第6章
総大会
はじめに
主は預言者ジョセフ・スミス(1805-1844年)に次のように教えられました。「何でもそのときに行う必要のある教会の業務を」行うために,「キリストのこの教会を構成する長老たちは,……折々に集まらなければならない。」(教義と聖約20:61-62)教会が組織されてから約2か月後の1830年6月9日に最初の大会が開かれました。この最初の大会について預言者ジョセフ・スミスは次のように記録しています。「会員の数はおよそ30名,そのほかに大勢集まった人々はすでに信じていた者か,熱心な求道者たちでした。賛美歌と祈りで開会した後,皆とともに主イエス・キリストの肉と血の象徴にあずかりました。その後バプテスマを受けたばかりの会員たちの確認の儀式を執行し,数名の会員を神権の様々な職に聖任しました。多くの訓戒と教えが与えられ,聖霊がわたしたちのうえに奇跡的な有様で大いに注がれました。多くの者たちは預言し,ほかの者たちの目には天が開かれました。」(History of the Church,第1巻,84-85)
1830年の大会と同様に,現在の総大会においても変わらず「多くの訓戒と教え」が与えられ,この神聖な集会では「聖霊が大いに注がれ」ています。本章では教会の総大会の目的と,主の僕による勧告と警告を受け入れるわたしたちの役割に焦点を当てて学習します。本章を学習するにあたって,総大会に対するあなたの現在の姿勢を振り返り,教会のメッセージからより多くの個人的な教えと霊の再生を得るためには何ができるかを考えてください。
解説
6.1
総大会の目的
デビッド・O・マッケイ大管長(1873-1970年)は,総大会の目的を次のようにまとめました:
「(1)教会は経済面,宗務面,霊性面での教会の進歩または退歩など,教会の全般的な状況を教会員に知らせる。(2)優れた功績をたたえる。(3)神の導きに感謝を表す。(4)『原則において,教義において,福音の律法において』教えを与える。(5)イエス・キリストの福音のあらゆる儀式を執行する神聖な権能をもって福音の回復を宣言し,使徒パウロの言葉にあるように,『わたしたちを救いうる名は』イエス・キリスト以外には『天下のだれにも与えられていない』ことを宣言する。(使徒4:12)(6)偉大な営みに発展させるために訓戒と霊感を与える。」(Conference Report, 1954年10月,7)
6.2
総大会は霊の再生の機会である
ハワード・W・ハンター大管長(1907-1995年)は,総大会が証を強め,生活を改善する決意を固めるときであると教えました:
「総大会は再び霊を奮い立たせる時機です。神が生きておられて信仰深い人々を祝福して下さるという知識と証がより深く,また確かなものとなるからです。この季節はまた,イエスが救い主であり生ける神の御子であるという理解が,主に仕え,主に従おうと決意する人々の心に燃え上がる時でもあります。また指導者から人生に必要な霊的な指針を授かる時です。さらに,良き夫,良き妻,良き父親や母親,従順な息子や娘,良き友人や隣人になるために奮起し,新たな決意をする時でもあります。(「総大会に寄せて」『聖徒の道』1982年4月号,19;強調付加)
2006年10月の総大会の日曜午後の部会で十二使徒定員会のジェフリー・R・ホランド長老は,わたしたちが現代の苦難と危険に満ちた生活を霊的に生き抜くうえで神の声に耳を傾けることが不可欠であると説明しています:
「今わたしたちは,荒れ狂う困難な時代に生きています。世界各地では戦争を,国内では悲惨な事件を目の当たりにしています。至る所で人々は,個人的な苦悩と家族の悲哀に直面しています。大勢の人々がありとあらゆる種類の不安や問題を抱えています。このような状況からわたしたちはあることを思い起こします。リーハイの命の木に関する示現の中で,あの暗黒の霧が鉄の棒に沿って進んでいく人々を包んだとき,暗黒の霧はそこにいたすべての人々,不義な人々だけでなく義人も,年を重ねた人々とともに若人も,新会員とともに教会歴の長い人々も皆同様に,すべての人々を包みました。この象徴的な夢では,すべての人々が反対のものと苦難に直面しています。そして,鉄の棒,すなわち神から宣言された御言葉以外に彼らを安全へと導くことのできるものはありません。すべての人々がこの棒を必要としています。すべての人々がこの言葉を必要としているのです。この鉄の棒がなければ,だれ一人として安全は得られません。なぜなら,この鉄の棒がなければ,聖文に言われているように,だれもが「禁じられた道に踏み込んで姿が見えなくなって」しまうからです〔1ニーファイ8:28;23-24節も参照〕。この2日間,この大会で神の声を聞き,この鉄の棒の力を感じたわたしたちはどれほど感謝すべきでしょうか。」(「またこの地に預言者たちが」『リアホナ』2006年11月号,105;強調付加)
