依存症
ステップ8:赦しを求める


ステップ8

ゆるしを求める

基本原則──自分が傷つけた人の名前をすべて書き出し,全員に進んで償いをする。

5:15

立ち直りの前,依存症者としてのわたしたちの生き方は破壊的な威力を持つ竜巻のようなもので,あらゆる人間関係を寸断し,後に残ったのは山のようなれきでした。ステップ8はその瓦礫を取り除き,修復が可能なものをすべて再建するために計画を立てる機会でした。ステップ7に取り組む中で,救い主のあわれみがもたらすいやしの力を感じたとき,わたしたちはほかの人々とのつながりを求め,壊れた関係を修復したいと強く願うようになりました。しかしながら,感情に任せて性急に事を進めるのは,修復を求めないのと同じくらい弊害をもたらす恐れがあることも学びました。祈るために時間を取り,ビショップまたはほかの神権指導者などの信頼できる相談相手から助言を受けることが必要だったのです。ステップ9において,わたしたちが傷つけた人々への働きかけを始めるときのために,このステップ8は相手のことをよく考え,判断する機会となりました。

人間関係の修復を望む前に,損なわれた関係について明らかにする必要がありました。わたしたちは自分が傷つけた人々のリストを作り始めましたが,その人たちの名前を思い浮かべるとき,わたしたちの多くが,自分を傷つけた人々に対する憤りの感情に心をかき乱されずにはいられないことに気づきました。わたしたちは自分たちの否定的な感情を包み隠すことなく主に告白しました。その答えとして,主は主のたとえに登場する一人の男と同じ決断をわたしたちも下さなくてはならないことを示してくださいました。その男は自分のすべての負債をゆるされたので,ほかの人の負債をも赦す必要があったのです。主がわたしたちに対してこう言われるのが実際に聞こえるようでした。「わたしに願ったからこそ,あの負債を全部ゆるしてやったのだ。わたしがあわれんでやったように,あの仲間をあわれんでやるべきではな〔い〕……か。」(マタイ18:32-33

あなたもこの問題に直面しているならば,わたしたちの多くが行った方法を取る必要があるかもしれません。それは自分がゆるしを求める必要のある人々のリストを作る前に,まず自分が赦す必要のある人々のリストを作ることです。両方のリストに同じ名前が挙がっても,驚くことはありません。人は,互いに相手を傷つけ合う悪循環に陥ることがよくあるからです。このような憎悪のサイクルを断つには,だれかが進んで赦さなければならないのです。

このゆるしのプロセスを始めるに当たって,書くことが非常に有意義な手段であると改めて気づきました。わたしたちが赦す必要のある人々の名前の横に,感情を傷つけられた出来事が起こった当初,自分がどのように感じたか,また現在はどのような気持ちに駆られることがあるかについて書き記しました。このリストは,未解決の感情をすべて御父に打ち明けるとき,具体的な祈りをするのに大いに役立ちました。キリストがわたしたちに与えてくださったのと同じあわれみをほかの人々に示すことができるように,キリストの恵みを願い求めました。特に赦すのが難しい人の名前がリストにあった場合は,救い主の助言に従って,その人々の幸福のために祈り,自分自身が得たいすべての祝福を,彼らのために願い求めました。(マタイ5:44参照)

ほかの人々をゆるせるよう助けを祈り求めるとき,最初は偽善的に感じられても,最終的には,奇跡的にも思いやりの気持ちを祝福として与えられました。非常に困難であっても,この方法を試した人は,自分の力をはるかに超える赦しの力を与えられました。ある姉妹は数週間かけて自分の子供時代について書き記し,自分を虐待した父親のために祈りました。父親に対して抱いていた否定的な苦しい思いから,救い主が解放してくださったことについて,彼女は喜びをもってあかししています。同様の努力を払う中で,自分の憤りに関する道徳上の棚卸しを徹底的に行い,それらを救い主の前で認めることによって,もはやわたしたちは自分を傷つけた人の犠牲者ではなくなったことを理解しました。わたしたちが受けた罪深い行為を忘れ去るよう努力し始めると,自分自身が赦しを願い求める人々のリストも完成させることができると感じました。

