「これらの霊感を与える啓発的な啓示を通して,教義と聖約は重要な教義を教え,繰り返します。……ジョン・A・ウィッツオー長老(1872-1952年)は,『末日聖徒イエス・キリスト教会によって教えられた全ての教義は,教義と聖約で説明されているか,予表されています。わたしが知る限りでは,教会によって教えられた教義で,この書の中で何らかの方法または形で記述されていないものはありません。』と書いています。また,教義と聖約は『我々の神聖な書物の中でも,教会の全ての教義の完全な概説であると主張できるものは他にない』〔“The Message of the Doctrine and Covenants”(1969),117〕ため,必要不可欠であるとも述べています。」(“Treasuring the Doctrine and Covenants,”Ensign, 2009年1月号,52)
教義と聖約第1章に記録されている啓示は,もともとジョセフ・スミスの啓示の最初の集大成であった『戒めの書』の序文として主から与えられたものであることを説明します。この啓示の一群は後に,さらに多くの預言者の啓示,およびLectures on Faith(信仰講話)とともに教義と聖約として出版されました。第1章では,わたしたちの時代におけるこの聖典の必要性について書かれています。一人の生徒に,教義と聖約第1章の前書きを声に出して読んでもらいます。次の質問をして,生徒たちがこの章の前書きを分析できるよう助けます。
「ジョセフ(スミス)の残した最大の偉業は,変わることのない啓示の遺産です。一度限りの,証拠も結果も見えないような啓示ではありません。「あらゆる善良な人の心にゆっくりと浸透する穏やかな霊感」でもありません。……忠実な末日聖徒の学者である友人が簡潔に述べたように,『古い価値観を打ち破ろうとした啓蒙思想家の合理的な考え方によって,キリスト教の土台が攻撃されたときに,ジョセフ・スミスは〔完全に,独りで〕近代のキリスト教を啓示によって本来あるべき姿に戻したのです。』「〔リチャード・L・ブッシュマン,“A Joseph Smith for the Twenty-First Century,” Believing History〔2004年〕,274〕」(「預言者,聖見者,啓示者」『リアホナ』2004年11月,6)