2020
神は想像もつかないことをなさる
2020年11月


15:17

神は想像もつかないことをなさる

神は御自分の子供たちや教会をこの時のために備えておられました。

ソルトレーク盆地に到着して間もないころ,末日聖徒たちは聖なる神殿を建て始めました。迫害を受けることなく,平安のうちに神を礼拝することのできる場所をついに見つけられたと感じていました。

しかし,神殿の基礎が完成する間近になって,新しい知事を強制的に就任させるためにアメリカ軍の兵隊がやって来ました。

教会指導者は,軍隊がどれほど敵意を抱いているか分からなかったため,ブリガム・ヤングは聖徒たちに,神殿の基礎を埋めて避難するように指示しました。

教会員の中には,神の王国を築くための努力が事あるごとに妨げられることに疑問を抱く人もいたでしょう。

やがて危機が去ると,神殿の基礎は掘り返され,点検されました。すると,開拓者の建設者たちは,初めに敷いた幾つかの砂岩が割れてしまい,基礎として使えないことを知りました。

そこで,ブリガムはそれを巨大な花こう岩1に置き換え,壮大なソルトレーク神殿の壁を支えるのに十分な強度を持たせました。2そして,ついに聖徒たちは賛美歌「主のみ言葉は」3を歌い,聖なる神殿が,何世代にもわたって続く堅固な基礎の上に築かれたこと知ったのです。

ソルトレーク神殿の基礎

この話は,神がどのように逆境を使って御自分の目的を果たされるかを教えてくれます。

世界規模のパンデミック

これは今日の状況に当てはまると思ったかもしれませんが,実際によく当てはまります。

わたしの声を聞いたり,わたしの言葉を読んでいる人の中で,現在の世界規模のパンデミックの影響を受けていない人はいないでしょう。

家族や友人の死を悲しむ者とともにわたしたちも悲しみます。天の御父が慰め,元気づけてくださることを切に願っています。

このウイルスの長期的な影響は肉体的な健康以上に及びます。多くの家族は収入を失い,餓えや先行きの見えない不安に脅かされています。この病の拡大を防ぐため,無私の働きをしてくださっている多くの方々に賛辞を贈ります。助けを必要とする人々を支援し,癒し,支えるために自らを危険にさらしながらも見えない犠牲や立派な働きをしてくださっている方々のことを思うと,へりくだる思いになります。皆さんの善良さ,思いやりに心から感謝しています。

神が天の窓を開き,神の永遠の祝福によって皆さんの人生を満たしてくださるよう熱意を込めて祈ります。

わたしたちは種である

このウイルスに関して分かっていないことはまだたくさんあります。しかし,わたしが知っていることが一つあるとすれば,それは天の御父にとって予想外のことではなかったということです。想定外の必要に対応するために天使の大軍を集結させ,緊急会議を開き,世界創造部門の資源を流用する必要はありませんでした。

今日のわたしのメッセージは,このパンデミックがわたしたちの望むものや期待するものではなかったとしても,神は御自分の子供たちや教会をこの時のために備えておられたということです。

わたしたちはきっとこれを乗り越えるでしょう。しかし,歯を食いしばりながらその場にとどまり,物事が以前の状態に戻るまで待つだけではいけません。前進し,その結果,改善していくのです。

ある意味,わたしたちは種です。種がその可能性を花開かせるためには,土に埋められ,芽を出す必要があります。時々わたしたちは,人生の試練に埋もれ,情緒的な暗闇に囲まれていると感じることがあるかもしれませんが,神の愛と回復されたイエス・キリストの祝福によって,想像もつかない出来事が生じるのです。

祝福は困難を通してもたらされる

どの神権時代にも試練や困難の時がありました。

エノクとその民は邪悪や戦争,流血の時代を生きました。「しかし,主は来て,主の民とともに住まわれ〔ました〕。」主は,彼らのために想像もつかないことを用意しておられました。主はシオンを築くのを助けられたのです。彼らは「心を一つにし,思いを一つにし,義のうちに住ん〔で〕」いました。4

ヤコブの息子ヨセフは若いころ,穴に投げ入れられ,奴隷として売られ,裏切られ,見捨てられました。5神が自分のことを忘れられたと思ったに違いありません。神は,ヨセフのために想像もつかないことを用意しておられました。そして,この試練の時期を使ってヨセフの人格を強め,ヨセフを自分の家族を救う立場に置かれました。6

リバティーの監獄におけるジョセフ

リバティーの監獄に投獄されていたジョセフ・スミスが,苦難の中にあった聖徒たちの救いを願い求めていたときのことを考えてみてください。ジョセフは,そのような状況でどのようにシオンが築かれるのかと思ったに違いありません。しかし,主はジョセフに平安を告げられ,それに続く啓示は聖徒たちに平安をもたらしました。そして,それは皆さんとわたしにも平安をもたらし続けています。7

末日聖徒イエス・キリスト教会の初期に,聖徒たちは何度絶望し,神に忘れられたのではないかと思ったことでしょう。しかし,迫害や苦難,撲滅の危機を通して,主なるイスラエルの神は御自分の小さな群れのために,ほかのことを用意しておられました。想像もつかないことです。