6.3
総大会で預言者たちが聖霊によって語る言葉は,末日の聖文となる
聖文とは,主の僕を通して明らかにされる神の思いと御心です(教義と聖約68:4参照)。使徒ペテロは「預言は決して人間の意志から出たものではなく,〔神の聖なる〕人々が聖霊に感じ,神によって語ったものだからである」(2ペテロ1:21)と宣言しています。このような聖文は,永遠の真理という貴重な宝石として,標準聖典の中に収められています。しかし,標準聖典だけが聖文であるわけではありません。十二使徒定員会のジェームズ・E・タルメージ長老(1862-1933年)は,標準聖典と生ける預言者の言葉との関係について次のように述べています:
「教会の標準聖典は,教会の教義を書き記した権威ある書物です。しかしながら,教会は神の啓示により『神の王国に関する』さらなる光と知識を授かる姿勢を絶えず持っています。かつてなかったほどに,神は思いと御心をわたしたちに進んで明らかにされると,わたしたちは信じています。それは,聖なる神権の権能によって聖任された預言者,聖見者,啓示者と呼ばれる,神が任命された僕を通して行われます。よって,わたしたちは聖典に書き記された教義と同等に生ける預言者の教えに頼っているのです。」(Articles of Faith〔1968〕,7;強調付加)
ジョセフ・フィールディング・スミス大管長(1876-1972年)は,末日の聖文について次のように教えています:
「兄弟の一人が今日会衆の前に立ち,主の霊感がその人の上にあれば,その人は主が語らせようとされることを語ります。それはこれらの記録に書かれたどの部分にも劣らず聖文となります。けれどもわたしたちはこれらの記録を標準聖典と呼んでいます。わたしたちはもちろん霊感を受けることのできる兄弟たちの導きに頼っています。
教会のために啓示を与える権利を持つ人は一時期に教会の中に一人だけです。それは大管長です。しかしこれはこの教会のほかの会員が主の言葉を語ることができないという意味ではありません。第68章の啓示に示されているとおりです〔教義と聖約68:2-6参照〕。ただこの書に記されているこれらの啓示と同じように教会に与えられる啓示は,教会の管理役員を通して与えられます。それでも総大会,ステーク大会あるいはほかの場所でほかの僕たちが,主の語らせられる言葉を語れば,その言葉もほかの神権時代の預言者の書いたものや言葉と同様,主の言葉となります。」(Doctrines of Salvation,ブルース・R・マッコンキー編〔1954〕,第1巻,186)
J・ルーベン・クラーク・ジュニア管長(1871-1961年)は,幹部の兄弟たちが聖霊の力によって語っているのかどうかを知るためには,聖霊による霊感を受けるふさわしさが必要であると説明しています:
「彼らの言葉が『聖霊に感じて』語られたものかどうかは,どのようにして知ることができるのでしょうか〔教義と聖約68:3〕。
わたしはこの質問について少し考えてみました。わたしなりの結論は,話し手が『聖霊に感じて』と言えるのは,わたしたち自身も『聖霊に感じて』いるときだけである,ということです。
したがって判断の責任は彼らからわたしたちに完全に移されたことになります。」(“When Are Church Leaders’ Words Entitled to Claim of Scripture?” Church News, 1954年7月31日付,9;強調付加;2ペテロ1:20-21も参照)
ハワード・W・ハンター大管長(1907-1995年)は,末日の聖文と総大会での説教の関係について次のように述べています:
「総大会では,預言者,聖見者,啓示者と教会のその他の中央幹部によって,霊感による勧告がたくさん与えられます。現代の預言者たちは,教会機関誌の大会号を定期的に読むことを個人学習の重要な一部とするよう勧めています。このようにして,総大会はある意味で教義と聖約の補足または続編となるのです。教会機関誌の総大会号だけでなく,大管長会はわたしたちの生活の糧となる霊感に満ちた勧告を毎月記事にしています。」The Teachings of Howard W. Hunter,クライド・J・ウィリアムス編〔1997年〕,212;強調付加;『歴代大管長の教え—ハワード・W・ハンター』108も参照)
6.4
末日の啓示の恩恵と価値
ハロルド・B・リー大管長(1899-1973年)は,啓示を受け入れ,それを心に留めることの大切さについて次のように教えています:
「わたしたちの教会の会員ではない現代の偉大な思想家たちも,教会の教えに命を吹き込もうと主による啓示の必要性を感じていました。ラルフ・ウォルド・エマーソンは次のように述べています:
『ヘブライ語の聖文やギリシャ語の聖文にも不朽の言葉が書かれており,無数の人々に命のパンとしての役割を果たしてきました。しかしその言葉は包括的な整合性や秩序を欠いており,断片的なものです。……聖書も最後の偉大な人が生まれるまで終わりとすることはできません。……あたかも神が死んでしまわれたかのように,人は啓示を遠い昔のものとして語ります。その信心への侮辱は,牧師たちの言葉を封じ,最良の教会の教えでさえも不確かで不明瞭なものにしてしまいます。現在ほど新たな啓示が必要な時代はありません。』〔この引用には,1838年7月15日にハーバード大学神学部大学院で行われたスピーチとRepresentative Men, “Uses of Great Men”から抜粋した言葉が含まれています。〕
……わたしたちの時代には,主から力と権能を授けられた者たちがいるのです。主が定められた目的のためにこれらの事柄を教え宣べ伝えるよう主はこの者たちに霊感を与えられます。……それら教会の長老たちが時折受ける霊感と啓示によって,重要な事柄が勧告として与えられます。末日聖徒たちがこの総大会から家路に就くときに,この総大会の意義について深く考え,そこで聞いたお話をこれからの6か月間,言葉と行いの指針とするよう願っています。それらはすべて,主が今日のわたしたちに必要なこととして示された大切な事柄です。」(Conference Report, 1946年4月,67-68)
トーマス・S・モンソン大管長は,教会機関誌に掲載された総大会のお話を研究するよう勧めています:
「この大会で聞いたメッセージは,『エンサイン』(Ensign)および『リアホナ』……に掲載されます。それを読んで研究するとき,さらに教えと霊感を受けることでしょう。その中に見いだされる真理を日々の生活に取り入れることができますように。」(「閉会に当たり」『リアホナ』2009年11月号,109;強調付加)
七十人のローウェル・M・スノー長老は,総大会をリアホナにたとえています。リアホナは,リーハイとその家族を導くために主が与えられたものです(1ニーファイ16:10,16,29参照):
「主はリーハイにされたと同じように,今も,個人や家族に導きを与え,方角を示しておられます。この総大会はまさに現代のリアホナとして,霊感された導きと指示を受ける時と場所であり,わたしたちが栄え,神の道をたどって現世の豊かな場所を旅するのを助けてくれます。預言者や使徒たちの勧告を聞くために集まっていることを考えてみてください。何を言うように主が望んでおられるのかを知るために預言者や使徒たちは熱烈に祈り,入念に準備をしました。わたしたちは,慰め主が神の思いと御心を教えてくださるように,彼らと自分たちのために祈ってきました。主が御自分の民をお導きになるうえで,この大会以上の時と場所はありません。
この大会の教えは主の羅針盤です。リーハイがそうだったように,皆さんも玄関を出て『リアホナ』や『エンサイン』(Ensign)などの教会の出版物が郵便受けにあるのを,そのうち見つけることでしょう。そこにはこの大会の内容が書かれています。昔のリアホナと同じように,この新しい言葉も簡潔で読みやすく,皆さんと家族に主の方法と道に関する理解を与えてくれるはずです。」(「主の羅針盤」『リアホナ』2005年11月号,96-97;強調付加)
6.5
わたしたちは総大会で支持する指導者たちに耳を傾け,彼らを支えることを決意する
教会役員の支持は,末日聖徒イエス・キリスト教会で常に行われてきました。聖文は,「この教会の正式に組織された支部がある所では,その教会の賛意の表明がなければ,だれもこの教会におけるいかなる職にも聖任されることはない」と教えています(教義と聖約20:65)。1830年4月6日の教会最初の集会で,「ジョセフ〔・スミス〕は出席した人々に,自分自身とオリバー〔・カウドリ〕を教師ならびに霊的なアドバイザーとして支持してくれるかどうか尋ねました。全員が賛成の挙手をしました。」(「時満ちる時代の教会歴史」〔教会教育システム手引き〕,67;History of the Church,第1巻,77も参照)その後,主は,「すべてのことは,大いなる祈りと信仰によって,教会員の同意を得て行わなければならない」(教義と聖約26:2;強調付加)と述べられました。わたしたちには総大会で,大管長会,十二使徒定員会,七十人定員会の会員,その他の教会の中央役員を同意により支持する機会が与えられています。
