2020
神の慈しみと偉大さを深く考える
2020年5月


14:39

神の慈しみと偉大さを深く考える

天の御父とイエス・キリストの偉大さと,御二方が自分のためにしてくださったことを毎日思い起こすよう皆さんにお勧めします。

神の偉大さを覚え,神がわたしたち個人や家族,民のためにしてこられたことについて深く考えるようにと,預言者はいつの時代でも,特に困難な時にこそ,人々に勧めてきました。1この勧めは聖典の至るところに出てきますが,モルモン書では特に顕著です。モルモン書の目的の一つは「​イスラエル​の​家​の​残り​の​者​に,主​が​彼ら​の​先祖​の​ため​に​どの​よう​な​偉大​な​こと​を​行われた​か​を​示す​」ことだという説明がタイトルページにあり,2モルモン書の締めくくりには,モロナイのこのような訴えが載っています。「見よ,わたし​は​あなたがた​に​勧めたい。……あなたがた​は​これ​を​読む​とき​に,……主​が​人​の​子ら​に​どれ​ほど​憐れみ​を​かけて​こられた​か​を​思い起こし,それ​を​​心​の​中​で​​深く​考えて​ほしい。」3

神の慈しみについて深く考えるようにと,預言者たちが一貫して訴えていることには驚かされます。4天の御父は,神とその愛する御子の慈しみを思い起こすことをわたしたちに望んでおられますが,それは御二方の満足のためではなく,それを思い起こすことによってわたしたちに影響があるからなのです。御二方の慈しみを思うと,視野が開け,理解の幅が広がります。御二方の憐れみについて思い巡らすと,わたしたちはより謙遜になり,よく祈るようになり,確固とした者となることができます。

わたしは,以前受け持った患者との心に焼きついている経験があります。それは寛大さと憐れみに対する感謝がいかに人を変えるかを示すものでした。1987年,わたしは心臓移植を必要とする,トーマス・ニールセンというすばらしい人と知り合いました。彼は63歳で,アメリカ合衆国ユタ州ローガンに住んでいました。第二次世界大戦に従軍した後,ドナ・ウィルクスとユタ州ローガン神殿で結婚しています。レンガ職人になって精力的に働き,成功を収めていました。後年は特に,学校の長期休暇の間,初孫のジョナサンと一緒に働くことに喜びを感じていました。二人は特別なきずなを深めていきました。それは一つには,トム〔訳注—トーマスの愛称〕がジョナサンの中に自分との共通点をたくさん見つけていたからです。

トムは,心臓の提供者がなかなか見つからないのをもどかしく感じていました。彼は特に忍耐強い方ではなく,これまでは常に目標を設定して,努力と断固たる決意でそれを成し遂げることができていたのです。心臓病で苦しみ,人生が停滞してしまっていたトムは,事態の進展のためにどんなことをしているのかと時々わたしに聞いてきました。心臓の提供者を早く見つけるためにわたしにできることを,冗談交じりに提言したりしていたのです。

そんなある日,理想的な心臓が見つかりました。それは朗報であると同時に悲報でもありました。大きさも血液型も適合しており,提供者はわずか16歳という若さです。その心臓は,トムの愛する孫,ジョナサンのだったのです。その日,車を運転していたジョナサンは,通過する電車と衝突して致命傷を負ったのでした。

わたしがトムとドナに病院で会ったとき,二人とも打ちひしがれていました。どんな思いをしていたのか想像できるでしょうか。トムは孫の心臓を使うことによって生きながらえることができるのです。悲しむ親である娘と義理の息子から,ジョナサンの心臓を提供したいという申し出を受けたとき,最初トムとドナは,そのことを考えようともしませんでした。しかし,ジョナサンが脳死状態にあることを知り,ジョナサンが事故に遭ったのは心臓の提供者を求めてトムが祈ったせいではないことが理解できるようになってきました。そうではなく,ジョナサンの心臓は,必要なときにトムを祝福するために届いた贈り物だったのです。二人はこの悲劇から何か良いことが起こるかもしれないと考えて,移植することにしました。

移植手術は成功しました。それ以来,トムは別人になりました。その変化は,健康になったとか,感謝の念が深まったとかという以上のものでした。トムは毎朝ジョナサンのことを考え,娘と義理の息子のことを思い,受け取った贈り物とそれに対する責任について考えていると,わたしに言いました。わたしが見たところ,トムは持ち前の笑いのセンスと根性が健在なだけでなく,貫録が出て思いやりが深く,情に厚くなっていました。