これらの例や,聖文の中にあるほかの何百もの例から何が学べるでしょうか。

第一は,義人には陰で覆われた谷を避けるためのフリーパスが与えられているわけではないということです。わたしたちは皆,困難な時期を通り抜けなければなりません。逆境の時にこそ,人格を強め,神に近づくための原則を学ぶことができるのです。

第二に,天の御父はわたしたちの苦しみを御存じであり,わたしたちは神の子供なので,見捨てられることはないということです。8

御自分の生涯の多くを病人や孤独な人,疑い深い人,絶望している人にミニスタリングするためにささげられた,憐れみ深い救い主のことを考えてみてください。9彼らと比べて,主が今日の皆さんを,あまり気にかけられないことがあるでしょうか。

愛する友人や兄弟姉妹の皆さん,神はこの不確かで不安な時期に皆さんを見守り,導いてくださいます。神は皆さんを御存じであり,皆さんの嘆願を聞いておられます。神は忠実で信頼できる御方であり,約束を果たされます。

神は皆さん個人や教会全体のために,想像もつかないようなことを用意しておられます。まさにくしき御業です。

感謝を神に捧げん

最高の日々は,過去ではなく未来にあります。だからこそ,神は現代の啓示を与えてくださっているのです。それがないと,人生は飛行機が空中待機し,安全に着陸できるよう霧が消えるまで待っているようなものに感じられます。わたしたちに対する主の目的は,もっと偉大なものです。この教会は生けるキリストの教会であり,主が預言者を導いておられるため,わたしたちは前と上に向かって進み,これまで行ったことのないような場所や,想像もつかないような高みに到達することができるのです。

だからといって,この世を飛行する中で,乱気流に遭遇しないわけではありません。予期せぬ機器の故障や機械の不具合,深刻な天候不良がないわけではありません。実際,事態が改善する前に悪化することもあります。

わたしが戦闘機のパイロットや航空機の機長として学んだことは,飛行中にどのような逆境に遭うかは選べないけれども,どのように備え,どのように対応するかは選べるということです。危機の中で必要なことは,落ち着いて冷静な状態で信頼することです。

どうしたらこれができるのでしょうか。

事実と向き合い,基礎に立ち返る,つまり基本的な福音の原則や最も大切なことに目を向けるのです。祈りや聖文研究,神の戒めを守ることなど,宗教に関する自分自身の行いをより強固なものとします。そして,実証された最善の方法に基づいて決断を下します。

できないことではなく,できることに目を向けます。

信仰を奮い立たせ,安全な場所へとわたしたちを導く,主と主の預言者の声に耳を傾けます。

この教会はイエス・キリストの教会であり,主がかじを取っておられることを覚えていてください。

この10年間の中だけでも,霊感による進歩が数多くありました。そのごく一部として,

  • 聖餐が安息日の礼拝の中心であることが再び強調されました。

  • 個人と家族を強めるため,家庭中心で教会がサポートするツールである『わたしに従ってきなさい』が提供されました。

  • より高く,より神聖な方法ですべての人にミニスタリングを行うことを始めました。

  • そして,福音を分かち合い,主の業を行う際にテクノロジーを活用することが教会全体に広まりました。

この総大会のセッションも,すばらしいテクノロジーのツールがなければ実現できませんでした。

兄弟姉妹の皆さん,キリストがかじを取っておられるかぎり,物事は無事に進むだけでなく,想像もつかないことが起こるのです。

イスラエルの集合の業は前進する

初めは,世界規模のパンデミックが主の業にとって障害物であるように見えたかもしれません。例えば,これまでのような方法で福音を分かち合うことはできなくなりました。しかし,パンデミックをきっかけに,心の正直な人たちに手を差し伸べるための新しく創造的な方法が生まれています。イスラエルの集合の業は,より力強く,より熱を帯びたものとなっています。何百何千もの体験談がこれを裏付けています。

美しいノルウェーに住む親しい友人が,ハリエットとわたしに宛てて最近バプテスマが増えていることについて手紙につづってくれました。「教会が小さい所では,小さな集まりが支部となり,支部がワードとなります。」

ラトビアでは,インターネットの広告をクリックして教会のことを知った女性が,イエス・キリストの福音を学ぶのが楽しみなあまり,宣教師との約束の1時間前に集合場所に到着し,最初のレッスンが終わる前に,バプテスマを受ける日を決めたいと言いました。

東ヨーロッパでは,宣教師からの電話を受けた女性がこう言いました。「姉妹たち,なぜもっと早く電話してくれなかったのですか。ずっと待っていました。」

多くの宣教師がかつてないほど忙しく働き,かつてないほど多くの人を教えています。そして,会員と宣教師のつながりが強まっています。

これまで伝統的な方法に捕らわれていたため,パンデミックがなければわたしたちの目は開かれなかったかもしれません。花こう岩が使えるときに,まだ砂岩で建物を建てようとしていたことでしょう。今わたしたちは必要に迫られて,テクノロジー含む様々な手段の活用方法を学んでいます。それらを使うことで,ごく普通で自然な方法で人々を招き,来て見てもらい,来て助けてもらい,来て一員になってもらうことができます。

