2019
預言者ジョセフ・スミスの驚くべき使命
2019年1月


預言者ジョセフ・スミスの驚くべき使命

2018年6月25日,ユタ州ソルトレーク・シティーにある教会歴史図書館で開催された伝道部指導者セミナーでの説教,“Joseph Smith: The Prophet and the Man”(「ジョセフ・スミス:預言者として,また人として」)より。

ジョセフ・スミスは,この世に生を受けたいかなる人よりも多くのことを,ごく短期間のうちに成し遂げました。なぜそれができたのかは,天の助けがあったからだとしか説明できません。

ジョセフ・スミスの啓示

「ジョセフ・スミス」ウィリアム・ウィッタカー画

わたしは,預言者として,また人としてのジョセフ・スミスについて話すことにしました。ジョセフ・スミスについて話すことによって,この神権時代の基礎を築いた預言者にしかできなかった驚くべき業を理解するためのお役に立てれば幸いです。

ジョセフ・スミスに関する知識と証は,伝道活動と切っても切り離せない関係にあります。わたしたちが皆知っていることですが,求道者の中には,福音の主要な教義を受け入れても,14歳の少年が御父と御子の訪れを受け,その後モルモン書を翻訳し,わたしたちの知る預言者になったという事実はどうしても受け入れられないという人がいます。預言者ジョセフ・スミスでつまずいている人は,ラッセル・M・ネルソン大管長の次の教えを学ぶ必要があります。

「ジョセフのこの世での使命は予任されていました。感受性が強く汚れのない心は開かれていて,主の教えを受け入れることができました。しかし,この世的な基準からすると,ジョセフはまったく思いもよらない人物だったのです。それに,ジョセフがこの最後の神権時代の預言者になるなど,まったく不可能なことに思えました。この例から分かるのは,主が何かをなさるときによく当てはまる原則です。つまり,主は思いもよらない方法を使って不可能なことを達成されるのです。」1

この教会の宣教師が預言者ジョセフ・スミスの神聖な召しと驚くべき業に対する証を持つことは,非常に大切です。

わたしは65年間にわたって,ジョセフ・スミスの生涯について研究してきました。わたしは教会設立後100年をわずかに過ぎた1932年に生まれました。教会設立後2世紀目を生きる者として,自分は忠実な末日聖徒の典型だと思っています。わたしたちはジョセフ・スミスに会ったことはありませんが,ジョセフを知っているような気がしていますし,その啓示と教えのゆえにジョセフを愛しています。わたしたちは,「ジョセフを世は……知る」という賛美歌の歌詞の預言が現実のものになっていることの証人です。2

I.預言者としてのジョセフ・スミス

ジョセフ・スミスがこの神権時代の最初の預言者であって,主の回復の業で主の御手に使われる者であったことを,わたしたちは知っています。しかし,主はこの預言者を通して何を回復されたのでしょうか。主が預言者ジョセフに霊感を与えてキリスト教の教義に多くの大切な事柄を付け加えたことを,末日聖徒全員が知っているわけではありません(教会員でない人たちはほとんど知りません)。簡単に挙げてみましょう。

  • 御父と御子と聖霊の属性

  • この神会の御三方の相互に関係し合う働きと,御三方と人間との関係

  • 人の堕落の本質

  • 御自分の子供たちに永遠の命を得させるための御父の計画を進めるうえでの現世の目的

  • 不死不滅を可能にし,永遠の命を得る機会を与えるうえで,イエス・キリストの贖いが果たす役割

  • 御父の計画の中でこの世と永遠にわたる結婚が果たす役割

  • 御父の計画の中で神権と儀式が果たす,欠かすことのできない役割

  • 御父の計画の中で神殿と身代わりの儀式が果たす,欠かすことのできない役割

  • 神は御自分のすべての子供たちを救いたいと思っておられ,この地上に生を受けたすべての人は,地上でイエス・キリストを知るかどうかにかかわらず,次の世で最高の天に行くことができるという知識

