2020
見る目
2020年11月


9:44

見る目

聖霊の力により,キリストはわたしたちが自分自身とほかの人々を御自分が御覧になるように見る目を与えてくださいます。

神の御手を見る

わたしは,旧約聖書の預言者エリシャに仕えていた若者の話が好きです。ある朝早く,目を覚ましたその若者が外へ出てみると,町は大軍に囲まれ,今にも滅ぼされそうになっていました。若者はすぐさまエリシャのもとに駆け寄ります。「ああ,わが主よ,わたしたちはどうしましょうか。」

エリシャは答えました,「恐れることはない。われわれと共にいる者は彼らと共にいる者よりも多いのだから。」

若者には,心を落ち着かせる慰めの言葉以上のもの,すなわち啓示が必要だと,エリシャは悟っていました。そこで「エリシャが祈って『主よ,……彼の目を開いて見させてください』と言うと,主はその若者の目を開かれたので,彼が見ると,火の馬と火の戦車が山に満ちてエリシャのまわりにあった」のです。1

この召使いのように,神が自分の人生においてどのように働いておられるかが見えずに苦しむときがあるでしょう。自分が八方ふさがりのように感じるとき,この世の試練によってやむを得ずへりくだるときです。神と,神の「時」を信頼して待ってください。皆さんは,主の御心を心から信頼することができるのです。ただし,ここで学ぶべきもう一つの教訓があります。愛する姉妹,兄弟,皆さんもまた,通常であれば見えないものを見る目を開いていただけるよう,主に祈ることができるということです。

神が御覧になるように自分自身を見る

恐らく,わたしたちがはっきりと目にする必要がある最も大切なこととは,神がどのような御方であるか,自分はほんとうは何者なのか,ということです。わたしたちは「神から受け継いだ特質と永遠の行く末」を持つ,天の両親の息子,娘です。2これらの真理とともに,神が自分に対して感じておられることを示してくださるよう神に願い求めてください。自分の真の姿と目的,深い霊性とをより深く理解すればするほど,生活のあらゆる面に影響がもたらされるようになります。

ほかの人々を見る

神が自分をどう御覧になるかを理解することで,わたしたちも神と同じようにほかの人々を見る道が開けます。コラムニストのデビッド・ブルックスはこう語りました。「深刻な社会問題の多くは,自分はだれからも見られていない,知られていないと感じることから生じる。……だれもが伸ばすべき……根本的な特質〔がある〕。それは,お互いの奥深くを見ること,〔また,〕奥深くを見られることだ。」3

イエス・キリストは,人々の奥深くを御覧になっています。一人一人を見ておられるイエスは,その必要,また将来なり得る姿を目にしておられます。ほかの人々が,漁師や罪人,取税人と見なした人々を,イエスは弟子として御覧になりました。人々が悪魔に取りつかれていると見なした人々についても,イエスは表面的な苦痛に目を向けることなく,その人自身を認め,癒されたのです。4

慌ただしい生活にあっても,わたしたちはイエスの模範に倣い,一人一人を見ることができます。人々の必要や信仰,困難,また将来なり得る姿を目にすることができるのです。5

自分が普段は見えていないものを見る目を開いてくださるよう主に祈るとき,わたしは度々二つのことを自問し,その後受ける印象に注意を払うようにしています。一つは「やめるべきことで今行っていることはなにか」,もう一つは「始めるべきことでまだ行っていないことは何か」という問いです。6

数か月前のこと,これについて聖餐の間に自問したところ,驚いたことに次のような印象を受けました。「列に並んで待っているとき,携帯電話を見るのをやめなさい。」列に並ぶときには,ほとんど無意識に携帯電話を見るようになっていました。メールを確認したり,トップニュースを見たり,ソーシャルメディア上の投稿を見ていったりと,いろいろなことを済ませるのにうってつけの時間だったからです。

翌朝,店で長い列に並んで待っていたときのことです。携帯電話を取り出すと,前日に受けた印象を思い出しました。そこで携帯電話をしまい,周りを見渡すと,わたしの前に並ぶ年配の紳士が目に留まりました。買い物かごには,キャットフードの缶が幾つか入っているだけです。多少の気まずさを感じながらも,わたしは「ネコを飼っていらっしゃるんですね」と,精いっぱい気の利いたことを言いました。嵐が近づく中,ネコのえさを切らしてしまうと嫌だから,とのことでした。短く言葉を交わした後,彼はわたしの方を向いてこう言いました。「いやね,だれにも言っていないんだが,今日はわたしの誕生日なんだよ。」心が溶けていくようでした。お祝いの言葉を伝えると,心の中で祈りました。携帯電話にかまけて,だれかをほんとうに見る機会,つながりを求めていた人と交流する機会を逃さずにいられたことを感謝したのです。

エリコへの道で,〔傷ついた旅人を〕見ながら通り過ぎた祭司やレビ人のようにはなりたくないと,心から思っています。7それでも,見過ごしてしまうことが多すぎるとも感じています。

自分の受けている神の用向きを見る

わたしは最近,ロズリンという若い女性から,深く見ることについて貴重な教訓を学びました。

20年連れ添った夫が家を出ていき,ひどく落ち込んでいた友人から聞いた話です。子供たちが両親のそれぞれと時間を過ごせるようにする中,教会に一人で行くことを考えただけでも気が滅入りました。彼女はこう振り返っています。

