ジョセフ・スミス——弱さを強くされる
2013年2月10日にアメリカ合衆国ユタ州ローガンで開催された,第70回年次ジョセフ・スミス記念ディボーショナルで行われた話「弱さを強くされる」から。
わたしたちもジョセフ・スミスのように,自分の弱さを認め,信仰をもって主に頼るならば,強くされます。
数千年前に,古代のヨセフは次のように預言しました。「主はわたしにこう言われた。『わたしはあなたの腰から出た者の中から,一人のえり抜きの聖見者を立てよう。……わたしの言葉を……伝える力を彼に授けよう。……その聖見者は弱さを強くされる』……。」(2ニーファイ3:7,11,13)
わたしは,「弱さを強くされる」というこの預言に心をひかれ,霊を鼓舞されました。力ある業をなすことを主が弱い者に求められるのは,理にかなわないと思われるかもしれません。しかし,自分の弱さを認める人々は,実にその弱さのゆえに,主の力を求めずにはいられなくなることがあります。このように信仰をもって自らへりくだる人々は,天においても地においても一切の権威を持っておられる主によって強くされるでしょう(マタイ28:18;モーサヤ4:9参照)。1
ジョセフ・スミスは,若いころからこの方法で主に近づきました。ジョセフは14歳のときに,罪の赦しを強く願い,またどの教会が正しいのかを知りたいと切望しました。ジョセフはこう記録しています。「わたしの気持ちに深く,またしばしば痛烈に感じるものがあった……。……わたしのように若く,世間のことを知らない者にとって,だれが正しく,だれが間違っているか,確かな結論を出すことは不可能であった。」(ジョセフ・スミス—歴史1:8参照)
この弱さを十分に認識していたジョセフは,神の教会をどこで見いだすことができるか知るために聖なる森へ入って行きました。何を行えばその教会に加わることができるか尋ねたのです(ジョセフ・スミス歴史—1:18参照)。その謙虚な心からの祈りへの答えとして,父なる神とその御子イエス・キリストがジョセフに御姿を現されました。それによって,御二方は,悪魔の力からジョセフを救い出し,回復のための道を備えられたのです(ジョセフ・スミス—歴史1:14-19参照)。
ジョセフ・スミスは,自分が「世の弱い者たち」の一人であるということに異議を唱えませんでした(教義と聖約1:19;35:13)。後年,主はジョセフ・スミスにこう述べておられます。「わたしがあなたを立てたのは,この目的のためである。すなわち,地の弱い者たちによってわたしの知恵を示すためである。」(教義と聖約124:1)
名もない少年
ジョセフは自分自身のことを,「名もない少年,それも日々の労働によってわずかな生活費を得なければならない定めに置かれた少年」と言っています(ジョセフ・スミス—歴史1:23)。ジョセフは,低い社会階層の生まれで,正式な教育を受ける機会は限られていました。彼は自分の歴史を書くに当たって,まずその弱い立場を強調しようとしました。その状態から御業に召されたからです。
「わたしは,1805年12月23日に北アメリカのバーモント州シャロンの町で,善い両親から生まれました。両親は労を惜しまず,わたしにキリスト教について教えてくれました。わたしがおよそ10歳の年に,父ジョセフ・スミス・シニアは,ニューヨーク州オンタリオ郡パルマイラに引っ越し,困窮した状況の中で,9人の子供がいる大家族を養うために懸命に働かざるを得ませんでした。家族を養うのに助けとなるあらゆる努力を払うことが必要とされ,そのため,わたしたちは教育の恩恵を得られませんでした。読み書きと算数の基本だけを教わったと言えばそれで十分でしょう。」2
ジョセフは自分の教育不足を痛感し,「言うなれば真っ暗な小さな狭い監獄,紙とペンとインクの監獄,少しおかしく,たどたどしく,散漫で,不完全な言葉の監獄」の中に閉じ込められていることを嘆いたことがあります。3それにもかかわらず,主は,モルモン書を翻訳するために彼を召されました。初版の総ページ数は588ページで,ジョセフはそれを90日足らずで翻訳したのです。
冷静に考える人は,ほとんど教育を受けていないジョセフが独りでそのようなことを成し遂げられるはずはないと思うかもしれません。また,工夫を凝らした説明をされても,真実の説明以上のことはとても信じがたいものです。彼は預言者であって,神の賜物によって翻訳した,というのがその真実の説明です。
エマの証