この段階までたどり着き,リストを書き始めたら,主からの導きを求めて祈るべきです。次のような指針が役立つかもしれません。こう自問してみてください。「過去または現在の自分の人生で,気まずい思いや落ち着かない気分にさせられる人,あるいは恥ずかしく思う人がだれかいるだろうか。」そのような人々の名前を書き留めてください。そして彼らに対する自分の感情を正当化したり,彼らに対する否定的な行動の言い訳をしようとしたりする誘惑に立ち向かってください。もちろん,あなたが故意に傷つけようとした人や傷つけるつもりはなかった人の名前も書き加えてください。すでにこの世を去った人や連絡をとる方法が分からない人もリストに加えます。このような特別な事例については,ステップ9に取り組む際に対処します。現時点では,ステップ8の取り組みを通して,自分の正直さにおいて厳密であるように,また譲歩しないという点に焦点を当ててください。

徹底して行うには,あなたがなおざりにしていたことや,なすべきことをしなかったためにほかの人を傷つけたことはないか考えてみることです。小さなことも見逃さないでください。たとえ相手を攻撃するつもりはなかったとしても,依存症にふけっていた間に自分がほかの人々に及ぼした害について正直に考えてみてください。あなたの無責任で短気な態度,批判的で,いらいらした態度,また不道徳な行いが,愛する人々や友人を傷つけたことを認めてください。また,ほかの人々の重荷をさらに重くしたこと,だれかを悲しませたり,危機にさらしたりしたことがないかなどについて,大きなことから小さなことまでよく調べてください。うそをついたり,約束を破ったこと,様々な方法でほかの人々を操ったり,利用したりしたことについて思い起こしてください。被害を被った人々の名前をすべて挙げてください。このプロセスでステップ4の道徳上の棚卸し表が非常に役立つ指針となることに気づくでしょう。

自分が傷つけた人の名前をすべて書き出したら,最後にもう一人,名前を書き加えてください。それはあなた自身の名前です。依存症にふけっていたときに,あなたはほかの人々と同様に自分自身をも傷つけたからです。

この作業をするときに,このステップでの取り組みはあなた自身であれ,リスト上に名前がある人であれ,決してだれかに罪を負わせたり,恥をかかせたりするためのものではないことを肝に命じてください。あなたの人間関係における問題や,その中での役割について,もう一歩踏み込んでさらに正直に直視するときに,救い主は罪と恥の重荷を軽くしてくださるでしょう。自ら進んで償おうとすることで,天の御父があなたの努力を喜んでくださることを知って,安らぎを感じ,恵みを受けることができます。このステップはあなたが救い主の力によって過去から解放されるために行動を起こすよう助けてくれます。自ら進んでゆるすときに,あなたはステップ9に取り組む準備ができるのです。

行動のステップ

自分自身とほかの人々をゆるす。自分が傷つけた,あるいは害を及ぼした人々のリストを作成する

ステップ8では,自分自身やほかの人々,人生に対して新たな心で向き合うという点で驚くべき冒険の第一歩を踏み出します。あなたはこの世に争いや否定的な感情を持ち込むのではなく,平和をもたらす備えができました。あなたはだれかを不正に裁いたり,ほかの人の人生や失敗についてあれこれ詮索せんさくしたりすることをやめると決心しています。また自分の行動を過小評価したり,言い訳するのをやめたりする心構えができています。そして自ら進んでもう一つの道徳上の棚卸しをしようとしています。今度はあなたがこれまでに傷つけた人々に関する道徳上の棚卸しを徹底的に行うのです。

