聖文—信仰の礎
改宗するうえでも,福音に忠実であり続けるうえでも,聖文の重要性を過小評価することはできません。
妻のメアリーとわたしは先日,1冊の本の絵とメッセージがプリントされたTシャツを目にしました。そのメッセージは次のようなものでした。「本—初代携帯デバイス」。
わたしは,この興味深いメッセージと,あらゆる種類の携帯デバイスの重要性について考えました。さらに深く考えて,どのようなデバイスも,たとえ人工知能を搭載したものでさえも,神の啓示からもたらされる霊的な導きほど重要かつ意義深いものにはなり得ないことに気づきました。
携帯用であれデジタル版であれ,『聖書』と『モルモン書—イエス・キリストについてのもう一つの証』は,世の救い主イエス・キリストからの霊的な導きと教えをもたらしてくれます。わたしたちがこれらの書物を大切にするのは,古代の預言者や民に対する神の指示とわたしたち自身の個人的な生活に対する導きを文書化するという,深遠な役割を果たしているためです。
これらの聖文は,生ける預言者たちの教えと組み合わされ,今日の世界のわたしたちに教義上の指針を与えてくれます。これらの聖文は,主の導きを求める個人や家族を教え,正し,慰め,安らぎを与える際に最大の力を発揮します。
聖文は,聖なる御霊による霊感と相まって,打ち砕かれた心と悔いる霊を持ち,イエス・キリストに従いたいと願う人々の改心を促す主要な情報源であり続けています。聖文は,信仰を弱めようとする,敵対者の絶え間ない働きかけに耐えられるほどの土台を築く助けとなります。
歴史を通じて,新しい改宗者は教会を祝福し,活力源となってきました。わたしにとって,とりわけ貴重な一例があります。わたしが若いビショップだったとき,二人のすばらしい姉妹宣教師がウィリアム・エドワード・ムスマン一家を教えていました。父親は非常に有能な弁護士で,大企業の顧問弁護士でした。彼の献身的な妻ジャネットは,家族がもっとキリストのような生活を送れるよう努力するのを助けていました。
20代前半の優秀な息子さんと娘さんも教えを聞いていました。4人全員がレッスンを受け,教会に出席していたのです。姉妹宣教師たちは,モルモン書を読み,その聖文に対する証を求めて祈ることを強調していました。驚くべきことに,その家族はよく祈って短期間のうちにモルモン書を読破しました。
ステーク宣教師は,以前にワード扶助協会会長を務めた経験のある姉妹たちで,聖餐会に出席するその一家に寄り添っていました。
バプテスマを間近に控えていたころ,一家は教会を批判する大量の文書を受け取りました。これはインターネットが普及する前の話で,その文書で大きな段ボール箱がいっぱいになりました。
姉妹宣教師たちは,ビショップに召されて間もない当時34歳のわたしに,問われる質問に答える助けを求めてきました。わたしたちがムスマン家の居間に集まったとき,部屋の中央には,教会を批判するパンフレットの入った大きな箱が置かれていました。わたしは祈りの気持ちでこの任務に臨みました。開会の祈りのさなか,御霊がわたしにこうささやきました。「彼はそれが真実であることをすでに知っています。」重要なささやきでした。姉妹たちは,父親以外はすでに証を得ていると信じていたものの,父親については確信を持てずにいたのです。
わたしはすぐさま,御霊が,彼はすでに証を持っているとわたしに告げてくださったと,その父親に伝えました。「それはほんとうでしょうか。」彼はわたしをじっと見詰めて,モルモン書と教会が真実であることを御霊が確認してくださったと言いました。
そこでわたしは,すでに全員が霊的な確認を受けているのに,パンフレットを検討する必要があるのだろうかと尋ねました。
父親は,その必要はないと答えました。残りの家族も父親の答えに同意しました。