後年,エマ・スミスは,夫が金版を翻訳した当時のことをこう回想しています。彼は「筋の通った,名文句で飾った手紙を書くことも,口述することもできませんでした。モルモン書のような書物を口述することなど論外でした。わたしは数々の出来事の場面に積極的にかかわってきましたが,ほかの人と同様,わたしにとってもそれは驚嘆すべきこと,『驚きであり不思議』です。」4
このような背景を念頭に置いて,1832年11月27日付けのジョセフの最初の日記の第1ページを見ると興味深いものがあります(右の画像を参照)。ジョセフは,モルモン書の翻訳を終えてからおよそ3年半後にこれを書きました。彼が次の言葉を書いた後に線を引いて消していることに注目してください。
「ジョセフ・スミス・ジュニア——記録帳,目に入るすべての詳細な状況を書き留めるために購入。」
わたしはこの日記を手にして,線で消されたこの言葉を読んだとき,開拓時代のアメリカの田舎にいるジョセフを想像しました。ジョセフは座って冒頭の文を書き,それから「いや,これはあまりよくない。書き直そう」と考えます。そして,その文章を線で消して,こう書きます。「ジョセフ・スミスの記録帳,目に入るすべての事柄について詳細に記録する目的をもって1832年11月27日に購入……」
結局,書いたばかりの堅苦しく,たどたどしい言葉に満足しなかったようで,こう書いています。「おお,神よ,わたしの思いのすべてについて導きをお与えください。おお,あなたの僕を祝福してください,アーメン。」5ジョセフが自分の力不足と弱さを感じて,自分の行うすべてのことに導きを与えてくださるよう信仰をもって神に求めていることが,この言葉から分かります。
さて,その日記の記載と1829年4月から6月の間のいつかに書かれたモルモン書の元原稿のページ(次ページ参照)を比べてみてください。
原稿に注目してください。句読点はなく,文字の取り消しもありません。これは作文ではありませんでした。ジョセフはそれを一語ずつ口述したのです。彼は,ウリムとトンミムや,時には聖見者の石など,主が備えてくださった道具の中をのぞき込んで口述しました。その際,言葉が現れるときにそれがはっきりと見えるよう,外部の光を遮断するために帽子を使いました(2ニーファイ27:6,19-22;モーサヤ28:13参照)。見てのとおり,モルモン書の翻訳と日記の記載の間には大きな違いがあります。前者は預言者,聖見者,啓示者としてジョセフ・スミスが口述したものであり,後者は人としてジョセフ・スミスが書いたものです。翻訳のこの元原稿をよく観察すれば,ジョセフにとって励みとなったに違いない言葉を読み取れます。
「そこで,わたしニーファイは父に言った。『わたしは行って,主が命じられたことを行います。主が命じられることには,それを成し遂げられるように主によって道が備えられており,それでなくては,主は何の命令も人の子らに下されないことを承知しているからです。』」(1ニーファイ3:7)
この言葉の少し前で,ジョセフは次の言葉を翻訳していました。「しかし見よ,主の深い憐れみは,信仰があるために主から選ばれたすべての者のうえに及び,この人たちを強くして自らを解放する力さえ与えることを,わたしニーファイはあなたがたに示そう。」(1ニーファイ1:20)
そうです。モルモン書のテーマ——ならびに預言者ジョセフの生涯——は,信仰をもってへりくだって主を求める弱い者は主の業の中で強くされる,実に力強くされるというものです。小さいと思われることにおいてさえ,このように強くされるのです。
例えば,字を書き間違えることの多かったジョセフが,主要な筆記者オリバー・カウドリの書いたCoriantumr(コリアンタマー)という名のつづり字を訂正しました(ヒラマン1:15参照)。最初にジョセフがオリバーにその名を口述したとき,オリバーは,Coriantummerと書いたのです。「mr」で終わる英語の言葉はないので,これは当然のことでした。しかし,ジョセフは——主から与えられたつづり字を受け入れるのに十分な弱さがある人で——翻訳中につづり字を訂正しました。それは英語では特異なつづり字ですが,エジプト語のつづり字としてはまったく申し分なく,古代世界の状況にはよく合っているということを,今のわたしたちは知っています。ジョセフはこれを知らなかったでしょうが,啓示によって知らされたのです。6
わたしたちは強くされる