トムは移植手術の後13年生きました。手術なしでは生きられなかった年月です。追悼文には,この年月にトムは家族その他の人生に寛容と愛で影響を与えることができたとありました。私財を寄付し,楽天主義と固い決意の模範となっていました。

トムと同じように,だれもが自分の力では得られない賜物を頂いています。それは,イエス・キリストの犠牲による贖罪を含む,天の御父とその愛する御子からの賜物です。5わたしたちはこの世で命を受け,次の世で再び肉体を得て,その選択をするなら永遠の救いと昇栄を受けます。これはすべて,天の御父とイエス・キリストのおかげなのです。

この賜物を用い,その恩恵にあずかる度に,またはその賜物について考えるときにすら,それをくださった御方の犠牲と寛大さと憐れみについて深く考えなければなりません。その御方に対する畏敬の念を抱くと,感謝の気持ちが湧き上がるだけではありません。御二方からの賜物を思うと人は変わることができますし,変わるはずです。

驚くべき変化を遂げた一つの例は,息子アルマです。アルマが「神に背いて歩き回ってい〔る〕」と,6天使が現れ,「雷のような声」をとどろかせて,7教会を迫害したり「民の心を奪っ〔たりし〕て」8はならないと叱責しました。天使はさらにこう訓戒します。「あなたの先祖が……囚われの状態にあったことを思い出しなさい。また,神があなたの先祖のために,どれほど大いなることを行われたかを思い起こしなさい。」9考えうるあらゆる勧告の中で天使が強調したのが,これでした。

アルマは悔い改め,思い起こしました。後にアルマは,天使のこの訓戒を息子ヒラマンに伝えて,こう勧告しています。「あなたはわたしと同じように,わたしたちの先祖が囚われの身にあったことを思い起こしてもらいたい。わたしたちの先祖は奴隷の状態にあり,アブラハム……,イサク……,ヤコブの神のほかにはだれも彼らを救い出せなかった。そして神は,確かに苦難の中にいる彼らを救い出された。」10アルマは「わたしは神を信頼している」11と簡潔に言いました。束縛から解放され,「あらゆる試練と災難」12の中で支えられたことを思い起こすことによって神を知り,神の約束が必ず果たされることを知るようになることを,アルマは理解していたのです。

アルマほど劇的な経験をする人はほとんどいませんが,同じように心の底から変わることはできます。救い主は昔,次のように固く約束されました。

「わたしは新しい心をあなたがたに与え,新しい霊をあなたがたの内に授け,……石の心を除いて,肉の心を与える。

わたしはまたわが霊をあなたがたのうちに置いて,……

あなたがたは……わが民となり,わたしはあなたがたの神となる。」13

復活した救い主は,この変化がどのようにして始まるかをニーファイの民に告げられました。天の御父の計画に不可欠な要素を指摘されたのです。

「父は,わたしが十字架に上げられるようにと,わたしを遣わされた。十字架に上げられた後で,わたしはすべての人をわたしのもとに引き寄せた。……

このために,わたしは上げられたのである。それで,父の力によってすべての人をわたしのもとに引き寄せ〔る〕。」14

皆さんが救い主のもとに引き寄せられるためには,何が必要ですか。イエス・キリストが御父の御心に従い,死に打ち勝ち,皆さんの罪と過ちを負い,皆さんのために取りなしをする力を御父から受け,究極的に皆さんを贖ってくださったことについて,深く考えてください。15皆さんがみもとに引き寄せられるために,これでは不十分ですか。わたしにとっては十分です。イエス・キリストは「両腕を広げて立ち,喜んで〔皆さんとわたしを〕癒し,赦し,汚れを取り,強め,清め,聖くし〔て〕」くださいます。16

これらの真理はわたしたちに新しい心を与え,天の御父とイエス・キリストに従おうという気持ちを起こさせてくれるはずです。しかし,新しい心ですら「さまよいやすく,……愛してくださる神を離れがち」になることがあります。17この性向に打ち勝つために,わたしたちは受けてきた賜物とそれに対する責任について日々思い巡らす必要があります。ベニヤミン王は言いました。「神​の​偉大さ​と​……​あなたがた​に​対する​神​の​​慈しみ​と​寛容,これら​を​覚えて,いつも​記憶​に​とどめて​おく​よう​に​して​ほしい。」18そうするときに,天からの驚くべき祝福を受ける資格を得るのです。

