何が真実で何がそうでないか
どうすれば何がほんとうに真実か分かるのだろうと考えたことはありませんか。
最近,17歳のケイリーというすばらしい若い女性に会いました。彼女はステーク大会で心からの思いを分かち合ってくれました。彼女は,神は実在の御方であり,教会は真実であり,ラッセル・M・ネルソン大管長は神の預言者であるとはっきり述べました。また,教会やイエス・キリストの福音について一部の人々が言う否定的な事柄は間違っていると強い証を述べました。
ケイリーの強い信念と,何が真実で何がそうでないかを識別する能力に,わたしは感心しました。
しかし,集会後にケイリーと話して,彼女の識別の能力と強い信念が容易に得られたものではないと知ったとき,さらに感銘を受けました。事実,彼女は自分の信仰に対する深刻な試練に耐えたのでした。
彼女が分かち合ってくれたことを紹介しましょう。
答えを見つけるための葛藤
ケイリーはずっと教会に活発でした。しかし,福音と教会について深く考え始めるにつれ,深刻な疑問が幾つか心に浮かんできました。疑問を持つことに罪悪感を覚え,答えを探し始めました。
「わたしの問題は,間違ったところを探していたことです」とケイリーは話します。「聖文や大会説教を研究したり,両親と話したりするのではなく,わたしの疑問に対する答えを持っていると訴える記事をたくさんインターネットで見つけたのです。」
最初は,インターネットの記事が疑問に答えを与えてくれているとケイリーは思いました。しかし,「自分の疑問について続けて調べていくにつれ,読んだことがすべてさらなる疑問と疑いをもたらすようになってしまいました」と彼女は言います。
ケイリーは信仰も希望も失い始めました。「自分の証の光が弱くなり,聖文を読むこと,祈り,セミナリーへ出席することなど,教えられていたことを徐々にしなくなってしまいました」と当時を思い出します。
彼女は結局,暗闇と混乱に圧倒されるようになりました。「何が神から来たもので,何がわたしを混乱させるためにだれかがねじ曲げて作り出したまともではない考えなのか,見極めることができませんでした。何が真実で何が偽りかを識別することができなくなっていたのです。このことで,わたしはひどく苦しみました。」
ケイリーは自分の状況と,ジョセフ・スミスが次のように言ったときのことを比較しています。「とうとうわたしは,暗闇と混乱の中にとどまるか,それともヤコブが指示しているとおりに行うか,すなわち神に願い求めるか,どちらかにしなければならないという結論を出すに至った。わたしはついに『神に願い求め』ようと決意した〔ヤコブの手紙1:5〕。もし神が知恵に不足している者に知恵を与え,しかもとがめもせずに惜しみなく与えてくださるならば,思い切って願い求めてみるべきだと結論づけたのである。」(ジョセフ・スミス—歴史1:13)
信頼のおける人たちに話す
この重要なときに,ケイリーはセミナリーの教師,祖母,母親に相談しました。セミナリーの教師は,彼女の気持ちが間違ったものではなく,疑問を持つのは彼女だけではないと言ってくれました。その教師は自分の証を分かち合い,ケイリーが答えを探す助けとなるような資料を勧めてくれました。
ケイリーの祖母は説教したりはしませんでした。ただ,インターネットの情報と教会の教義の,どちらが彼女を高めてくれる情報源であるかを深く考えるようケイリーに強く促しました。ケイリーは比較を始めました。「どちらが自分を高めてくれるだろうか?どちらがわたしの霊に喜びや平安をもたらしただろうか?神の戒めに従えば,終わることのない幸福な状態で家族とともに永遠にいられると教えてくれたのはどちらだろうか?わたしを悩ませたのはどちらだろうか?」
祈りと聖文を通して神に求める
ケイリーの母親は祈るように勧めました。それで結局,ケイリーは部屋に行って心の内を神に注ぎ出しました。彼女はこう説明しています。「何も起こりませんでした。天使も降りて来ません。わたしの心は,平安と感謝で満たされもしませんでした。わたしは母のところへ戻りました。わたしたちは一緒に祈り,母はモルモン書を10分間読むように勧めてくれました。読むにつれ,心の中に,もしこれを続けて行うなら祝福されるという約束を感じました。何が神からの教えで何がそうでないかはっきりと知ることができるだろうと。」
ケイリーは毎日祈り,モルモン書を読み始めました。最初に疑いを持つきっかけとなったツイッターやウェブサイトから遠ざかり,教会について否定的なことを探すのではなく,学ぼうという目的をもってセミナリーに行くようになりました。
何が真実か識別する
2週間継続して努力した後,彼女は否定的な声が小さくなっていくのを感じました。勉強もうまくいきました。アルバイトがもっと楽しくなり,両親とさらに良い関係を持てるようになりました。彼女は以前よりも幸せだと感じました。
その幸せのおかげで,こう言っています。「わたしはついに答えを見つけました。神からのものとそうでないものを識別することができました。それはまず,神がわたしに求めておられることをしたときに,神がわたしのためにしてくださっていることを個人的に経験したからです。」
「それが,神から来ている真実かそうでないかを識別する唯一の方法です」と彼女は結論づけます。「わたしたちは,望むすべてのことについて研究し,深く考え,疑問を呈することができますが,ヤコブが示し,ジョセフ・スミスがしたように,求め,行動するまで,何が真実で何がそうでないかをほんとうに知ることはできないのです。」
ケイリーの経験から,何を学べるでしょうか。幾つかのアイデアを挙げてみましょう。
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疑問を持つことを悪いことだと考えない。
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答えを探求するとき祈ることを決してやめない。
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モルモン書を研究し,深く考える。
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何を読んだり聞いたりするか慎重に選択することで,真理からわたしたちを遠ざけ,破壊しようとするテクノロジーやメディアの騒々しい声をかき消すことができる。
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まったくの他人に助けを求めるよりも,よく知っていて,愛し尊敬している人々に相談する。
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神は最後には,御自身の方法で御自身の時にわたしたちの疑問に答えてくださる。神はわたしたちを愛しておられる。
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答えは,わたしたちが,世が勧めることでなく,天の御父の求めておられることを行うときに与えられる。
わたしはケイリーや,神がこの時に取っておかれた若い女性と男性の皆さんから霊感を受けています。皆さんの多くと同じように,彼女はラッセル・M・ネルソン大管長が思い描いている人の良い例です。「世の風潮を見極め,たとえどんなにもてはやされても浅はかなものや危険なものを確実に判別する識別の賜物を持った女性が,教会には必要です。」1
皆さんは,真理を求める者,聖約を守る者,王国を建てる者です。神の助けと,イエス・キリストの力と贖いを通して,識別の賜物を受けて何が真実であるかを知り,それに従って生活し,分かち合うことができるのです。