モルモン書の翻訳の奇跡は,ジョセフが弱さをどれほど強くされたかという一例です。もう一つ,さらに重要な個人に向けた教訓があります。わたしたちもジョセフのように,自分の弱さを認め,主の御心を行うと決意して,信仰をもって心を尽くして主に頼るならば,弱さを強くされるということです。これは必ずしも,弱さが死すべき世でなくなるという意味ではありません。このような人は神によって強くされるということなのです。
ジョセフは謙虚に自分の不完全さを認めました。そして,若いころに「若者としての弱さと人間性の至らなさを示した」と述べています(ジョセフ・スミス——歴史1:28)。後年,ノーブーで聖徒たちにこう告げています。自分は「ただの人であって,完全であることを期待してはいけない〔。〕……もしわたしの弱さや兄弟たちの弱さを我慢してくれるなら,わたしも同じように彼らの弱さを我慢しよう〔。〕」7
ジョセフは決して完全な者あるいは間違いを犯さない者のふりをすることはありませんでしたが,預言者として行動するときに自分を通して神の力が示されることは認めました。「わたしが人として語るとき,語るのはジョセフだけです。しかし,主がわたしを通して語られるとき,語るのはもはやジョセフではありません。神なのです。」8
そのようにして,ジョセフは弱さを強くされました。「ただイエスは別として」歴史上のいかなる預言者よりも「人々の救いのために多くのことを」行えるように強くされたのです(教義と聖約135:3)。
同様に,不変の神は,ジョセフが行ったように,わたしたちが十分に固い決意と信仰をもって頼るならば,皆さんやわたしの弱さを強さに変えてくださいます。
祈りと謙遜
神の日の栄えの化学によれば,主は,この世においても永遠にわたっても重要である唯一の方法,すなわち主によってわたしたちが強くなれるように,わたしたちに弱さを与えておられます。主は言っておられます。「もし人がわたしのもとに来るならば,わたしは彼らに各々の弱さを示そう。わたしは人を謙遜にするために,人に弱さを与える。わたしの前にへりくだるすべての者に対して,わたしの恵みは十分である。もし彼らがわたしの前にへりくだり,わたしを信じるならば,そのとき,わたしは彼らの弱さを強さに変えよう。」(エテル12:27)
この聖文によれば,わたしたちは謙遜になれるように弱さを与えられており,自らへりくだり,主を信じる信仰を働かせることを選ぶ人は,強くされるのです。そして,神の前にへりくだることが必須の触媒となって,神の力と権威がわたしたちの生活に現れます。
「自分は賢いと思い,神の勧告に聞き従わない」人がいます。そのような人は「自分独りで分かると思って神の勧告を無視するので,彼らの知恵は愚かであって役に立〔ちません〕。」(2ニーファイ9:28)この高慢の解毒剤は,「神の御前で自分を愚かな者だと思って心底謙遜になる」ことです(2ニーファイ9:42)。
ジョセフは,若いときから,謙遜さを養う大きな鍵が,誠実に心から祈って天の御父に求めることであると理解していました。初期の教会員,ダニエル・タイラーは,多くの人が預言者に敵対したカートランドの時代を回顧しています。預言者が主の助けを求めて会衆とともに祈った集会に出席したタイラー兄弟は,その経験を次のような言葉で述べています。
「わたしはこれまで男女を問わず人々が祈りをささげるのを聴いてきました。……しかし,まるで造り主が優しい父親としてその場にいて,従順な子供の悲しみに耳を傾けてくださっているかのごとく,あのように造り主に語りかけているのを聴いたことは一度もありませんでした。その当時,ジョセフは無学でした。しかし,その祈りは大部分,道を踏み外した……と言ってジョセフを非難する人々のためにささげられました。……その祈りは……天の博学さと天の雄弁さを備えていました。……それはあたかも,もし幕が取り除かれるとしたら,主がわたしの知るかぎり最も謙遜な僕と向き合って立っておられるのが見えるのではないかと思うほどでした。」9
弱さを強く
ジョセフは,17歳のときにモロナイから告げられたことをこう記録しています。「神がわたしのなすべき業を備えておられること,またわたしの名が良くも悪くもすべての国民,部族,国語の民の中で覚えられること,すなわち,良くも悪くもすべての民の中で語られることを……告げられた。」(ジョセフ・スミス—歴史1:33)
そのような主張は誇大妄想の証拠だと,当時多くの人が思ったに違いありません。しかし,インターネットのある今日の世界において,その名もない農家の少年の名は世界中に知られており,彼の名は良くも悪くも語られています。
