ミニスタリングの原則
もっと自然に証を分かち合う方法
ミニスタリングとは証することです。柔軟性のあるミニスタリングにより,かしこまった方法でも,くだけた方法でも,証を分かち合う機会が増えるかもしれません。
わたしたちは「いつでも,どのようなことについても,どのような所にいても,……神の証人になる」と聖約しました(モーサヤ18:9)。自分の証を分かち合うことは,証人になることの一部であり,人の心に触れてその人の人生を変えてくださるよう聖霊を招く力強い方法です。
「証,つまりほんとうの証は,御霊から生じ,聖霊によって確認され,人の生活を変えるものです」と十二使徒定員会会長代理のM・ラッセル・バラード会長は述べています。1
しかし,中には証を述べることが怖い,または気詰まりに感じる人がいます。それは,証は断食証会で,あるいはレッスンを教えるときに分かち合うものだと決めつけているからかもしれません。そのようなかしこまった場面では,自然な会話には似つかわしくない言葉や言い回しを用いがちです。
日常の場で自分が信じていることを分かち合うことがどんなに簡単かを理解すると,証を分かち合うことで,自分たちやほかの人の生活に,もっと頻繁に祝福がもたらされるようになるかもしれません。以下に,日常の場で証を分かち合うのに役立つアイデアを幾つか紹介します。
簡潔にする
証は「証を述べたいと思います」という言葉で始める必要はありませんし,「イエス・キリストの御名によって,アーメン」で終わる必要もありません。証とは,真実だと信じ知っていることを伝えることです。ですから,道端で近所の人と,その人の抱える問題について話しているときに,「必ず神様が祈りにこたえてくださるわよ」と言うことが,教会の壇上から述べられるどんな証にも匹敵する力強い証になることがあるのです。その力は美辞麗句から来るのではありません。真理を確認してくださる聖霊から来るのです(教義と聖約100:7-8参照)。
自然な会話の流れに合わせる
進んで分かち合いたいという気持ちがあれば,日常の会話に証を織り込む機会は周りにたくさんあります。以下がその例です。
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週末はどうだったかと人に聞かれたとします。あなたは「とても良かったですよ」と答え,そして次のように付け加えます。「教会はまさにわたしの必要としていたものでした。」
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あなたが経験している試練について,だれかが同情して「お気の毒です」と言ったとします。あなたはこう答えます。「心配してくれてありがとう。神様が最後まで助けてくださると確信しています。これまでも助けてくださいましたから。」
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だれかがこう言ったとします。「このひどいお天気,早く良くなってほしいわ。」または「バス,ずいぶん遅いね。」あるいは「ひどい渋滞だね。」それに対して,こう返事をすることもできます。「きっと神様がすべてうまくいくように助けてくださいますよ。」
経験を分かち合う
わたしたちは試練について話し合うことがよくあります。だれかにその人が直面している問題を打ち明けられたら,神が試練のさなかにあった自分を助けてくださったときのことを伝え,神はその人も助けてくださる,わたしはそう確信している,と証するとよいでしょう。主は,試練の中でわたしたちを強めると言っておられます。それは「あなたがたがこの後,わたしのために証人になれるようにするため,また主なる神であるわたしが,苦難の中にいる自分の民を訪れるということを,あなたがたが確かに知ることができるようにするためである。」(モーサヤ24:14)試練の中で主がどのように助けてくださったかを証するとき,わたしたちは主の証人となることができるのです。
用意をしておく
わたしたちの中には,いきなり証を述べることが怖い,または気詰まりに感じる人がいます。前もって計画し,「〔わたしたち〕のうちにある望みについて説明を求める人には,いつでも弁明のできる用意をして〔おく〕」方法があります(1ペテロ3:15)。
第1に,用意をするためには生活を見直す必要があるかもしれません。生活に聖霊を招き,義にかなった生き方をすることで日々証を強めているでしょうか。祈りや聖文学習を通して,御霊が語りかけ必要な言葉を授けられるようにしているでしょうか。主はハイラム・スミスにこう勧告されました。「わたしの言葉を告げようとしないで,まずわたしの言葉を得るように努めなさい。そうすればその後,あなたの舌は緩められる。」(教義と聖約11:21)
第2に,用意をしておくためには先を見越し,その日またはその週に訪れるであろう証を分かち合う機会について考えてみる必要があるかもしれません。信条を分かち合うどのような好機があるか考えることで,その機会に備えておくことができます。
常に救い主とその教義に集中する
バラード会長はこう教えています。「教会の会員として様々な事柄に対して証を持つことができますが,絶えず教え合い,分かち合うべき基本的な真理が幾つかあります。」例として,バラード会長は「神がわたしたちの御父であられ,イエスがキリストであられること,救いの計画は救い主の贖いを中心としていること,ジョセフ・スミスがイエス・キリストの完全な永遠の福音を回復したこと,そしてわたしたちの証が真実であることをモルモン書が証明していること」を挙げています。これらの真理について真摯に証するとき,わたしたちは御霊を招くことができ,御霊はわたしたちの言ったことが真実であると証してくださいます。バラード会長は「キリストに対する純粋な証が述べられているときに,御霊を制止することはでき〔ない〕」と強調しています。2
救い主の模範
サマリヤ中を旅してお疲れになった救い主は井戸でひと休みしようと立ち止まり,一人の女性と出会われました。主は井戸から水をくんでほしいと言って会話を始められました。この女性が日常的に行っている作業を用い,イエスは,御自身を信じる人々に与えられる生ける水と永遠の命について証する機会とされました(ヨハネ4:13-15,25-26参照)。
簡潔な証は人生を変えることができる
ラッセル・M・ネルソン大管長はある看護師について話したことがあります。彼女は,難しい手術の後で当時のネルソン医師に次のように尋ねました。「どうしてあなたはほかの外科医と違うのですか?」彼女の知っている外科医の中には,そのようなプレッシャーの大きい手術をするときにいらいらしたり,不敬な言葉を使ったりする人々がいたからです。
ネルソン医師は様々な形で答えられたはずですが,簡潔にこう答えました。「モルモン書が真実だと知っているからです。」
その答えがきっかけとなり,看護師は夫とともにモルモン書を研究し始めました。その後,ネルソン大管長はその看護師にバプテスマを施しました。数十年後,新たに聖任された使徒として合衆国のテネシー州でステーク大会を管理したとき,ネルソン大管長は思いがけなく,この看護師とうれしい再会を果たしました。彼女は,大管長の簡潔な証とモルモン書の影響を受けて改宗したことが,さらに80人を改宗に導く助けとなったと告げたのです。3
行動を促す
証を分かち合うことを恐れないでください。あなたの証はミニスタリングを行う相手を祝福することができます。今日あなたは,このようなアイデアや自分のアイデアを使ってどのように証を分かち合いますか。