断食と断食献金
断食とは自分の意志で,ある一定の期間,食べ物と飲み物を取らないことを言います。心からの祈りを伴うときに,あなたの断食は神の祝福を受けられるように自分自身と周囲の人々を備える助けとなります。
断食の目的
あるとき,救い主は一人の子供から悪魔を追い払い,その経験を通して弟子たちに祈りと断食の力について教えられました。弟子たちは次のように救い主に尋ねました。「わたしたちは,どうして霊を追い出せなかったのですか。」イエスは答えられました。「あなたがたの信仰が足りないからである。よく言い聞かせておくが,もし,からし種一粒ほどの信仰があるなら,この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば,移るであろう。このように,あなたがたにできない事は,何もないであろう。〔しかし,このたぐいは,
この話は,神権の祝福を与える人およびそれを受ける人が祈りと断食により力を増し加えられることを教えてくれます。またこの話は福音に従った生活を送ろうとするあなたの個人的な努力にも応用できます。自分に弱点や罪があり,その弱点や罪を克服しようと懸命に努力している場合,自分が求めている助けや
断食は様々な目的で行うことができます。断食は神を礼拝し,神に感謝を表す方法の一つです(ルカ2:37;アルマ45:1参照)。病人や苦しんでいる人を祝福してくださるよう天の御父に祈り求めるときに断食をすることができます(マタイ17:14-21参照)。断食はあなたとあなたの愛する人々が個人的な啓示を受け,真理に改宗するのに役立ちます(アルマ5:46;6:6参照)。断食を通して,誘惑に打ち勝つ力を得ることができます(イザヤ58:6参照)。神の前にへりくだり,イエス・キリストに対する信仰を行使しようと懸命に努力するときに断食をすることができます(オムナイ1:26;ヒラマン3:35参照)。福音を分かち合い,教会の召しを尊んで大いなるものとするための導きを受けるために断食をすることができます(使徒13:2-3;アルマ17:3,9;3ニーファイ27:1-2参照)。断食は義にかなった悲しみや嘆きを伴うことがあります(アルマ28:4-6;30:1-2参照)。
断食日曜日
教会は,通常第1日曜日ですが,毎月1回の日曜日を断食の日と定めています。断食日の正しい守り方には,続けて2食分の食べ物と飲み物を断つこと,
断食献金は少なくとも断食した2食分に相当する金額とすべきです。可能ならば,惜しみなくさらにこの額以上を差し出してください。
教会の指導者によって設けられた断食日を守ることに加えて,自分自身の必要や周囲の人々の必要に応じて,ほかの日にも断食することができます。しかし,あまりにも頻繁に,あるいは長期間にわたって度を超えた断食をすべきではありません。
真の断食
山上の垂訓で,イエスは真の断食について教えられました。「断食をしていることを人に見せようとして,自分の顔を見苦しく」して断食をする偽善者を責められたのです。これ見よがしに義人であるかのように振る舞うよりもむしろ「隠れた所においでになるあなたの父に知られるため〔断食すべきです。〕そうすれば,隠れた事を見ておられるあなたの父は,報いて下さ〔います。〕」(マタイ6:16-18)。
預言者イザヤも断食の真の精神について教えました。「わたしが選ぶところの断食は,悪のなわをほどき,くびきのひもを解き,しえたげられる者を放ち去らせ,すべてのくびきを折るなどの事ではないか。また飢えた者に,あなたのパンを分け与え,さすらえる貧しい者を,あなたの家に入れ,裸の者を見て,これに着せ,自分の骨肉に身を隠さないなどの事ではないか。」(イザヤ58:6-7)
さらにイザヤは断食の律法を守るときにもたらされる祝福についても