「7月1-7日:『わたしはあなたがたをわたし……に使われる者と〔する〕』アルマ17-22章」『わたしに従ってきなさい—家庭と教会用:モルモン書 2024年』
「7月1-7日アルマ17-22章」『わたしに従ってきなさい—家庭と教会用:2024年』
7月1-7日:「わたしはあなたがたをわたし……に使われる者と〔する〕」
アルマ17-22章
福音を分かち合わないことについて人々が挙げそうな理由を考えてください。「わたしは十分に知らない。」「彼らが興味を持つか分からない。」「もし拒否されたらどうしよう。」時折あなたも自分が似たようなことを考えていることに気づくことがあるかもしれません。ニーファイ人には,もう一つレーマン人に福音を分かち合わない理由がありました:「〔レーマン人〕は,野蛮でかたくなで残忍な民……で〔した〕。その民は,ニーファイ人を殺〔す〕ことを喜びとしていた〔のです〕。」(アルマ17:14。アルマ26:23-25も参照)しかし,モーサヤの息子たちには,レーマン人に福音を伝えなければならないと感じるさらに強い理由がありました。「モーサヤの息子たちは,救いがすべての造られたものに告げ知らされることを願〔いまし〕た。彼らは,だれであろうと人が滅びるのに耐えられなかったからで〔す〕。」(モーサヤ28:3)アンモンと兄弟たちの霊を鼓舞したこの愛は,あなたのことも促して家族や友人や知り合いに福音を分かち合うよう鼓舞してくれます。受け入れそうにないと思われる人々に対してもです。
家庭と教会で学ぶためのアイデア
簡単な,一貫したキリストへの献身的な行いは,主の力を受ける助けとなる
イエス・キリストについての証と主への献身を強く保つ方法について,アルマ17:1-4から何を学べるでしょうか。モーサヤの息子たちは何をし,主はどのように彼らを祝福されましたか。
アルマ17-22章にあるモーサヤの息子たちの経験について読みながら,彼らの霊的な備えがレーマン人の中での奉仕にどのような影響を及ぼしたかに注目してください(例えば,アルマ18:10-18,34-36;20:2-5;22:12-16参照)。彼らの模範に従うために何をするよう促しを感じますか。
わたしは神の手に使われる者となることができる
わたしたちが聖文で読む改心の話はしばしば劇的なものですが,たいていその中心には,勇気を出して声を上げ,イエス・キリストを信じる信仰を分かち合った人々がいます。今週,エービシとモーサヤの息子たちについて読みながら,このことについて考えてください。
神の手に使われる者となるとはどういう意味だと思いますか。日々の生活の中で使う器具や道具について考えると助けになるかもしれません。アルマ17:6-12から,神の手に使われる者となることができるようにモーサヤの息子たちが行ったことを探してください。どうすれば,人々がキリストのもとに来るのを助けるための,より効果的な道具となることができるでしょうか。
アルマ19:16-36で,エービシのどのような点に感銘を受けますか。ほかの人々がキリストを信じる信仰を築くのを助けることについて,エービシから何を学べるでしょうか。例えば,どのようなことが,あなたの愛する人たちが「神の力を信じる」(アルマ19:17)助けになると思いますか。
エービシの経験を,ディーター・F・ウークトドルフ長老が「伝道活動—心の中にあることを伝える」(『リアホナ』2019年5月号,15-18)で教えている原則と比較するのもよいでしょう。エービシはどのようにウークトドルフ長老の「5つの簡単な提案」の実例を示しているでしょうか。あなたがイエス・キリストについて言うことのできる事柄を幾つか書き出してみましょう。例えば次のように書くことができるでしょう。「わたしにとって,イエス・キリストは……です。」「救い主は,わたしが……できるよう助けてくださいました。」
「福音トピックス」「ミニスタリング」の項,福音ライブラリー,「天父は灯台のごとく」『賛美歌』200番も参照してください。
人々に愛を示すとき,わたしたちは彼らがイエス・キリストの福音を受け入れるのを助けることができる
アルマ17-19章から,レーマン人に対するアンモンの愛が,イエス・キリストの福音を分かち合う際にどのようにアンモンを奮い立たせたかを示す節を見つけてください。福音を分かち合うことについて,アンモンの模範からほかにどのような真理を学ぶことができますか。
「アンモン,ラモーナイ王に仕え,教える」(ビデオ),福音ライブラリーも参照してください。
主はわたしが悔い改めるのを助けてくださる
