第28課
キリストのもとに来なさい
はじめに
モルモン書の中核的な目的の一つは,「キリストのもとに来て,キリストによって完全に」なるように全ての人々を招くことです(モロナイ10:32)。わたしたちは,信仰を実践して「善いものをことごとく手にする」ときにキリストの子となることができます(モロナイ7:19参照)。このレッスンの最後に,生徒たちにはモルモン書がキリストのもとに来るためにどのような助けとなったかを証する機会があります。
背景となる読み物
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ジェフリー・R・ホランド「霊の安寧」『リアホナ』2009年11月号,88-90
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「キリストを中心とする生活」『歴代大管長の教え—エズラ・タフト・ベンソン』第24章,277-286
教えるための提案
1ニーファイ6:4;モルモン書ヤコブ1:7;オムナイ1:26;3ニーファイ9:13-14;モロナイ10:30,32-33
モルモン書はイエス・キリストに来るようわたしたちを招く
生徒たちに,モルモン書を読むよう誰かに勧めたときのことを考えてもらいます。
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その人にモルモン書を読むように勧めたのはなぜですか。
生徒たちに,なぜモルモン書を研究するのかについて考えてもらいます。モルモン書を読み,研究することには多くの良い理由がありますが,モルモン書自体にその重要な目的の一つに関するメッセージが繰り返し書かれています。
ホワイトボードに次の聖句の参照箇所を書いてください。
生徒たちにこれらの節を黙読して,モルモン書で繰り返されるテーマを探してもらいます。(聖典でこれらの聖句を相互参照するよう生徒たちに勧めてもよいでしょう。)
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これらの節に繰り返されているモルモン書のテーマは何ですか。
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「キリストのもとに来る」とはどういう意味ですか。
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これらの節は,イエス・キリストのもとに来るために何をするよう教えていますか。(答えには次の内容が含まれるようにしてください。「自分自身をキリストへのささげ物としてささげ〔る〕」,断食する,祈る,最後まで堪え忍ぶ,悔い改める,改宗する,「善いものをことごとく手にする。」)
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「自分自身をキリストへのささげ物としてささげ〔る〕」という句は,あなたにとってどのような意味がありますか。
キリストのもとに来ることの意味を生徒たちがさらに理解することができるように,十二使徒定員会のリチャード・G・スコット長老と七十人のデニス・B・ノイエンシュワンダー長老の次の言葉を見せて話し合います。
「たゆまず朝晩祈り,日々聖文を研究し,毎週家庭の夕べを開き,定期的に神殿に参入するとき,わたしたちは「わたしのもとに来なさい」という主の招きに積極的に応じていることになります。」(リチャード・G・スコット「信仰を行使することを最優先とする」『リアホナ』2014年11月号,94)
「わたしは証します。わたしたちは,神によって定められ,創世の前から設けられている神聖な儀式にふさわしい状態であずかることによって,キリストのもとに来て,キリストによって完全になることができます。」(デニス・B・ノイエンシュワンダー,“Ordinances and Covenants” Ensign, 2001年8月号,26)
モルモン書の最後の章には,どのようにキリストのもとに来るか,その方法について預言者モロナイの勧告が記録されていることを生徒に説明します。一人の生徒にモロナイ10:32-33を声に出して読んでもらい,他の生徒には「ならば」および「となる」という言葉がどのように使われているかを見つけてもらいます。生徒たちに,キリストの恵みによってわたしたちがどのように祝福されているかについて,これらの「ならば—となる」文が何を教えているかを深く考えてもらいます。(注—「ならば—となる」文を探すことは,聖文で教えられている原則を生徒が認識する助けとなります。)
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これらの節から,キリストのもとに来るときに,キリストの恵みによってどのように祝福されるのかについて,わたしたちはどのような原則を学びますか。(生徒たちはさまざまな言葉を使うと思われますが,生徒が次の原則を見いだすようにしてください。イエス・キリストのもとに来て,全ての不信心を断ち切るならば,わたしたちはキリストの恵みによって完全とされ,清められ,聖くなることができる。アルマ5:33-35も参照してください。)
この原則に対する生徒たちの理解を深めるため,七十人のブルース・C・ヘーフェン長老の次の言葉を分かち合います。生徒には,主の恵みがどのようにわたしたちを祝福することができるかを聞き取ってもらいます。
「贖罪によって解放された主の恵みは,わたしたちの足りない部分を完全にすることができます。『あなたがたは神の恵みにより,キリストによって完全になることができる。』(モロナイ10:32)完全になるための過程の多くは罪の汚れと苦汁から清められることが含まれますが,これには,わたしたちがキリストのような特性を獲得して,御父と御子が完全であられるように完全になるという,もう一つの肯定的な側面もあります。……
救い主の勝利のおかげで,わたしたちの罪の代価が支払われるだけではなく,わたしたちの不十分さも補っていただけるのです。これには,意図的な過ちに加え,無知のために犯した罪,誤った判断,そして避けることのできない不完全さも含まれます。わたしたちの究極の志は,罪を赦されるだけでなく,聖くなり,キリストのような特性を授けられ,キリストと一つになり,キリストのようになることなのです。わたしたちは最大限の努力をする必要がありますが,最終的にその志を遂げることを可能にするのは,神聖な主の恵みのみです。」(The Broken Heart〔1989年〕16,20)
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へーフェン長老によると,主の恵みはどのようにわたしたちを祝福することができますか。
