っていたからです。わたしもまた,十二使徒の兄弟たちとともに預言者,聖見者,啓示を受ける者として支持を受けていましたが,わたしたちの中のだれも教会の大管長ではないことは分かっていました。主は自ら御存じの目的のためにキンボール大管長の命を延ばしておられたのです。わたしはそのことを知っていました。しかも,大管長の命がこのように保たれたのは,いかなる人よりも偉大な知恵を持っておられる御方の知恵により,何らかの理由があって行われているのだという,完全な信仰をわたしは持っていました。

1985年11月,キンボール大管長が亡くなり,当時十二使徒評議会の会長を務めていたエズラ・タフト・ベンソン会長が教会の大管長として,また預言者,聖見者,啓示を受ける者として全員一致で支持を受けました。大管長は顧問を選びました。以来,わたしたちが一致団結して働いてきたこと,また,それは真実やりがいのあるすばらしい経験であったことを皆さんにはっきりと申しあげたいと思います。

ベンソン大管長は現在91歳になり,かつての健康や気力は持ってはおられません。モンソン長老とわたしは,ベンソン大管長の顧問として,以前と同じように教会の御業を前進させていく義務がありますが,同時に,大管長の先を行くことがないように,また大管長の了解や完全な承認なくして,以前より定まっていた方針からわずかでも遠ざかることのないよう,十分に注意しています。」(「助言者が多ければ安全である」『聖徒の道』1991年1月号,57)

4.8

大管長会の日常的な活動の一例

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教会執務ビル

大管長会の一員のオフィスはユタ州ソルトレーク・シティーの教会執務ビルにあります。

1979年,4人の教会の大管長の顧問として奉仕したN・エルドン・タナー管長(1898-1982年)は,当時の大管長会の日常的な業務について詳しく説明しました。各大管長会によってスケジュールが異なっていたり,細かい部分が変更されている場合もありますが,タナー管長の説明から大管長会の多くの責任を良く理解することができます:

教会の管理運営に関するあらゆる事柄は,大管長会の指示の下に置かれています。そして,業務は大別して以下の3つに分けられています:

第一は,大管長会が直接管理する業務,第二は,大管長会の指示の下に十二使徒が管理する宗教上の業務,そして第三は,大管長会の割り当てにより管理ビショップリックが管理する実務上の業務です。

大管長会が直接管理する事柄を幾つか挙げてみましょう。地域大会,聖会,予算,教育,歴史,人事,神殿,監査,調整評議会,福祉活動です。……

……大管長会は,すべての手続きを完全に記録する書記とともに,毎週火,水,木,金曜日の午前8時から会合を開きます。この会で話し合うことの中には,大管長会に寄せられた手紙の検討があります。ピアスのために耳に穴をあけることから,ステーク会長会と高等評議会が下した破門の判決に対する控訴に至るありとあらゆる問題の問い合わせがあります。そのほかにも,服装や身だしなみの標準,催眠術,安息日の遵守,聖句の解釈,集団感受性訓練,結び固め,地元役員への不平不満,霊魂再来説,科学やほかの人のために体の一部を提供すること,火葬,移植手術,法律問題など果てしなく続きます。

大管長会が決定する事柄には,神殿会長会の選任,新しい神殿建設の時期と場所をはじめ,十二使徒評議会との会合や管理ビショップリックとの会合で討議する事柄などがあります。また,聖会や,全世界で開かれる地域大会の計画も含まれます。

大管長会は,火曜日の午前10時に支出承認委員会を開きます。この委員会は大管長会と4人の十二使徒および管理ビショップリックで構成され,各部の責任者からの支出請求を検討し,割り当て額を決定します。施設部から提出されるステークやワードの建物,伝道本部,訪問者センターなどの建物や土地の購入請求,維持費の検討などがその例です。管理ビショップリックは福祉事業を含む支出の請求を提出します。

水曜日の大管長会では,直接大管長会の管理下にある歴史,人事,広報などの各部門の責任者から報告を聞きます。また重要な来賓は,できるかぎり水曜日の午前に会うようにしています。……

月に一度,水曜日に大管長会は教会教育委員会と理事会を迎え,教会の大学,インスティテュート,セミナリー,そのほか教会の学校に関する事柄を話し合います。また毎月,別の水曜日に大管長会は調整評議会を開きます。この評議会は大管長会,十二使徒定員会,および管理ビショップリックにより構成され,管理上の方針や手続き,質問を検討,決定し,あらゆる責任分野が適切に調整されるようにします。この評議会に引き続いて,先に述べた福祉活動委員会を開きます。

