総大会
希望の勝利
2024年10月総大会


希望の勝利

希望は生きた賜物であり,イエス・キリストを信じる信仰が増すときに大きくなる賜物です。

世界各地の愛する兄弟姉妹の皆さん,「総大会」というこの特別な時を迎えるにあたり,天からの眼差しは確かにわたしたちに注がれています。わたしたちは主の僕たちを通して「主の御声」を聞き,「導き,指示し,慰める」聖霊の影響力を感じます。そして信仰が強められます。

3年前,ラッセル・M・ネルソン大管長は,総大会の冒頭でこう語りました。「皆さんの内に秘めた質問に対する純粋な啓示は,この大会を実りのある忘れ難いものとすることでしょう。この2日間に主があなたに聞かせたいことを聞き取れるように助けてくれる,聖霊からのミニスタリングをまだ求めていなければ,今それを求めてください。どうぞこの大会を,僕を通して主から与えられるメッセージを味わう時としてください。」

聖文は,信仰,希望,慈愛という3つの言葉を力強く一つにつないでおり,希望という賜物は,神からのかけがえのない贈り物です。

希望を表現する言葉は,そうなってほしいと思う多くのことに対して使われます。例えば,「雨が降らないでほしい」や「チームが勝ってほしい」などです。わたしがお話ししたいのは,イエス・キリストと回復された福音を中心とした神聖な永遠の希望についてと,「約束された義にかなう祝福を確信をもって待ち望む」ことについてです。

永遠の命への希望

永遠の命に対する希望は,キリストの恵みと自分自身の選択によって確実なものとなります。この希望により,わたしたちは天の家に戻って,天の御父やその愛する御子,忠実な家族,大切な友人,さらにあらゆる大陸,あらゆる時代にいた義人とともに,平安と幸福の中で永遠に生きるというすばらしい祝福にあずかります。

地上で,わたしたちは,試されながら,喜びと悲しみを経験します。イエス・キリストを信じる信仰によって勝利がもたらされ,わたしたちは罪や困難,誘惑,不公平,現世の試練に打ち勝ちます。

イエス・キリストを信じる信仰を強めると,苦難の向こうにある永遠の祝福と約束が見えるようになります。輝きを増す光のように,希望は暗い世界を明るくし,輝かしい将来が見えるようになります。

神からもたらされる希望

時の初めから,天の御父とその愛する御子は,希望という大切な賜物を義人たちに祝福として与えようとしてこられました。

アダムとエバは園を出た後,天使からイエス・キリストの約束について教えられました。希望の賜物が二人の人生を照らしました。アダムはこう述べています。「わたしの目は開かれた。わたしはこの世で喜びを受け……るであろう。」エバは「贖いの喜び(と)神がすべての従順な者に与えてくださる永遠の命」について語りました。

聖霊がアダムに希望をもたらしたように,主の御霊の力は,今日も忠実な人を照らし,永遠の命が現実のものであることを教えてくれます。

救い主は,わたしたちの伴侶であられる慰め主,聖霊を遣わし,「世が与えるようなものとは異なる」信仰,希望,そして平安を授けてくださいます。

救い主はこう言われました。「この世ではなやみがある。しかし,勇気を出しなさい〔希望の輝きを持ちなさい〕。わたしはすでに世に勝っている。」

困難な時に,わたしたちは,信仰をもって主を信頼することを選び,「わたしの思いではなく,みこころが成るようにしてください」と静かに祈ります。主に従いたいという柔和な気持ちを主が認めてくださるのを感じ,主の選ばれたタイミングで与えられると約束された平安を待ち望みます。

使徒パウロはこう教えています。「望みの神が……喜びと平安とを,あなたがたに満たし,……望みにあふれさせてくださるように。」「望みをいだいて喜び,患難に耐え……なさい。」「聖霊の力によって」。

希望についての教訓

預言者モロナイは,艱難の中でキリストに希望を持つことを身をもって知りました。自分の苦境をこう述べています。

「わたしは孤独である。……行く所もない。」

「わたしは……殺されないために,わたしのことを彼らに知られないようにしている。」

驚くべきことに,この暗く孤独な時に,モロナイは希望についての父親の言葉を記録しています。

「もし人に信仰があれば,必ず希望もあるに違いない。信仰のない希望はあり得ないからである。」

「あなたがたは何を望めばよいのであろうか。……あなたがたは,キリストの贖罪とキリストの復活の力によって永遠の命によみがえることを望まなければならない。」

兄弟姉妹の皆さん,希望は生きた賜物であり,イエス・キリストを信じる信仰が増すにつれて成長します。「信仰とは,望んでいる事がら〔の実体です〕。」祈り,神殿の聖約,戒めを守ること,聖文と現代の預言者の言葉を絶えず味わうこと,聖餐を受けること,同胞の聖徒たちとともに毎週礼拝し仕え合うことによって,わたしたちは「信仰の証明」というブロックを積み上げます。