  • 人と宇宙に関する真理の3つの源である,科学と聖文,絶えざる啓示の関係

救いの計画の図

「エデンを去る」「救い主」「天と地の間に」/アニー・ヘンリー・ナダル画

信者であるかどうかにかかわらず,以上の事柄をほんの一部でも研究した人はだれでも,ジョセフ・スミスが大胆で新しく貴い宗教概念の大河の源流に立っていることを,認めるはずです。『わたしの福音を宣べ伝えなさい』に書かれているように,完全な福音はジョセフ・スミスを通して回復されました。3

皆さんは気づいたかもしれませんが,前述のリストでは,新しい聖典であり,新しい宗教概念の多くの情報源であるモルモン書をジョセフが世に出したことについて,具体的に触れていません。この書物については,特別に採り上げて述べる価値があります。「イエス・キリストについてのもう一つの証」という副題が,この書物の最も重要な役割を宣言しています。しかし,この基本的な役割のほかにも,この書物には多くの役割があるのです。ベストセラー作家でもある学者が,この書物について次のように言っています。

モルモン書は,自由の帝国ではなく義の王国になるという,アメリカの新しい目標を提案しています。富と不平等が増大することに対して,モルモン書は貧しい者の立場を擁護しています。……共和政治に対し,この書物は神の律法の下でのさばきつかさと王による義にかなった統治を提唱しています。聖書のみを神の言葉とする奇跡のない宗教に対して,モルモン書は絶えざる啓示と奇跡,すべての国々への啓示があるという立場を取っています。懐疑主義に対してこの書物は信じることを勧め,国家主義に対してはイスラエルの民の祝福を万人にもたらすことを勧めています。富に執着して啓示を拒み,異邦人の文明が栄えて義と啓示とイスラエルの民をないがしろにすれば,国に災いが降りかかるであろう,とこの書物は預言しています。」4

さらに大切なのは,この書物は「約束されたイスラエルの集合を成し遂げるための手段である」5という,ネルソン大管長が最近モルモン書について語った言葉です。

『わたしの福音を宣べ伝えなさい』にあるように,モルモン書は「わたしたちの宗教のかなめ石である」とジョセフ・スミスは言っています。6

末日聖徒でない人のほとんどは,ジョセフ・スミスが宗教的な考え方に偉大な貢献をしたことを知りません。世論調査専門家のゲーリー・ローレンスは,注目すべき全国的な調査を行い,回答者の半数近くが末日聖徒は排他的で不明な点が多く,「奇妙な信仰」を持っていると考えていることが分かった,と言っています。7インタビューした人に「モルモン教徒のおもな主張は何でしょうか」と尋ねると,回復や原始キリスト教の信仰の再建といった概念に近いことを説明できたのは,わずか7人に一人の割合でした。同様に,別の全国的なアンケート調査で回答者にこの教会の印象を説明してもらったところ,原始キリスト教とかキリスト教の回復という概念を説明した人は皆無でした。8

この調査結果から分かるのは,宣教師は一般の人がこの教会についてよく知っていると思い込んではならないということです。宣教師から教えを受ける人たちはモルモンという言葉を聞いたことがあるかもしれませんが,この教会の基本的な原則のごく初歩くらいはたいていの人が理解しているだろうと決めてかかってはいけないのです。

II.人としてのジョセフ・スミス

ジョセフ・スミスの驚くべき生涯について,わたしの個人的な考えを少し述べましょう。9わたしがおもにアメリカ合衆国イリノイ州で個人的に調べて分かったジョセフ・スミスは,若くて情感豊かで,活動的な人物であり,聖徒たちがしばしば「ジョセフ兄弟」と呼んだほど愛された,親しみやすい開拓者でもありました。かなり若いときに務めを果たしたことが,ジョセフの預言者としての働きの興味深い点です。14歳のときに最初の示現を受け,21歳で金版を受け取り,わずか23歳のときにモルモン書の翻訳を(通算60日足らずで)終えたのです。

