第16課
死者の贖い
はじめに
時満ちる時代における全てのものの「回復」の一部として,主は預言者ジョセフ・スミスを通して,死者の贖いの教義を回復されました。この教義は「ここにも少し,そこにも少し」回復されました。死者の贖いの業は,生者にとっても死者にとっても救いに不可欠です。また預言者ジョセフ・スミスはこの業に携わることの重要性を次のように教えました。「わたしたちがこの世で神から受けている最も大きな責任は,死者を捜し求めることです。」(『歴代大管長の教え—ジョセフ・スミス』475)
背景となる読み物
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リチャード・G・スコット「死者を贖う喜び」『リアホナ』2012年11月号,93-95
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D・トッド・クリストファーソン「死者の贖いと,イエスへの証」『リアホナ』2001年1月号,10-13
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「シオンの山において救う者となる」『歴代大管長の教え—ジョセフ・スミス』第41章,469-478
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マシュー・S・マクブライド「死者のためのバプテスマに関する手紙—教義と聖約第127章,128章」啓示の背景,https://history.lds.org/article/doctrine-and-covenants-baptisms-for-the-dead?lang=jpn
教えるための提案
教義と聖約137章
預言者ジョセフ・スミスの日の栄えの王国に関する示現
次の歴史的背景を生徒に紹介します。
「1823年11月,ルーシー・マック・スミスとジョセフ・スミス・シニアの第1子であるアルビン・スミスが,突然重い病気にかかり,危篤に陥った。アルビンは25歳のたくましく有能な青年であり,その骨身を惜しまない働きは家族の経済的な安定に大きく貢献していた。母親はアルビンについて『息子は並外れた善良さを備えた若者であり,その高潔さと寛大さをもって,生涯のあらゆる瞬間に周囲の人々に祝福をもたらした』と語っている。 ……
死が迫っていることを知ったアルビンは,弟たちと妹たちを呼び寄せて,一人一人に言葉をかけた。ジョセフは間もなく18歳になろうとしており,まだ金版を受け取っていなかった。アルビンはジョセフにこう言った。『善良であって,記録を手に入れるためにできる限りのことをしてほしい。与えられる指示に忠実であり,全ての戒めを守りなさい。 ……』
アルビンが世を去ったとき,家族はニューヨーク州パルマイラの長老派の牧師に葬儀の司式を依頼した。アルビンはその牧師の信徒ではなかったため,牧師は説教の中で,アルビンは救いを得ることができないと断言した。ジョセフの弟ウイリアム・スミスは,次のように回想している。『〔牧師は〕……〔アルビン〕は教会員でなかったので地獄に行ったと,とても強い調子で言いました。しかしアルビンは善良な人であり,父は牧師のその言葉を好ましく思いませんでした。』」(『歴代大管長の教え—ジョセフ・スミス』401)
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アルビンが亡くなった当時,死者の贖いについての教義がまだ回復されていなかったため,スミス家が心配したことはアルビンの救いについてだったでしょう。
この課では,主が死者の贖いについての教義をここにも少し,そこにも少し回復されたことを学ぶことを生徒に伝えます。聖徒に教義と聖約137章の前書きを黙読してもらいます。この啓示は,カートランド神殿の奉献の数か月前に与えられたことを伝えます。(2013年版〔英語〕の教義と聖約では,137章の前書きに若干の変更が加えられたことを指摘してもよいでしょう。)
一人の生徒に,教義と聖約137:1-6を声に出して読んでもらい,他の生徒には目で追ってもらいます。次の質問について話し合います。
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ジョセフ・スミスは日の栄えの王国で誰を見ましたか。(生徒たちはこの啓示が与えられたときに,ジョセフ・スミスの両親が生きていたかどうかに関心を持つかもしれません。実際は,この啓示が与えられたとき,ジョセフの父親はジョセフとともに部屋にいました。)
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6節によれば,アルビンが日の栄えの王国にいることにジョセフはなぜ驚いたのでしょうか。(この啓示が与えられたのは,ジョセフが死者のための贖いについての教義を知る数年前のことであることを指摘してもよいでしょう。)