生徒たちに,イエス・キリストのもとに来る努力をしていると感じたときのことを考えてもらいます。生徒たちの経験が個人的すぎない場合は,次の質問に答えてもらいます。
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そのとき,キリストのもとに来るために何をしていましたか。
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キリストのもとに来ることを求めたとき,あなたの人生にどのような祝福がもたらされましたか。
キリストの恵みによって完全となり,清くなることができるよう,より完全にキリストのもとに来るには何ができるかを生徒たちに深く考えてもらいます。受けた霊的な促しの全てに従うように生徒たちに勧めます。
モロナイ7:18-26
キリストの子となるために善いものをことごとく手にする
モロナイ7章では,預言者モロナイが,彼の父であるモルモンが数年前に行った説教を記録していることを生徒に思い出してもらいます。この説教でモルモンは,もし何かが人々に善い行いをし,イエス・キリストを信じ,神を愛して神に仕えることを促すならば,それが神による霊感を受けたものだと知ることができると教えました。
一人の生徒にモロナイ7:18-19を声に出して読んでもらいます。他の生徒には,一緒に黙読しながらモルモンがわたしたちに行うように言った事柄を見つけてもらいます。
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19節によると,善悪を区別するためにキリストの光を使って「善いものをことごとく手にする」と,わたしたちには何が起こりますか。(キリストの子となる。)
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イエス・キリストの子になるとはどのような意味でしょうか。(わたしたちが天の御父の子供であると同様に,現世の両親の子供でもあることを指摘します。しかし,ジョセフ・フィールディング・スミス大管長〔1876-1972年〕が教えているように,イエス・キリストも「わたしたちのために行われた贖罪によってわたしたちに命を,すなわち永遠の命を与えられるので,聖典の中で使われている意味で,父となられるのである。〔モーサヤ5:7参照〕……わたしたちはキリストに従うという聖約を交わすことによって,イエス・キリストの子,すなわち息子および娘となるのである。」〔Doctrines of Salvation, ブルース・R・マッコンキー編,全3巻〔1954-1956年〕第1巻,29〕)
生徒たちにモロナイ7:20を黙読して,モルモンが質問した事柄を見つけてもらいます。次に生徒たちに二人一組になってもらい,モロナイ7:21-26を研究して,わたしたちが「善いものをことごとく手にする」ために主がどのような助けをわたしたちに与えてくださったかを見つけてもらいます。十分に時間を取ってから,生徒たちに考えを発表してもらい,それらをホワイトボードに書きます。答えには,天使の働き(22節),預言者(23節),聖文(25節),信仰の行使(25節),および祈り(26節)が含まれます。
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これらの節は,「善いものをことごとく手にする」という句の意味について何を教えていますか。(わたしたちは,全ての善いもの,特にキリストへの信仰とキリストの名による救いに導くものを求めるべきである。)
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ホワイトボードに書かれている事柄によってあなたの人生にもたらされた善いものには何がありますか。
生徒たちに,キリストのもとに来るために始めることができる,またはより良く実行することができるようになる,一つの善いことを選んでもらいます。人生の中で善いものをことごとく手にするための目標を立てるように生徒たちに勧めます。
モロナイ10:3-5
モロナイの約束
モルモン書を手に取って生徒に見せ,モルモン書がキリストのもとに来るためにどのような助けとなったかを生徒たちに深く考えてもらいます。モロナイが,モルモン書を読み,研究する全ての人々を招き,約束したことを説明します。
一人の生徒に,モロナイ10:3-5を声に出して読んでもらいます。
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3節の記録によると,モロナイはわたしたちに何をするように勧めていますか。
生徒たちに,モルモン書から,また各自の人生経験から,「主が人の子らにどれほど憐れみをかけてこられたか」を示す例について深く考えてもらいます。何人かの生徒に考えを発表してもらいます。
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これらの節にあるモロナイの招きと約束から,どのような原則を学ぶことができますか。(モルモン書が真実であるかどうかをキリストを信じながら誠心誠意問うならば,わたしたちは聖霊を通じてそれが真実であることの証を受ける。)
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「キリストを信じながら,〔神に〕誠心誠意問う」とはどういう意味ですか。(神がわたしたちの祈りにこたえてくださるという信仰があるということ,また,わたしたちには神が与えてくださった答えに基づいて行動する意志があるということを意味します。)
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このような方法でモルモン書を研究し,それについて祈ることは,キリストのもとに来るためにどのように役立ちますか。
生徒たちに,モルモン書を読み,それが真実であるかどうか知るために祈ることによって得た経験について深く考えてもらいます。モルモン書についての証,特にモルモン書がキリストのもとに来るためのどのような助けとなったかを分かち合いたい人がいないか尋ねます。モルモン書に対する証を得るため,またはすでにある証を強めるために,今後もモロナイの言葉を生かしていくよう生徒たちに勧めます。
生徒用資料
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1ニーファイ6:4;モルモン書ヤコブ1:7;オムナイ1:26;3ニーファイ9:13-14;モロナイ7:18-26;10:3-5,30,32-33
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「キリストを中心とする生活」『歴代大管長の教え—エズラ・タフト・ベンソン』第24章,277-286