教義と聖約の啓示の半数以上は,この預言者が25歳以下のときに受けたものです。大管長会が組織されたときは26歳でしたし,ミズーリでの収監から逃れて再び聖徒の指揮を取るようになったのは33歳を過ぎたばかりのころでした。そして,わずか38歳と半ばで殺害されています。

この短い生涯で,ジョセフ・スミスは人並み以上にこの世で艱難に遭いました。7歳かそこらで激痛の伴う脚の手術を受けていますし,家庭が貧しかったために正規の教育をほとんど受けることなく,家族が食べていけるようにするために,若いころから長時間の労働を余儀なくされていました。いろいろな場面で身体的な暴力を受けました。神聖な召しの重責を果たす努力のさなかにあっても,家族を養うために,時には農夫として,また時には商人として働かなければなりませんでした。これらをジョセフは,預言者の召しを果たすときに支えてくれた驚くべき御霊の助けなしに行ったのです。主はジョセフに,「世俗の働きについては,あなたは力を持たないであろう」と言っておられます(教義と聖約24:9)。

霊的な事柄について,ジョセフ・スミスには,預言者や指導者になる方法を学ぶ手本となる人がおらず,経験のない仲間に頼らなければなりませんでした。ジョセフも仲間も苦労しながら一緒に学んでいきました。ジョセフは目を見張るような速さで知識を身につけ,成熟していきました。疑いなく,ジョセフには独特の賜物がありました。今の言葉で言う「速習力」があったのです。天の使者や,神から頂いたそのほかの啓示から教えを受けたと本人は言っていますが,そのとおりだとわたしは思います。

彼の持つ賜物の一つは,彼に従うすばらしい人々の愛と忠誠を見れば分かります。人間としての不完全さを克服するようにと自分に従う人たちにチャレンジするときも,ジョセフは人を見下すような態度を執ることがなかったため,愛されました。殺害の1か月あまり前に行った説教の中で,ジョセフはこう宣言しています。「わたしは自分が完全であると言ったことは一度もありません。しかし,わたしが教えてきた啓示には,まったく誤りがありません。」10ジョセフ・スミスには「生来の陽気な気質」があったため(ジョセフ・スミス—歴史1:28),彼を知るほとんどの人から愛されました。ある知人はこう言っています。「ジョセフに対する聖徒たちの愛は,言葉で説明できないほどのものでした。」11友達付き合いはジョセフにとって喜びでした。ジョセフは社会や共同体の建設を福音の大きな目的と考えていたのです。

ジョセフ・スミスの啓示

「ジョセフ・スミス」ウィリアム・ウィッタカー画

わたしはかつてこう話しました。「ジョセフ・スミスはその一生を開拓地で過ごしました。そこは,男たちが自然を相手に力づくで勝負を挑まなければならない場所でした。そして時には,互いに勝負しなければならないこともありました。ジョセフは立派な体格に恵まれ,強く,活動的な男性で,力試しの棒引きのような,勝敗を競うスポーツを好みました(History of the Church, 5:302参照)。教会の記録保管所には,ジョセフが友人や知人と行ったレスリングの試合に関する回想録が数多く残されています。ある安息日,彼はブリガム・ヤングとともに,ノーブーから馬車で1日かかるイリノイ州レイマスで,聖徒たちに説教をしました。月曜日にレイマスをたつ前に,ジョセフは『レイマスの乱暴者』と言われていた男性とレスリングの試合をし(Joseph Smith Journal, 13 March 1843, recorded by Willard Richards, Joseph Smith Collection, LDS Church Archives参照),彼を投げ飛ばしています。現在の大会スケジュールの中に,地元の会員たちが訪問中の幹部をこのようにして試す機会がないことをうれしく思います。」12

ジョセフ・スミスほど,その使命や過去の出来事のために攻撃の的になった人物は,まずいなかったでしょう。わたしは攻撃の理由の幾つかについて,ジョセフが生涯の最後の5年間を過ごしたイリノイ州にある記録の原本を,個人的に調べました。そのような理由の一つは,教会を攻撃する新聞Nauvoo Expositor(『ノーブー・エクスポジター』)の発行を当時市長であったジョセフ・スミスとノーブー市議会が差し止めたことでした。この差し止めは,教会に対する敵意を過熱させ,ジョセフ殺害の直接的な動機になりました。