このことを考えると恐れを抱くかもしれませんが,機会が訪れたら,あなたは自分から進んでリストに載っている人々に会おうとするでしょう。彼らに償うために,あなたにできるすべてのことを行うよう備えることができます。ほかの人々の行動を恐れながら生きるのではなく,主への信仰によって生きることができます。ステップ8では,しゅう心や恐れに突き動かされるのではなく,むしろ数々の原則によって導かれる生活を進んで送るようになります。

慈愛の賜物たまものを求める。ほかの人々のために祈る

何千年もの間,人々は慈愛に関するパウロの偉大な説教を読み,その教えに従い,当時の使徒たちを手本として生きるよう努力してきました。多くの人が慈愛を持つために努力を重ねてきましたが,残念ながら,その努力がむなしい結果に終わることがよくありました。

預言者モルモンの記録は,慈愛とはどのようなもので,それを身に付けるにはどうすればよいかを明らかにしています。モルモンは慈愛を「キリストの純粋な愛」であると定義し,「熱意を込めて御父に祈」る人々や「御子イエス・キリストに真に従う者すべて」に,御父がそのような慈愛を授けてくださると教えています(モロナイ7:47,48)。

慈愛は賜物たまものの一つで,イエス・キリストに従うようになるとき,また心を尽くし,精神を尽くし,思いを尽くして,イエス・キリストを愛するときに与えられます。この純粋な愛を主から授かり,また主に対して抱くとき,主がわたしたちを愛してくださったように,わたしたちもほかの人々を愛せるようになります。ほかの人々の欠点をゆるし,自分たちが犯した過ちの償いをすることができるようになるのです。

償いをする準備として,以下の取り組みが助けになることをわたしたちの多くが学んできました。あなたが苦々しい思いを抱いている人のことを思い浮かべ,2週間,意識的にひざまずいて,毎日その人のために祈ってください。そしてその人に対する思いや感情がどのように変化したか記録してください(マタイ22:37-381コリント13章1ヨハネ4:19モロナイ7:44-48参照)。

研究と理解

以下の聖句と教会指導者の言葉は,ステップ8に取り組むうえで助けとなるでしょう。これらの聖句と質問を瞑想めいそうや研究,作文の際に活用してください。

キリストに穏やかに従う者

「わたしは,教会に属しているあなたがた,すなわち,今から後,天で主とともに安息を得るときまで,キリストに穏やかに従い,主の安息に入れるという十分な望みを得ているあなたがたに,話したいと思う。

わたしの同胞はらからよ,わたしは,あなたがたが人の子らと穏やかに交わって暮らしているので,あなたがたのことをこのように判断している。」(モロナイ7:3-4

  • 最初の7つのステップで,あなたはキリストに穏やかに従う者となるプロセスを歩み始めました。主と穏やかに交わるとき,ほかの人々とも穏やかに交わるために,さらによく備えられます。人生において周囲の人々と穏やかな関係を築くためには,ほかにどのようなステップに取り組む必要があるでしょうか。

  • 順序立ててステップに取り組むという知恵について書いてください。

主の完全な愛

「愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く。恐れには懲らしめが伴い,かつ恐れる者には,愛が全うされていないからである。

わたしたちが〔神を〕愛〔する〕のは,神がまずわたしたちを愛して下さったからである。」(欽定訳1ヨハネ4:18-19

  • 償いを完璧かんぺきに行おうとすると,恐ろしくなるかもしれません。あなたやあなたがゆるしを求めようとしている人に対する主の完全な愛を信頼することによって,可能なかぎり償いをしようというあなたの決心はどのように強められるでしょうか。

ほかの人々に手を差し伸べる

「人をさばくな。そうすれば,自分もさばかれることがないであろう。また人を罪に定めるな。そうすれば,自分も罪に定められることがないであろう。ゆるしてやれ。そうすれば,自分もゆるされるであろう。

