総大会
イエス・キリストの教義は簡潔です
2024年10月総大会


16:6

イエス・キリストの教義は簡潔です

わたしは,天の御父の子供たちにイエス・キリストの簡潔な教義を教えるという神聖な業について証します。

わたしたちには皆,愛する家族がいます。その家族を,神のすべての子供たちをみじめにしようとする破壊者サタンは,絶え間なく誘惑し,試しています。わたしたちの多くは,眠れない夜を過ごしてきました。わたしたちは,危険にさらされている人々を,あらゆる善の力で包み込もうと務めてきました。彼らのために心から祈ってきました。彼らを愛してきました。最善の模範を示す努力をしてきました。

昔の賢明な預言者アルマも,同じような試練に直面しました。彼が導き愛した民は,しばしば残忍な敵の攻撃にさらされ,邪悪な世の中にあっても義なる子供を育てようと努めていました。アルマは,勝利への唯一の希望は,わたしたちが時に過小評価し,あまり使おうとしない力にあるのを感じました。彼は神の助けを懇願したのです。

アルマは,神の助けを得るには,自分が率いる人々だけでなく,敵対する人々にも,悔い改めが必要であることを知っていました。そのため,別の戦い方を選びました。

モルモン書にこう書かれています。「ところで,御言葉を説き教えることは民に正しいことを行わせるのに大きな効果があり,まことにそれは,剣やそのほか,これまで民に起こったどのようなことよりも民の心に力強い影響を及ぼしたので,アルマはこの度も神の言葉の力を使うのが望ましいと思った。」

神の言葉とは,イエス・キリストと主の預言者たちによって教えられる教義です。アルマは教義の言葉には偉大な力があることを知っていました。

教義と聖約第18章の中で,主は御自身の教義の基を明らかにされました。

「見よ,わたしはどこにいる人でもすべての人に悔い改めるように命じる。……

見よ,主なるあなたがたの贖い主は,肉体において死を受けた。それによって,すべての人が悔い改めて自分のもとに来ることができるように,主はすべての人の苦を引き受けた。

そして,悔い改めを条件として,すべての人を自分のもとに導くことができるように,主は再び死者の中からよみがえったのである。」

「また,あなたがたは伏して,わたしの名によって父を礼拝しなければならない。

……あなたがたは悔い改めて,イエス・キリストの御名によってバプテスマを受けなければならない。」

「与えられると信じて,信仰をもって,わたしの名によって父に求めなさい。そうすれば,……聖霊を受けるであろう。」

「さて,あなたがたはこれを受けた後,すべてのことについてわたしの戒めを守らなければならない。」

「キリストの名を受け,まじめに真理を語りなさい。

悔い改めて,イエス・キリストであるわたしの名によってバプテスマを受け,最後まで堪え忍ぶ者は皆,救われるであろう。」

これらの聖句で,救い主は御自身の教義を教える方法の完全な模範を示しておられます。その教義とは,主イエス・キリストを信じる信仰,悔い改め,バプテスマ,聖霊の賜物を受けること,そして最後まで堪え忍ぶことで,神のすべての子供たちに祝福がもたらされるというものです。

わたしたちが愛する人々にこれらの原則を教えるとき,聖霊は真理を知ることができるように助けてくださいます。わたしたちには聖霊の促しが必要なので,真の教義を教えるという範疇を超えた憶測や個人的な解釈を避けなければなりません。

影響を及ぼしたい相手が愛している相手だと,それは難しいかもしれません。教えた教義が無視されてしまうかもしれません。そうすると,何か新しいことや驚くようなことを話したいという誘惑に駆られます。しかし,真の教義を教えるという範疇を超えないように注意深くあるときにのみ,聖霊は真理の御霊を明らかにしてくださいます。偽りの教義に近づかない最も確実な方法の一つは,簡潔に教えることです。簡潔さで安全は確保され,失われるものはほとんどありません。

簡潔に教えれば,将来直面するであろう,欺く者の誘惑の影響が及ぶ前に,子供たちに救いの教義が伝わります。その後も,学ぶべき真理が,ソーシャルメディアや友人,自身の迷いによる心の動揺でかき消されることもありません。わたしたちは,あらゆる機会をとらえて,子供たちにイエス・キリストの教えを伝えるべきです。このように教える機会は貴重であり,反対勢力の容赦ない攻撃に比べると,その機会ははるかに少ないのです。子供の生活に教義を植え付けようとする間にも,救いの真理を非難したり,ないがしろにするメッセージやイメージにさらされる時間は,無限です。

皆さんの中には,楽しい活動で子供と親しくなった方が良いのではないか,あるいは子供が親の教えに押しつぶされはしないかと,疑問に思う人がいるかもしれません。 むしろ,こう考えるべきです。「時間や機会がほとんどない中で,信仰の試練に耐える強さを得るには,教義をどのような言葉で子供に伝えることができるだろうか。」 今日皆さんが伝える言葉は,子供たちの記憶に残る言葉になるかもしれません。しかし,今日という日はすぐに過ぎ去ってしまいます。