BH・ロバーツを含む初期の末日聖徒の歴史家は,この行為が残念ながら違法だったことを認めています。しかし,わたしが若き法学部の教授だったころにこの件を調べたところ,1844年当時のイリノイ州にはこれを合法とする法的基盤があったことを発見して驚きました。南北戦争前には,アメリカの開拓地では新聞の発行の差し止めが多々行われていました。アメリカ合衆国憲法が保証する出版の自由は,1931年まで,市と州の行為に適用されるとは宣言されていなかったのです。その後1868年に合衆国最高裁判所において5対4の僅差で憲法改正が採択されました。13ジョセフ・スミスの行動は,現在ではなく当時の法律と状況に基づいて判断するべきなのです。

シカゴ大学の学生のころ,歴史家のマービン・S・ヒルとわたしは,ジョセフ・スミス殺害の罪で5人の男がイリノイ州で裁判にかけられたという,あまり知られていない事実に興味をそそられました。わたしたちはそれから10年以上の間,この1845年の裁判とそれにかかわった人々について,どんなささいな情報でも収集しようと,全国の図書館と公記録保管所をくまなく当たりました。わたしたちの共著には,ジョセフ・スミスを個人的に知るイリノイ市民の言葉と行動を書きました。その中には,ジョセフを愛してジョセフのために命を懸けた人もいれば,ジョセフを嫌って殺そうとした人もいました。裁判記録の原本から分かったことや長期にわたる裁判の証言の中には,殺害された側に不名誉になるような事柄は,何もありませんでした。14

イリノイ州の裁判記録が手に入った段階で,それまで手がつけられていなかったもう一つの分野の研究への道が開けました。当時シカゴ大学法学部の学生であったジョセフ・I・ベントリーとわたしは,ジョセフ・スミスが行った商取引の記録をたくさん発見したのです。わたしたちは1976年に,このテーマについてBrigham Young University Law Review(『ブリガム・ヤング大学法律論評』)の記事を共同で書きました。151840年代といえば,全国的な経済危機と不況の影響が続いていた時期です。イリノイ州のような辺境地帯の州の経済は壊滅状態でした。例えば,エイブラハム・リンカーンの伝記の著者たちは,この10年間のリンカーンの財政政策の失敗を描写しています。当時,商業活動は困難を極め,債務不履行が多発して,裁判沙汰は日常茶飯事でした。16

敵対者たちは,おもに教会のために行った様々な土地売却行為を詐欺としてジョセフ・スミスを起訴しました。10年近くの長期にわたった裁判で,詳細にわたって起訴事実の審査が行われました。そして最終的に,聖徒たちがイリノイ州を追われてから長い年月を経た1852年(そのため,聖徒やその指導者をえこひいきする人にとって有利な政治的,あるいはその他の理由はありませんでした),連邦裁判官はジョセフ・スミスに詐欺その他の道徳的不正がまったくなかったという判決を下し,この裁判を結審したのです。17

当時の社会問題に詳しい学者が,ジョセフ・スミスのアメリカ合衆国

「ジョセフ・スミスは1844年の国政選挙で勝つ見込みはなかったかもしれませんが,賢明にも,アメリカ合衆国の法改正を真剣に訴える第三党からの候補者として出馬しました。ジョセフが望み,努力したのは,奴隷制度や信教の自由,留置所,公有地といった重大な問題について世論を盛り上げることでした。アメリカ合衆国大統領の職を目指して選挙活動をしている間に暗殺されたアメリカ人は,ジョセフ・スミスとロバート・F・ケネディの二人だけです。」18