一人の生徒に,教義と聖約137:7-9を声に出して読んでもらいます。他の生徒に目で追ってもらい,神がその子供たちを救う計画を末日聖徒が理解できるように助けてくれた教義を探してもらいます。
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アルビンのようにイエス・キリストの福音を知る機会も,バプテスマの儀式を受ける機会もなく亡くなった人のために,神は御自分の計画の中でどんなことを準備しておられるでしょうか。(生徒たちが考えを分かち合っているとき,以下の教義を確認できるように助けます。福音を知らずに死んだ人で,もし福音を聞いていたら受け入れたであろう人は皆,日の栄えの王国を受け継ぐことになる。)
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この教義は,天父の性質とその子供たちへの愛について,どのようなことを教えていますか。
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この教義から慰めを受けたのはいつですか。あなたが伝道中に教えた人など,この教義を理解することで慰めを得られた人にいつ出会いましたか。
教義と聖約124:30-34;127:5-8;128:1-18;138:28-37
死者のための身代わりの儀式
預言者ジョセフ・スミスは,1840年8月15日シーモア・ブランソンの葬儀で初めて死者のためのバプテスマの教義について話しました。それは,聖徒たちがイリノイ州ノーブーに定着して間もなくのことでした。教会員はこの教義が啓示されたことを知ったとき,驚き,胸が高鳴りました。この教義が明らかにされてから数か月間,聖徒たちはミシシッピ川の近くで亡くなった愛する人たちの身代わりのバプテスマを行いました。(『歴代大管長の教え—ジョセフ・スミス』403;『時満ちる時代の教会歴史生徒用資料』第2版〔教会教育システム手引き〕参照)
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この説教は,天父がその子供たちをお救いになる計画への理解を深めるためにどのような助けとなりましたか。(生徒たちが答えるとき,次の真理をホワイトボードに書きます。バプテスマの救いの儀式は,生きている間に福音を受け入れなかった人たちに施すことができる。)
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もしこの時代に預言者ジョセフ・スミスが死者のためのバプテスマについて話すのを初めて聞いたなら,あなたはどのように反応すると思いますか。
1841年10月イリノイ州ノーブーにおける総大会で,預言者ジョセフ・スミスが次のように宣言したことを説明します。「主は,主の家でバプテスマの儀式が行えるようになるまで,バプテスマの儀式を行わないように望んでおられます。」(教義と聖約124:29-34参照)1841年11月8日,当時十二使徒定員会会長のブリガム・ヤングが,未完成のノーブー神殿の地下に置かれたバプテスマフォントを奉献し,教会員は死者のための身代わりのバプテスマの儀式を執行し始めました。
生徒に教義と聖約127章の前書きを読んでもらいます。127章は預言者ジョセフ・スミスから聖徒たちへ送られた手紙であること,またその手紙には,死者のために施したバプテスマの儀式について記録をつけるようにとの指示が与えられていました。約1週間後,ジョセフは死者のためのバプテスマについての手紙を再び書き送りました。それは教義と聖約128章に記録されています。
ホワイトボードに次の聖句の参照箇所を書きます。(かっこ内の言葉を書かないように注意します。それらは教師のための資料です。)
教義と聖約127:5-7;128:8(儀式が神権によって執行され,適切に記録がつけられるなら,儀式は地上でも天でもつながれる。)
教義と聖約128:6-7(身代わりの儀式の記録は,死者の裁きのために開かれる数々の書物のうちの一つである。)
教義と聖約128:15,17-18(亡くなった先祖のための救いはわたしたちの救いに欠かせない。)
ホワイトボードに書いた各々の聖句を読んでもらいます。死者の贖いのための神の計画について理解を深める教義を探してもらいます。ボードに書いた各々の聖句が教えている,死者の贖いについての教義を言ってもらいます。何人かの生徒に,ホワイトボードの聖句の横にその聖句が教えている教義を書いてもらいます。教義と聖約127章と128章に記録されている啓示は,福音の回復においてよく見られるパターンを表しています。つまり,主は,一度に全てではなく,ここにも少し,そこにも少し啓示を与えられます。
