総大会
キリストに従う
2024年10月総大会


キリストに従う

キリストに従う者として,わたしたちの「完全な模範」であられるイエス・キリストについて教え,証しします。争いを避けて主に従いましょう。

今年,何百万の人々が,「わたしに従って来なさい」という救い主の招きの言葉で知られる福音学習計画により,霊的に高められてきました。キリストに従うことは,形だけのことでも,たまに行うことでもありません。それは,いつでもどこでも,わたしたちの導きとなる,継続する決意であり,生き方です。主の教えと模範は,イエス・キリストのすべての弟子に歩むべき道を定めています。すべての人がこの道に招かれています。なぜなら主は,「黒人も白人も,束縛された者も自由な者も,男も女も」すべての人を,主のもとに来るように招いておられ,「すべての人が神にとって等しい存在」だからです。

I.

キリストに従う最初のステップは,主が「いちばん大切な戒め」と定義されたことに従うことです。

「『心をつくし,精神をつくし,思いをつくして,主なるあなたの神を愛せよ。』

これがいちばん大切な,第一のいましめである。

第二もこれと同様である,『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ。』

これらの二つのいましめに,律法全体と預言者とが,かかっている。」

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凧あげをする父親と息子

神の戒めは,わたしたちの生活を導き安定させる力を与えてくれます。現世における経験は,男の子と父親が風の強い日に凧あげをするようなものです。凧が高く上がるにつれて,風が子供の手にある糸を強く引っ張るようになります。凧あげが初めての子供は,凧がもっと高く飛ぶように糸を切りたい,と提案しました。賢明な父親は,「いいや,糸とつながっているから風を受けて凧が安定するんだよ」と説明しました。糸をもつ手を離せば,凧はそれ以上高く上がりません。風に流された後に,地面に落ちて壊れてしまうでしょう。

この必須の糸は,わたしたちを父なる神とその御子イエス・キリストに結び付ける聖約を表しています。神の戒めを守り,贖いの計画に従うことによってこれらの聖約を尊ぶとき,わたしたちは約束された祝福を受け,日の栄えの高みへと上っていくことができるのです。

モルモン書が頻繁に宣言しているように,「キリストは世の光」であられます。復活された主がニーファイ人に現れたとき,「わたしはあなたがたのために模範を示した」と告げて,その教えを説明されました。「あなたがたの掲げる光とは,わたしである。 すなわち,わたしが行うのをあなたがたが見た,その行いである。」主はわたしたちの模範であられます。わたしたちは,ラッセル・M・ネルソン大管長から強く勧められているように,聖文を研究し,預言者の教えに従うことによって,主の言葉や行いについて学びます。また,安息日ごとに聖餐の儀式において,「いつも御子を覚え……戒めを守ることを」聖約します。

Ⅱ.

モルモン書の中で,主は「キリストの教義」と呼ばれる基礎を与えてくださいました。それは主イエス・キリストを信じ,悔い改め,バプテスマと聖霊の賜物を受け,終わりまで堪え忍び,幼子のようになり,主を信頼し,主から求められるすべてに従うことです。

主の戒めには,キリストの教義のように永続するものと,一時的なものの二種類があります。一時的な戒めとは,一時的な状況において,主の教会や忠実な会員の必要を満たすために欠かせない戒めですが,その必要がなくなると無効になります。一時的な戒めの例として,教会初期の指導者に主が与えられた指示があります。この指示により,聖徒たちはニューヨークからオハイオ,ミズーリ,イリノイへと移住し,最終的に西部の山岳地帯へと導かれました。これらの戒めは一時的なものでしたが,有効である間は従うべきものでした。

永続する戒めの中には,一般的に守られるようになるまで,かなりの時間を要したものもあります。例えば,ロレンゾ・スノー大管長の什分の一の律法に関する有名な説教では,以前に与えられていながら,教会員がまだ一般的に守っていなかった戒めが強調されました。当時,教会と教会員が直面していた状況において,再度強調する必要があったのです。末日聖徒や教会が直面している現在の状況により,再度強調が必要とされたことの最近の例もあります。それらは,ゴードン・B・ヒンクレー大管長が一世代前に家族に関する宣言を発表したことや,ラッセル・M・ネルソン大管長が最近,この教会を「末日聖徒イエス・キリスト教会」という啓示された名前で呼ぶように呼びかけたことが挙げられます。

Ⅲ.

