ヨハネ—イエスの愛しておられた弟子
愛弟子ヨハネに関係する新約聖書の書は,ヨハネを,わたしたち自身の弟子の務めの教師ならびに模範として描いています。
「最後の晩餐」の一部,カール・ブロッホ画
ヨハネは,イエスの最初の十二使徒の中で恐らく,ペテロの次に最もよく知られている人物でしょう。ヨハネとその兄弟ヤコブは,救い主の現世での務めの中で最も重要な出来事の幾つかにペテロとともに立ち会いました。そしてヨハネは,新約聖書の中の5つの異なる書にかかわりを持つと言い伝えられています。1ヨハネが個人的に主に近かったことが,ヨハネによる福音書第13章23節からうかがええます。「弟子たちのひとりで,イエスの愛しておられた者が,み胸に近く席についていた。」時代を超えて,キリスト教芸術にこの場面が反映されており,ヨハネが若者として,救い主の御腕に寄りかかっている姿が描かれてきました。これが「愛弟子ヨハネ」という独特な呼称の起源ですが,彼の証と使命は,わたしたちのだれもが持つことのできる弟子の務めを明らかにしています。
ゼベダイの子ヨハネ
ヨハネのヘブライ語名「ヨハナン」には,「神は恵み深い」という意味があります。わたしたちがヨハネについて知っている詳細のほとんどは,最初の3つの福音書に出てきます。そこには,同じ視点から見たおもに救い主の現世での務めについての話が記されています。ヨハネがゼベダイという名の裕福なガリラヤ人の漁師の息子であったという点で3つの書の記述は一致しています。ゼベダイは自分の舟を所有しており,自分と息子たちの仕事を手伝う働き手を日雇いすることができました。また,ヨハネとその兄弟ヤコブは,ペテロとその兄弟アンデレと一緒に働いていました。そして4人とも,全時間をささげて弟子として従うようイエスから召されたときに,その漁師の仕事を捨てたのです。2
Christ Calling the Apostles James and John, Edward Armitage (1817–96) / Sheffield Galleries and Museums Trust, UK / © Museums Sheffield / The Bridgeman Art Library International
その後,福音書にゼベダイのことは述べられていませんが,ヤコブとヨハネの母親はイエス・キリストに従い,息子たちのことをイエスに頼み込み,またイエスが刑を受けている十字架の刑場にいました。3また,通常サロメという名で知られるヤコブとヨハネの母は,イエスの母マリヤの姉妹であった可能性があります。そうであるとすれば,ヤコブとヨハネはイエス・キリストのいとこであり,バプテスマのヨハネの親族ということになります。4
最初の召しを受けてから間もなく,ヨハネは,主の初期の奇跡と教えの多くを目の当たりにしました。5これらの奇跡を目にし,また山上の垂訓など様々な説教を聴いたことが,ヨハネにとって,十二使徒の一人となるようイエスから召されるときの備えとなったことは確かです。6これらの特別な証人のうちで,ペテロとヤコブとヨハネは,親しい間柄の弟子たちの中核を成し,以下に挙げるイエスの地上での務めの重要な場面に立ち会いました。
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ヤイロの娘の蘇生。死を制する主の力を自分の目で見ました。7
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変貌の山。3人は,イエスが栄光に包まれるのを目にし,またイエスは心にかなう御子であると証される御父の御声を聞きました。8
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オリブ山。終わりの時についてのイエスの最後の預言がここで述べられました。9
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ゲツセマネの園。救い主が贖罪という大いなる御業を始められたときに,3人はすぐ近くにいました。10
イエス・キリストは,シモンに「岩」を意味するケパ,すなわちペテロという別名を与えられたように,ヤコブとヨハネにも,ボアネルゲ,すなわち「雷の子」という呼称を与えられました。11イエスを拒んだサマリヤ人の村に天から火を呼んだらどうかとイエスに問いかけたからです(ルカ9:51-56参照)。このニックネームは,彼らが短気であったこと,あるいは少なくとも気が強かったことを示しているのかもしれません。しかしながら,ペテロの名が彼の初期の献身的ながらも衝動的な性格を反映したものではなく,むしろイエスの復活後の彼の堅固さと強さを反映したものであったように,ヤコブとヨハネのその呼称は,力強い証人になることを見越したものであったと思われます。12
