障害
指導者のための支援


「指導者のための支援」『障害と奉仕:指導者』

「指導者のための支援」『障害と奉仕:指導者』

指導者のための支援

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Man in wheelchair greeting others at church

障害

人々の必要に応じたミニスタリングをすることで,人々が喜びや充足感を味わえるよう助けることができます。また,「人は皆,天の両親から愛されている霊の息子,娘で〔あり,〕したがって,人は皆,神の属性と神聖な行く末とを受け継いでい〔る〕」ということを人々が理解できるよう助けることもできます(「家族—世界への宣言」)。わたしたちは皆,比類ない賜物を与えられており,周りの人々を祝福し,人々に仕えるために,それらの賜物を役立てることができます。イエス・キリストの教会で,わたしたちは皆が必要とされています。

天の両親の御心にかなった神聖な行く末に到達するために,わたしたちは皆,イエス・キリストの福音を学び,福音に従って生活する機会を必要としています。機能障害の有無にかかわらず,神のすべての子供たちが,聖約を交わし,地上に神の王国を築く手助けをする機会を得るに値します。

障害があり,人生の困難に直面している会員と接するときは,祈りながら次の真理について考えてください。

  • 神のすべての子供たちの精神と霊は,成長することができる。

  • 神の子供たち一人一人が,人類家族を,また教会を豊かにし,その価値を高める。

  • 神聖な聖約は,参加したいと望み,参加が可能なすべての人の人生を祝福するためのものである。

  • 違いや障害のある人も含めて,教会のすべての会員には,ミニスタリングを行い,教え,指導する有意義な機会があるべきである。

  • 障害は,本人への罰でも,また親への罰でもない(ヨハネ9:1-3参照)。

だれもが何かしら貢献できるものを持っています。イエス・キリストの模範に倣い,助けを必要としている人を見つけて助けることは,わたしたちにとって祝福であり,また責任でもあります。

ほかの人々が一員になれるよう助ける。

1コリント12:25-27に,キリストのからだについて次のように書かれています。

「それは,からだの中に分裂がなく,それぞれの肢体が互にいたわり合うためなのである。

もし一つの肢体が悩めば,ほかの肢体もみな共に悩み,一つの肢体が尊ばれると,ほかの肢体もみな共に喜ぶ。

あなたがたはキリストのからだであり,ひとりびとりはその肢体である。」

わたしたちはすべての会員がそろってはじめて完全になります。目は手と同じ方法で貢献することはできず,足は耳と同じ方法で貢献することはできません。個々の会員が教会にもたらす強みを正しく認識できるようになるとき,わたしたちはさらに向上します。互いに気遣い合うことによって,わたしたちはよりいっそうキリストのようになります。

ほかの人々が自分は愛されていて,自分のワードやステークにおいてキリストのからだの一部であると感じられるよう助けるために,どのようなことができるでしょうか。3ニーファイ22:13に,「あなたの子孫は皆,主によって教えを受け〔る〕」と記されています。この聖句は,「あなたの子孫は,主によって教えを受け〔る〕」とすることもできたでしょう。神が「皆」という言葉を入れることをお選びになったのは示唆的です。すべての神の子供たちが,イエス・キリストの福音を学び,福音に従って生活する機会を得るに値するということを,わたしたちは認識する必要があります。すべての人が,イエス・キリストの教会に貢献できる何かを持っているのです。

心から,愛をもって尋ねる。

皆にとって身体的,知的,情緒的,霊的な面で安心できる場所を作るために最善の努力をするとき,人々がよりいっそう福音に従って生活できるよう助けることができます。しばしばその方法となるのが,一人一人に働きかけて,「わたしが知っておいた方がよいことがありますか」,「あなたやあなたのお子さんが教会で良い経験ができるよう,わたしたちにどのようなことができるでしょうか」などと尋ねることです。個人的に手を差し伸べて招き,誠実に,愛をもって尋ねることが,人々が自分はこの信仰の一員であるともっと感じられるよう助けるための最初のステップとなることがよくあります。

良い模範になる。

人は特定の状況にどう対応するべきか判断する際に,親や教会指導者に倣うことがよくあります。ほかの人が倣えるような模範となるために,どのように愛や忍耐や慈愛を示すことができるでしょうか。

わたしたちは互いに異なっているところもありますが,むしろ似ているところの方がはるかに多いということを心に留めておいてください。教会で,わたしたちは人々が最も必要としているものを提供するというすばらしい務めを果たすことができ,それはどんな訓練も必要としません。例えば,友人になることです。最もすばらしいリソースとなるは,協力して解決策を見つける人たちです。障害のある会員が自分の必要としていることを提言し,ほかの人々が愛をもって耳を傾け,支援を提供するとき,いつでもそれが最高の援助手段となるのです。

以下のトピックに関するリソースを利用できます。

2種類のドア:障がいのある人を受け入れ,ともに生きる

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