救い主の教えにはもう一つ,現代の状況において再び強調される必要があると思われます。

今は,公のコミュニケーションで,時には家族の中でさえも,辛辣で傷つく言葉が多く見られる時代です。公共政策の問題に関する意見の相違は,公的および個人的な関係に敵意や,憎悪さえも表す行為をもたらすことがよくあります。このような敵意に満ちた雰囲気は,公共の利益のために何らかの行動が緊急に必要だと国民の大半がみなす重要な問題に関して,時として法律を制定する能力を麻痺させることさえあるのです。

有害なコミュニケーションが広がるこの時代に,キリストに従う人は何を教え,何を行うべきでしょうか。主はどのような教えと模範を示されたでしょうか。

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ニーファイ人に教えられる救い主

イエスがニーファイ人に教えられた最初の原則の一つが,争いを避けるようにという教えだったことは重要です。主は宗教上の教義をめぐる論争という観点で教えられましたが,そこで示された分別は,政治や公共政策,家族関係におけるコミュニケーションや人間関係にも,明らかに当てはまります。イエスは次のように教えられました。

「争いの心を持つ者はわたしにつく者ではなく,争いの父である悪魔につく者である。悪魔は互いに怒って争うように人々の心をあおり立てる。

見よ,互いに怒るように人々の心をあおり立てるのは,わたしの教義ではない。このようなことをやめるようにというのが,わたしの教義である。」

イエスはニーファイ人の間でさらに宣べ伝えながら,争いを禁じることに密接に関連した他の戒めを教えられました。イエスが以前,これらのことを山上の垂訓の中で教えられたことを,わたしたちは聖書を通して知っていますが,その言葉は,後にニーファイ人に語られた言葉と同じでした。よく知られている言葉を聖書から引用しましょう。

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エルサレムで教えを説かれる救い主

「あなたがたの敵を愛し,あなたがたをのろう者を祝福し,あなたがたを憎む者に善をなし,あなたがたを不当に扱い迫害する者のために祈りなさい。」

これはキリストの最もよく知られた,最も革命的で,最も従うのが難しい戒めの一つです。しかし,それは主に従うようにすべての人を招く,最も基本的な教えの一つでもあります。デビッド・O・マッケイ大管長は,こう教えています。「同胞に対して無私の愛を示すこと以上に,神に対する愛を表す良い方法はありません。」

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調停にのぞむ対立者

わたしたちの模範であられる主のもう一つの基本的な教えを紹介します。「平和をつくり出す人は,さいわいである。彼らは神の子と呼ばれるであろう。」

平和をつくり出す人,です!キリストに従う人が,あらゆるコミュニケーションにおいて,辛辣で人を傷つける言葉を控えるなら,人間関係はどれほど変わることでしょうか。

昨年の総大会で,ラッセル・M・ネルソン大管長はわたしたちにこのようなチャレンジをしました。

「イエス・キリストに 真に従う者 を見分ける最も簡単な方法の一つは,その人がどれくらい思いやりを持って人に接しているかを見ることです。

……イエス・キリストの真の弟子は,平和をつくり出す人です。

……救い主をたたえる最善の方法のうちの一つは,平和をつくり出す人になることです。」

大管長は次の教えで締めくくっています。「争いは選択です。平和をつくり出すことも選択です。皆さんには選択の自由があり,争いを選ぶことも,和解を選ぶこともできます。どうか,今も,そしていつも,平和をつくり出す人になることを選んでください。」

潜在的に敵対関係にある人たちは,全員が同意できる共通の土台を確認することから話し合いを始めるべきです。

わたしたちの「完璧な模範」であられる御方と預言者に従うために,一般に黄金律として知られている教えを実践する必要があります。「何事でも,人からしてほしいと望むことは,人々にもそのとおりにせよ。これが律法であり預言者である。」わたしたちはすべての人に愛と善を行う必要があります。また,あらゆるコミュニケーションの場面で争いを避け,平和をつくり出す人になる必要があります。これは自分の原則や優先順位を妥協させるのでなく,他の人の原則や優先順位を厳しく攻撃するのをやめることを意味します。これは,わたしたちの完璧な模範であられる主が教導の業において行われたことです。それこそが,主がわたしたちに従うように招かれた模範なのです。

4年前の総大会で,ネルソン大管長は預言者としてわたしたちの時代に対するチャレンジを与えました。

あなたは人生の中で進んで神に勝利を得ていただこうとしていますか。あなたは人生の中で進んで神を最も重要な影響力としていますか。神の言葉や戒め,聖約の影響を日々の行いに反映させていますか。神の声を何よりも優先させますか。」

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主イエス・キリスト

キリストに従う者として,わたしたちの「完全な模範」であられるイエス・キリストについて教え,証しましょう。争いを避けて主に従いましょう。公の活動において自分の好む政策を進めるるとき,平和をつくり出す言葉と方法を用いて,主の祝福を受けるにふさわしくなりましょう。家族やその他の人間関係において,辛辣で憎しみに満ちたものを避けましょう。わたしたちの救い主のように聖なる者となるように努めましょう。わたしは救い主の聖なる御名について証し,わたしたちが聖徒となる助けとして,主の祝福があるよう心から願います。イエス・キリストの御名により,アーメン。

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