主の業,主の方法

これは主の業です。わたしたちが主の方法を見いだすよう主は招いておられます。それは過去の経験とは異なるかもしれません。

テベリヤの海で漁をしていたシモン・ペテロやほかの弟子たちも,そのことを経験しました。

「その夜はなんの獲物もなかった。

夜が明けたころ,イエスが岸に立っておられた。……

イエスは彼らに言われた,『舟の〔反対側〕に網をおろして見なさい。そうすれば,何かとれるだろう。』

彼らは網をおろすと,魚が多くとれたので,それを引き上げることができなかった。」10

神はこれまでその全能の御手を現わしてこられ,これからもそうされることでしょう。いつか振り返ったとき,わたしたちは神がこの逆境の中で助けてくださっていたことを知るでしょう。そして,神の王国を堅固な基礎の上に築くためのより良い方法,すなわち主の方法を見いだすことができるようにしてくださっていたことを知るでしょう。

これが神の業であり,神が御自分の子供たちや民の中で,想像もつかないことをこれからも数多く行われることを証します。神はその優しく憐れみ深い御手でわたしたちを包んでくださっています。

ラッセル・M・ネルソン大管長は,わたしたちの時代の神の預言者です。

主の使徒として,わたしは「〔皆さんが〕力の限りすべてのことを喜んで行〔う〕」ことを勧め,そうすることができるよう祝福します。「そして願わくは,その後,〔皆さん〕がこの上ない確信をもって待ち受けて,神の救いを目にし,また神の腕が現されるのを見ることができ〔ます〕ように。」11そして,主が皆さんの義にかなった働きによって,想像もつかないことを生じさせてくださることを約束します。イエス・キリストの御名により,アーメン。

  1. 花こう岩に似た石英モンゾニ岩が,町の約32キロ南に位置するリトル・コットンウッド渓谷の入り口にある採石場から切り出された。

  2. この時代の詳細については,『聖徒たち—末日におけるイエス・キリスト教会の物語』第2巻「いかなる汚れた者の手も」1846-1893年1719,および21章参照。

  3. 「主のみ言葉は」『賛美歌』46番参照

    このすばらしい賛美歌の歌詞は,わたしたちの時代のテーマとなるものであり,新たな気持ちで歌詞を聞くとき,わたしたちが直面する試練に対して洞察を与えてくれる。

    貧しくも,富める時も,

    病む時,健康の時も

    内に外に,海,陸に

    汝れの求むる時 いつも 主の救いは汝れにあらん

    恐るな,われは汝が神

    常に汝と共にあり

    助け与え,強くして

    わが正しき力をもて汝れを支え,励まさん

    深く行けと召す時は

    水は汝れを溺らさじ

    われ汝と共にあり

    汝れを助け,悩みはらし 祝福の恵み与えん

    辛き試しのある時

    わが憐れみ,与えられん

    試し,汝れを損なわず

    ただ黄金とくずとを分け 選ぶための手だてなり

    主,われに頼るものの霊

    敵の手には渡し得ず

    地獄,彼に迫るとも

    われその霊を見捨てはせず 必ずわれは見捨てず

  4. モーセ7:13-18参照

  5. ヨセフは兄たちに奴隷として売られたとき,恐らく17歳であった(創世37:2参照)。パロの家来となったのは30歳のときだった(創世41:46参照)。人生の盛りにいた若い男性が裏切られ,奴隷として売られ,ぬれぎぬを着せられ,投獄されるのがどれほどつらいことか想像できるだろうか。ヨセフは,教会の青少年だけでなく,十字架を背負って救い主に従うことを望むすべての男性や女性,子供にとって間違いなく模範である。

  6. 創世45:4-1150:20-21参照。詩篇105:17-18にはこう記されている。「彼らの前にひとりをつかわされた。すなわち売られて奴隷となったヨセフである。彼の足は足かせをもって痛められ,彼の首は鉄の首輪にはめられ〔た〕。」別の訳では,18節にこう記されている。「彼らは足かせをもって彼の足を苦しめ,鉄が彼の心に入った。」(ヤングの逐語訳参照)これは,わたしが思うに,ヨセフが苦難によって鉄のように強じんな心を得たことを意味している。それは,主がヨセフのために用意しておられた偉大で想像もつかないような未来にとって必要な特質であった。

  7. 教義と聖約121-123章参照

  8. 餓えている人や乏しい人,着る物がない人,病人,苦しんでいる人に注意を払い,思いやりを示すよう,神が御自分の子供たちに命じておられるとすれば,神は間違いなく御自分の子供であるわたしたちに注意を払い,憐れみをかけてくださるだろう(モルモン8:39参照)。

  9. ルカ 7:11-17参照

  10. ヨハネ21:1-6参照

  11. 教義と聖約123:17