2021
神はその子供たちを愛しておられる
2021年5月


8:40

神はその子供たちを愛しておられる

天の御父が御自分の子供であるわたしたちに対して愛を示される具体的な例を,3つ挙げましょう。

兄弟姉妹,わたしは皆さんと同じようにイエス・キリストの福音に喜びを感じています。打たれ強いフィリピンの会員の愛を伝え,彼らに代わって「マブーハイ!」(訳注:「よろしく」という意味のフィリピン語)と申し上げます。

この復活祭の朝,キリストが生きておられ,死からよみがえられたこと,わたしたちと天の御父に対するキリストの愛が純粋で永遠に変わらないことを,わたしは証します。今日わたしは,すべての人に対する天の御父とイエス・キリストの愛に焦点を当てて話します。この愛は,イエス・キリストの贖いに表れています。「神はそのひとり子を賜ったほどに,この世を愛して下さ〔いまし〕た。」(ヨハネ3:16

預言者ニーファイは,神についての知識を天使に問われると,「神​が​その​子供​たち​を​愛して​おられる​こと​は​知って​います​」と簡潔に答えました(1ニーファイ11:16-17参照)。

『モルモン書—イエス・キリストについてのもう一つの証』の一節に,救い主の完全な愛についての感動的な描写があります。「​しかし,世​の​人々​は​自分​たち​の​罪悪​の​ため​に,この​御方​を​取る​に​足りない​者​と​判断​する。……彼ら​は​この​御方​を​鞭打つ……。​彼ら​は​その​御方​を​打つ​……。……彼ら​は​この​御方​に​​つばき​を​吐き​かける​が,この​御方​は​それ​にも​耐えられる。それ​は,この​御方​が​人​の​子ら​に​対して​愛​に​あふれた​優しさ​と​寛容​に​富んで​おられる​から​で​ある。」(1ニーファイ19:9)救い主のなさるすべてのことの裏には,普遍的な愛があります。その愛が天の御父の愛と同じ愛であることをわたしたちが知っているのは,御子は御父と「一つである」と,救い主がへりくだって教えておられるからです(ヨハネ10:3017:20-23参照)。

では,わたしたちはこの御二方の普遍の愛に,どんな形でこたえ,感謝を示せばよいのでしょうか。救い主は,簡潔ながらもすべてを網羅した勧告を与えておられます。「もしあなたがたがわたしを愛するならば,わたしのいましめを守るべきである。」(ヨハネ14:15)。

ダリン・H・オークス管長は,こう教えています。「神の普遍かつ完全な愛は福音の計画に伴うすべての祝福の中に示されてい〔ます〕。これには神のえり抜きの祝福は神の律法に従う人々のために備えられているという事実も含まれます。」1

天の御父が御自分の子供であるわたしたちに対して愛を示される具体的な例を,3つ挙げましょう。

第1に,御父の愛は,神と家族との関係に表れています。

わたしたちにとって最も価値ある関係は,御父および御子との関係と,家族との関係です。そのきずなは永続するものだからです。偉大な幸福の計画には,わたしたちに対する神の愛が見事に表れています。神の計画にしっかりと目を留めるならば,利己的な欲望を支えている泥や石を自分の中から喜んで取り除き,代わりに永続する関係の土台を築くようになります。これはある意味,「霊的な掘削」と呼ぶことができます。霊的な掘削を行うにはまず,神を尋ね求め,神に呼ばわらなければなりません(エレミヤ29:12-13参照)。

神を尋ね求め,神に呼ばわることでこの掘削作業は始まり,永続する関係をしっかりと築くスペースが生まれます。霊的な視野が広がり,自分の手に負えないことを恐れるよりは,自分で変えられることを変えるようになります。救い主イエス・キリストの生涯と教導の業を研究すると,その他いろいろな問題を永遠の観点から見ることができるようになります。

娯楽などが家族との関係や活動の中で神の愛を感じる妨げになることもあります。電子機器が家庭内の交流を妨げていると感じていたある母親は,解決策を思いつきました。食卓を囲むときなどの家族の時間には「携帯をしまってフェイスタイム〔訳注—アプリのFaceTimeとかけている〕にしましょう」と,呼びかけるようにしたのです。これが家族の新しい基準になり,ほんとうの「フェイスタイム」,つまり実際に顔を合わせることにより家族の関係が良くなったそうです。この家族は今,『わたしに従ってきなさい』を使った密度の濃い話し合いを家族で楽しく行っています。

第2に,神は預言者を召すことで,御自分の子供たちへの愛を示されます。

今世の中は,「言葉​の​争い​と​見解​の​騒動」​の​渦中にあります(ジョセフ・スミス—歴史1:10)。「世には多種多様の言葉がある」とパウロは言っています(1コリント14:10)。あらゆる言葉の中で,最も分かりやすく大切なのはどの言葉でしょうか。それは,神の預言者,聖見者,啓示者の言葉です。

今でも鮮明に覚えていますが,わたしが2018年に手術して職場復帰したばかりのとき,教会本部の駐車場でわたしを「タニエラ,タニエラ」と呼ぶ声が,突然聞こえました。ラッセル・M・ネルソン大管長でした。走って大管長の方へ行くと,具合はどうかと尋ねられました。