与えよ。そうすれば,自分にも与えられるであろう。人々はおし入れ,ゆすり入れ,あふれ出るまでに量をよくして,あなたがたのふところに入れてくれるであろう。あなたがたの量るその量りで,自分にも量りかえされるであろうから。」(ルカ6:37-38

  • 穏やかな関係を築こうと努力しても拒絶されるのではないかと不安になるかもしれませんが,その不安のせいで,彼らをリストから外したり,彼らに働きかける備えをやめたりしないでください。祝福は苦痛よりもはるかに大きいからです。これらの聖句を研究し,進んで償うことからもたらされる祝福について書いてください。

「わたしたちは天の御父に近づけば近づくほど,堕落した霊たちにあわれみの目を向けたくなる。彼の重荷を背負い,その罪をはるか後ろに放り投げたくなる。……神の慈悲を願うのであれば,互いに慈悲をかけ合いなさい。」(ジョセフ・スミス,History of the Church, 第5巻,24で引用)

  • イエス・キリストがおられなければ,わたしたちは皆,滅びゆく不完全な者です。ステップ8に取り組むことは,滅びゆく者であるあなたが別の滅びゆく者に償うために備えることだと理解すれば,あなたにとってどのような助けとなりますか。

ゆるしを与え,赦しを求める

「そのとき,ペテロがイエスのもとにきて言った,『主よ,兄弟がわたしに対して罪を犯した場合,幾たびゆるさねばなりませんか。七たびまでですか。』

イエスは彼に言われた,『わたしは七たびまでとは言わない。七たびを七十倍するまでにしなさい。』」(マタイ18:21-22

  • 一時的な悪事に対してゆるしを与えたり,赦しを求めたりするのは,長期にわたって何度も繰り返された悪事の場合より,容易に行えるものです。過去または現在において,何度も悪事が繰り返され,赦しが必要な相手について考えてください。どうしたら相手を赦す力や,相手に赦しを請う力が得られるでしょうか。

  • イエス・キリストはゆるす力に関して,どのような点で最も偉大な模範となっているでしょうか。あなたが人を赦せるようにイエス・キリストが喜んで助けてくださることについて考えてください。

「わたしはあなたがたに言う。あなたがたは互いにゆるし合うべきである。自分の兄弟の過ちを赦さない者は,主の前に罪があるとされ,彼の中にもっと大きな罪が残るからである。

主なるわたしは,わたしが赦そうと思う者を赦す。しかし,あなたがたには,すべての人を赦すことが求められる。」(教義と聖約64:9-10

  • イエスはもともとの過ちや罪よりも,ほかの人々をゆるさないことの方がもっと大きな罪であると教えておられます。自分自身やほかのだれかを赦そうとしないことは,どのような点で,救い主のあがないを否定することと同じなのでしょうか。

  • 憤りや敵意は,肉体的,情緒的,霊的に,どのようにあなたを傷つけるでしょうか。

敵意と罪の悪循環を断つ

「人々に罪を捨てさせるには,手を取って導き,優しく見守る以外にない。人々がわたしに少しでも愛と親切を示してくれたら,わたしはどんなにか心強いことだろう。ところがその反対の行為は,あらゆる不快な思いを巻き起こし,人の心を憂うつにさせるものである。」(ジョセフ・スミス,History of the Church, 第5巻,23-24で引用)

  • 預言者ジョセフ・スミスは思いやりがどのように悔い改めとゆるしにつながるか語っています。自分から進んで敵意と罪の悪循環を断つ者になることについて深く考え,紙に書いてください。

  • これまであなたに思いやりや愛を示してくれた人々について考えてください。彼らの行為は,どのようにあなたの心を動かし,行動を変えるよう促してくれたでしょうか。

  • あなたの人生で起こった人間関係上の問題について考えてください。あなたが愛と思いやりをもってほかの人々に手を差し伸べるとき,それらの問題はどのように変わるでしょうか。