ステップ7
謙 遜
基本原則──自分の欠点を取り除いてくださるよう,へりくだり天の御父に祈り求める。
すべてのステップで
ステップ7は,わたしたち一人一人にとって全身全霊を救い主にゆだねることを意味するものであり,わたしたちの多くはアルマのように「おお,神の御子イエスよ,……わたしを
神の愛を幾分か感じたわたしたちは,神についてもっとよく知るために,自分の罪も,罪への執着心もすべて捨てたいと望みました。ついにわたしたちは,自らの意志によって,心の底から,神に全身全霊をささげて,
わたしたちが主のなさることに身をゆだねて初めて,主はわたしたちの全人格にかかわる画期的な変化をもたらすことがおできになりました。ステップ7はわたしたちの決心でした。わたしたちは意識的に
ステップ7は,わたしたち一人一人がようやくモーサヤ16:4で教えられている次のような永遠の真理に無条件で従うようになった瞬間を示しています。「全人類は迷った状態になった。そして見よ,もし神が御自分の民を迷い堕落した状態から
わたしたちはまだ罪深い欲求から,完全に自由になったわけではありませんでした。わたしたちは,神の
どのステップも皆,警告を含んでいますが,ステップ7も例外ではありません。これまでこれらの原則に忠実に従ってきたわたしたちは,あなたに警告しなければなりません。それは犠牲なくしてこのステップに取り組むことはできないということです。実際,犠牲が求められるからです。教義と聖約59:8で,主は次のように命じておられます。「あなたは,義をもって主なるあなたの神に犠牲を,すなわち打ち砕かれた心と悔いる霊の犠牲をささげなければならない。」このささげ物が,まさにステップ7の真髄なのです。再生に伴う苦痛を感じる最中にあっても,このことを覚えておいてください。あなたの罪の
あなたがすべてを主の
行動のステップ
聖 餐 の祈りについて瞑 想 することにより,救い主の贖 いの力があなた自身の生活に効力を及ぼすように願い求める
効果的な
預言者の勧めに従って自らの生活に聖文を当てはめるためには,モロナイ4:3と5:2を声に出して読み,
神があなたにできないことをあなたに代わって行ってくださるように謙 遜 に祈る
「主よ,わたしに何をするようお望みでしょうか」あるいは「
研究と理解
以下の聖句と教会指導者の言葉はステップ7に取り組むうえで助けとなるでしょう。これらの聖句と質問を
謙 遜 になることを選ぶ
「わたしは,あなたがたがやむを得ずへりくだっているので幸いであると言ったが,
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わたしたちの多くは自分の依存症の影響によって,追い詰められ,絶望感を抱いて立ち直り集会にやって来ました。わたしたちはやむを得ずへりくだりました。しかし,ステップ7で述べられている
謙 遜 は,違う動機から生じたものです。それは自発的な謙遜であり,あなたが自ら謙遜になることを選択した結果なのです。立ち直りを始めて以来,謙遜さにかかわるあなたの感情は,どのように変化してきましたか。
喜びに満たされる
「彼らは,自分たちがこの世的な状態にあり,大地のちりよりも劣っていると思った。そして彼らは皆,声を合わせて大声で叫んだ。『おお,
そして,彼らがこれらの言葉を語り終えると,主の
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ベニヤミン王の民がささげた祈りは,わたしたちがステップ7でささげる祈りと似ています。主の
御 霊 が民に降 って罪の赦 しを与えたとき,彼らは安らぎと喜びを感じました。あなた自身がこれまでにそのような感情を得た経験について思い起こしてください。これらの感情を持つことがあなたの生き方になれば,あなたの人生はどのようになるかについて書いてください。
神を信じる
「神を信じなさい。神がましますことと,神が天と地の万物を創造されたことを信じなさい。神はすべての知恵を備え,また天と地の両方で一切の権威を持っておられることを信じなさい。さらに,人は主が理解される事柄すべては理解しないということを信じなさい。
さらにあなたがたは,罪を悔い改めてその罪を捨て,神の
そして再び,すでに語ったように,わたしはあなたがたに言う。あなたがたはすでに神の栄光を知るようになったので,すなわち,神の慈しみを知り,神の愛を味わい,心にこのような非常に大きな喜びを与えた罪の
……あなたがたがこのようにするならば,いつも喜びを感じ,神の愛で満たされ,またいつも罪の
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祈りの気持ちで,ベニヤミン王が語った中からわたしたちのすべき事柄を挙げて書き出してください。これらの事柄はステップ7への取り組みとどう関連していますか。
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ベニヤミンの教えに従うときにどのような約束が与えられますか。(聖句の最後の節を参照。)
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このような約束を受けたならば,あなたの生活にどのような変化がもたらされるでしょうか。
律法と戒めに従う
「この目的のために律法が与えられたからである。それゆえ,律法はわたしたちにとってすでに無用となって,わたしたちは信仰により,キリストによって生かされている。それでも,神の戒めに従って律法を守るのである。」(2ニーファイ25:25)
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わたしたちはキリストに対する「信仰により,キリストによって生かされて」います。律法はわたしたちにとってすでに無用となっているとはどういう意味でしょうか。なぜわたしたちは続けて律法を守り,戒めに従い続けるのでしょうか。
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律法を守ることについて今どのように感じていますか。
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戒めを守ることがどうして神への愛を表すことになるのでしょうか。
神の愛
「神を第一に考えれば,ほかのすべてのものは正しい位置に落ち着くか,またはわたしたちの生活の中から消えていくかのどちらかです。主に対するわたしたちの愛は,わたしたちの愛情を注ぐ対象,時間の使い方,追い求める興味,優先順位を左右します。」(エズラ・タフト・ベンソン「偉大な戒め──主を愛する」『聖徒の道』1988年6月号,4参照)
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神の
憐 れみと恵みについて,このように深く理解するようになったあなたは,恐らく,神の愛を,すなわち神への愛と神からの愛を,すでに感じ始めていることでしょう。これまでのステップに取り組む中で,愛が次第に強まることについて,どんなことでもあなたが感じたことを思い起こし,書き出してください。 -
ステップ7は,どのような点であなたの最も偉大な愛の行為であるとみなされるのでしょうか。
キリストの御 名 を受ける
「このとおりにする者はだれでも,自分がどのような名で呼ばれるか分かるので,神の右に見いだされるであろう。なぜならば,キリストの
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わたしたちの多くはキリストの
御 名 を受けることをバプテスマや聖 餐 と関連付けて考えますが,確かにそのとおりです。少しの間,キリストの御名で呼ばれるとはどういうことか,また,キリストの誉れを自分自身に引き受けるとはどういうことかについて考えてみてください。 -
神の右に見いだされるためには何をする必要がありますか。バプテスマを受けるとき,また
聖 餐 を受けるとき,あなたは何を行うことについて聖約を交わしますか。 -
主があなたの欠点と引き換えに,御自身の名前や誉を喜んであなたに与えてくださることについて考えるとき,どのような気持ちになるか書いてください。
弱さをゆだねる
「あらゆるものを犠牲とすることを求めない宗教は,命と救いを得るために必要な信仰を人々に持たせることはできない。」(ジョセフ・スミス編,Lectures on Faith〔1985年〕,69)
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この言葉を読んで,「あらゆるもの」とはあらゆる所有物を指すと考える人がいます。あらゆる弱さを主にゆだねることを通して,あらゆるものを犠牲にするという言葉の意味について,あなたの理解はどのように深まりましたか。