ジョセフ・スミスの人柄をいちばんよく理解していたのは,恐らく教会の指導者の中でジョセフを最もよく知っていた側近たちだったのではないでしょうか。彼らはジョセフを敬い,預言者として支持していました。「兄ハイラムは,彼の傍らで死ぬことを選びました。ジョン・テーラーもジョセフが殺害されたときに一緒にいた一人で,こう言っています。『わたしは神と天使と人々の前で証します。ジョセフは善良で,誉れある,徳高い人物でした。……ジョセフの人格は公私ともに非難の余地がなく——神の人として生き,そして死んだのです。』(The Gospel Kingdom [1987], 355教義と聖約135:3も参照)ブリガム・ヤングはこう断言しています。『地上に住む者でわたし以上に〔ジョセフ・スミス〕のことをよく知っている人はいないと思います。わたしはあえて申します。イエス・キリストを除いて,この地上に生を受けた者で彼以上に善良な人物は過去におらず,現在もいません。』[“Remarks,” Deseret News, Aug. 27, 1862, 65].”19

III.ジョセフ・スミスと法律

すでに挙げた例から明らかなことですが,わたしが長年にわたって関心を持ってきた訴訟歴の中で特に興味を引いたのは,ジョセフ・スミスが当時のアメリカの法制度とどんなかかわり方をしたかという問題です。歴史家たちは,伝統的に,ジョセフ・スミスは約40件の訴訟に当事者としてかかわったと言っています。今日,The Joseph Smith Papers(『ジョセフ・スミス文書』)という資料のおかげで,その件数が220を超えるということが分かっています。これらの訴訟は「単純な借金返済訴訟から,高度な法理論を駆使する複雑な訴訟まで広範囲にわたっており……ジョセフは多数の弁護士を雇って……〔そのような〕訴訟を起こしたり,裁判で自分を弁護したりしていました。……訴訟には民事訴訟も刑事訴訟もありました。」20

預言者の生涯に関する資料は驚くほど豊富にあるため,それを駆使して,末日聖徒の学者ジェフリー・N・ワーカーは次のように書いています。「紛れもなく,ジョセフ・スミスは,アメリカの法制度に個人として積極的に,しかも一貫してかかわっていました。この重要な動きを無視するならば,彼がどれだけの時間と精力を費やしたか,その多くを見落とすことになります。ジョセフがあまりに賢明かつ効果的に立ち回ったため,ジョセフ・スミスと非常に親しく,自身が弁護士であり,判事であり,検事総長であったダニエル・H・ウェルズがこう言ったほどです。『わたしはこれまで法曹界の人たちと知り合ってきましたが,ジョセフ・スミスは,わたしがこれまで出会った中で最も優秀な弁護士でした。』[as quoted in The Journal of Jesse Nathaniel Smith: Six Decades in the Early West: Diaries and Papers of a Mormon Pioneer, 1834–1906 (1953), 456]21

末日聖徒の3人の著者がこうまとめています。「スミスは法制度に非常に深くかかわっていたため,その仕組みを短期間で学び,学んだルールを駆使して法律上自分ができるかぎり有利になるようにしました。新たに見いだした機会と,建国後間もない国の法律の下で受けられる庇護を最大限に活用したのです。訴訟で見せたジョセフの判断や行動から明らかなのは,ジョセフが法律関係の事柄を熟知しており,法律の下で可能なあらゆる手続きを慎重に行っていたということです。モルモン書の著作権を連邦法の下で取得する件に関しても,オハイオ州の州法の下での結婚,ノーブー市の市条例の作成,信教の自由を完全に保護する権利の行使,連邦政府の所有地の売却に関する新しい法律の効果的な活用,人身保護令状の効力の主張,適切な裁判地の要求,新たに採択された連邦破産法の適用に関しても,それは言えます。ジョセフは暇さえあれば法律書を研究し,憲法の正確な文言と州法の具体的な言い回しを知っていました。確かにジョセフは,その生涯を通して,州法と連邦法の数々の改変についてよく知っていたのです。」22

重要なのは,この3人がこんな言葉を添えていることです。「被告としてジョセフは,いかなる犯罪行為についても有罪宣告を受けていません。公正な事情聴取を受けたときにはいつでも,法律を守る正直な市民であると認められたのです。」23

