2021
なぜ聖約の道なのか
2021年5月


15:3

なぜ聖約の道なのか

聖約の道の違いは比類なく,永遠に渡り重要です。

ラッセル・M・ネルソン大管長は自身の務めの間ずっと,神がその子供たちと交わされた聖約について研究し,教えてきました。ネルソン大管長自身が,聖約の道を歩む輝かしい模範です。大管長としての初めてのメッセージの中で,ネルソン大管長はこう言いました。

主と聖約を交わして救い主に従う決意をし,それらの聖約を守るとき,世界中の男性,女性,子供たちのために備えられた,あらゆる霊的な祝福と特権を享受する門戸が開かれるのです。

……神殿の儀式と神殿で交わす聖約は,皆さんの生活そのものや,また皆さんの結婚生活と家族を強め,サタンの攻撃に抵抗する能力を高める鍵です。神殿で礼拝し,そこで先祖のために奉仕するとき,皆さんは祝福され,よりいっそうの啓示と平安を受け,聖約の道にとどまるという決意をさらに確固としたものにすることができます。」1

聖約の道とは何でしょうか。それは,神の日の栄えの王国に至る一本の道です。わたしたちはバプテスマという門をくぐってこの道を歩み始め,「完全な希望の輝きを持ち,〔二つの偉大な戒めで言われているとおり〕神とすべての人を愛して力強く進……み,最後まで堪え忍ぶ」のです。2聖約の道を歩みながら(聖約の道はこの世の後も続く),わたしたちは救いと昇栄にかかわるすべての儀式と聖約を受けます。

聖約を交わす際に固める最も重要な決意は,神の御心を行い,「神​から​命じられる​すべて​の​こと​に​ついて​神​の​戒め​に​従う​」ことです。3日々イエス・キリストの福音の原則と戒めに従うことは,最も幸せで喜びの多い生き方です。一つには,非常に多くの問題や後悔を避けることができるからです。スポーツに例えて話しましょう。テニスには,「アンフォーストエラー」という言葉があります。プレー中にボールをネットに引っかけたり,サーブでダブルフォルトをしたりすることです。アンフォーストエラーは,相手のスキルではなく自分のせいで起こるミスだと考えられています。

わたしたちの問題や試練は非常に多くの場合自ら招いたもの,つまり判断の誤りや,いわゆる「アンフォーストエラー」の結果です。聖約の道を熱心に歩んでいると,そのような自分のせいで起きる間違いの多くをとても自然に避けることができます。様々な形の依存を避けることができます。不正直な行いという溝にはまることがありません。不道徳や不貞という奈落の底に落ちることがありません。たとえ人気があっても身体的,霊的な健康を危険にさらしかねない人や物事を避けるようになります。人を傷つけたり不利な状況に陥れるようなことをすることがなくなり,自制と奉仕の習慣が身に着きます。4

J・ゴールデン・キンボール長老はこう言ったとされています。「わたしは細くて狭い道を常に歩いているわけではないかもしれないが,できるかぎり何度もまたぐようにしている。」5肝心なときには,細くて狭い道をただまたぐのではなく,その道にとどまることが,人生で回避できる悲劇を避けつつ,回避できない悲劇にうまく対処するための,わたしたちの最大の希望であるとキンボール兄弟も同意したであろうとわたしは信じています。。

「バプテスマを受けても受けなくても正しいことを選べる。立派な良い人間になるために聖約は要らない」と言う人がいるかもしれません。確かに,聖約の道を歩んでおらずとも,聖約の道を歩んでいる人のように選び,人のために尽くす人はたくさんいます。そのような人たちは「聖約の道と同じような」道を歩んでいると言ったら良いのかもしれません。では,聖約の道との違いは何なのでしょうか。

はっきりとした永遠の違いが,実際にあります。そこには従順の本質,神から受ける約束の内容,神から受ける助け,聖約の民として集合することに結びつく祝福,そしていちばん大切なのは,永遠に受け継ぐものがあるということです。

献身的な従順

第一に挙げるのは,わたしたちの神への従順の本質です。わたしたちは,ただ善意を持つだけではなく,神の口から出る一つ一つの言葉に従って生きると厳粛に決意します。バプテスマを受けることによって「聖いにもかかわらず,肉においては御父の前にへりくだることを人の子らに示される。 そして,御父の戒めを守ることについて御父に従順であることを,御父に証明される」イエス・キリストの模範に従うのです。6

