「序文」『障害と奉仕:指導者』
「序文」『障害と奉仕:指導者』
序文
救い主イエス・キリストは,人々が自分は主の教会の一員なのだと感じられるよう助け,「個人」に手を差し伸べることの最もすばらしい模範であられます。ジョセフ・B・ワースリン長老は次のように説明しています。
「イエス・キリストは……群衆に囲まれ,何千人もの人に話されましたが,常に個人に関心を寄せておられました。イエスはこうおっしゃいました。『人の子は,迷い出た者を救うためにきたのである。』(欽定訳〔英文〕マタイ18:11から和訳)『あなたがたのうちに,百匹の羊を持っている者がいたとする。その一匹がいなくなったら,九十九匹を野原に残しておいて,いなくなった一匹を見つけるまでは捜し歩かないであろうか。』(ルカ15:4)
この教えは,イエスに従うすべての人に当てはまります。わたしたちは,迷い出た者を捜し求めるよう命じられています。わたしたちは兄弟の番人でなければならないのです。救い主から与えられたこの責任を軽んじることはできません。個人に関心を寄せなければならないのです。」1
ジェフリー・R・ホランド長老は次のように教えています。「わたしたち教会員は皆その旅を続けています。一人一人,年齢や経験が異なるだけでなく,話す言語や文化,福音の理解の度合いも様々です。けれども,あなたがどのような環境に置かれているかにかかわりなく,わたしたちはあなたを歓迎します。使徒パウロが述べたように,『そこであなたがたは,……聖徒たちと同じ国籍の者であり,神の家族なのである。』(エペソ2:19)ですから,わたしたちは助け合い,力を合わせていく必要があるのです。」2