希望の家

邪悪がその度合いを増している時代にわたしたちの希望を強めるため,主は,地上の至る所に神殿を建てるよう預言者に指示してこられました。

わたしたちは主の宮に参入するとき,希望に確証を与えてくださる神の御霊を感じます。

神殿は,墓は空であること,また幕のかなたで生活が続くことについて証しています。

永遠の伴侶を持たない人々に,儀式は,すべての義人が,約束された祝福をすべて受けることができるという,力強い確証を与えてくれます。

若い男女が聖壇をはさんでひざまずき,この世だけでなく永遠に結び固められるとき,崇高な希望があります。

また,今の状態がどうであろうと,わたしたちの子孫への約束にも,計り知れない希望があります。

主の宮で交わす神との聖約を信じ,固く守るかぎり,苦悩や病気,不公平,苦しみ,そのほかのどのようなものも,わたしたちの希望を暗くすることはありません。神殿は光の家,希望の家なのです。

希望が捨てられるとき

わたしたちは,キリストに希望を抱いていない人々の悲しみと絶望を目にするとき,悲しみの涙を流します。

わたしは最近,かつてキリストを信じていたものの,その後信仰を捨てることにしたある夫婦の様子を目にしました。彼らは社会で成功し,自分たちの知性と,信仰を拒んだことに喜びを感じていました。

すべてが順調に思われましたが,突然,まだ若くて活力にあふれていた夫が病気で亡くなりました。日食のように,彼らは御子の光を遮っていました。その結果,希望が失われたのです。信仰を持っていなかった妻は予想もしなかった事態に狼狽し,子供たちを慰めることもできませんでした。彼女の知性は,自分の人生はまったく順調だと告げていましたが,突然,明日が見えなくなったのです。彼女の絶望は,暗闇と混乱をもたらしました。

深い悲しみをもたらす悲劇における希望

彼女の耐えがたい絶望と,別の家族がとてもつらい時期にキリストに抱いた希望とを,対比してみたいと思います。

21年前,わたしの甥ベン・アンダーセンとその妻ロビーの生まれたばかりの息子が,アイダホ州の農村からソルトレーク・シティーに飛行機で救急搬送されました。わたしが病院に行くと,ベンはその子,トレイの心臓に命にかかわる深刻な合併症があることを説明してくれました。わたしたちはトレイの小さな頭に手を置きました。主は彼を祝福し,命を長らえさせてくださいました。

トレイは,生まれた週に心臓手術を受け,その後も何度か手術を受けました。歳月が過ぎ,トレイに心臓移植が必要なことが分かりました。身体的な活動は制限されましたが,トレイの信仰は深くなりました。トレイはこう書いています。「イエス・キリストを信じる信仰と救いの計画の証を持つことの大切さを前から知っていたので,自分をかわいそうだと思ったことは一度もありません。」

画像
トレイ・アンダーセン

トレイはなじみのあるネルソン大管長の次の言葉を携帯電話に保存していました。「わたしたちが感じる幸せは,生活の状況ではなく,生活の中で何に目を向けるかにかかっているのです。」

画像
トレイ・アンダーセン

トレイはこう書いています。「専任宣教師として奉仕することをいつも楽しみにしていましたが,……医師たちは,移植手術後少なくとも1年たたなければ,宣教師として奉仕させてくれません。……わたしはイエス・キリストを信じています。」

トレイは,今学期からのBYUの会計学専攻に合格したことを喜びましたが,7月下旬にもっと嬉しいことがありました。心臓移植のため病院に来るようにという待望の電話があったのです。

「1年たったら伝道に出ます」と,トレイは言いました。

手術室に入るとき,大きな期待がありました。ところが,手術中に手の施しようのない合併症が起こり,トレイの意識が戻ることはありませんでした。

母親のロビーはこう語ります。「金曜日は最も悲しい日でした。……ただ何が起こったのかを理解しようとするので精一杯でした。……わたしは気持ちの整理をつけようと,夜遅くまで起きていました。……でも土曜日に,ほんとうに大きな喜びを感じながら目が覚めたんです。平安があるとかないとかいったことを超えて,ただ息子のことが嬉しかったのです。トレイの母親として喜びを感じたのです。ベンはわたしよりずっと早く起きていて,やっと話をすることができたとき,ベンもわたしとまったく同じ気持ちで目が覚めたと言いました。」

画像
ロビーとベン・アンダーセン夫妻

ベンはこう言っています。「神が聖なる御霊によって教えてくださって,心が晴れたんだ。午前4時に目覚めたときに,言葉に表せない平安と喜びに満たされていたんだ。どうしてそんなことがあり得るだろうか。トレイの死はとてもつらく,トレイがいなくてとても寂しい。でも主は,わたしたちを慰めずにはおかれないのだね。……トレイと喜びの再会を果たすのが楽しみだ。」

