神権
神権とは神の永遠の力と権能です。神権を通じて,神は天地を創造されました。そして今天地を統治されています。この力を通じて,神はその子供たちを
地上で人に与えられる神権の権能
神は教会のふさわしい男性会員に神権の権能を授け,彼らが神の子供たちの救いのために神の
教会の男性会員は12歳になったときから神権を使っての奉仕を開始することができます。まず,アロン神権から始め,その後に,ふさわしければメルキゼデク神権を授けられます。人生の異なる段階で,異なる責任を受ける備えができたときに,異なる神権の職を受けます。アロン神権の職には,執事,教師,または祭司があり,メルキゼデク神権の職には,長老,または大祭司があります(アロン神権およびメルキゼデク神権に関する詳しい情報については,7-8ならびに182-183参照)。
教会の男性会員が神権を持つためには,権能を持つ神権者によりそれを授けられ,その神権の職に聖任されなければなりません(ヘブル5:4;教義と聖約42:11;信仰箇条1:5参照)。
神権の権能は教会のふさわしい男性会員にのみ授けられますが,その神権の祝福はすべての人,すなわち男性も女性も子供も受けることができます。わたしたちはだれもが義にかなった神権指導者の影響から恵みを受けます。また,神権による救いの儀式を受ける特権があります。
神権と家族
神権を行使する最も大切な場所は家庭です。教会において,すべての夫そして父親はメルキゼデク神権を持つにふさわしくあるよう努力すべきです。対等のパートナーである妻とともに,義と愛をもって家庭を管理し,霊的な指導者として家族に奉仕します。定期的な祈りや聖文研究,家庭の夕べを通して家族を導きます。妻とともに子供を教え,救いの儀式を受ける備えができるように助けます(教義と聖約68:25-28参照)。導きや
多くの教会員の家庭には忠実なメルキゼデク神権者がいません。しかし,ホームティーチャーや神権指導者の奉仕を通して,すべての教会員は日々の生活の中で神権の力による祝福を享受することができます。
神権定員会
神権定員会とは,同じ神権の職を持つ兄弟たちの組織です。定員会のおもな目的は,ほかの人に奉仕し,一致と兄弟愛をはぐくみ,互いに教義や原則,義務を教え合うことです。
定員会はあらゆるレベルの教会組織にあります。教会の大管長と二人の副管長は大管長会を構成します。十二使徒も定員会を構成します。中央幹部と地域幹部の両方から成る七十人は,それぞれ定員会に組織されます。各ステーク会長はステーク内の大祭司から成る大祭司定員会を管理します。各ワードまたは支部には,通常,長老定員会,祭司定員会,教師定員会,執事定員会があります。大祭司もワード単位で組織され,大祭司グループの中で奉仕します。
ホームティーチング
神権者は教師の職に聖任されたときから,ホームティーチャーとして奉仕する機会と責任があります。この方法によって,神権者は「常に教会員を見守り,彼らとともにいて彼らを強める」という義務を果たすために働くことができます(教義と聖約20:53)。
ホームティーチャーには,個人と家族にとって教会における第一の助け手となる神聖な義務があります。ホームティーチャーは割り当てられた会員の家を最低月に1回訪問します。割り当てられた会員に奉仕し,その家を訪問することによって,両親が親としての責任を果たせるように援助し,家族の一人一人に福音を教え,彼らとの友情を培い,家族が神殿の儀式を受ける備えをし,福音の祝福にふさわしく生活できるように助けます。
ワードならびに支部の指導者は,各家族または個人に必ずホームティーチャーが割り当てられるようにします。各会員の物心両面における必要を満たす助けができるようにホームティーチャーを見守ります。
神権の鍵
教会における神権の権能の行使は,その
イエス・キリストは神権のすべての
教会の大管長は,ほかの神権指導者に,彼らがそれぞれの責任の範囲内で管理することができるように神権の
義にかなった神権の行使
あなたが神権者だとしたら,いつでも,どんな状況でも,神権が自分から切り離せないものであることを忘れないでください。自分の思いのままに脱いだり,着たりできるような洋服とは訳が違うのです。神権の職への聖任はいずれも生涯にわたる奉仕への召しです。この召しには,主の業を行えるように,主がその人を忠実さに応じてふさわしくされるという約束が伴います。
神権の力を受け行使するためにはふさわしくなければなりません。あなたの語る言葉,あなたの日々の行いが奉仕する能力に影響を与えます。公の場でのあなたの行いは,非の打ち所のないものでなければなりません。だれもいないところでの行いはさらに重要さを増します。預言者ジョセフ・スミスを通して,主は「神権の権利は天の力と不可分のものとして結びついており,天の力は義の原則に従ってしか制御することも,運用することもできない」と宣言されました(教義と聖約121:36)。主は神権指導者に次のように警告しておられます。
「わたしたちが自分の罪を覆い隠そうとしたり,自分の高慢,自分のうぬぼれた野望を満たそうとしたり,あるいはいかなる程度の不義によってでも,人の子らを制御し,支配し,強制しようとしたりするとき,まことに,天は退き去り,主の
いかなる力も影響力も,神権によって維持することはできません。ただ「説得により,寛容により,温厚と柔和により,また偽りのない愛により,優しさと純粋な知識に〔より,維持するのです。〕これらは,偽善もなく,偽りもなしに,心を大いに広げるもので〔す。〕」「聖霊に感じたとき」は,その人を責め,その後に「あなたの責めた人があなたを敵視しないために,その人にいっそうの愛を示し〔て(ください。〕それは,あなたの誠実が死の縄目よりも強いことを,その人が知るためで〔す。〕」(教義と聖約121:41-43)
義と愛をもって神権を行使するときに,主の手に使われる器として奉仕することに喜びを見いだすことでしょう。主はこう言っておられます。
「またあなたの心が,すべての人に対して,また信仰の家族に対して,慈愛で満たされるようにしなさい。絶えず徳であなたの思いを飾るようにしなさい。そうするときに,神の前においてあなたの自信は増し,神権の教義は天からの露のようにあなたの心に滴るであろう。
聖霊は常にあなたの