古代の幕屋を通して見る人生の旅路
現代の神殿と同様に,幕屋が表す象徴は,神のもとに戻るまでの旅路について教えてくれます。
何千年にもわたり,神は神殿で,神権の儀式や神聖な聖約を用い,神の子供たちに救いの計画に関する永遠の真理を教えてこられました。
荒れ野の旅のさなか,イスラエルの民は,神が「彼らのうちに住」まわれるため,幕屋を造るように命じられました(出エジプト29:46)。「『幕屋』という言葉は文字どおり『住む場所』という意味を持ち,神がその聖なる場所に住んでおられるということを表すものである。イスラエルが野営したとき,その野営地の中央部に幕屋が設置された。(それは神が民の生活の中心であるという考えを象徴したものである。)」1
幕屋内の以下のものは,神のもとに帰ることについて何を教えているか考えましょう。
イラスト/スティーブ・クレイツ,LICENSED FROM GOODSALT.COM
幕屋—幕屋は3つの部分で構成されており,人はそれらを通って神のおられる所に到達する。外庭,聖所,至聖所(出エジプト25-30章参照)。
祭壇—モーセの律法は,この場所で犠牲をささげるよう定めている。それは,救い主とその「大いなる最後の犠牲」の予型である(アルマ34:10参照)。犠牲はわたしたちの悔い改めの象徴でもある。罪を捨て,打ち砕かれた心と悔いる霊をささげるのである(3ニーファイ9:19-20;『聖句ガイド』「犠牲」の項参照)。
洗盤—聖所に入る前に,祭司は青銅の洗盤を使って手足を洗った(出エジプト30:19-21)。これは,主のもとに帰る備えをするときに,清くあることが必要だということを思い起こさせてくれる(3ニーファイ27:19-20参照)。
供えのパンの机—安息日ごとに種入れぬパン12個を供えのパンの机に置いた。「供えのパン」とはヘブライ語で「御前のパン」の意味(出エジプト25:30参照)。安息日にはいつもそのパンを「永遠の〔聖〕約」として聖所で食した(レビ24:5-9参照)。
燭台—7つのともしびは純粋なオリーブ油を燃料として,聖所を照らした(レビ24:2-4参照)。これは霊的な光の源であるキリストの光と聖霊を思い起こさせてくれる。
香の祭壇—祭司は毎日朝晩,垂れ幕の手前に置かれた祭壇で香をたいた。立ち上る煙は,天に上る祈りの象徴である(黙示5:8参照)。
垂れ幕—大祭司は垂れ幕を通って至聖所に入った。ケルビム,つまり天使の刺しゅうが垂れ幕に施されていた(出エジプト26:31-33;教義と聖約132:19参照)。垂れ幕は,今わたしたちと神がおられる場所の間には幕があるが,大いなる大祭司,すなわちイエス・キリストはその幕をお分けになれることを思い起こさせる。
至聖所—大祭司は毎年1度,贖罪の日に,幕屋のこの最も神聖な場所に入った。至聖所は神のおられる場所の象徴であり,そこには契約の箱が納められていた。その箱のふたは贖罪所と呼ばれた。「その所でわたしはあなたに会い」「あなたに語るであろう」と主はモーセに言われた(出エジプト25:22。出エジプト29:43;30:36も参照)。2