総大会
イエス・キリストに結ばれて,地の塩となる
2024年10月総大会


10:49

イエス・キリストに結ばれて,地の塩となる

主と結ばれているとき,わたしたちは生活の中で自然に主の光を映し出し,「地の塩」となることができます。

救い主は,「〔主〕の永遠の福音に召され,永遠の聖約を交わすとき,〔わたしたち〕は地の塩と……見なされる」と教えられました。塩は2つの成分が結合してできています。わたしたちは自分だけでは塩になることはできません。「地の塩」となるには,主と結ばれなければなりません。世界中の教会員と交流する中で,そのような人々を目にしています。人々に仕えようと努め,「地の塩」となっている主と結ばれた忠実な会員たちを目にしています。

皆さんの揺るぎない献身は,輝かしい模範です。皆さんの奉仕は感謝され,大切にされています。

教会の青少年は,目覚ましい勇気と献身を示してきました。彼らが家族歴史の業に熱心に取り組み,主の宮に頻繁に足を運ぶ姿は神への献身の証です。世界中で伝道するために進んでささげる彼らの時間と労力は,深く揺るぎない信仰の表れです。彼らはただ参加しているだけではなく,イエス・キリストに結ばれた弟子となる道を先導しています。光輝く,希望に満ちた彼らの奉仕は,無数の人々の人生に影響を与えています。教会の青少年の皆さん,皆さんのすばらしい奉仕に心から感謝します。皆さんは教会の未来であるだけでなく,今もすでに強い影響力を発揮しています。そして,皆さんはまさに「地の塩」です。

わたしは主イエス・キリストを愛し,主の教会で皆さんと共に奉仕できる機会を祝福だと感じています。わたしたちの一致と強さは,共に分かち合う信仰が土台であり,この旅路が決して一人ではないと確信させてくれます。これからも共に,奉仕と愛と揺るぎない信仰に根ざした神の王国を築いていくことができます。

イエス・キリストはガリラヤ湖で教えを説いたとき,しばしば聴衆にとってなじみ深い日常的な題材を使い,深遠で霊的な真理を伝えられました。そのような題材の一つが塩でした。イエスは「あなたがたは地の塩である」2と宣言されましたが,塩の様々な価値を理解していた当時の人にとって,この言葉には,示唆に富んだ深い意味がありました。

わたしの母国ポルトガルの南部に位置するアルガルヴェ地方に伝わる塩の生産方法には,ローマ帝国の時代までさかのぼる数千年の歴史があります。「マルノトス」と呼ばれる塩職人は,驚くべきことに,今でも当時とほとんど変わらない方法を用いています。この熱心な職人たちは,すべて手作業で行う伝統製法を受け継ぎ,何世紀にもわたってその遺産を守ってきました。

この古代の製法では,いわゆる「塩の花」を収穫します。塩の花を収穫する複雑な工程を十分に理解するには,環境を理解する必要があります。アルガルヴェの沿岸部にある塩分を含む湿地は,塩の生産に理想的な条件を備えています。塩田と呼ばれる浅い池に海水を引き込み,強い日差しで水分を蒸発させます。すると,塩田の表面に美しい結晶が現れます。この結晶は驚くほど純度が高く,独特のサクサクした質感があります。マルノトスたちは,特殊な道具を使って,水面から結晶を丁寧にすくい取りますが,この行程には熟練した技術と正確さを要します。ポルトガルでは,この上質な塩はミルクに浮かぶクリームをすくい取るのと同じように,そっとすくい取るので,「塩クリーム」と呼ばれています。この繊細な塩は,その純度と卓越した風味で重宝され,料理界では貴重な食材とされています。

マルノトスたちが最高品質の塩を作るために多大な労力を払うように,主の聖約の民であるわたしたちも,愛と模範において,可能なかぎり純粋に救い主イエス・キリストを映し出すことができるように,いつも最善を尽くさなければなりません。

古代の世では,塩は単なる調味料ではなく,重要な保存料であり,純粋さと聖約の象徴でもありました。人々は,食物の保存と風味を高めるために塩が不可欠であることを知っていました。また,塩に不純物が混じり,濃度が下がると,塩味や風味が失われるという深刻な影響も理解していました。