「ネルソン大管長,とても良くなりました」とわたしは言いました。

大管長はわたしに勧告を与え,ハグしてくれました。「一個人」への預言者のミニスタリングの有難さを痛感しました。

ネルソン大管長は,世界の多くの国々を旅しています。ネルソン大管長は何千人もの人々に対してではなく,何千もの「一個人」に対してミニスタリングをしていると,わたしは思っています。ミニスタリングをしながら,神のすべての子供たちへの神の愛を伝えているのです。

最近では,ネルソン大管長の言葉が,フィリピンの人々の力と霊感の源になっています。2020年,フィリピンは全世界の国々と同様に新型コロナウイルス感染症のパンデミックで大打撃を受けました。それに加えて,火山の噴火や地震,大型台風,大洪水にも見舞われました。

しかし,恐れや孤独,絶望の暗雲の中で輝きわたる光の柱のように,預言者の言葉が与えられました。全世界で断食と祈りをするようにとの呼びかけや,パンデミックであっても前進するようにという勧告などです。預言者は,家庭を個人の信仰の聖所にするようにと勧告しています。至る所にいる末日聖徒に,神のすべての子供たちを尊重し,生活の中で神に勝利を得させるようにと呼びかけています。2

同じように,最近のビデオでネルソン大管長が述べた感謝の力についての証も感動的であり,最後の祈りの言葉はフィリピン全土に響き渡りました。3レイテ州では,このビデオは複数の宗教の合同行事で流され,他のキリスト教指導者の説教の中でも取り上げられました。フィリピン人は全世界の人々の例にもれず,神の選ばれた預言者の言葉を通して神の愛を感じるという大きな祝福にあずかったのです。

第3に,懲らしめは,御自分の子供たちに対する神の愛の表れであることがあります。

ときに神は,わたしたちを懲らしめることによって愛を示されます。懲らしめは,神がわたしたちを愛しておられ,わたしたちのことを御存じだと知らせる手段です。神の約束された平安という祝福は,聖約の道を果敢に歩み,懲らしめを受け入れる人すべてに与えられます。

それを懲らしめと認めて喜んで受けるならば,懲らしめは霊的な手術になります。ところで,手術を好む人などいるでしょうか。そのような人はいませんが,手術の必要な人が積極的に手術を受けるならば,命が助かります。主は御自分の愛する者たちを懲らしめられるのです。聖文にそう記されてます(ヘブル12:5-11ヒラマン12:3教義と聖約1:2795:1参照)。懲らしめという霊的な手術は,生活に必要な変化をもたらします。兄弟姉妹の皆さん,懲らしめが自分の内なる器を磨き清めることを,わたしたちは悟ることでしょう。

回復の預言者であるジョセフ・スミスは,懲らしめを受けました。ジョセフがモルモン書の116ページの原稿を紛失したとき,主は次のような言葉で懲らしめ,愛を示されました。「あなた​は​人​を​神​より​も​恐れて​は​ならなかった。……あなた​は​忠実​で​なければ​ならなかった。……見よ,あなた​は​ジョセフ​で​ある。あなた​は​……​選ばれた。……神​は​憐れみ​深い​と​いう​こと​を​覚えて​おき​なさい。それゆえ,……悔い改め​なさい。」(教義と聖約3:7-10

2016年,アーカンソー州リトルロック伝道部で伝道部会長を務めていたとき,フィジー諸島に住む姉に小包を送るようカーバ兄弟に頼みました。すると,思いもよらない返事が返ってきました。「ワコロ会長,お姉様はお亡くなりになりました。葬儀も10日前に済んでいます」と,うめくような声で言ったのです。わたしは家族が知らせてもくれなかったことが悲しく,いらだちさえ覚えました。

翌日,妻が宣教師を教えているとき,こんな考えが心を貫きました。「タニエラ,この経験はすべて,あなたの益となり,あなたの成長のためになるのですよ。あなたはこれまで,イエス・キリストの贖いについて教え,証してきました。今度はそれに従った生き方をするのです。」「神に戒められる人はさいわいだ。それゆえ全能者の懲しめを軽んじてはならない」という言葉を(ヨブ5:17)思い出しました。それはわたしにとって霊的な手術であり,その成果はすぐに現れました。

この経験について深く考えているとき,その日の話し合いをまとめるよう呼ばれました。何よりもわたしは,自分が学んだばかりの教訓を伝えました。その一つ目は,自分は今聖霊から懲らしめを受けたが,それを聞いたのが自分だけだったことをうれしく思っているということ。二つ目は,救い主が犠牲と代価を払ってくださったおかげで,このつらい出来事をもはや試練や苦難ではなく,ためになる経験と呼べるようになったこと。そして三つ目は,主が完全で罪のない生活を送られたので,わたしは自分の欠点や能力の欠如を弱点ではなく,成長の機会と捉えられるようになったことです。この経験から,神がわたしたちを懲らしめるのは,わたしたちを愛しておられるからだということを知りました。

締めくくりとしてお伝えします。永遠の父なる神とその御子イエス・キリストは,わたしたちが御二方や家族との間に永続する関係を築くことができるようにし,現代の預言者を与えて教え導き,懲らしめを与えて学び成長できるようにすることによって,愛を示されます。わたしたちのよみがえられた主,すなわち生けるキリスト,「御子という比類ない贈り物を授けてくださった神に感謝しています。」4イエス・キリストの御名により,アーメン。