聖約を交わしているわたしたちは,単に間違いを犯さないように常に注意したり,賢明な判断を下すよう心がけたりするだけではなく,自分の選択と生き方について神に対して責任を感じています。わたしたちはキリストの御名を受けます。キリストに心を向けて,イエスの証に雄々しくあり,キリストの特質を育んでいます。

聖約を交わしているわたしたちは,心から福音の原則に従っています。わたしのよく知っている夫婦の中に,結婚当初奥様が教会に熱心ではなく,ご主人は教会員でない夫婦がいました。仮にこの二人をメアリーとジョンと呼びましょう。子供が生まれると,メアリーは子供たちを聖文にあるように「主の薫陶と訓戒とによって」育てる必要があると,強く感じました。7ジョンは協力的でした。メアリーは継続的に子供に福音を教えるために,幾つか大切なものを犠牲にして家にいられるようにしました。そして,教会の礼拝と活動から家族が最大限祝福を受けられるようにしました。メアリーとジョンは模範的な親になり,子供たち(全員元気な男の子です)は信仰を育み,福音の原則と標準に従って成長していきました。

ジョンの両親,つまり男の子たちの祖父母は孫たちが健全な生活をして学校の成績もいいので喜んでいました。しかし,教会に反感を持っていたため,すべてはジョンとメアリーの育児能力が高いだけだと考えようとしたのです。ジョンは教会員ではありませんでしたが,そのような意見を見過ごしませんでした。両親が目にしている孫たちの成長は福音の教え,つまり教会や家庭で経験していることの成果だと力説したのです。

ジョン自身も,妻の愛と模範,息子たちからの勧めのおかげで,御霊の影響を受けていました。やがてジョンはバプテスマを受け,ワードの会員と友人たちに大きな喜びをもたらしました。

この夫婦と息子たちの人生に試練がなかったわけではありませんが,メアリーとジョンは,自分たちが受けている祝福の根源にあるのは福音の聖約だということを,心から確信していました。この夫婦は,主がエレミヤに語られた次の言葉が自分たち自身と自分の子供たちの人生の中で成就するのを見てきたのです。「わたしは,わたしの律法を彼らのうちに置き,その心にしるす。わたしは彼らの神となり,彼らはわたしの民となる。」8

神と結ばれる

聖約の道の第2の特徴は,人と神との関係です。神が御自分の子供たちと交わされる聖約は,わたしたちを導くだけでなく,私たちを神に結びつけ,そして,神と結びつくことにより,わたしたちはあらゆるものを克服できるのです。9

わたしは,わたしたちが行う死者のためのバプテスマはマイクロフィルムを水に浸すという方法で行われている,と説明した,不正確な記事を読んだことがあります。そうすることでマイクロフィルムに名前が載っている全員がバプテスマを受けたことになるというのです。これは効率の良いやり方かもしれませんが,個人の持つ無限の価値と,個人と神との聖約というものの大切さを忘れています。

「イエス​は……言われ〔まし〕た。『​狭い​門​から​入り​なさい。命​に​至る​門​は​狭く,その​道​は​細い。そして,それ​を​見いだす​者​が​少ない。』」10例えて言うならば,この門は非常に狭いために,一度に一人しか入れないのです。一人一人が神と個別に約束を交わし,その代わりに神から名前で呼ばれ,個人的な聖約を受けます。人はこの世においても永遠の世においても,この聖約に完全に頼ることができます。儀式と聖約とともに,わたしたちの人生に「神性の力が現れる」のです。11

神の助け

ここから導かれるのは,聖約の道に伴う3つ目の祝福です。神は人にはとうてい理解できない賜物を与えて,聖約を交わす人たちが聖約を守れるよう助けてくださいます。それは聖霊の賜物です。この賜物は,聖なる御霊を常に伴侶として,守りと導きを受けることのできる権利です。12慰め主としても知られるこの聖霊は,「希望​と​完全​な​​愛​を​人​の​心​に​満た〔し,〕」13「すべての事を知っており,〔わたしたちが証人になると決意した〕父と子のことを証〔します〕。」1415

聖約の道でわたしたちは,赦しと,罪からの清めという,なくてはならない祝福も見いだします。これは,聖霊が与えてくださる神の恵みを通してのみ得られる助けです。主は言われました。「さて,戒めは次のとおりである。地の果てに至るすべての者よ,悔い改めて,わたしのもとに来て,わたしの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば,あなたがたは聖霊を受けて聖められ,終わりの日にわたしの前に染みのない状態で立てるであろう。」16