ゴードン・B・ヒンクレー大管長(1910-2008年)が教会の大管長に支持されたときに,ヒンクレー大管長は,わたしたちが教会の指導者たちを支持する際にする決意について次のように説明しました:
「今朝わたしたちはこぞって聖会に出席しました。聖会とはその名が示すとおりのものです。教会員が集い,各人がふさわしい立場で,啓示の定めによって指導者として選ばれた人々に対する支持あるいは不支持の意思を表す権利を,厳粛に行使する場です。
この支持の挙手は,単に手を挙げるという形式的な行為ではありません。指導者として選ばれた人々を支え,援助するという決意の表明です。 ……
今朝の聖会における皆さんの挙手は,皆さんの兄弟であり僕であるわたしたちを,信任と信仰と祈りによって支持するという,皆さんの自発的な意思と望みの表明です。」(「人のためのみ業」『聖徒の道』1995年7月号,58;強調付加)
十二使徒定員会のデビッド・B・ヘイト長老(1906-2004年)は,わたしたちが教会の指導者たちを支持する際に神と交わす聖約について次のように話しました:
「わたしたちが教会の大管長を挙手によって支持するとき,それは大管長が神権のすべての鍵を持つ方であることを神の御前で認めることを意味するだけでなく,預言者を通して与えられる指示や勧告に従うという聖約を神と交わすことも意味します。それは厳粛な聖約です。(「聖会」『聖徒の道』1995年1月号,16-17)
教義と聖約107:22には,大管長会の会員は「教会員の信頼と信仰と祈りによって支持」されると書かれています。トーマス・S・モンソン大管長,ヘンリー・B・アイリング管長,ディーター・F・ウークトドルフ管長が大管長会として支持された日の聖会において,アイリング管長は,わたしたちの指導者を支持することにはどういう意味があるのか,次のように教えました:
「今日召された人々を支持するには,自分の生活を吟味し,必要に応じて悔い改め,主の戒めを守ることを約束し,主の僕に従わなければなりません。これらのことを行わないなら,聖霊は退き去り,すでに受けている光を失い,主のまことの教会における主の僕を支持するという,今日交わした約束を守ることはできないと,主は警告しておられます。……
特に今日は,王国でわたしたちのために働くすべての人々を信仰と祈りをもって支持すると決意するのに格好の日です。召されている人々を支持する教会員の信仰の力を,わたしは自ら知っています。この数週間,わたしは面識もなく,わたしのことを神権の鍵によって務めに召されている人としてしか知らない人々の祈りと信仰を強烈に感じてきました。トーマス・S・モンソン大管長は,彼を支持する皆さんの信仰により祝福を受けるでしょう。同様に,大管長の家族にも,皆さんの信仰と祈りのゆえに祝福が注がれるでしょう。今日皆さんから支持を受けたすべての人は,彼らの信仰と皆さんの信仰のゆえに,神から支えられるでしょう。」(「まことの生ける教会」『リアホナ』2008年5月号,21;強調付加)
次の言葉は,ジョセフ・F・スミス大管長(1838-1918年)が,主の僕として認めた人たちを支持する決意を表しています:
「わたしが伝道に召されたとき,それまで4年間自作農地を手に入れるために働いてきました。あと1年だけ働けば,権利を取得することができました。けれどもヤング大管長から,ヨーロッパへ伝道に行って伝道部を管理するように言われました。わたしは『ブリガム兄弟,わたしは行けません。もう少しで農地の権利が手に入るのです。伝道に行ったら,その権利を放棄しなければならなくなります』とは言いませんでした。わたしはブリガム兄弟にこう言いました。『分かりました。ヤング大管長。大管長がおっしゃるときに参ります。いつでも指導者の召しに従う用意ができています。』そして,わたしは行きました。農地を手に入れることはできませんでした。けれどもそのことについて不平を漏らしたことはありませんでした。この召しによって権利を失ったことで,ブリガム兄弟を非難したことはありませんでした。わたしは160エーカーの土地を確保することよりも大切な仕事に従事したと感じました。わたしは地の国々に救いのメッセージを宣言するために遣わされ,地上における神の権能によって召されたのです。立ち止まって自分のことを考えたり,ささいな自分の権利や特権について考えたりはしませんでした。わたしは召しに従って行きました。そして,神はわたしを支え,祝福してくださいました。」(『歴代大管長の教え—ジョセフ・F・スミス』210;強調付加)
6.6
総大会に備えることは,総大会から何を得るかに影響する
七十人定員会のポール・V・ジョンソン長老は,どのように総大会を自分の生活の中の優先事項にしたかを説明しています:
「母は総大会が大好きでした。いつもラジオとテレビをつけて,家中のどこにいても聞こえるくらい音量を上げていました。子供たちに話を聞いてほしいと思っていて,何を覚えているか聞くこともありました。たまに土曜日の部会の間,わたしは兄弟の一人と外でボール遊びをすることもありましたが,それでもラジオを持って行きました。後で母に質問されるかもしれないからです。ボール遊びをしつつも時々休んで,母に報告できるよう注意深く耳を傾けました。その部会全部の中で二人とも覚えていたことが同じでしたから,このごまかしが母に通用していたかどうかは疑問です。
これは総大会の話を聞く正しい方法ではありません。以来,わたしは悔い改めました。総大会をとても大切に思うようになりました。母が生ける預言者の言葉をとても大切にしていたことにも影響されたと思います。わたしが大学生のとき,アパートで独り,ある大会の話を聞いたことを覚えています。当時の大管長,ハロルド・B・リーが神のほんとうの預言者であると,聖霊が心に証してくださいました。それは伝道に出る前の出来事です。わたしは自分自身の証を得ることができたので,生ける預言者について証をするのがとても楽しくなりました。そのとき以来,預言者一人一人について同じ証を持ってきました。
伝道中は教会には衛星システムがなく,わたしが奉仕した国では総大会の放送がされていませんでした。母が大会のテープを送ってくれたので,何度も聴きました。そして預言者と使徒たちの声と言葉をとても大切に思うようになりました。……
総大会を生活の中の優先事項にすると,今決心してください。注意深く耳を傾け,与えられる教えに従うと決心してください。話を何度も聞いたり読んだりして,勧告をより理解し,従ってください。そうすれば,地獄の門が皆さんに打ち勝つことはなく,皆さんの前から闇の力は追い払われ,皆さんのために天が震うことでしょう(「総大会の祝福」『リアホナ』2005年11月号,51-52;強調付加)。
十二使徒定員会のボイド・K・パッカー会長(1924-2015年)は,総大会に向けたわたしたちの準備について強調しました:
「数日するとまた教会の総大会が始まります。主の僕がわたしたちに勧告を与えるでしょう。皆さんは主の僕が与える勧告を心から聴くことも聞き流すこともできます。皆さんが何を得るかは,指導者がメッセージをどれだけ準備したかではなく,皆さんがメッセージに対してどれだけ準備するかによるのです。」(Follow the Brethren, Brigham Young University Speeches of the Year〔1965年3月23日付〕,10;強調付加)
総大会に向けて準備をする際に次のアイデアを考慮してください:
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総大会の説教に耳を傾け,研究するための個人の時間を設けるよう計画する。これには妨げとなるものを排除する必要があるかもしれません。総大会の説教を視聴し,研究する環境を聖霊の導きを受けるのにふさわしいものとしてください。
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自分個人の生活に合った重要なメッセージを受けられるよう,信仰をもって祈る。教会の指導者たちが説教を準備し,それを伝えることができるよう祈ってください。
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総大会の説教を聞いたり,研究する前に,自分が今答えを求めている疑問や懸念のリストを作る。自分の霊的な生活を見直すことで,改善すべき事柄に気づくことがあります。総大会の間に受けた答えや印象を日記帳やノートに書き留めてください。
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総大会の説教を視聴し,研究した後に,自分の生活の中で改善すべきだと感じた事柄を改善できるよう再度決意する。
ゴードン・B・ヒンクレー大管長(1910-2008)は,総大会の始めに次のような呼びかけをしています:
「皆さんは教会の会員として,励ましや霊感,指示,霊的な高揚を求めて集まりました。……皆さんは,この世の問題や失敗について助けを得るために,また勝利を収める力を受けるために集まりました。また,自らの意志ではなく,主によってこの偉大な業の教師として召された人々から,主の御言葉を聞くためにやって来ました。
皆さんは,問題を解決し,信仰を増し加える助けとなることを聞けるように祈ってきました。……
