バプテスマ
モルモン書には福音を学び,「モルモン」と呼ばれる場所でバプテスマを受けたある民についての物語が記されています。バプテスマを受けたときから,この民は「モルモン」を麗しい場所と見なしました。なぜならこの「モルモン」で「自分たちの
このモルモン書の記録に出てくる民と同様,自らが交わしたバプテスマの聖約とそれに伴う主の約束を記憶にとどめるならば喜びを得ることができます。バプテスマを最近受けたか,何年も前に受けたかにかかわらず,バプテスマの儀式に力を見いだすことができます。
永遠の命に至る道に入る
バプテスマは福音の第一の救いの儀式です(信仰箇条1:4参照)。神権の権能によって執り行われるバプテスマと確認の儀式を通して,あなたは末日聖徒イエス・キリスト教会の会員となります。
バプテスマを受けたときに,あなたは救い主の模範に喜んで従うことを約束しました。主御自身も罪のない御方でありながらバプテスマを受けられました。バプテスマのヨハネに語られたように,主は「すべての正しいことを成就する」ためにバプテスマをお受けになる必要があったのです(マタイ3:13-17参照)。
永遠の命を得たいと願うすべての人々は,救い主の模範に
主の方法によるバプテスマ
救い主は預言者ジョセフ・スミスに正しいバプテスマの方法を啓示して,儀式は神権の権能を授けられている人が執行しなければならないこと,完全に水に沈めるバプテスマでなければならないことを明らかにされました。
「すなわち,神から召され,イエス・キリストからバプテスマを施す権能を授けられている人は,バプテスマのために出頭した人とともに水の中に降りて行き,彼または彼女の名を呼んで,次のように言わなければならない。『わたしはイエス・キリストより権能を受けたので,御父と御子と聖霊の
その後,その人は,彼または彼女を水中に沈め,そして再び水から出て来なければならない。」(教義と聖約20:73-74)
完全に水に沈めるということは,罪深い生活に対する死と,神と神の子供たちのために献身的に奉仕する霊的な生活への再生を象徴しています。それはまた死と復活の象徴でもあります(ローマ6:3-6参照)。
幼児とバプテスマ
末日の啓示により,幼児はイエス・キリストの
バプテスマの聖約
あなたはバプテスマを受けたときに神と聖約を結びました。イエス・キリストの
イエス・キリストの御 名 を受ける。
イエス・キリストの御名を受けるときに,あなたは主のものとなります。自分の生活で主と主の業を優先します。自分が望んでいること,あるいはこの世が自分に望むよう教えていることよりもむしろ主が望んでおられることを追い求めます。
モルモン書の中で,ベニヤミン王は救い主の
「救いをもたらす名はほかに与えられていない。だから,キリストの
そして,このとおりにする者はだれでも,自分がどのような名で呼ばれるか分かるので,神の右に見いだされるであろう。なぜならば,キリストの
そして,キリストの
戒めを守る。
バプテスマの聖約とは神の王国に入り,この世を離れ,「いつでも,どのようなことについても,どのような所にいても」神の証人になる決意です(モーサヤ18:99)。神の証人になる努力にはあなたのあらゆる言動が含まれます。常に主の戒めを覚え,守るよう努力してください。あなたの思い,言葉,行動を清く保ってください。映画,テレビ,インターネット,音楽,本,雑誌,新聞などの娯楽を求めるときに,精神を高揚させるものだけを見,聞き,読むように注意してください。慎み深い服装を心がけてください。あなたが永遠の目標に到達できるよう励ましてくれる友人を選んでください。不道徳なこと,ポルノグラフィー,かけ事,たばこ,アルコール,違法薬物に近づかないでください。神殿に入るふさわしさを保ってください。
主に仕える。
この世的な事柄から離れるという戒めの意味は,周囲の人々から孤立するということではありません。バプテスマの聖約の一つに主に仕えるということがありますが,主に仕える最善の方法は
約束されたバプテスマの祝福
バプテスマのときに交わした聖約を守るときに,主はあなたの忠実さに対して祝福を与えてくださいます。あなたに与えられる祝福の中に,聖霊を常に
聖霊を常に伴 侶 とする。
バプテスマを受けた後で,メルキゼデク神権の権能を授けられている一人または二人以上の人が手をあなたの頭の上に置いて,あなたに聖霊の
罪が赦 される。
バプテスマを受けると,罪の赦しを受けることができます。言い換えれば,救い主の
罪の
再び生まれる。
バプテスマと確認の儀式を通して,あなたは生まれ変わり,新しい生活を始めました。救い主はニコデモにこう言われました。「だれでも,水と霊とから
最後まで堪え忍ぶ
今やバプテスマを受け,聖霊の
「あなたがたがこの細くて狭い道に入ったならば,それですべて終わりであろうか。見よ,わたしはそうではないと言う。もしキリストを信じる確固とした信仰をもってキリストの言葉に従い,人を救う力を備えておられるこの御方の功徳にひたすら頼らなかったならば,あなたがたは,ここまで進んで来ることさえできなかったからである。
したがって,あなたがたはこれからもキリストを確固として信じ,完全な希望の輝きを持ち,神とすべての人を愛して力強く進まなければならない。そして,キリストの言葉をよく味わいながら力強く進み,最後まで堪え忍ぶならば,見よ,御父は,『あなたがたは永遠の命を受ける』と言われる。」(2ニーファイ31:19-20)