聖約を交わした民とともに集合する

第4に,聖約の道をひたすら歩んでいる人は,神から定められた様々な集合で特別な祝福も受けます。長い間散らされていたイスラエルの部族をその受け継ぎの地に文字どおり集合させるという預言は,聖文の至る所にあります。17これらの預言と約束は今成就しつつあり,地上における神の王国である教会に,聖約の民が集合しています。ネルソン大管長は,こう説明しています。「集合について話すとき,わたしたちは次の基本的な真理について述べています。すなわち,……すべての天の御父の子供たちは,回復されたイエス・キリストの福音を聞くに値する存在なのです。」18

主は末日聖徒イエス・キリスト教会の会員に,こう命じておられます。「立って光を放ちなさい。それは,あなたがたの光がもろもろの国民のための旗となるためであり,シオンの地とそのステークに集合することが,防御のためとなり,また嵐と激しい怒りが全地にありのままに注がれるときに,その避け所となるためである。」19

聖約の民の毎週の集合もあり,彼らは主の日に祈りの家に行きます。それは,「世​の​汚れ​に​染まらず​に​自ら​を​さらに​十分​に​清く​保つ​ため​」20です。これは,イエス・キリストの贖いの記念にパンと水を取るための集まりであり,「断食​し,祈る​ため,また​人​の​幸い​に​ついて​互いに​語り合う​」21時です。​わたしは10代のころ,通っていた高校でただ一人の教会員でした。学校では多くの良い友達と楽しく付き合いましたが,霊を,そして肉体を力づけ,更新する毎週の安息日の集会を非常に頼りにしていました。現在パンデミックのために,この聖約を交わす集会が定期的に開けません。わたしたちは以前のように再び集まれる時をどれほど待ちわびていることでしょうか。

聖約の民は,そこでしか受けることのできない儀式と祝福,啓示を受けるために神の宮である神殿に集うこともします。預言者ジョセフ・スミスは次のように教えています。「世の様々な時代に,神の民が……集められたのはどのような目的のためだったのでしょうか。……第一の目的は,主のために宮を建て,それによって,主がその民に主の宮の儀式と主の王国の栄光を明らかにし,救いの道を教えることがおできになるようにすることでした。なぜなら,特定の儀式と原則があって,それらを教え施すには,その目的のために建てた場所,すなわち宮の中で行わなければならないからです。」22

聖約の約束を受け継ぐ

最後に,アブラハム,イサク,ヤコブが受け継ぐ祝福,つまり神のみがお与えになることのできる,救いと昇栄という究極の祝福は,聖約の道を進むことによってのみ得られます。23

聖約の民を聖文では,アブラハムの子孫,つまり「イスラエルの家」と言う意味で使いますが,聖約の民には,イエス・キリストの福音を受け入れるすべての人も含まれるのです。24パウロはこう説明しています。

「キリストに合うバプテスマを受けたあなたがたは,皆キリストを着たのである。

もしキリストのものであるなら,あなたがたはアブラハムの子孫であり,約束による相続人なのである。」25

自分が交わした聖約を忠実に守る人は,「正しい​者​の​復活​の​時​に​出て​来」26ます。彼らは「新しい​聖約​の​仲保者​イエス​を​​通じて​完全​な​者​と​され〔ます〕。……これらは,その体が日の栄えの状態にある者である。その栄光は太陽の栄光,すなわちすべての者の至高者なる神の栄光であ……る。……」27「それゆえ,生も死も,現在のものも将来のものも,すべてのものは彼らのものである。すべては彼らのものであり,彼らはキリストのものであり,キリストは神のものである。」28

聖約の道を歩み続けるようにという預言者の呼びかけに耳を傾けようではありませんか。ニーファイは現代のわたしたちと現代の状況を見て,こう記録しています。「わたしニーファイは,神の小羊の力が,地の全面に散っている小羊の教会の聖徒たち,すなわち主の聖約の民のうえに下るのを見た。彼らは義と神の力とをもって,大いなる栄光のうちに武装していた。」29

ニーファイとともに,「わたしは……聖約を喜んでい〔ます〕。」30この復活祭の日曜日に,わたしはイエス・キリストについて証します。キリストの復活はわたしたちの希望であり,聖約の道で,また,その先で約束がすべて成就するという疑いの余地のない確信を与えてくれる出来事です。イエス・キリストの御名により,アーメン。