「第2課 クラス準備資料:最初の示現」『回復の礎 クラス準備資料』
「第2課 クラス準備資料」『回復の礎 クラス準備資料』
第2課 クラス準備資料
最初の示現
ジョセフ・F・スミス大管長は,ジョセフ・スミスの最初の示現について,「神の御子が……復活して……以来,…最も大いなる出来事」と語っています(『歴代大管長の教え—ジョセフ・F・スミス』14)最初の示現を研究するとき,この神聖な出来事の重要性,そしてそれがあなたの人生や世界に与えた影響について考えてください。
セクション 1
ジョセフ・スミスの最初の示現から,どのような真実を学ぶことができるか
ジョセフ・スミスの最初の示現について,七十人会長会のリチャード・J・メインズ長老は次のように教えています。
この神聖で畏敬の念を起こさせる経験から学べる事柄を分析することは,すばらしい,心を啓発される経験です。…天の御父と御子イエス・キリストの永遠の特質,サタンの実在,善と悪の闘い,偉大な救いの計画に関するそのほかの重要な側面について数々の真理を学ぶことができます。…
ジョセフ・スミスの最初の示現は,何世紀もの間隠されてきた多くの真理を明らかにする鍵です。最初の示現から学んだ多くの貴重な真理を忘れたり,軽視したりすることがないようにしましょう。(リチャード・J・メインズ「最初の示現—真理を知る鍵」『リアホナ』2017年6月号,30-31)
ジョセフ・スミスは宗教が大きく混乱した時代に育ちました。彼が住んでいた地域の様々なキリスト教会は改宗者を巡って争い,教義や宗教的慣行について,激しく対立しあっていました。現在標準聖典に「ジョセフ・スミス—歴史」として含まれている,1838年に記録された以下の最初の示現の記録を学習し,あなたが得た洞察を書き留め,個人的に深い意味を感じた福音の真理に印を付けてください。
セクション 2
ジョセフ・スミスの最初の示現に関して複数の記録があることにより,この神聖な出来事に対して,どのようなさらなるすばらしい洞察を得ることができるか
「ジョセフ・スミス—歴史」にある,最初の示現に関する1838年の記録は,多くの反対者がいた中,「真相を知ろうとするすべての人に,……その事実を起こったとおりに知らせるため」に口述されました(ジョセフ・スミス—歴史1:1)。これは最初の示現に関する卓越した記録であり,教会においてジョセフ・スミスの公式の歴史の一部として記録されたものです。1880年に「高価な真珠」の他の部分とともに正典とされ,当時の教会の標準聖典に加えられました。
1838年の記録に加え,預言者ジョセフ・スミスは彼の経験に関する他の3つの記録を記述,または口述によって残しました。ジョセフ・スミスと同時代の人々が,最初の示現について聞いたことを書いた記録も5つ存在します。
強調点や細かな点で自然と相違が生じるものの,最初の示現の様々な記録の話の筋は一貫性があります。歴史家は,人がある経験について長年にわたって様々な所でそれぞれ異なる聴衆に,何度も話を繰り返すうちに,同じ経験であっても強調点が異なり,詳細も異なってくることを想定しています。確かに,最初の示現についての様々な記録間の違いと似たような違いが,ダマスコへの途中でパウロが受けた示現や,変貌の山での使徒たちの経験に関する複数の聖文の記録にも存在します。しかしそうした違いがあっても,すべての最初の示現の記録において基本的な一貫性があります。話を繰り返すことにおける違いは,架空の話である証拠だと誤って主張する人もいます。それとは対照的に,あまりよく記録されていなかったときに比べ,豊かな歴史記録により,わたしたちはこの特筆すべき出来事についてさらに学ぶことができます。(福音のテーマ「最初の示現の記録」の項,topics.ChurchofJesusChrist.org)