これらの啓示が与えられた何年も後,主は死者の贖いについての計画をさらに理解できるようにしてくださいました。1918年,ジョセフ・F・スミス大管長は,死者の贖いに関する啓示を受けました。この啓示は,1918年初めに大管長が自分の息子であるハイラム・M・スミスが亡くなったことを悼んでいたときに受けたものです。そのとき,ハイラム・M・スミスは十二使徒として働いていました。
生徒に教義と聖約138:28-37を読んでもらい,死者の贖いに関して,ジョセフ・F・スミス大管長に啓示された真理を見つけてもらいます。
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これらの節で教えられている死者の贖いについての真理は何ですか。(生徒が見つけた真理を分かち合っている間,生徒が次の真理を理解できるようにします。イエス・キリストの指示の下,義にかなった使者たちが霊界の獄にいる人たちに福音を教えている。)
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これらの真理は,アルビン・スミスのように福音の儀式を受けることなく亡くなった人が日の栄えの王国の受け継ぎを得ることを理解するうえで,どのような助けとなっているでしょうか。
十二使徒定員会のデビッド・A・ベドナー長老の次の言葉を,声に出して読みます。
「キリストの回復された教会の会員であるわたしたちは,自分の先祖を探し出し,先祖のために福音の救いの儀式を行うという,聖約を伴う責任を負っています。『わたしたちをほかにしては彼らが全うされることはな〔い〕。』(へブル11:40;『歴代大管長の教え—ジョセフ・スミス』475も参照)そして,『わたしたちの死者なしには,わたしたちも完全な者とされることはないのです。』(教義と聖約128:15)」「子孫の心は向かうであろう」『リアホナ』2011年11月号,25)
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なぜ死者の贖いの業をわたしたちの生活で優先事項とすべきなのでしょうか。
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自分の亡くなった親族のために救いの儀式を施すことは,死者と自分たちが完全になるためにどのような助けになるでしょうか。
十二使徒定員会のラッセル・M・ネルソン長老が述べた次の言葉を声に出して読みます。
「神殿・家族歴史活動には幕のかなたの人々に祝福をもたらす力がありますが,生者にも同じ祝福をもたらす力があります。この活動に携わる人々を精錬する力です。彼らは文字どおり,先祖と家族を高く上げる助けをしているのです。」(「先祖と愛によって結ばれる」『リアホナ』2010年5月号,93)
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死者の贖いに関する教義は,イエス・キリストの贖いが無限に行き渡ることをどのように証しているでしょうか。
十二使徒定員会のリチャード・G・スコット長老が述べた次の言葉を声に出して読みます。
「主は預言者ジョセフ・スミスに,バプテスマの神聖な儀式に関する壮大な教義を啓示されました。他のキリスト教会諸派において,人の行く末というものは,死をもって絶対的かつ永遠に決まると教えていたときに,この光がもたらされたのです。彼らは,バプテスマを受けた者には終わりのない喜びが報いとして与えられるが,それ以外の人たちは贖われる望みがないまま永遠の苦痛を受けると教えていました。 ……
この栄光に満ちた教義は,イエス・キリストの贖罪が完全であることを示すもう一つの証です。イエスは,悔い改めた人は誰でも救いにあずかることができるようにしてくださいました。主は贖罪によって死に打ち勝ち,ふさわしい死者が身代わりによって全ての救いの儀式を受けられるようにしてくださったのです。」(「死者を贖う喜び」『リアホナ』2012年11月号,93)
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どのような経験が,死者の贖いの業に携わることの大切さについて,あなたに教えてくれましたか。
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死者の贖いの業に携わることによって,あなたの証はどのように増し加えられましたか。(数人の生徒に,答えを発表してもらいます。)
家族歴史の探求や,神殿の身代わりの儀式など,すばらしい死者の贖いの業にどのように携わることができるか考えるように生徒たちに勧めます。現代の神殿の業を通して,天父と全ての子供たちが救いに必要な全ての儀式にあずかることができるという証を述べます。