今日と明日の2日間に話をする人々に御霊の力によって耳を傾けるようにお勧めします。そうするなら,皆さんは高められて,正しいことを行うという決意を強め,自分の問題や必要の解決法を見いだし,大会で聞いたことを主に感謝するようになるとお約束します(「聖霊の力によって聞く」『聖徒の道』1997年1月号,4-5)。
スペンサー・W・キンボール大管長(1895-1985年)は,総大会の間メッセージを聞くときに受けた印象を忘れないように書き留め,その印象を基に行動を起こすよう勧めています:
「この大会に出席して説教を聴いた指導者ならびに教会員は,霊感を受け,心の高まりを覚えたことと思います。また幹部の兄弟たちの説教を聴いて心に浮かんだ思いを数多くメモしてきたことでしょう。あなたがた指導者がその務めを完全に果たせるように,有益な提案が数々与えられました。また自分自身の生活を整えるために役立つ提案もたくさん与えられました。わたしたちがこの大会に来た第一の理由はここにあります。
わたしは自分の席に座っていながら,今夜この大会を終えて帰宅してからのことを心に思い巡らしていました。わたしの生活には,完全にする余地のある事柄が非常に多くあります。わたしは心の中でそのリストを作っていました。そして今,大会を終えたらすぐにそれを始めたいと思っています。」(「兄弟たちの説教」『聖徒の道』1976年2月号,145)
6.7
総大会は行動を起こすための呼びかけである
1856年の総大会でブリガム・ヤング大管長は,立ち往生していた手車隊の救出に向かうよう聖徒たちに呼びかけました。十二使徒定員会のジェフリー・R・ホランド長老は,このことをたとえとして用い,総大会から得られる霊の再生を受けて,わたしたちも人への奉仕に駆けつけるべきだと教えています:
「これらの大会はすべて,わたしたち自身の生活のためだけでなく,周囲の人々,すなわちわたしたち自身の家族,そして信仰を同じくする人々,またそうでない人々のために行動を起こすよう呼びかけています。……
助けを必要としている人々〔西部に向かう途中立ち往生していた手車隊〕を救出することは,1856年10月の総大会のテーマでしたが,そのときと同様に確かに,今回の総大会,前回の総大会,また来春の総大会のテーマでもあります。今大会でのわたしたちの焦点は,吹雪や,凍てつく地面に愛する人々を埋葬しなければならないことではないかもしれません。しかし,助けの必要な人々は今日もなお存在しています。貧しい人々,疲れ果てている人々,失望している人々,落胆している人々,先に述べたように『禁じられた道に踏み込んで姿が見えなくなって』〔1ニーファイ8:28〕いる人々,また『見いだす場所を知らないというだけで真理を得られずにいる』〔教義と聖約123:12〕非常に多くの人々がいるのです。彼らは皆外に投げ出されています。ひざは弱り,手は垂れ〔教義と聖約81:5〕悪天候が襲いかかろうとしています。より多くのもの,より多くの知識を持ち,より多くの助けができる人々しか彼らを救い出すことはできません。『そのような問題を抱えた人々はどこにいますか』と尋ねるには及びません。至る所にいるからです。わたしたちの右にも左にも,近隣にも,職場にもいます。世界中のすべての地域社会,すべての町,すべての国にいるのです。牛馬や荷車を集め,そこに愛と証,霊の糧を積み込んでください。それからどの方向であれ進んでください。皆さんがこの大会で学んだイエス・キリストの福音を受け入れさえすれば,主は助けを必要としている人々のもとへ皆さんを導いてくださいます。21世紀のマーティンズ・コーブとデビルズゲート(訳注—開拓者が通った難所)に匹敵する試練に追い込まれている人々のために心を開き,援助の手を差し伸べてください。そうすることによって,わたしたちは,失われた羊,失われた硬貨,失われた魂のために度々繰り返されてきた救い主の嘆願に応じることができるのです。〔ルカ15章〕参照〕」(「またこの地に預言者たちが」『リアホナ』2006年11月号,105-106;強調付加)
6.8
総大会の教えを応用することでわたしたちの生活は向上する
スペンサー・W・キンボール大管長(1895-1985年)は,総大会でわたしたちが学んだことを応用することの大切さについて次のように教えています:
「4月7日,日曜日の夜,壮大なタバナクルは閉じられました。照明は消え,録音装置が止まり,扉には鍵がかけられ,こうしてまた一つの歴史的な大会が史上に残ることになりました。もしも人々がこの大会で言われたことに注意しないならば,この大会のために費やされた時間と労力と金銭は無駄になるでしょう。2時間にわたる〔数回の〕セッションで……真理が教えられ,教義が説かれ,訓戒が与えられました。これは全世界の人々をあらゆる病から救うのに必要な教えです。実に,すべての病を癒すものです。大きな期待を寄せて大勢の人がほぼ完全と言える永遠の真理の教育を受け,それらの人々は真理を確信する見る目,聴く耳,躍る心を持って大会に臨みました。