木曜日の朝10時,神殿の一室において,大管長会はすでに午前8時から会合を開いている十二使徒評議会との会合を持ちます。この部屋は神殿が完成して以来,教会の指導者が主の導きを受けてきた所です。出席者はここで特別に霊的な気持ちを味わい,また時にはすでに世を去った偉大な指導者たちの臨席を感じることがあります。この部屋には,12人の大管長と大祝福師ハイラムの肖像画や,使徒たちを召されたガリラヤの海辺での救い主,そのほか十字架上の主や,昇天される主の絵がかけられています。わたしたちはこの評議会室で,ここに座を占めた多くの偉大な指導者たちや,主の導きによって重大な決定が下されたことに思いをはせるのです。

大管長会は木曜日の午前10時にこの部屋へ入室すると,十二使徒全員と握手を交わし,神殿衣に着替えます。そして,賛美歌を歌い,祈りをささげた後,聖壇の前で祈りの輪を作ります。これを終えると再び平服に着替えます。

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使徒を教えるイエス

イエスがペテロに「あなたはこの人たちが愛する以上に,わたしを愛するか」(ヨハネ21:15)とお尋ねになった場面は,教会のために使徒たちが払う犠牲を描写したものです。

それからわたしたちは,前回の議事を検討した後,次のような事柄について話し合います。ステーク会長から推薦のあったビショップの交代を承認します。これは前もって十二使徒会で検討済みの推薦です。……全教会のステーク,ワード,伝道部,神殿の組織変更,これには区域の境界と役員の変更が含まれます。補助組織の役員と管理運営,各部門の責任者から提起された事柄,およびステーク大会に関するわたしたちの報告,葬儀,説教などその週に行ったことの報告もあります。この会において,管理や方針に関するあらゆる変更が考慮され,承認されます。そして,承認された方針は教会の公式の方針となります。……

毎月第一木曜日に,大管長会は全教会幹部,すなわち十二使徒定員会,七十人第一定員会,管理ビショップリックと会合を開き,プログラムや手続きの変更を発表し,幹部の義務や責任について指導します。大管長は何人かの幹部に証をするよう求め,その後全員が神殿衣に着替えて聖餐を受け,全員で祈りの輪を作って祈りをささげます。祈りが終わると,大管長会と十二使徒定員会を残して全員が退出します。大管長会と十二使徒定員会は平服に着替えて,木曜日の定例の事務事項を処理します。ここで語られ,行われたことはすべて,記録担当書記が報告書に記録します。

……金曜日は午前9時に,管理ビショップリックが管理運営に関する事柄について大管長会に報告し,話し合います。」(「教会の管理」『聖徒の道』1980年3月号,63-65,強調付加)

4.9

教義的解釈は大管長会の権利および責任である

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ジョージ・アルバート・スミス大管長とその顧問たち

ジョージ・アルバート・スミス大管長(中央)と顧問のJ・ルーベン・クラーク・ジュニア(左)およびデビッド・O・マッケイ(右)

大管長会は,教会の教義的解釈に対する最終的な権能を持っています。エズラ・タフト・ベンソン大管長(1899-1994年)は次のように説明しています:

教義的解釈は,大管長会の管轄です。主は,啓示によってこの管理の職を大管長会にお与えになりました。どの教師にも,教会の会員のために教義を解釈する権利はありません。」(“The Gospel Teacher and His Message,” Charge to Religious Educators,第2版〔1982年〕,51-52,強調付加)

十二使徒定員会のL・トム・ペリー長老(1922-2015年)は,ほかの中央幹部でさえも教義的解釈については大管長会の意見を仰ぐと説明しました:

「主は,御自身の教義を純粋に保つ必要性を御存じですし,その解釈を一人の人に任せる必要性もよく御存じです。もちろん,わたしたちは,この人生においてできるかぎり勉強して,知識を得るように,と言われています。理解を深めるために,互いに話し合って意見を交換し合うようにとも言われています。しかし主は,御自身の基本的な教義を宣言する源としては,一人の人しか定めていらっしゃらないのです。わたしたち教会幹部でさえ,次のような指示を受けています。『教義および方針の解釈については,その統一を図る必要がある。そのため,聖典あるいは「教会指導総合手引き」に明確に定義されていない教義や方針に関する疑問点は,大管長会事務局に照会し,その判断を求めること。』

このようにして,対立や,困惑,意見の相違が排除されているのです。」(「予言者の声を心に留める」『聖徒の道』1995年1月号,20)。

大管長会のジェームズ・E・ファウスト管長(1920-2007年)は,このように宣言しています:

「教会の教義を宣言できるのはだれでしょうか。現在の大管長とその顧問が教会の教義を宣言する鍵を所有する,ということが啓示とこれまでの慣行によって確立しています。この権能は啓示によって付与されています。教義と聖約124章126節によれば,大管長会は『全教会のために神託を受ける……定員会を構成する』とあります。」(「豊かな命を求める」『聖徒の道』1986年1月号,9)。