ジョセフとハイラム・スミスがイリノイ州カーセージで亡くなる少し前に,ハイラムは,一緒に監獄の部屋にいたジョセフとほかの人たちに向かって次の言葉を読み,その後でそのページを折りました。
「そしてわたしは,異邦人が慈愛を持てるように,主が彼らに恵みを授けてくださることを主に祈った。
そこで主はわたしに言われた。『たとえ彼らに慈愛がなくても,あなたにとっては問題ではない。あなたは忠実であったので,あなたの衣は清くされるであろう。また,あなたは自分の弱さを認めたので,強くされて,わたしが父の住まいに用意した場所に座せるようになるであろう。』」(エテル12:36-37)
文字どおり,ジョセフは,弱さを強くされたのでした。自分の弱さが一部動機となって,彼は,御心に従って行動することを決意し,信仰をもって神の助けを求めたのでした。ジョセフは生涯,この方法で天の御父に近づきました。結果として,最初の示現を経験し,モルモン書を翻訳し,神権の鍵を受け,回復されたキリストの教会を組織し,世にイエス・キリストの完全な福音をもたらしたのです。預言者ジョセフは強くなりました。しかし,瞬時に強くされたのではありません。「ここにも少し,そこにも少しと,教えに教え,訓戒に訓戒を与え」られて,そうなったのです(教義と聖約128:21。イザヤ28:10;2ニーファイ28:30も参照)。そして,皆さんもわたしもそうなるでしょう。
ですから,落胆しないでください。強くされるプロセスは,緩やかであり,どんなことがあっても救い主に従い,御心に沿った生活をするという確固たる決意を伴う忍耐が必要です。
再び与えられた賜物
16世紀に聖書を英語に翻訳して出版したウィリアム・ティンダルは,聖書を民衆の手に渡すことに反対した学者にこう述べました。「神がわたしを生かしてくださるなら,近い将来,畑を耕す少年の方があなたよりも聖書について多くのことを知るようにさせましょう。」10
同様に興味深いことに,300年後,1830年代の著名な巡回説教師ナンシー・トウルが,「モルモン」をじかに見るためにカートランドを訪れました。そして,ジョセフ・スミスやほかの教会指導者たちと話をし,教会を手厳しく批判しました。
トウルの記録によれば,ジョセフが何も言わないため,彼女はジョセフの方を向いて,天使が金版のある場所を示したと誓って言うように求めました。するとジョセフは快く応じながらも,自分は決して誓わないと言いました。ジョセフをいらだたせることができなかったトウルは,ジョセフに恥をかかせようとしました。「あなたはこのような疑わしい主張をして恥ずかしいと思わないのですか」と,トウルは言いました。「あなたはこの国のどこにでもいる,ただの無知な農家の少年にすぎないわ。」
ジョセフは静かに答えました。「昔,無学の漁師たちに与えられたように,また再び賜物が与えられたのですよ。」11
ティンダルの言葉は将来を予見したものでした。農家の少年が成長して,ただ救い主は別として,この世に生を受けたいかなる人よりも聖文について多くのことを知るようになったのです。
確かに,イエス・キリストの回復された教会と福音は,アメリカの開拓地の「農家の少年」であるジョセフ・スミスの業ではありません。そうではなく,それは預言者ジョセフ・スミスを通して回復された主イエス・キリストの御業なのです。ジョセフは自分の人生について深く考え,ヤコブの言葉に共感したかもしれません。「主なる神はわたしたちの弱点を示される。それは,このようなことを行う力がわたしたちにあるのは,神の恵みと人の子らに対する神の大いなるへりくだりによるということを,わたしたちに分からせるためである。」(モルモン書ヤコブ4:7)
ジョセフ・スミスが過去も現在も神の預言者であり,弱さを強くされたことを,わたしは知っています。ブリガム・ヤング大管長(1801-1877年)はこう言っています。「わたしは預言者ジョセフ・スミスを長年知っていることを考えると,一日中でもハレルヤと叫びたい気持ちになります。」12わたしは現世でその特権にあずかっていませんが,次の歌詞の約束に慰めを得ます。「ジョセフを世はまた知る」という約束です。13わたしは,預言者ジョセフ・スミスと,彼を強くしてくださった神の前での彼の謙遜さに心から感謝しています。わたしも,この歴史に,またわたしたちが主の前に自らへりくだり,御心を行うという確固たる決意をして主を信じる信仰を働かせるならば,主がわたしたち一人一人の弱さを強くしてくださるという教義に勇気づけられます。