彼は,重大な質問があると言いました。教会に反対する文書をこれほど大量に受け取った理由の一つは,以前別の教会の信者であったためであると述べました。さらに,彼はその教会の新しい礼拝堂の建設のために多額の支援をすると約束していたのです。彼は,姉妹宣教師から什分の一の大切さを教わり,それを喜んで受け入れたものの,以前に交わしたその約束を守るべきか迷っていました。わたしは彼に,約束した支払いをすることは高潔かつ適切な行いであると断言しました。
そして,家族全員がバプテスマを受けました。1年後,彼らはカリフォルニア州オークランド神殿で家族として結び固められました。わたしはその場に立ち会う機会に恵まれました。息子さんは法科大学院を修了し,カリフォルニア州の司法試験に合格すると,すぐに日本で忠実に伝道の召しを果たしました。わたしは長年にわたり,その後の世代が福音に忠実であるのを見てきました。わたしは,一家のお孫さんの結び固めを司式する特権にもあずかりました。
今日起こっている改宗も,同じく注目に値するものです。昨年6月,カンザスシティ・チーフスというフットボールチームのヘッドコーチを務めるアンディ・リードコーチとわたしは,わたしたちの教会や他の教派を代表する方々とともに,ニューヨーク市のリバーサイド教会で開催された多宗教イベントでスピーチをしました。リードコーチはセカンドチャンスについて,また招きや機会に応じることについて強調しましたが,これこそイエス・キリストの福音のすべてです。翌朝,わたしたちはそれぞれの妻,タミー・リードとメアリーとともに,マンハッタン第二ワードでの聖餐会に出席しました。霊的な礼拝行事でした。会衆の中には,新しい改宗者が大勢いました。聖餐を配るアロン神権者の中には,最近バプテスマを受けた5人の会員(成人男性4人,若い男性1人)がいました。同じような新会員の流入が教会全体で起きていることを,喜びをもってご報告します。
神聖な招きにこたえ,自らの人生を変え,イエス・キリストに従う機会を受け入れる人が著しく増加していることを感謝します。彼らは聖書とモルモン書で教えられているように,信仰,悔い改め,バプテスマ,確認を通して聖約の道に入ります。
改宗するうえでも,福音に忠実であり続けるうえでも,聖文の重要性を過小評価することはできません。モルモン書に記されている古代の預言者たちは,イエス・キリストの使命を知っており,イエスの福音を説いていました。モルモン書は,その教えを学び,理解し,実践するなら,神に近づく助けとなります。預言者ジョセフ・スミスは,「人はその〔書物にある〕教えを守ることにより,ほかのどの書物にも増して神に近づくことができる」と教えました。
モルモン書が神の言葉であることを知るには,モルモン書を読み,熟考し,祈り,その教えに従って行動する必要があります。預言者モロナイは,わたしたちが誠心誠意,キリストへの信仰をもって祈るならば,神はこの書物が真実であることを明らかにしてくださると約束しました。モルモン書を学ぶことは,永続的な改心に不可欠です。
携帯デバイスとしての聖書とモルモン書の関係について考えるとき,ある人はこう問いかけたくなるかもしれません。これらを合わせて「あなたの手で一つになる」と,主が宣言されたとしたら,この二つの書物はどれほど有益かつ補完し合うものになるだろうかと。それこそ,「ユダの木」である聖書と,「ヨセフの木」であるモルモン書について主が宣言されたことです。
多くの重要な点において,モルモン書は聖書を強化してその上に築く基本的な教義を提供しています。イエス・キリストの贖罪に関する教義は,その深遠な例です。
聖書は,死と復活を含む,イエス・キリストの現世における教導の業について,正確な記録を残しています。モルモン書は,イエス・キリストの贖罪についてもっと明確に述べています。それは,主が亡くなられる前に預言者たちが詳細に説明したものです。
アルマ42章の前書きは,イエス・キリストの贖罪の教義上の重要性を反映しています。
「死すべき状態の現世は,人が悔い改めて神に仕えることを可能にする試しの時期である。堕落は全人類に肉体の死と霊の死をもたらした。贖いは悔い改めを通じて与えられる。神御自身が世の罪のために贖いをなさる。憐れみは悔い改める人々のためにある。悔い改めない者は皆,神の正義の支配を受ける。憐れみは贖罪により与えられる。心から悔い改める者だけが救われる。」
