自分自身を赦すために大切なこと
筆者はアメリカ合衆国ユタ州在住です。
わたしは自分自身を懲らしめる必要はありませんでした。なぜなら,イエス・キリストがすでにわたしの罪を贖ってくださったからです。
5か月がたっても,まだ自分自身を赦すことができませんでした。ちょっとした気の緩みで,恥ずべきことをしてしまってからは,負のスパイラルの中にいるような思いでした。ほかのことについても,自分が正しくないと思うことをする度に,恥じる思いが積み重なっていきました。心に安らぎを感じることができなくなりました。
わたしは赦しを求めて祈り,神が赦してくださったことさえも感じましたが,自分自身を赦すことがどうしてもできませんでした。罪を犯したのですから,どうして赦せるでしょうか。自分を何度も何度も責めて,前に進むことができない状態でした。
そのように感じていたときに,わたしは夏のユースカンファレンスに参加し,救い主の贖いに焦点を当ててたくさん学ぶ機会がありました。ある日,ふとエノス書の次の聖句を見つけました。「『エノスよ,あなたの罪は赦された。あなたは祝福を受けるであろう。』
わたしエノスは,神は偽りを言われるはずがないので,わたしの罪がすでにぬぐい去られたのを知った。」(エノス1:5-6)
その聖句はわたしにとって,とても力強いものでした。わたしのように,エノスも何か悪いことをしてしまい,赦しが必要だったのだと気づきました。エノスは,赦しを願い求めたときの大変な経験を「神の前で味わった苦闘」とまで表現しています(エノス1:2参照)。しかし最終的には,一日中祈り求めた後,エノスは平安を感じました。そしてエノスが「主よ,それはどうしてですか」と尋ねたとき,主は「あなたが,……キリストを信じているからである」とお答えになりました(エノス1:7-8)。
それだったのです!エノスはイエス・キリストを信じていました。もしエノスが救い主に罪悪感を取り除いてもらえたのであれば,わたしも主に頼って,自分の生活にその同じ平安をもたらしていただけないことがあるでしょうか。それからは,自分自身を赦せないと感じたときには,イエス・キリストの愛と赦しについて考えるようにしました。そして,良くない気持ちを捨てて,恥じないようにする力を求めて祈りました。時間はかかりましたが,多くの祈りを通して,絶えずつらい思いをすることはなくなりました。ようやく平安を感じました。
この経験を通して,キリストの恵みについてたくさん学びました。罪を犯した後,神の御心に添った悲しみを感じ,祈り,悔い改め,そして神が赦してくださったという確認を得ました。それでも自分を責め続けていたのです。最後にやっと気づいたのですが,その罪を犯したことによって,自分自身を苦しめ続ける必要はなかったのです。なぜなら,イエス・キリストがすでに贖いを通してその代価を支払ってくださったからです。主にとって,つらく,痛みを伴うものだったと思いますが,主はわたしが苦しまなくてもいいように,御自身で苦しまれたのです。
それが分かってからは,イエス・キリストに頼り,自分と主,そして天の御父との関係を強めることによって,主の平安に満たされるということを学びました。わたしは毎日祈り,聖典,特にモルモン書を読むように心がけています。そして前向きな思いにしてくれる活動に参加し,善良な内容のメディアを利用するように努めています。
今でも過ちを犯してしまうことがありますが,悔い改めて最善を尽くすときに,イエス・キリストが恵みをもって祝福してくださることを知っています。主と天の御父に頼るときに,罪悪感や恥じる思いはなくなります。今では,イエス・キリストを信じることによって得られる平安を知っていて,それによって強くなりました。