使徒行伝に登場するヨハネは,ペテロの力強く揺るぎない同僚として描かれています。ペテロが神殿で足の不自由な人に癒しを与えたときに,ヨハネはペテロと一緒にいました。また,エルサレムのユダヤ人の指導者たちの前で,二人はともに力強く教えを説きました。この二人の使徒は一緒にサマリヤに旅して,ピリポから教えを聞いてバプテスマを受けていたサマリヤの人々に聖霊の賜物を授けました。13
しかし,ヨハネに関係する書によってこそ,ヨハネが自分の主であり友であるイエス・キリストの神性についての力強い証人である,ということが最もよく分かるのです。これら新約聖書の書は,ヨハネを,わたしたち自身の弟子の務めの教師ならびに模範として描いています。
愛された弟子
興味深いことに,伝統的にヨハネが書いたとされている福音書には,ヨハネの名前は一度も出てきません。ヨハネによる福音書には,ゼベダイの二人の息子のことが,最後の章に一度だけ述べられています。よみがえられた主にガリラヤの海辺でお会いした7人の弟子のうちの二人が,この息子たちでした。しかし,ここでも名前は挙げられていません。それでも,回復された聖文の言葉14に裏付けられている伝承は,ヨハネこそが名を伏せた「イエスの愛しておられた弟子」であるとしています。この弟子は,最後の晩餐,十字架の刑,空の墓,またガリラヤの海へのイエスの最後の訪れの場にいました。15
またこの弟子は,アンデレとともにバプテスマのヨハネに従い,バプテスマのヨハネがイエスは神の小羊であると証する言葉を聞いた「もうひとりの弟子」でもあった可能性があります(ヨハネ1:35-40参照)。イエスが捕らえられた後,ペテロに付き添い,ペテロが大祭司の中庭に入れるよう助けた弟子であったとも思われます(ヨハネ18:15-16参照)。
ヨハネによる福音書には,この愛された弟子は,主の親しい個人的な友として登場します。マルタやラザロ,マリヤとともに,ヨハネは明確に,この福音書の中で,イエスから愛された人として述べられています(ヨハネ11:3,5参照)。最後の晩餐でのヨハネの席は,要職にあっただけでなく,主と親しかったことを示しています。
救い主との友情に加えて,別の聖句は,ヨハネがイエスの使命に伴う最も重要な出来事の力強い証人であることを示しています。ヨハネは十字架の下にいて罪のための犠牲として主が亡くなられるのを目にし,主の復活後に墓に走って行って墓が空であることを確認し,また復活された救い主にまみえました。
ヨハネによる福音書は2度,それが愛された弟子の目撃した事実に基づいたものであると述べており,彼の証は真実であることを強調しています。16そのことから,ジョセフ・スミスはこの福音書に「ヨハネの証」という新たな書名を付けました。17
その愛された弟子がだれであるのかについては学者たちの間で今もなお議論がありますが,その弟子が使徒ヨハネであるとすれば,その福音書の原著者ではないとしても,その資料の情報の提供者であったということになります。18では,名を伏せたままで,一度も使徒ヨハネであると直接に明言していないのは,なぜでしょうか。その答えは,部分的に,自分自身の経験をあらゆる時代の信者と弟子の予型とするため,ということかもしれません。名を伏せておくことによって,わたしたちが彼の経験を自分に当てはめ,主を愛して主から愛される方法を学び,さらに,自分自身の証を得られるようにすることができます。そして求められたら,ほかの人々にその証を述べるのです。
ヨハネの第一,第二,第三の手紙
ヨハネによる福音書と同じように,ヨハネによるものとされるこの3通の手紙はいずれも,直接にヨハネの名を挙げてはいません。にもかかわらず,ヨハネの第一の手紙は,実際の手紙よりも教義的な説明が多く,その文体やテーマの点で福音書と密切に関係しています。そして,その中には,ヨハネによる福音書に記されている最後の晩餐の話の中で救い主が教えられたテーマである愛と従順の大切さに関する教えが含まれています。
福音書の後で書かれたヨハネの第一の手紙は,「初めからあったもの,わたしたちが聞いたもの,目で見たもの,よく見て手でさわったもの,すなわち,いのちの言」という書き出しで,主イエス・キリストについての著者の証を述べることから始まっています(1ヨハネ1:1,強調付加)。著者は,ヨハネによる福音書の冒頭の数行を再び採り上げて述べたほかに,文字どおり肉体を持たれた「神の言」であるイエス・キリストについて,力強く個人的,物理的な証を強調しています。
