「アダムとエバの堕落」トピックと質問
概要
アダムとエバの堕落
エデンの園で,神はこう命じられました。「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。しかし,善悪を知る木からは取って食べてはならない。それでも,あなたは自分で選ぶことができる。それはあなたに任されているからである。しかし,わたしがそれを禁じたことを覚えておきなさい。あなたはそれを食べる日に,必ず死ぬからである。」アダムとエバはこの戒めに背いて善悪を知る木の実を食べたので,主のもとから追い出されました。言い換えれば,霊の死を経験したのです。また彼らは死すべき状態,すなわち肉体の死に支配される者となりました。この霊と肉体の死を堕落と呼びます。
わたしたちの堕落した状態
アダムとエバの子孫であるわたしたちは,死すべき世にいる間,堕落した状態を受け継いでいます。わたしたちは主の前から離れ,肉体の死を免れることができなくなりました。また反対のものが存在する状態に置かれていて,人生の苦難とサタンの誘惑によって試されます。
この堕落した状態で,わたしたちは心の葛藤を経験します。わたしたちは神の霊の子供であり,「神の性質にあずかる者」となる可能性を秘めています。しかし,「わたしたち〔は神〕の御前に取るに足りない者で……す。堕落のために,わたしたちの性質は絶えず悪くなっています。」邪悪な熱情や欲望に打ち勝てるよう,わたしたちは努力を続ける必要があります。
天使の言葉を繰り返して,ベニヤミン王はこう語りました。「生まれながらの人は神の敵であり,アダムの堕落以来そうで〔した。〕」ベニヤミン王は,人がこの生まれながらの状態,すなわち堕落した状態にとどまるなら,皆永遠に神の敵になるであろうと警告しました。「人〔が〕,聖なる御霊の勧めに従い,主なるキリストの贖罪により,生まれながらの人を捨てて聖徒となり,子供のように従順で,柔和で,謙遜で,忍耐強く,愛にあふれた者となり,子供が父に従うように,主がその人に負わせるのがふさわしいとされるすべてのことに喜んで従わないかぎり」そうなると語ったのです。
堕落からもたらされた恵み
堕落は,天の御父の救いの計画になくてはならないものです。堕落は二つの方向に向かいます。下に向かいますが,前にも向かっているのです。堕落は肉体の死と霊の死を招いただけでなく,地上に生まれ,学び,進歩する機会を人に与えました。選択の自由を義にかなった形で行使し,罪を犯したときに心から悔い改めることによって,わたしたちはキリストのもとに来て,キリストの贖罪によって永遠の命の賜物を受けることができるようになります。預言者リーハイは次のように教えています。
「アダムがもし背かなかったならば,彼は堕落をせずにそのままエデンの園にいたであろう。そして創造されたすべてのものは,創造された後の状態そのままで存続したに違いない。また,すべてのものはとこしえに存続し,終わりがなかったに違いない。
そして,アダムとエバは子供を持たなかったであろう。また,不幸を知らないので喜びもなく,罪を知らないので善も行わず,罪のない状態にとどまっていたであろう。
しかし見よ,すべての物事は,万事を御存じである御方の知恵によって行われてきた。
アダムが堕落したのは人が存在するためであり,人が存在するのは喜びを得るためである。
そして時が満ちると,人の子らを堕落から贖うためにメシヤが来られる。」
アダムとエバは堕落の結果もたらされた祝福に対する感謝の気持ちを次のように表現しています。
「アダムは神をたたえ,満たされて,地のすべての氏族について預言し始めて言った。『神の御名がたたえられるように。わたしの背きのゆえに,わたしの目は開かれた。わたしはこの世で喜びを受け,再び肉体にあって神にまみえるであろう。』
彼の妻エバは,これらすべてのことを聞き,喜びながら言った。『わたしたちの背きがなかったならば,わたしたちは決して子孫を持つことはなく,また善悪も,贖いの喜びも,神がすべての従順な者に与えてくださる永遠の命も,決して知ることはなかったでしょう。』」
堕落からの贖い
わたしたちは堕落した死すべき状態にあり,また個々の罪があるため,唯一の希望はイエス・キリストと贖いの計画です。
イエス・キリストの贖罪を通して,すべての人が堕落の影響から贖われます。わたしたちは復活し,主の御前に連れ戻されて裁きを受けます。
救い主はわたしたちを普遍的な堕落の影響から贖うだけでなく,わたしたち個人の罪から贖う力も持っておられます。堕落した状態で,わたしたちは罪を犯し,主から自分自身を遠ざけ,自分自身で霊の死を招いています。使徒パウロが言ったように,「すべての人は罪を犯したため,神の栄光を受けられなくなって〔いるのです。〕」罪の中にとどまっている人は,神のもとに住むことができません。なぜなら「清くない者は……神の前に住むことができないからで」す。あり難いことに,イエス・キリストは「悔い改めの条件を果たし」,わたしたちが罪の赦しを受けて神の前に永遠に住むことができるようにしてくれるのです。アルマはこう教えています。「人が悔い改めることができるように,猶予期間が与えられた。したがって,この世の生涯は試しの状態,すなわち神にお会いする用意をする時期,わたしたちが前に語った死者の復活後に訪れるあの無窮の状態に対して用意をする時期となった。」
救い主の贖いの犠牲に対する感謝
空腹になるまでは食物が欲しいという気持ちがあまり湧かないのと同様に,救い主が必要であることが分かるまでは,永遠の救いを望む気持ちはあまり湧かないものです。堕落についての理解が深まるにつれ,救い主がどれほど必要なのかが分かるようになります。預言者リーハイが教えているように,「すべての人類は,迷い堕落した状態にあり,この贖い主に頼らなければいつまでも同じ状態にある」のです。