傲慢でうぬぼれの強い偏った知識によって,そこで教えられた真理や述べられた証しを投げ捨てたり,またそこで与えられたメッセージや指示に対して議論するのをやめようではありませんか。
若人の皆さんは,〔総大会の間に〕話された普遍的なメッセージに耳を傾けてくれたことと思います。半年ごとに大会が開かれますが,〔『エンサイン』(Ensign)または『リアホナ』〕を入手して,皆さんに関連のある箇所に下線を引き,常に参照するようにしてください。教会の標準聖典を除けば,皆さんの書棚でこの機関誌ほど重要な位置を占める書物はほかにありません。それは文章のきらびやかさや表現方法の巧みさのためではありません。永遠の命へと通じる道を指し示す教えがそこに含まれているからなのです。」(In the World but Not of It, Brigham Young University Speeches of the Year〔1968年5月14日〕,2-3)
エズラ・タフト・ベンソン大管長(1899-1994年)は,わたしたちが総大会を有効に活用できる方法を次のように説明しています:
「わたしたち一人一人が,与えられた勧告と指示に従っていくことができるよう,へりくだりお祈りいたします。
御霊を感じ,新しくかつ神聖な決意を固めた今,その決意を遂行していく勇気と力を持とうではありませんか。
これからの6か月間,『聖徒の道』『聖徒の道』の今回の大会の特集号を標準聖典とともに頻繁に参照していただきたいと思います。わたしの親愛なる友人であり兄弟であるハロルド・B・リー大管長が言われたように,大会の説教は『これからの6か月間,生活や話題のうえで導きとなるものです。それらはすべて,主が今日のわたしたちに必要なこととして示された大切な事柄です。』(Conference Report, 1946年4月,68)
今回の大会において見事に打ち出された神聖な教会の使命に対して,新たな献身の気持ちを持って,お帰りいただきたいと思います。その使命とは,すなわち『キリストのもとに来るようにすべての人を招〔く〕』(教義と聖約20:59)ことであり,『キリストのもとに来て,キリストによって完全に』なる(モロナイ10:32)ことです。」(「キリストのみもとに来てキリストによって全くなれ」『聖徒の道』1988年6月号,89)
ゴードン・B・ヒンクレー大管長(1910-2008年)は,総大会で与えられる教えを自分の生活に当てはめることで,教会員一人一人がより善い人となれるよう望んでいます:
「わたしたちが聞いた数々の説教を落ち着いた気持ちでよく思い巡らすことができますように。わたしたちが聞いたすばらしい事柄に静かに思いをはせ,謙遜さと悔いる心を少しでも増し加えられますように。
わたしたちは皆,啓発されました。続いて,これらの受けた教えを実践できるかどうかという試しが来るでしょう。今後わたしたちが,もっと親切で,友好的で,救い主に近づき,主の教えと模範に従う決意をさらに堅固なものとするならば,この大会は,すばらしい成功を収めたことになるでしょう。一方,もしわたしたちの生活に何の改善も見られなかったとしたら,話をした人々は,失敗したことになります。
そのような変化は,一朝一夕に計れるものではありません。わたしたちはすぐ決心しても,すぐに忘れてしまうものです。しかし今から1年後,わたしたちが過去に比べて少しでも進歩しているなら,この両日の努力は無駄ではなかったことになるでしょう。
わたしたちは説教の内容のすべてを覚えてはいないでしょう。しかし,これらすべてのことから霊的な高揚を得られます。それは名状し難いものかもしれませんが,真実です。主がニコデモに言われたように『風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが,それがどこからきて,どこへ行くかは知らない。霊から生れる者もみな,それと同じである。』」(ヨハネ3:8)
「ここでわたしたちが味わった経験もそれと同様です。そして恐らく,ここでわたしたちか聞いたすべての説教の中から,一言でも二言でも心に残る言葉があるはずです。そのような言葉を書き留め,その意味の深さを味わい,その教えが自分の身に付くまでよく思い巡らしてくたさい。