その書の最初の読者であった初期のキリスト教徒の内部に分裂が生じたことは明らかで,イエスについての間違った信条を支持したグループが教会を去りました。19ヨハネの第一の手紙では,著者は証人であるだけではありません。偽りの教義を正し,反キリストや偽りの霊からの信仰に対する脅威に立ち向かうように召された,権能を有する者でもあるのです(1ヨハネ2:18-27;4:1-6参照)。また,神とキリストに関する有意義な真理と,信仰と義を守り続けることの大切さを伝えることによって,忠実に生活している人々を励ますことも,彼の使命でした。
ヨハネの第二の手紙とヨハネの第三の手紙で著者は,自分のことを単に「長老」と述べ,愛と従順の大切さと,偽りの教師や教会の正当な権能を拒絶する者の危険を引き続き強調しています。20
この3つの書はすべて,啓示されたイエス・キリストに献身し続けることの大切さを教えています。
黙示者
ヨハネが書いたとされる5つの書のうちで,黙示録だけが実際にヨハネの名を用いて,その書の最初の幾つかの節で数回名を挙げて著者を明らかにしています(黙示1:1,2,4,9参照)。その著者は,自ら神の僕と名乗っている以外,自分の立場や召しを表明していません。しかし,最も初期のキリスト教の指導者たちのほとんどは,その著者がゼベダイの息子ヨハネであると信じていました。
モルモン書と教義と聖約は,使徒ヨハネには,示現を受け,受けた示現を書き留める特別な務めが与えられていたことを確認しています。21複雑できわめて象徴的な黙示録は,あらゆる時代の迫害や試練に苦しんでいるクリスチャンを慰め,元気づけること,また同時に歴史を通してイエス・キリストの役割を明らかにすることを目的としていました。
ヨハネが黙示録を書いたと推定される時期は二つあります。早い方の時期が皇帝ネロの治世の紀元60年代で,遅い時期がドミティアヌス帝の治世の紀元90年代です。いずれもペテロの殉教後で,ヨハネは,生き残って先任使徒になっていました。
しかし彼の召しは,その書に記載されている示現を受けて記録することだけではありませんでした。示現の一つで,天使は,小さな書すなわち巻物を取ってそれを食べるようにと,ヨハネに告げました。それは,最初は口の中で甘く,腹に入ると苦くなりました。ジョセフ・スミスはそれを,万物の回復の一部としてイスラエルを集める助けをする彼の使命を表していると解釈しました(黙示10:9-11;教義と聖約77:14参照)。この使命を果たすことは可能でした。なぜなら,ヨハネは身を変えられた後,務めを果たし続けているからです。福音書の最後にある,イエスがヨハネの運命についてペテロに述べた言葉の意味に関して,古今の解説者たちの見解は一致していません(ヨハネ21:20-23参照)。しかし,ジョセフ・スミスは啓示を受けて,救い主が戻って来られるときまでヨハネの使命は身を変えられた者として続くということが確認されました(教義と聖約7:1-6参照)。言い換えれば,ヨハネは終わりの時について預言しただけではないのです。彼の使命には,これらの預言が果たされるのを手伝うことと,彼に啓示された事柄が果たされるのを目撃することが含まれているのです。
わたしたち自身の使命はそれほど壮大ではないかもしれません。しかし,現世のわたしたちの召しとチャレンジが時折どれほどほろ苦く思われようと,イエス・キリストを愛していればそれらを受け入れるようになることを,ヨハネの模範は教えてくれます。
ヨハネはイエスの使命に伴う最も重要な出来事の力強い証人として,十字架の下にいて主が亡くなられるのを目にし,主の復活後に墓に走って行って墓が空であることを確認し,また復活された救い主にまみえました。
John and Peter at the Tomb, by Robert Theodore Barrett
わたしたち自身が愛される弟子となる
ヨハネは,イエスの最初の十二使徒の主要な一員であり,救い主と個人的に親しい関係にある人で,イエス・キリストの証人として,教会の指導者として,また啓示者として重要な役割を果たしました。しかし,自分の名を冠した福音書の中で,愛された弟子として自分自身を描くという方法を選んだことによって,ヨハネは,わたしたち全員にとって弟子の務めの模範となることができたのです。イエス・キリストに従う者として,わたしたちは皆イエス・キリストの愛の御腕に寄りかかることができるということをヨハネから学び,イエス・キリストが最後の晩餐で定められた儀式など,様々な儀式を通して十分にその愛を実感します。またわたしたちも,象徴的に,十字架の下に立ち,イエスがわたしたちのために亡くなられたことを証することができ,また主が生きておられることを自分で知ることができるという希望をもって走ることができるのです。ヨハネのように,愛される弟子としてのわたしたちの召しは,ほかの人々にその証を伝え,真理について証し,主が再び来られるときまで,与えられる召しを何であろうと果たすことなのです。