ジョセフ・スミス自身による最初の示現に関するさらなる記録から以下の抜粋を読み,印象に残った詳細や真理に印をつけてみましょう。また,疑問点も書き留めておき,クラスに持っていくとよいでしょう。
注:各記録の全文(英語)は,“Joseph Smith’s Accounts of the First Vision(「ジョセフ・スミスの最初の示現の記録」)”(英語)josephsmithpapers.orgで見ることができます。
1832年の記録
これは,ジョセフ・スミスの手紙の冒頭に書かれており,唯一,彼自身の手書き部分を含む記録です。一部はジョセフの筆記者によって書かれています。
12歳のころ,自分の不滅の魂の安らぎはどこにあるのだろうかということに〔わたしは〕深い関心を持った。…
…わたしの心はひどく沈んでいった。自分に罪があることを自覚したからだ。…わたしは自分自身や世の中の罪を嘆かわしく思った。…
それゆえ,わたしは主に慈悲を願い求めた。行って恵みが得られる御方はほかにだれ一人いなかったからである。そして主は荒れ野に響くわたしの嘆願を聞かれた。そうして主を呼び求めた15歳のとき,真昼の太陽の輝きにも勝る光の柱が降りて来て,わたしの上にとどまった。わたしは神の御霊に満たされた。そして主はわたしの上に天を開かれ,わたしは主を見た。
主はこう語られた。「わたしの息子ジョセフよ,あなたの罪は赦された。あなたの道を行き,わたしの定めに歩み,わたしの戒めを守りなさい。見よ,わたしは栄光の主である。わたしの名を信じるすべての者が永遠の命を得られるように,わたしは世の人々のために十字架につけられた。見よ,今や世界は罪の中にあり,だれも善を行う者はいない。彼らは福音から離れ,わたしの戒めを守らない。彼らは唇をもってわたしに近づくが,その心はわたしから遠く離れている。わたしの怒りは地の民の上に燃え立ち,彼らの邪悪さに応じて,また預言者や使徒たちの口を通して述べられたことを来たらせるために,降りかかろうとしている。見よ,見よ,わたしについて書かれてあるとおり,雲の中に,御父の栄光をまとって,わたしはすぐに来る。」
わたしの心は愛で満たされ,何日もの間,わたしは大きな喜びに包まれた。主はわたしとともにおられた。しかし,天の示現について信じようとする者はだれもいなかった。それでもなお,わたしはこれらのことについて心の中で深く考えた。
1835年の記録
これは,ジョセフが最初の示現について,彼の家を訪れた人に説明したときの記録です。筆記者によってジョセフの日記に書かれました。
わたしは熱烈な祈りをもって主に嘆願した。するとわたしの頭上に火の柱が現れた。それはやがてわたしの上にとどまり,わたしは言葉につくせない喜びで満たされた。一人の御方がその光の柱のただ中に現れた。光は周囲一帯に及んだが,それに焼かれるものは何一つなかった。それからすぐにもう一人の御方が御姿を現されたが,この御方は最初の御方に似ていた。この御方はわたしに,「あなたの罪は赦された」と言われた。またその御方は,イエス・キリストが神の御子であるとわたしに証された。この示現の中でわたしは多くの天使を目にした。この初めての交わりを持ったとき,わたしはおよそ14歳だった。
1842年の記録
これは,ジョン・ウェントワースというシカゴの新聞編集者からの質問に答えるために書かれた手紙からのものです。
わたしは人目を避けて森の中に行き,主を呼び求め始めた。必死に嘆願する中,わたしの心は周囲の事物から隔てられ,わたしは天の示現に包まれて,栄光に満ちた二人の御方を見た。御二方は姿形がまったくよく似ており,真昼の太陽にも増して輝く光に包まれていた。御二方はわたしに,すべての教派は誤った教義を信じており,神が御自分の教会と王国として認めているものはないと告げられた。そしてわたしは「それらのどれをも追い求めないように」明確に命じられ,また同時に,将来いつか完全な福音がわたしに知らされるという約束を受けた。