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悔い改め


悔い改め

悔い改めは福音の第一の原則の一つです(信仰箇条1:4参照)。それは現世と永遠の幸福に不可欠の要素です。悔い改めはただ単に悪い行いを認める以上の行為です。それは人に,神とその人自身,そして世の中に対する新しい見方を伝える思いと心の変化です。悔い改めには,罪から離れ,神にゆるしを求めることが含まれます。悔い改めへと人を動かすのは,神への愛と,神の戒めに従いたいという心からの望みです。

悔い改めの必要性

主は「清くない者は決して天の王国を受け継ぐことができないと」宣言されました(アルマ11:37)。罪は人を清くない者とし,わたしたちが天の御父のもとに帰り,ともに住むのにふさわしくなくなります。また,罪は現世で人の霊に苦しみをもたらします。

イエス・キリストのあがないを通して,天の御父は人が罪をゆるされる唯一の道を準備してくださいました(「赦し」の項,186-188参照)。イエス・キリストは,人が心からの悔い改めを条件として赦されるように,人に代わって罪の代価を払うために苦しまれました。悔い改めてイエス・キリストの救いの恵みに頼るときに,罪から清められます。主はこう宣言しておられます。

「わたしは,悔い改めるようにあなたに命じる。わたしの口のむちによって,わたしの憤りによって,またわたしの怒りによって打たれて,つらい苦しみを被ることのないように,悔い改めなさい。これらの苦しみがいかにつらいか,あなたは知らない。いかに激しいか,あなたは知らない。まことに,いかに堪え難いか,あなたは知らない。

見よ,神であるわたしは,すべての人に代わってこれらの苦しみを負い,人々が悔い改めるならば苦しみを受けることのないようにした。

しかし,もしも悔い改めなければ,彼らはわたしが苦しんだように必ず苦しむであろう。

その苦しみは,神であって,しかもすべての中で最も大いなる者であるわたし自身が,苦痛のためにおののき,あらゆる毛穴から血を流し,体と霊の両方に苦しみを受けたほどのものであった。そしてわたしは,その苦いさかずきを飲まずに身を引くことができればそうしたいと思った。

しかしながら,父に栄光があるように。わたしはさかずきを飲み,人の子らのためにわたしの備えを終えたのである。」(教義と聖約19:15-19

悔い改めを引き延ばすことの危険性

自分の罪を正当化したり,悔い改めを引き延ばしたりしてはなりません。アミュレクはこう警告しています。「現世は人が神にお会いする用意をする時期である。まことに,現世の生涯は,人が各自の務めを果たす時期である。……最後まで悔い改めの日を引き延ばすことのないように切に勧める。永遠に備えるためにわたしたちに与えられている現世の生涯を終えると,見よ,もしわたしたちが現世にいる間に時間を有益に用いなければ,後からくらやみの夜がやって来る。そして,そこでは何の働きもできない。」(アルマ34:32-33

悔い改めの要素

悔い改めの過程には痛みが伴いますが,結果的には,ゆるしと永続する平安を得ることができます。預言者イザヤを通して,主は言われました。「たといあなたがたの罪はのようであっても,雪のように白くなるのだ。くれないのように赤くても,羊の毛のようになるのだ。」(イザヤ1:18)この神権時代においても,主は次のように約束しておられます。「自分の罪を悔い改めた者は赦され,主なるわたしはもうそれを思い起こさない。」(教義と聖約58:42)悔い改めには次の要素が含まれます。

天の御父とイエス・キリストに対する信仰。

罪には強烈な力があります。その力から解放されるためには,天の御父に頼り,信仰をもって祈らなければなりません。サタンはあなたにこう思い込ませようとするかもしれません。「あなたに祈る資格はない,天の御父はあなたにうんざりしておられ,あなたの祈りなど決して聞かれない。」これはうそです。天の御父は悔い改めの気持ちで御自分のもとに来る人をいつでも喜んで助けてくださいます。御父は人をいやし,罪に打ち勝つことができるように助ける力をお持ちです。