「家族がことのほか大切にされている教会で,一人だけで座るのはつらい場合もあります。あの最初の日曜日,わたしはだれにも話しかけられないようにと祈りながら部屋に入りました。何とか落ち着き払っていましたが,今にも涙があふれそうでした。わたしの隣が空席であることをだれにも気づかれないよう願いながら,いつもの場所に座ったのです。

ワードのある若い女性が振り向いて,わたしを見ました。わたしが無理してほほえむと,彼女はほほえみ返してくれました。その表情から,気にかけてくれているのが分かりました。わたしは心の中で,彼女が話しかけてこないようにと祈りました。前向きなことは何も言えないし,泣いてしまうだろうと分かっていたからです。わたしは下を向き,目を合わせないようにしました。

それからの1時間,彼女が時折わたしのことを振り返って見ているのに気がつきました。集会が終わるやいなや,彼女はまっしぐらに駆け寄って来ました。『こんにちは,ロズリン』とわたしがささやくと,彼女はわたしを抱き締めてこう言いました。『姉妹,今日は何かつらいことがあったんですよね。分かります。ほんとうに大変でしたね。姉妹のことを愛しています。』思っていたとおり,もう一度彼女に抱き締められると,涙があふれてきました。そこを去るとき,心の中で思いました。『何とかやっていけるかもしれないわ。』

ロズリンと姉妹

わたしの半分の歳にも満たない,愛ある16歳の若い女性です。その年が暮れるまで,彼女は毎週わたしを見つけては抱き締めてくれ,『元気ですか』と尋ねてくれました。おかげで,教会へ行くことに関して,気持ちが大きく変わりました。実際,彼女のハグに頼り始めている自分がいました。だれかがわたしに気づいてくれ,だれかがわたしの存在を知っていてくれ,だれかが気にかけてくれたのです。」

御父が喜んで与えたいと望んでおられるあらゆる賜物と同じように,奥深くを見るには,主に尋ねること,それから行動することが求められています。主が御覧になるように,すなわち神のようになる無限の可能性を秘めた,主の真の息子および娘として人々を見ることができるように願い求めるのです。それから,促されるままに行動することです。人々を愛し,仕え,その価値と可能性を認めてください。これを生活のパターンとするなら,自分が「イエス・キリストに真に従う者」となっていることに気がつくでしょう。8人々は自分の心を預け,わたしたちの心を信頼することができるでしょう。また,この生活パターンを通して,わたしたちは自分自身の真の姿と使命をも見いだすことができるでしょう。

救い主の癒し

わたしの友人は,人けのなくなったその長椅子に一人で座る中,20年間,家庭で福音を実践しようとした努力は無駄に終わったのだろうかと考えた経験についても話してくれました。彼女は心を静める慰めの言葉以上のもの,啓示を必要としていました。すると,ある問いかけが心を刺し貫いたのです。「あなたはなぜそれを実践しようと努めたのですか。褒美や人からの称賛,あるいは望ましい結果を得るためですか。」彼女は一瞬ためらい,自分の心に問いかけた後,自信を持ってこう答えることができました。「救い主を愛しているから,主の福音を愛しているから行ったのです。」主は彼女の目を開き,見る目を持てるよう助けてくださいました。簡潔ながらも力強い変化を経験した彼女は,新たな目を得て,つらい状況にあってもキリストへの信仰を抱いて歩み続けることができたのです。

たとえ難しいときも,たとえ疲れているときも,たとえ孤独なときも,たとえ願ったような結果が得られないときでも,イエス・キリストはわたしたちを愛し,わたしたちに見る目を与えることがおできになると証します。主は御自分の恵みにより,わたしたちを祝福し,わたしたちの能力を増し加えてくださいます。聖霊の力により,キリストはわたしたちが自分自身とほかの人々を御自分が御覧になるように見る目を与えてくださいます。主の助けによって,わたしたちは最も必要とされている事柄を識別することができるのです。何気ない生活のささやかな場面で,主の御手を見いだし始め,奥深くを見られるようになることでしょう。

そしてわたしは,その大いなる日,「御子が御自身を現されるときに,わたしたちはありのままの御姿の御子にまみえるので,御子に似た者となれるように,またわたしたちがこの希望を持てるように」9と祈ります。イエス・キリストの御名により,アーメン。

  1. 列王下6:15-17

  2. 「若い女性のテーマ」 youngwomen.ChurchofJesusChrist.org

  3. David Brooks, “Finding the Road to Character” (Brigham Young University forum address, Oct. 22, 2019), speeches.byu.edu.

  4. マルコ5:1-15参照

  5. 「周りにいる人は皆,神や女神になる可能性を持っている。この事実を軽々しく扱ってはならない。すぐ近くにいる,だれよりも物分かりが悪くつまらない人が,いつの日か,あなたが心から崇拝したくなるような存在となるかもしれないということを忘れてはいけない。今のあなたには,その姿が見えていないだけなのだ。……この世に 凡人などいない。」 (C. S. Lewis, The Weight of Glory [2001], 45–46).

  6. キム・B・クラーク「火に包まれ」(宗教教育セミナリー・インスティテュート衛星放送,2015年8月4日)ChurchofJesusChrist.org

  7. ルカ 10:30-32参照

  8. モロナイ7:48

  9. モロナイ7:48;強調付加