神の慈しみと憐れみについて思い巡らすと,御霊を受けやすくなります。そして,御霊を受けやすくなると,聖霊の力によってすべてのことの真理を知ることができるようになります。19これには,モルモン書が真実だという証と,イエスがキリストであって自分の救い主であり贖い主であるという知識,主の福音がこの末日に回復されたことを受け入れることが含まれます。20

天の御父とイエス・キリストの偉大さと,御二方が自分のためにしてくださったことを覚えるならば,それを当然と思うことはなくなります。トムがジョナサンの心臓を当然のものと考えなかったのと同じです。トムは毎日,自分の寿命を延ばすことにつながった悲劇を,喜びと敬虔な思いで思い起こしていました。わたしたちは,救いと昇栄が得られる可能性があることを喜ぶ一方で,その救いと昇栄が大きな代価の下に与えられることを覚えておく必要があります。21天の御父が与えることのおできになる最も大いなる賜物は,イエス・キリストなくしてはあり得なかったことを認識するとき,わたしたちは敬虔な思いの中で喜びを感じられるのです。22実際に,この敬虔さがあれば「この世において永遠の命」の約束を享受し,いずれ次の世で「永遠の命,すなわち不死不滅の栄光」を受けることができるようになります。23

天の御父とイエス・キリストの慈しみと偉大さについて深く考えると,御二方への信頼は深くなります。神が自分の父であり,自分が神の子であることが分かるので,祈りも変わってきます。主の御心を変えようとするのではなく,自分の思いを主の御心に沿わせ,求める者に主が与えようとしておられる祝福を受けるようになるのです。24へりくだり,汚れをなくして,確固としたキリストのような者になることを切望するようになります。25そのように変わっていくと,天からの祝福をさらに受けるのにふさわしい者になります。

すべての良いことがキリストから来ることを認めるならば,わたしたちは自分の持つ信仰をもっとうまく人に伝えられるようになります。26不可能に見える作業や状況に直面しても,勇気が湧いてきます。27救い主に従うという聖約を守る決意が固くなります。28神の愛に満ち,困っている人を裁くことなく助けたいと思うようになり,自分の子供を愛して義の内に育て,罪の赦しを保ち,常に喜ぶようになります。29以上が,神の慈しみと憐れみを覚えておくことから得られるすばらしい祝福です。

反対に,救い主はこう警告されました。「すべてのことの中に神の手を認めない者……のほかに,人はどのようなことについても神を怒らせることはない,すなわち,ほかのどのような人に向かっても神の激しい怒りは燃えない。」30わたしたちが神を忘れても神を侮辱したことにはならないと,わたしは思います。むしろ,神は深く失望されるでしょう。神とその慈しみを覚えるならば神に近づくことができるのに,その機会をわたしたちが自ら失っていることを,神は御存じなのです。神を忘れるならば,神が近づいてくださることも,神が約束しておられる具体的な祝福を頂くこともなくなります。31

天の御父とイエス・キリストの偉大さと,御二方が自分のためにしてくださったことを毎日思い起こすよう皆さんにお勧めします。御二方の慈しみを考えることで,揺らぎやすい心を御二方に固くつなぎ留めてください。32御二方の哀れみ深い心を思うならば,皆さんは祝福されてさらに御霊を受けやすくなり,さらにキリストのような者になるでしょう。御二方の憐れみを深く考えるならば,皆さんは「最後まで」,すなわち「天に迎えられ」て「決して終わりのない幸福な状態で神とともに住〔む〕」ときまで,「忠実であり続ける」33ことができるでしょう。

天の御父は,御自分の愛する子を指して,「彼に聞きなさい」34と言われました。この言葉に従って行動し,主の声に耳を傾けるならば,皆さんが自分では回復できないことを主は喜んで回復し,皆さんが自分では癒せない傷を主は喜んで癒し,修復不能なものを喜んで修復し,35皆さんが受けたどんな不公平な扱いをも正し36,粉々に打ち砕かれた心をも喜んで永遠に癒してくださいます。37このことを,喜びと敬虔な思いをもって覚えておいてください

わたしは天の御父とイエス・キリストから頂いた賜物について深く思い巡らして,この御二方の無限の愛と,天の御父のすべての子供たちに対する計り知れない憐れみを知るようになりました。38これを知って,わたしは変わりました。皆さんも変わります。イエス・キリストの御名により,アーメン。