家庭の夕べで,子供たちとこれらの事柄について話し合い,彼らが真理のすばらしさを味わえるようにしてください。すべての大会説教を掲載した……『エンサイン』(Ensign)(訳注—日本語版は『リアホナ』本号)が届いたら,『もう全部聞いたから』などと言ってどこかに投げやってしまうのではなく,様々なメッセージを読み,熟考してください。話者の話を聞いているときには聞き逃していた多くの事柄を見いだすことでしょう。……
明日の朝になれば,わたしたちはそれぞれの仕事や学業,あるいは慌ただしい日常の生活に戻ります。しかし,このすばらしいひとときの記憶が,生きる支えとなるでしょう。」(「へりくだる悔いる心」『リアホナ』2001年1月号,102;強調付加)
七十人定員会のポール・V・ジョンソン長老は,総大会のメッセージを基に行動を起こすよう説明しています:
「総大会のメッセージによって生活を変えていくためには,耳にする勧告に進んで従う必要があります。主は啓示で預言者ジョセフ・スミスにこのように説明されました。『……あなたがたは集まるとき,どのように……律法と戒めの要点を実行するかを知ることができるように,互いに教え合い,教化し合わなければならない。』〔教義と聖約43:8〕しかし『どのように実行するか』を知るだけでは十分ではありません。主は次の節でこのように言っておられます。『……あなたがたは,わたしの前に聖さを尽くして行動する義務を自ら負わなければならない。』〔教義と聖約43:9〕このように学んだことを進んで行動に移せば,すばらしい祝福への扉が開かれるのです。……
預言者や使徒の言葉に従順であれば,その度に,わたしたちは大きな祝福を受けるのです。今理解している以上の祝福を受け,最初に従順になると決心したときからずっと後になっても,引き続き祝福を受けるのです。」(「総大会の祝福」『リアホナ』2005年11月号,51-52;強調付加)
1978年4月の総大会の閉会において,スペンサー・W・キンボール大管長(1895-1985年)は次のように述べました:
「今,この総大会を閉じるにあたって,これまでに語られたことに注意を払おうではありませんか。語られた勧告が自分に与えられたものであるとみなそうではありませんか。預言者,聖見者として支持した人々と,その他の幹部の兄弟たちの言葉に従おうではありませんか。わたしたちの永遠の命はそれにかかっているからです。」(「預言者の声を聴け」『聖徒の道』1978年10月号,123;強調付加)
大管長会のマリオン・G・ロムニー管長(1897-1988年)は,総大会の期間中にどれだけ多くの真理が教えられているかを強調しました:
「もし従うならば神のみもとに戻るのに十分な真理と導きをわたしたちは聞きました。わたしたちは霊的な山の頂に連れて行かれ,大いなる栄光を見せられたのです。」(Conference Report, 1954年4月,132-133)
総大会の教えを自分の生活に当てはめようと決意するときに,次の提案を考慮してください:
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家族や友人と総大会について話し合う。学んだことを分かち合ったり,ほかの人から学んだりすることができます。
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総大会を聞いている間に,何か行動を起こすよう聖霊の促しを感じたら,それを書き留め,実行する。
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総大会の期間中に受けた勧告を実際いつ,どのように実践するかについて目標を立てる。目標を書き留めて,それを何度も見るようにしてください。
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教会の機関誌やインターネットで総大会の説教を研究する。新たな洞察を得たり,過去に感じた霊的な気持ちを新たにすることができます。(総大会のお話はLDS.orgで視聴できます。オンラインの国際機関誌で,語句やトピックでの検索もできます。)
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総大会の説教を使って家庭の夕べのレッスンを準備する。
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通勤や通学,またはそのほかの移動時間を有効活用する方法として,総大会のDVDやCDを購入し,それを度々視聴する。
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総大会の説教の一部をコピーし,それを家の中によく目に付く場所に貼り,それらの言葉を暗記するようにします。