4.10

大管長会が述べる事柄は聖文である

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大管長会,1970年

ジョセフ・フィールディング・スミス大管長(着席)と顧問のN・エルドン・タナー(左)およびハロルド・B・リー(右),1970年

大管長会のマリオン・G・ロムニー管長(1897-1988年)は,大管長会は,イエス・キリストが実際にここにおられれば自ら宣言されるであろう言葉を話すと教えました:

「今日主は,このわたしたちの時代の問題について,地上に住むすべての人々,そして特に教会の会員に対し,大管長会をはじめとする生ける預言者を通して御心を明かされます。大管長会として彼らが述べる事柄は,イエス・キリストが実際にここにおられれば自ら述べられるであろう事柄です。これがモルモニズムの堅固な土台なのです。末日聖徒の教会と世界の宗派教会との違いについて尋ねられた預言者ジョセフ・スミスは,『聖霊がともにおられることです』と答えましたが,これは,聖霊の力によって,御父の御心がこの教会の指導者たちの思いに明かされることを意味していました。もう一度繰り返します。大管長会として大管長会が述べる事柄は,主が実際にここにおられれば自ら述べられるであろう事柄であり,それは聖文なのです。それは,教義と聖約やそのほかの聖文にある啓示と同様に研究され,理解され,従われるべきものです。この道に従う者は,大管長会が述べる事柄を,政治的偏向や利己的な考えに感化されたものであると解釈したり,大管長会には彼らの勧告の影響を受ける人々の状況について十分な情報が与えられていないと言ったり,『主はこう言われる』という引用句で始まってないから大管長会の勧告を受け入れることはできないと言うことはないでしょう。

心からの祈りと熱心な研究によって,これらの生ける預言者たちが述べる事柄について知識を得,それを実践する……人々は,主の御霊の訪れを受け,啓示の霊によって預言者たちが御父の御心を語っていることを知るでしょう。」(Conference Report, 1945年4月,90,強調付加)

4.11

教会員は大管長会を支持すべきである

聖文は,「教会員の信頼と信仰と祈り」が大管長会を支持すると教えています(教義と聖約107:22)。わたしたちには,教会の大管長会を支持するという神聖な義務があります。

ハロルド・B・リー大管長(1899-1973年)がジョセフ・フィールディング・スミス大管長の顧問として奉仕していたとき,大管長会の顧問とすべての教会員が教会の大管長をどのように支持するかについて次のように話しました:

「わたしは,顧問としてのタナー管長とわたしの役割を考えながら,モーセの生涯における状況について考えました。当時も,今日とまったく同じように教会には数多くの敵がいました。彼らは教会の業を負かし,破壊し,止めようと脅していました。モーセが丘に座り,彼の権能の杖,もしくは神権の鍵を掲げたとき,イスラエルは敵に対して優位でしたが,時がたち,彼の手は重くなり横に下がり始めました。そこで彼らは,イスラエルの力が維持され,杖が下がらないように,モーセの手を支えました。モーセは支持され,教会の敵は最も高き神の聖徒たちに対して優位に立てませんでした。(出エジプト17:8-12参照。)

これがわたしとタナー管長が果たすべき役割だと思います。スミス大管長の手は疲れてくるかもしれません。時にはその重責のためにその手が下がりがちになるかもしれませんが,わたしたちが彼の手を支え,彼のそばでその指示のもとに導くなら,地獄の門は皆さんやイスラエルに対して優位に立つことはないでしょう。皆さんの安全とわたしたちの安全は,わたしたちが主の教会を管理するよう主に召された人に従うかどうかに懸かっています。

わたしたちは教会の大管長に目を向け,大管長の手を支えようではありませんか。タナー管長とわたしはこれからもそうしていくつもりです。」(Conference Report, 1970年10月;またはImprovement Era, 1970年12月号,126-127)

ジョージ・アルバート・スミス大管長(1870-1951年)が十二使徒定員会の一員として奉仕していたとき,わたしたちが大管長会を支持する際に負う義務について次のように説明しました:

「今日は,この総大会で皆さんとお会いすることが許され,天の御父によってわたしたちを管理するように召された人々を支持するために手を挙げることが許されたことを非常に喜んでいます。この教会の大管長にとって,何千人もの誠実な男女の顔を目の当たりにし,彼らが天の御父との聖約において手を挙げ,このすばらしい教会の大管長として召された職に対して支持するのを見ることは,力の源であることに違いないでしょう。わたしたちがそのような状況の下で手を挙げるときに引き受ける義務は,最も神聖な義務です。これは,わたしたちが異議を唱えることなく進み続け,主の預言者がこの業を導くことをいとわないという意味ではありません。わたしが手を挙げたときに引き受けた義務を理解しているならば,これは大管長がその職にある間,彼を支援し,彼のために祈り,彼の名声を擁護し,わたしたちに与えるよう主が大管長を導かれたとおりにその指示を遂行するよう努めることです。ですから,これは,わたしたちがこの聖会で大管長会を支持したときに,愛する大管長……そして彼の顧問たちに今日託された強靭な力となるのです。」(Conference Report, 1919年6月,40)

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3つの山の峰

ユタ州ウィラードにあるこれらの峰のように,大管長会は「雄々しい石のピラミッド」です。

十二使徒定員会のボイド・K・パッカー会長(1924-2015年)は,大管長会の一員を荘厳な山の峰にたとえ,教会員に大管長会を支持するよう勧めました:

「ここ〔ソルトレーク・シティ〕から北方のワサッチ山脈に3つの峰があります。詩人であればそれらの峰を,雄々しい石のピラミッドと呼ぶでしょう。地図を見ると三峰の真ん中にある最高峰は,ウィラード・ピークだということが分かります。しかし開拓者たちはこれらの三峰を「ザ・プレジデンシー(大管長会)」と呼びました。ウィラードへ行って東の方を見渡すと,かなたに「ザ・プレジデンシー」がそびえています。

大管長会を与えてくださった神に感謝します。あの三峰のように,大管長会はほかの何よりも天に近くいて,わたしたちの支持の挙手を必要としています。このような崇高な指導者の召しは時として孤独なものです。なぜなら,彼らの召しは人を喜ばすものではなく,主を喜ばせるものだからです。神がこれらの3人の偉大で善良な方々を祝福してくださいますように。」(「『みたま』は証す」『聖徒の道』1972年1月号,10参照)

4.12

教会員は大管長会の指示を仰ぐべきである

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モンソン大管長とそのほか中央幹部

総大会の終わりに壇上から去るトーマス・S・モンソン大管長と大管長会および十二使徒定員会の会員たち

預言者ジョセフ・スミス(1805-1844年)は,「大管長と管長たち,すなわち大管長会は,教会を管理します。そして教会に対する神の思いと望みについての啓示は,大管長会を通じてもたらされます。これが天の秩序であり,この神権の力と特権です」と教えました(History of the Church,第2巻,477,強調付加)。ジョセフ・スミスはまた,教会員に対して「これらの兄弟たちをよく知りなさい。大管長会に目を向け,教えを受けなさい」と諭しました(History of the Church,第3巻,391)。

教会員は,大管長会の教えをいつでもすぐに学ぶことができます。毎月の教会機関紙には,大管長会の一員からの定期的なメッセージが掲載されています。同様に,教会のそのほかの中央幹部からのメッセージも教会のウェブサイトであるLDS.orgにあります。

4.13

大管長会に従う者は決して迷わず,永遠の栄光を受け継ぐ

ジョセフ・フィールディング・スミス大管長(1876-1972年)は,大管長会の勧告に従う人に対して,次の約束をしました:

「わたしは証します。わたしたちが大管長会に目を向け,彼らの勧告と指示に従うならば,地上のいかなる力も,教会全体としてわたしたちが進む道をとどめることや変えることはできません。わたしたちは個人として,この世で平和を得,来るべき世で永遠の栄光を受け継ぐことでしょう。」(「永遠の鍵と管理する権能」『聖徒の道』1973年3月号 ,114)

十二使徒定員会のマーク・E・ピーターセン長老(1900-1984年)は,ジョセフ・フィールディング・スミス大管長によるこの宣言を引用してから,「彼の前に召されたほかの大管長たちも,わたしたちが大管長会の指導に従うならば,迷ったり,真理を捨てることは決してないと言っています」(The Salt and the Savor〔1976年〕,29)と指摘しています。

理解を深めるために

  • 大管長が一人で務めを果たすのではなく,大管長会が組織されている教会にはどのような祝福があるでしょうか。

  • 大管長会を受け入れる教義と聖約112:20参照)とはどういう意味ですか。教会員として,「信頼と信仰と祈り」(教義と聖約107:22)によって大管長会をさらに支持するためには何ができますか。

課題の提案

  • 本章の聖文と解説で学んだ大管長会の責任を挙げてください。

  • 大管長会に従う人々に約束された祝福を挙げてください。大管長会の言葉をより頻繁に研究するために役立つ計画を書いてください。

  • 『リアホナ』の最新の大会号から,大管長会の一員による説教を読んでください。大管長会が述べた事柄で,あなたの生活に特に当てはまるものに印をつけてください。

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