娘に見えていたクリスマス
納屋で催されたキリストの降誕劇を家族と一緒に見に行ったとき,だれもが穏やかな気持ちに包まれました。納屋の仕切りに家畜が並び,ヨセフとマリヤにふんした男性と女性が立っていて,女性の腕の中には赤ん坊が抱かれていました。二人は静かに赤ん坊を見詰めていました。納屋全体が平安に満ちていました。
年長の子供たちと妻とわたしは立って見物し,末の娘はわたしたちの前にある干し草の束の上に座りました。娘は身動きせずに静かに座り,じっと赤ん坊を見詰めていました。家族が帰り支度を始めたので,わたしは娘の肩に手を置き,帰るよとささやきました。娘は赤ちゃんのイエスさまといたいと言いました。娘の言葉に心を打たれたわたしは,一緒にいることにしました。
数分後,娘の手を優しく取り,帰らなければならないと言いました。娘はまだいたいと言うので,わたしは娘の肩に腕を回して,隣にひざまずきました。
すると,次の瞬間,わたしは過去にタイムスリップをして,マリヤとヨセフと一緒にいるような気持ちになりました。娘がなぜそこにいたいと思うのかが分かりました。御霊がわたしに降り注ぎ,その場所で,自分が救い主の前にいるように感じました。主の愛を感じ,目に涙が浮かびました。とうとう帰る時間になり,わたしは娘を抱き上げました。出口へと向きを変えたとき,娘が赤ん坊のイエスに別れのあいさつをし,愛していると伝えるのが聞こえました。
その夜,わたしは娘とともに生涯忘れることのない大切な経験をしました。しかも,その機会を危うく逃すところでした。その夜,賜物を授かったのです。神が近くにおられ,わたしを愛しておられるのを感じました。救い主とその降誕を思い起こす機会があったことに感謝しています。救い主の生涯,模範,贖罪は,神がすべての子供たちに注がれる,絶えることのない愛のすばらしい賜物であることを知っています。わたしはいつも心の中でこの賜物を大切に思うことでしょう。