ラッセル・M・ネルソン大管長はこのように述べています。「毎日祈りの気持ちでモルモン書を研究するならば,皆さんは毎日,さらによい決断を下すようになるでしょう。」ネルソン大管長は,「毎日モルモン書をよく学び,味わうならば,……今日の悪から守られる」とも約束しています。
先ほどお伝えしたように,わたしは「初代の携帯デバイス」である本という概念に感銘を受けました。それでも,わたしは今日の世界における,インターネットのとてつもない重要性を認識しています。現代の携帯デバイスが一つあれば,これまで大きな図書館を埋め尽くしていたほどの情報を提供できます。このような時代に生きていることに感謝します。とりわけ,神聖な書物や教会の資料をデジタルで利用できることをありがたく思っています。インターネットは福音を学ぶための強力なツールです。今日,多くの人がテクノロジーを活用して友人に聖文を分かち合っています。例えば,モルモン書アプリは,友人にモルモン書を紹介するすばらしい方法であり,どこにいようと普通で自然な形で,簡単に聖文を分かち合うことができます。
インターネットは多くの祝福をもたらしますが,残念ながら,先ほど述べた教会に批判的なパンフレットのように,尊い福音の原則に対して疑念を抱かせ,信仰を損なう目的においても用いられてきました。それは,ネルソン大管長が言及した「今日の悪」の一部となる可能性があります。
敵対者およびそれに協力する者たちは,故意にせよ無意識にせよ,先ほど述べた教会に批判的な資料がぎっしりと詰まった箱に相当するものをインターネット上に生み出し,皆さんを神の真理から引き離そうとしています。
長年にわたり,疑念を抱かせるために提起されてきた論点は,驚くほど似通っています。これは,わたしが20代であった1960年代と現代とを比較すると,特によく分かります。
聖文はわたしたちに,判断力を働かせ,すべてのことにおいて賢くあるようにと教えています。インターネットは前向きな方法で用いられることもあれば,破壊的な方法で用いられることもあります。
長年集っている会員も,新たに福音を学んでいる人々も,自分が目にするものを意識する必要があります。不道徳,不正直,または不義なものをもてはやさないでください。そのようなことを行うと,アルゴリズム〔訳注—検索履歴などに基づき,より関連性や関心度が高いと判断されたものから順番に上位表示させる仕組み〕が信仰を破壊し,永遠の進歩を妨げる道へと皆さんを導く可能性があります。肯定的にも否定的にも働きかけを受けます。義を求めてください。インターネットの底なし沼に陥って悲観的な情報に浸り続けることのないようにしてください。人生を肯定的で義にかなった考えで満たし,喜び,楽しみつつも,愚かなことは避けてください。そこには違いがあります。信仰箇条第13条はすばらしい指針です。何よりも,定期的にモルモン書に浸ることです。モルモン書は皆さんの人生に御霊を引き寄せ,真理と誤りを識別する助けになるでしょう。
いかなる形でも聖約の道から外れてしまった人々に対するわたしの助言は,聖文,預言者の導き,家庭における信仰の実践,また信仰の音楽に立ち返ることです。すべての人が主にとって尊い存在です。わたしたちは,あなたを必要としています。主はあなたを必要としておられ,あなたも主を必要としているのです。あなたはいつでも歓迎されています。長年教会で奉仕する中で,わたしは,聖約の道に戻って,その後自分の愛する人や出会うすべての人々に仕え,祝福するようになったすばらしい人々を大切に思ってきました。
聖文と生ける預言者は,愛にあふれる天の御父が御自分の幸福の計画をすべての子供たちに提供する重要な方法です。
わたしは,イエス・キリストの神性と主の贖罪の事実について,それが確かであることを証します。イエス・キリストの御名により,アーメン。