悔い改めはイエス・キリストに対する信仰を示す行為,イエス・キリストのあがないの力を認める行為です。イエス・キリストのによってのみ,赦ゆるしが得られるということを忘れないでください。感謝の気持ちで,イエス・キリストの贖いと,人を罪から清めるイエス・キリストの力を認めるときに,「悔い改めを生じる信仰を働かせ」ることができます(アルマ34:17)。

罪を悲しむ。

ゆるされるためには,まず自分が罪を犯したことを心の中で認めなければなりません。福音に従った生活を送ろうと真剣に努力している人であれば,このように認めることによって「悔いのないすくいを得させるくいあらために導」く「神のみこころに添うた悲しみ」を感じるようになります(2 コリント7:10)。神のこころに添った悲しみは,罪を犯した後の当然の結果として,あるいは罰に対する恐怖感によって生じるものではありません。むしろ,天の御父と救い主を悲しませたことを知って生じるものです。人は,神の御心に添った悲しみを経験すると,変わりたいという心からの望みや赦されるためのあらゆる条件に喜んで従いたいという望みを持ちます。

告白。

「その罪を隠す者は栄えることが〔ありません。〕言い表わしてこれを離れる者は,あわれみをうけ〔ます。〕」(箴言28:13ゆるしに不可欠なのは,天の御父に自分がしてしまったことを,すべて残らず進んで打ち明けるという態度です。御父の前にひざまずいて謙遜けんそんに祈りをささげて,自分の罪を認めてください。自分の恥ずべき行為や罪を告白し,助けを願い求めてください。

純潔の律法に対するそむきのように,重大な罪を犯すと,会員資格が危うくなることもあります。したがって,このような罪は主ならびに教会において主を代表する人々に告白する必要があります。告白は教会の見張り人,判士として働く監督または支部長,状況によっては,ステーク会長または伝道部長の助けを受けて行います。罪をゆるすことがおできになるのは主だけですが,これらの神権指導者は悔い改めの過程で重要な役割を果たします。告白を内密に保ち,悔い改めの全行程を通じて助けてくれます。ですから,彼らに対してはすべてを正直に話してください。小さな過ちだけに触れて,一部だけしか告白しなければ,より重大で,明らかにされていない背きを解決することができなくなります。告白の過程を早く始めれば始めるほど,それだけ赦しの奇跡からもたらされる平安と喜びを見いだすのが早くなります。

罪を捨てる。

告白は悔い改めに不可欠な要素ですが,それだけでは不十分です。主はこう言われました。「人が罪を悔い改めたかどうかは,これによって分かる。すなわち,見よ,彼はそれを告白し,そしてそれを捨てる。」(教義と聖約58:43

同じ背きは絶対に繰り返さないという強固な意志を生涯にわたって持ち続けてください。このように決心し続けるならば,同じ罪のもたらす苦痛を二度と経験することはないでしょう。

危険な状況から即座に離れてください。ある状況に置かれると罪を犯す,あるいは罪を犯す可能性がある場合には,その場を立ち去ってください。誘惑にさらされたままの状態で罪を克服できるなどと考えてはなりません。

償い。

ある人の財産であれ,良い評判であれ,自分の行為によって損害を与えたことについてはできるかぎりすべて回復しなければなりません。喜んで償いをすることにより,自分は悔い改めるためにできることをすべて行うという姿勢を主に示すことができます。

義にかなった生活。

悪に打ち負かされないよう努力したり,自分の生活から罪を取り除こうと努力したりするだけでは不十分です。義に満ちた生活を送り,霊的な力をもたらしてくれる活動に参加しなければなりません。聖文の研究に没頭してください。自分の能力を超えた力を頂けるように毎日主に祈ってください。時には,特別な祝福にあずかるために断食してください。

すべてに従順な人の生活には,弱点を克服するためのさらに大きな力を含む福音の完全な力が注がれます。この従順には,例えば,集会への出席,じゅうぶんの一を納めること,奉仕,ほかの人々に対するゆるしなど,悔い改めとは関係ないと最初は思うかもしれない行為も含まれます。主はこう約束しておられます。「悔い改めて主の戒めを守る者は赦されるであろう。」(教義と聖約1:32