ラモーナイとその民の改心について語った後,モルモンはイエス・キリストについて述べた言葉でこの話を要約しました。主の性質について,アルマ19:36はどのようなことを教えていますか。アルマ19:16-36の話は,主についてほかにどのようなことを教えているでしょうか。あなたはこれまでどのようなときに主の腕があなたに伸べられているのを感じましたか。
神を知ることには,いかなる犠牲をも払う価値がある
ラモーナイの父親が自分の命を救うために進んで諦めようとしたもの(アルマ20:23参照)と,後に福音の喜びを受けるため,そして神を知るために進んで諦めようとしたもの(アルマ22:15,18参照)とを比較してください。神をさらによく知るために,あなたは何を進んで犠牲にしようと思うか深く考えてください。
子供を教えるためのアイデア
聖文を読み,祈り,断食するとき,わたしのイエス・キリストについての証は強まる
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モーサヤの息子たちの模範は,子供たちがイエス・キリストについての証を築くうえでどのように助けとなるでしょうか。アルマ17:2-3から,モーサヤの息子たちが霊的な強さを育むために行ったことを子供たちが見つけるよう助けるとよいでしょう。その後,その絵を描くか,それを表す物を見つけてもらうとよいでしょう。救い主についての証を強めるために何をするか,子供たちが計画できるよう助けます。
わたしはイエス・キリストの福音を分かち合うことができる
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モーサヤの息子たちのように神の手に使われる者となることについて学ぶために,子供たちと一緒に一つの器具か道具を見て,それが何のために使われるかについて話し合うとよいでしょう。その後,アルマ17:11を読み,天の御父に使われる者として人々がイエス・キリストについて学ぶのを助けるとはどういう意味か話し合うとよいでしょう。
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今週の活動ページには,アンモンがラモーナイ王に教えた真理を表す絵が載っています。子供たちがアルマ18:24-40からこれらの真理を見つけられるよう助けます。子供たちに,宣教師になったつもりで,これらの真理について知っていることを分かち合ってもらいます。
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エービシについて子供たちと一緒に読んだ後(アルマ19:16-20,28-29参照),子供たちにエービシになってもらい,走っているかのようにその場で足踏みをし,ドアをたたき,アルマ19:1-17で起こったことについて話してもらうとよいでしょう。わたしたちはどのようにして,エービシのようにイエス・キリストとその福音について知っていることを分かち合えるでしょうか。子供たちに,自分がだれかと福音を分かち合っている絵を描いてもらうか,「われらは天の王に」(『賛美歌』157番)など,福音を分かち合うことについての歌を一緒に歌うとよいでしょう。
わたしは人々に愛を示すことによって,彼らがキリストのもとに来るよう助けることができる
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最初は,ラモーナイ王もその父親も福音に対してかたくなな心を持っていました。その後,彼らの心は和らぎ,イエス・キリストを信じるようになりました。どうしてそのようなことが起こったのでしょうか。アンモンの経験を子供たちと振り返りながら,子供たちがこの質問に対する答えを見つけられるよう助けます。「だい23しょう:いだいなしもべアンモン」や「だい24しょう:アンモン,ラモーナイ王の父に会う」(『モルモン書ものがたり』64-68,69-70)を演じてもらうとよいでしょう。または,子供たちにそれぞれ話の中の異なる部分の絵を描いてもらい,それを使って物語を話してもらうのもよいかもしれません。アンモンはラモーナイとその父親がイエス・キリストの福音に心を開くよう助けるために何をしましたか(アルマ17:21-25;20:8-27;22:1-3参照)。
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子供たちと一緒に,イエス・キリストについて知る必要のある人を思い浮かべるとよいかもしれません。アンモンがラモーナイとその父親に対して行ったように,良い模範となり,その人に愛を示す方法を,子供たちが考えられるよう助けます。