希望の約束

トレイは,ネルソン大管長の総大会の説教から次の言葉を日記に書き留めていました。「子供が不治の病にかかったときや失業したとき,伴侶に裏切られたときに喜びを感じるのは,不可能なことのように思えます。しかし,それこそが,救い主の用意してくださっている喜びなのです。主の喜びは絶えず,わたしたちの『逆境と……苦難は,つかの間にすぎ』ず〔教義と聖約121:7〕,聖別されてわたしたちの益となることを確信させてくれるのです。」

兄弟姉妹,皆さんが求める平安は,皆さんが望むほど早くは訪れないかもしれません。しかし,わたしは皆さんに約束します。主を信頼するときに,主の平安は訪れます。

わたしたちが尊い信仰を育み,完全な希望の輝きを持って力強く進めますように。わたしは証します。わたしたちの希望は救い主イエス・キリストです。救い主によって,義にかなった夢はすべて実現するでしょう。主は希望の神,希望の勝者であられます。救い主は生きておられ,皆さんを愛しておられます。イエス・キリストの御名により,アーメン。

  1. ラッセル・M・ネルソン「教会のための啓示,わたしたちの人生のための啓示『リアホナ』2018年5月号,96

  2. ラッセル・M・ネルソン,「純粋な真理,純粋な教義,純粋な啓示」,『リアホナ』,2021年11月号,6-7

  3. 「聖文の中に希望が単独で出てくることはめったにないのに気づいていましたか。希望はしばしば信仰と結びつけられます。希望と信仰は一般的に慈愛と結びつけられます。なぜでしょうか。それは,希望は信仰に不可欠であり,信仰は希望に不可欠であり,信仰と希望は慈愛に不可欠だからです(1コリント13:13アルマ7:24エテル12:28教義と聖約4:5参照)。それらは,3本脚の椅子の脚のように互いに支え合っています。この3つはすべて,わたしたちの救い主に関係しています。

    信仰はイエス・キリスト〔に根ざして〕います。希望は主の贖罪の中心です。慈愛は「キリストの純粋な愛」に現れます(モロナイ7:47)。この3つの特質はケーブルのより線のように結びついており,必ずしも正確に区別できないことがあります。これらは一体となってわたしたちを日の栄えの王国に結びつけているのです。」(“Russell M. Nelson, “A More Excellent Hope” [Brigham Young University devotional, Jan. 8, 1995], 3, speeches.byu.edu)

  4. 福音のテーマ「希望」の項,福音ライブラリー

  5. 「さて,神を信じる者はだれであろうと,もっと良い世界を,まことに神の右に一つの場所を,確かに望むことができる。この望みは信仰から生じ,人々にとってその心をしっかりとした不動のものにする錨となる。」(エテル12:4)

  6. ディーター・F・ウークトドルフ長老はこう述べています。「喜びを見いだす方法について話す前に申し上げたいのは,うつを始めとする難しい精神的,情緒的な困難は現実に存在し,単に『もっと幸せになる努力をしてください』と言って解決することではないということです。今日のお話の目的は,メンタルヘルスの問題を大したものではないとしたり,軽く見たりすることではありません。皆さんがそのような困難に直面していたら,わたしは皆さんとともに悲しみ,皆さんに思いを寄せます。喜びを見いだすうえで,とても重要な治療を行うことを専門としている経験豊かな精神科医の助けを得ることが必要な人もいるかもしれません。そのような支援はありがたいものです。」(「もっと高い喜び『リアホナ』2024年5月号,66)

  7. 天の御父が宣言されたように,人の不死不滅と永遠の命をもたらすこと,これが御父の業であり,御父の栄光です(モーセ1:39参照)。

  8. モーセ5章参照

  9. モーセ5:10

  10. モーセ5:11

  11. モーセ5:9参照

  12. ヨハネ14:27

  13. ヨハネ16:33

  14. ルカ22:42参照

  15. ローマ15:13

  16. ローマ12:12

  17. ローマ15:13

  18. モルモン8:5

  19. モロナイ1:1

  20. モロナイ7:42

  21. モロナイ7:41

  22. ヘブル11:1。ジョセフ・スミス訳聖書にはこうあります。「さて,信仰とは,望んでいる事がらを確信し,まだ見ていない事実を確認することである。」わたしたちは,主と交わした聖約を守る人々に与えられる祝福の中に,信仰の確信を見ます。

  23. ラッセル・M・ネルソン「喜び—霊的に生き抜く道『リアホナ』2016年11月号,82

  24. 2024年8月12日,息子トレイ・アンダーセンの葬儀でロビー・アンダーセンが語った言葉。トレイは2024年7月31日に手術を受け,2024年8月3日にこの世を去りました。

  25. 2024年8月12日,息子トレイ・アンダーセンの葬儀でベン・アンダーセンが語った言葉。

  26. ラッセル・M・ネルソン「喜び—霊的に生き抜く道」『リアホナ』2016年11月号,82

  27. 2ニーファイ31:20参照。ニーファイが語っている希望は,キリストを中心としているため,完全で輝かしいものです。主は完全であられ,この明るい希望を与える主の贖罪もまた完全なものです。

印刷