塩がその性質を失うことがあるように,わたしたちもイエス・キリストを信じる信仰を軽視すると,霊的な活力を失うことになります。外見は同じように見えても,内面の信仰が強くなければ,世界を変えていく能力や,周りの人々の長所を引き出す能力を失うことになります。

では,今日の世界が必要としている変化をもたらし,違いを生み出すために,どのように力を注ぐことができるでしょうか。どうすれば弟子としての立場を保ち,よい影響を与え続けることができるでしょうか。

わたしたちの敬愛する預言者の言葉が,今もわたしの心に響いています。「神は,協力して助け合うように求めておられます。だからこそ,わたしたちを地上の家族に送り,ワードやステークを組織されました。互いに奉仕し,仕え合うように,また世あって,世ものとならないように,求めておられるのです。

生活が目的と奉仕で満たされていれば,わたしたちは霊的なことに対して無気力になることを避けることができます。また,生活から神聖な目的や有意義な奉仕,熟考と反省のための神聖な機会が奪われると,わたしたちは徐々に自分自身の言動や利己心によって息が詰まり,自らの価値を損なう危険性があります。これに対する解決策は,奉仕に携わり続けること,つまり熱心に善いことに携わり,自分自身と,自分の住む社会を向上させることです。

愛する兄弟姉妹の皆さん,今日,イエス・キリストの教会に属し,主の教会で奉仕する機会があることは,なんと祝福されていることでしょう。置かれている状況は様々かもしれませんが,皆が違いを生み出すことができます。

塩職人であるマルノトスたちを思い出してください。彼らはシンプルな道具を使って,最高の結晶,最高の塩を収穫しています。わたしたちもシンプルなことを行い,小さな意味ある行動に一貫して取り組むことで,弟子としての自覚とイエス・キリストへの献身を深めることができます。わたしたちが「地の塩」になるための,シンプルで意義深い方法が4つあります。

  1. 主の宮を献身の中心に据える。神殿がこれまで以上に身近になった今,主の宮での定期的な礼拝を優先することは,最も大切なことに集中し,キリストを中心とした生活を保つのに役立つでしょう。神殿には,イエス・キリストを信じる信仰の真髄と,主に対する献身の精神があります。

  2. 福音と共に生きることで,ほかの人を強める努力を意識的に行う。わたしたちは,福音の原則を生活や家庭に取り入れるために行う,一貫して意識的な努力を通じて,家族を強めることができます。

  3. 進んで召しを受け入れ,教会で奉仕する。地元の教会で奉仕することで,わたしたちは互いに支え合い,共に成長することができます。奉仕は必ずしも都合の良いものではありませんが,常にやりがいがあります。

  4. 最終的に,目的を持ってデジタル通信ツールを活用する。今日,デジタル通信ツールにより,かつてないほど人とつながることができます。皆さんと同じように,わたしもこれらのツールを使って教会の兄弟姉妹や家族,友人たちと連絡を取り合っています。互いにつながっていると,相手を身近に感じ,物理的にその場にいられなくても,必要に応じて互いに仕えることができます。このようなツールは間違いなく祝福ですが,同じツールでも,有意義な交流から引き離され,最終的には,目的のない活動に時間を浪費する習慣に引きずり込まれることがあります。「地の塩」となる努力には,6インチ(15cm)の画面を無限にスクロールする以上のことが含まれます。

主の宮を生活の中心に据え,福音を実践して意識的にほかの人を強め,奉仕の召しを受け入れ,目的を持ってデジタルツールを活用するとき,わたしたちは霊的な活力を維持することができます。最も純粋な塩に質を高める力と保存する力があるように,イエス・キリストを信じる信仰も,キリストのような奉仕と愛への献身を通して養われ,守られるときに,力を得るのです。

主と結ばれているとき,わたしたちは生活の中で自然に主の光を映し出し,「地の塩」となることができます。このような努力によって,わたしたちは自分自身の生活を豊かにするだけでなく,家族や地域社会を強めることができます。わたしたちが主との結びつきを保ち,自分の価値を決して失わず,主がわたしたちになるように望んでおられる小さな塩の結晶となることができるように祈ります。イエス・キリストの御名により,アーメン。