新約聖書に登場する象徴
ラッセル・M・ネルソン「この聖地にて」『聖徒の道』1991年2月号,13,15,18から抜粋。
教えそのものに加えて,新約聖書に登場する物や文化,歴史や場所といったものには,意味があることが分かります。
川。「ヨルダン川は,イエスが『すべての正しいことを成就する』ために〔マタイ3:15〕,ヨハネからバプテスマを受ける場所としてお選びになった川です。この聖なる儀式が,この地球で事実上最も低い場所を流れる川で行われたということに,意味があるのではないでしょうか。主はこの川に入り,そしてそこから上がってこられたわけですが,御自分が心からへりくだっておられることを表す象徴として,これ以上にふさわしい場所をお選びになれたでしょうか。」
山。「山に登るのはたやすいことではありません。当時も,今も,努力することと従順であることの大切さを教えるために,主は弟子たちに,山に登るようにと言われました。主は象徴的な意味で,そして恐らくは文字どおりの意味で,皆さんにも同じことをお求めになるでしょう。」
オリーブ。「イエスは,贖いの第一段階を遂げるために,オリブ山のふもとへ行かれました。その舞台となったのが,ゲツセマネの園です。ゲツセマネという語は,ヘブライ語の二つの語根から成っています。一つは,『押しつぶす』を意味するガツ,もう一つは『油』とりわけオリーブの油を意味するシーメンです。
この園では,オリーブの実を巨大な石臼でつぶして,貴重な油を搾っていました。同じように,キリストもゲツセマネの園で,世の罪の重圧をお受けになり,文字どおり押しつぶされました。キリストは,命の『油』とも言うべき大切な血をあらゆる毛穴から流されたのです(ルカ22:44;教義と聖約19:18参照)。」
されこうべ。「十字架の刑はゴルゴタ(ヘブライ語)あるいはカルバリ(ラテン語)と呼ばれる丘で執行されました。ともに『されこうべ』という意味です。されこうべは死の象徴です。そのような場所で,贖いの犠牲は完成したのです。十字架の上で,世の救い主は,死に打ち勝たれ,高く上げられました。これは考えられるかぎり最高に意義深い出来事であり,主が死に打ち勝つ力をお持ちであることが現実に示されたのです。」