「第9課 クラス準備資料:イエス・キリスト—わたしたちの聖なる贖い主」,『回復の礎 クラス準備資料』
「第9課 クラス準備資料」『回復の礎 クラス準備資料』
第9課 クラス準備資料
イエス・キリスト—わたしたちの聖なる贖い主
イエス・キリストを,単に従うべきお手本と考える人もいれば,古い時代の預言者と考える人,世の救い主と考える人もいます。あなたが住んでいる場所での,主についての最も一般的な信仰や考え方はどのようなものでしょうか。イエス・キリストについて,あなた自身はどのような信仰や考え方を持っていますか。イエス・キリストについて預言者ジョセフ・スミスが受けた示現,啓示,聖文を研究するとき,それらによって,聖なる贖い主としてのイエス・キリストへのあなたの信仰と証がいかに深められるかを考えてみてください。
セクション1
ジョセフ・スミスと回復は,主イエス・キリストについてのわたしの理解にとってどのように重要だろうか
ジョセフ・スミスの主との個人的な関係は,ジョセフの若者時代に始まりました。12歳のころ,ジョセフは次のように書いています。「わたしの心はひどく沈んでいきました。自分に罪があることを自覚したからです。……わたしは自分の罪と世の人々の罪を悲しく思いました。」
その後,若いジョセフは「主に憐れみを叫び求め」ました。すると主は示現の中でジョセフに語りかけられました。「わたしの息子ジョセフよ,あなたの罪は赦された。あなたの道を行き,わたしの定めに歩み,わたしの戒めを守りなさい。見よ,わたしは栄光の主である。わたしの名を信じるすべての者が永遠の命を得られるように,わたしは世の人々のために十字架につけられた。」
この最初の示現の経験を通して,ジョセフはイエス・キリストと天の御父が慈悲深く寛容であることを個人的に知ることになりました。ジョセフは主と話し,罪を赦された後,このように証しています。「わたしの全身は神の愛で満たされ,数日間その感激に浸っていました。主はわたしとともにおられました」(「最初の示現に関するジョセフ・スミスの記録」1832年夏ごろの歴史記録,josephsmithpapers.org)。
人生の中で,ジョセフが感じたような不安をもったときのことを考えてみてください。赦されたいというジョセフの望みや,主がジョセフとともにおられると知った喜びに結びつけることができるかもしれません。
ジョセフ・スミスが見た数々の救い主の示現は,ジョセフが,末日におけるイエス・キリストの力強い証人であることを示しました。1832年2月16日,ジョセフ・スミスとシドニー・リグドンは,(ジョセフ・スミス訳として知られる)聖書の霊感訳に取り組んでいるときに示現を見ました。「御父の右に御子の栄光を見」たのです。イエス・キリストについて,二人はこう証しています。「小羊は生きておられる。」(教義と聖約76:20,22-23)
預言者イエス・キリストについての新たな真理がこの示現で示されたことに注目してください。
4年後,預言者は再びカートランド神殿で救い主を見たと証し,このように述べています。「その顔は太陽の輝きに勝って光り輝いていた。また,その声,すなわちエホバの声は大水の奔流のとどろきのよう〔だった〕」(教義と聖約110:3)。
主は聖徒たちに,御霊を通じて与えられた啓示を研究するとき「あなたがたは,わたしの声を聞いたこと,そしてわたしの言葉を知っていることを証できるのである」と説かれました(教義と聖約18:36)。
イエス・キリストに対するわたしたちの理解へのジョセフ・スミスの貢献について,十二使徒定員会のD・トッド・クリストファーソン長老はこのように述べています。
「ジョセフは主と親しく交わり,モルモン書を翻訳,出版し,殉教の血によって自身の証を結び固めました。ジョセフは,聖なる贖い主であるイエスの真の特質を伝える卓越した啓示者となりました。」(D・トッド・クリストファーソン「再び生まれる」『リアホナ』2008年5月号,78)
セクション2
救い主の贖いに関する回復された真理のうち,神への信仰を強めるものはどれだろうか
注:次の聖文や預言者の教えを読む際,あなたの印象に残った救い主の贖いに関する真理に印をつけてみてください。
救い主の福音と贖いに関する分かりやすくて尊い真理の多くは,ジョセフ・スミスが訳したモルモン書を通して回復されました(1ニーファイ13:34,40参照)。
ラッセル・M・ネルソン大管長は,イエス・キリストの贖いが無限である理由について説明しています。
「主の贖いは無限で,終わりがありません〔2ニーファイ9:7,25:16,アルマ34:10,12,14参照〕。贖いは全人類が永久の死から救われることにおいても無限です。主の計り知れない苦難に関しても無限です。贖いは時においても無限であり,動物の犠牲という以前の象徴は終わりを告げました。贖罪は範囲においても無限で,ただ一度だけ行われました〔ヘブル10:10参照〕。贖罪の効力は無数の人々だけでなく,主によって造られた無数の世界にも及んでいます〔教義と聖約76:24,モーセ1:33参照〕。人間のいかなる尺度も理解も超えた無限の贖罪なのです。
イエスがそのような無限の贖いのできる唯一の御方であったのは,死すべき母と不死不滅の御父との間にお生まれになったからです。この特異な生得権のゆえに,イエスは無限の御方なのです。」(ラッセル・M・ネルソン「贖い」『リアホナ』1997年1月号,40)
アルマ7章を引用して,十二使徒定員会のデビッド・A・ベドナー長老は次のように説いています。
「わたしたちが現世で直面する肉体的な痛み,霊的な傷,苦悩や心痛,病や弱さのうち,救い主が経験なさらなかったものは一つもありません。自分の弱さに悩むとき,『この苦しみはだれにも分からない』と声を上げることがあるかもしれません。しかし,神の御子はすべてを完全に理解しておられます。わたしたち一人一人の重荷を負われたからです。そして主は無限にして永遠の犠牲をささげたので(アルマ34:14参照),わたしたちの気持ちを完全に理解し,憐れみの腕を伸べることがおできになります。主は手を差し伸べ,触れ,助け,癒し,強め〔てくださいます〕。」(デビッド・A・ベドナー「容易に重荷に耐えられるように」『リアホナ』2014年5月号,90)
ジョセフ・スミスは,理解し難い主の苦しみと魂の価値を結びつけた啓示を受けました。悔い改めを宣べ伝えるためにオリバー・カウドリとデビッド・ホイットマーを召されたあと,主は彼らに教えを説かれました。
主はさらに,マーティン・ハリスに与えられた啓示の中で,贖いの犠牲について詳しく説明されました。マーティンは,モルモン書の出版費用を支払うために自らの農場を手放す羽目になるかもしれないことに苦悩していました。啓示の中で主はマーティンに悔い改めを命じ,それから主の苦しみに関して当人の独特な記録を明らかにされました。
イエス・キリストがあなたの代わりに耐え忍んだ苦しみについて考えながら,賛美歌「主イエスの愛に」(『賛美歌』109番)を聴くか,歌詞を読んでもよいでしょう。