わたしがこれまで引用してきた書籍は,預言者ジョセフの訴訟の詳しい内容を精選し,分析してまとめたものであり,このテーマに関する講座を履修したJ・ルーベン・クラーク法科大学院の多くの学生の働きのおかげで1冊の本になりました。そして,書籍にまとめ上げるまでの細かい作業は,上記の3人の著者が行ったのです。わたしは法科大学院生の見解の説明に興味をそそられました。

「この書籍を教科書として過去に繰り返し使ったことのある法科の学生は,一貫して,ジョセフについて次のような見解を持つようになりました。つまり,ジョセフは,責任感があり,報告責任を果たしており,誠実で,良識があり,情けがあって,用心深く,細部に気を配り,法律に従い,忍耐強く,前向きで,才覚があり,明敏で,機転が利き,人を見る目があり,法律の知識も秀でていた(学生自身の言葉を幾らか使用)という見解です。特にほかの人の宗教上の権利や市民としての権利を擁護したり,引き受けた義務を果たしたりするときに,このような特質が発揮されたというのです。……ジョセフ・スミスは,アメリカ合衆国憲法をつかさどる人々に失望し,落胆し,危機感を抱くことがよくあったにもかかわらず,その憲法に対する信頼を失うことはなく,その庇護の下で活動する努力を着実に行っていました。」24

ジョセフ・スミスの啓示

「預言者ジョセフ・スミス」ダン・ウェッジレンド画。教会歴史博物館の厚意により掲載

IV.結論

ジョセフ・スミスは,その生涯で,この世に生を受けたいかなる人よりも多くのことを,ごく短い期間のうちに成し遂げました。なぜそれができたのかは,天の助けがあったからだとしか説明できません。わたしはそれをまとめたこんな文が好きです。

「ジョセフ・スミスは,モルモン書をニューヨーク州で出版し,教会をニューヨーク州で組織し,その後その教会をオハイオ州,ミズーリ州さらにイリノイ州に移転させました。カートランドやファーウエスト,ノーブーなどの都市を築きました。数百人もの教会指導者を召して訓練しました。ヘブル語と聖書を研究しびました。扶助協会を創設しました。単独または共同で事業を営みました。不動産の開発を行い,神殿を建設しました。記事や論説を執筆して出版しました。大家族を擁し,広い交友関係がありました。ノーブー市の市長兼裁判長はもちろんのこと,市民軍の大部隊の総司令官を含む,市政の要職に就いていました。毎週の礼拝や奉献式,また,非常に多かった葬式ではよく説教をしていました。また,何万人もの支持者を引きつけ,改宗者が波のようにアメリカ合衆国に押し寄せるまでになりました。」25

20年以上前の総大会の話で,わたしは次の話をしました。

「ほかの信仰深い末日聖徒と同様,わたしも預言者ジョセフ・スミスの証とその使命の上に自分の人生を築いてきました。膨大な資料を読み,独自の研究を重ねた後も,彼の預言者としての召しや,主が彼を通して実現された福音と神権の回復について,わたしの証が揺らいだことは一度もありませんでした。わたしはここに,有名な1842年のウェントワース書簡にあるジョセフ・スミスの証を厳かに支持します。

『……真理の旗が掲げられています。いかなる汚れた者の手も,この御業の発展を止めることはできません。迫害は威を振るい,暴徒は連合し,軍隊は集合し,中傷の風が吹き荒れるかもしれません。しかし神の真理は大胆かつ気高く,悠然と出で立ち,あらゆる大陸を貫き,あらゆる地方に至り,あらゆる国に広まり,あらゆる者の耳に達して,神の目的は成し遂げられるでしょう。かくして,大いなるエホバは,御業は成ったと告げられることでしょう。』(Times and Seasons, 1 March 1842, 709; quoted in Daniel H. Ludlow, ed., Encyclopedia of Mormonism, 5 vols. [1992], 4:1754)26