わたしは,イエス・キリストの教義を伝えようとした曽祖母メアリー・ボメリの信仰をいつも称賛します。彼女が24歳のとき,家族はスイスで宣教師から教えを聞きました。

メアリーは,バプテスマを受けた後,アメリカの聖徒たちと暮らしたいと思い,スイスからベルリンへ行き,ある女性のもとで,家庭の衣服に使う布を織る仕事に就きました。メアリーは使用人の部屋に住み込み,はた織り機を居間に設置しました。

当時ベルリンでは,末日聖徒イエス・キリスト教会の教義を教えることは違法でした。しかし,メアリーは,自分が学んだことを分かち合うのをやめませんでした。女主人とその友人たちは,メアリーの教えを聞くためにはた織り機の周りに集まりました。彼女は,天の御父とイエス・キリストがジョセフ・スミスに御姿を現されたことや天使の訪れ,モルモン書について話しました。アルマの話を思い出しながら,復活の教義について教えました。日の栄えの王国で家族が再び一つになれることを証しました。

回復された福音の教義を伝えようとするメアリーの熱意は,すぐに問題を引き起こしました。間もなく,警官がメアリーを留置所に連行します。その道すがら,メアリーは警官に,翌朝出廷する裁判官の名前を尋ねました。裁判官の家族について,また彼が良い父親であり夫であるかどうかも尋ねました。警官は,裁判官が世俗的な人だと答えました。

メアリーは留置所で鉛筆と紙を求め,一晩かけて裁判官に手紙を書き,モルモン書に記されているイエス・キリストの復活について証し,霊界について述べ,悔い改めについて説きました。そして,裁判官には最終的な判決を下す前に人生を振り返る時間を取るよう提案しました。裁判官には悔い改めるべきことがたくさんあり,それが家族を深く悲しませ,彼自身にも大きな悲しみをもたらすことを知っている,と書きました。翌朝,手紙を書き終えると,それを裁判官に渡してくれるよう警官に頼み,承諾してもらいました。

その後,警官は裁判官から事務所に呼ばれました。メアリーが書いた手紙は,彼女が回復された福音の教義を教えることで,違法行為を行っているということの動かぬ証拠でした。しかし,間もなく警官がメアリーの独房に戻って来て,告訴がすべて取り下げられ,釈放される,と告げました。彼女は回復されたイエス・キリストの福音の教義を教えたために投獄され,裁判官に悔い改めの教義を明言したことで,釈放されたのです。

メアリー・ボメリの教えは,釈放だけで終わりませんでした。彼女の言葉の記録は,まだ生まれていない世代にまで真の教義を伝えたのです。改宗したばかりの人でもイエス・キリストの教義を教えることができるという彼女の信念により,メアリーの子孫も自らの戦いにあって強められるのです。

愛する人々にイエス・キリストの教義を教えるために最善を尽くしても,反応が返ってこないこともあるかもしれません。心に,疑念が湧いてくるかもしれません。効果的に教えられるほど,救い主の教義を十分に知っているかどうか疑問に思うかもしれません。教える努力をしたのに,なぜ目に見える結果が得られないのか疑問に思うかもしれません。そのような疑いに負けないでください。神に助けを求めてください。

「また,……あらゆる助けを神に叫び求めなさい。……あなたの心の愛情をとこしえに主に向けるようにしなさい。」

「さて,わたしはあなたがたが謙遜であり,従順で素直であり,容易に勧告に従い,忍耐と寛容に富み,すべてのことについて自制し,いつも熱心に神の戒めを守るように,また霊的にも物質的にも,必要としているものは何でも求め,与えられるものについては何であろうといつも神に感謝するように願っている。」

皆さんが祈り,神に語りかけ,愛する人のために助けを嘆願し,神の助けに感謝するだけでなく,望むすべてのものがすぐに,あるいはこの先も与えられないことから得られる忍耐と優しさにも感謝するならば,皆さんはさらに神に近づくことができると,わたしは約束します。皆さんは勤勉で忍耐強い人になるでしょう。そして,愛する人々や祈った人々が,道をそらせようとするサタンの企てを乗り越えられるよう,自分にできることをすべて行ったとわかることでしょう。

「しかし主を待ち望む者は新たなる力を得,わしのように翼をはって,のぼることができる。走っても疲れることなく,歩いても弱ることはない。」

皆さんは,家族に関する聖文の記録に希望を見いだすことができます。息子アルマやモーサヤの息子たち,エノスなど,教えられたことに背を向けた人や,赦しを求めて神に取りすがった人たちの記録です。彼らは危機に直面したとき,親の言葉やイエス・キリストの教義の言葉を思い出しました。思い出すことで彼らは救われました。みなさんが教えた神聖な教義は,相手の記憶に残るでしょう。

わたしは,天の御父の子供たちにイエス・キリストの簡潔な教義を教えるという神聖な業について証します。それによって,わたしたちは霊的に清められ,最終的には神の御前に迎えられ,家族で永遠に神と御子とともに栄光のうちに暮らせるようになります。イエス・キリストの御名により,アーメン。