アフリカの宣教師たち

兄弟姉妹の皆さん,わたしは救い主イエス・キリストについて証します。御父は救い主とともに後に預言者となる少年に御姿を現して,「これはわたしの愛する子である。彼に聞きなさい」と言われました(ジョセフ・スミス—歴史1:17)。そして,わたしたちはそれ以後,主イエス・キリストの言葉を啓示によって聞いているのです。この教会は主の教会です。わたしたちは主の聖なる神権の権能を持っています。わたしたちは主の大義の下に前進します。わたしは預言者ジョセフ・スミスの召しと,皆さんが携わっているこの偉大な業を行うためにジョセフに続いて召された預言者たちの召しについて,証します。

  1. Russell M. Nelson, Accomplishing the Impossible (2015), 1–2

  2. 「たたえよ,主の召したまいし」『賛美歌』16番

  3. 『わたしの福音を宣べ伝えなさい—伝道活動のガイド』37参照

  4. Richard Lyman Bushman, Joseph Smith: Rough Stone Rolling (2005), 105

  5. Russell M. Nelson, in Sarah Jane Weaver, “President Nelson Shares the ‘Hopes of My Heart’ with New Mission Leaders,” Church News, June 26, 2018, news.lds.org

  6. 『わたしの福音を宣べ伝えなさい』103。モルモン書の序文も参照。

  7. Gary C. Lawrence, How Americans View Mormonism: Seven Steps to Improve Our Image (2008), 32

  8. See Gary C. Lawrence, How Americans View Mormonism, 42

  9. This portion through the text at note 10 is adapted from Dallin H. Oaks, “Joseph Smith in a Personal World,” in John W. Welch, ed., The Worlds of Joseph Smith: A Bicentennial Conference at the Library of Congress (2006), 159

  10. 『歴代大管長の教え—ジョセフ・スミス』522

  11. Mary Alice Cannon Lambert, in “Joseph Smith, the Prophet,” Young Woman’s Journal, Dec. 1905, 554

  12. ダリン・H・オークス「ジョセフ—人として預言者として」『聖徒の道』1996年7月号,82

  13. See Dallin H. Oaks, “The Suppression of the Nauvoo Expositor,” Utah Law Review, vol. 9, no. 4 (1965), 862–903

  14. See Dallin H. Oaks and Marvin S. Hill, Carthage Conspiracy: The Trial of the Accused Assassins of Joseph Smith (1975)

  15. See Dallin H. Oaks and Joseph I. Bentley, “Joseph Smith and Legal Process: In the Wake of the Steamboat Nauvoo,” BYU Law Review, vol. 1976, no. 3 (1976), 735–82

  16. See David Herbert Donald, Lincoln (1995), 94–118

  17. See Dallin H. Oaks and Joseph I. Bentley, “Joseph Smith and Legal Process,” 781

  18. Gordon A. Madsen, Jeffrey N. Walker, and John W. Welch, eds., Sustaining the Law: Joseph Smith’s Legal Encounters (2014), x–xi

  19. ダリン・H・オークス「ジョセフ—人として預言者として」83参照

  20. Jeffrey N. Walker in Gordon A. Madsen and others, eds., Sustaining the Law, vi

  21. Jeffrey N. Walker in Gordon A. Madsen and others, eds., Sustaining the Law, vii

  22. Gordon A. Madsen and others, eds., Sustaining the Law, xvii

  23. Gordon A. Madsen and others, eds., Sustaining the Law, xvii–xviii

  24. Gordon A. Madsen and others, eds., Sustaining the Law, xviii

  25. Gordon A. Madsen and others, eds., Sustaining the Law, xi–xii

  26. ダリン・H・オークス「ジョセフ—人として預言者として」84

年齢:

出来事:

14

最初の示現を受ける

21

金版を受け取る

23

モルモン書の翻訳を終える

25

教義と聖約の啓示の半数を受ける

26

大管長会が組織される

33

ミズーリでの収監から逃れて再び聖徒の指揮を取るようになる

28

殉教する