「家庭の夕べ」教会歴史のテーマ
「家庭の夕べ」教会歴史のテーマ
家庭の夕べ
1831年に開かれた長老たちの大会でジョセフ・スミスは,「その子供たちに祈ることと,主の前をまっすぐに歩むことも教え」るよう,「シオン……に住む者への律法」となる啓示を受けました。また子供たちが「悪事をするようになり」,貪欲になっていると警告しています。1その後19世紀が終わるまで,多くの末日聖徒は家庭で福音を教え,模範を示すようにと家族に勧めました。ブリガム・ヤングは,1877年に亡くなる少し前にこう言っています。「子供を訓練し,明らかにされた真理について教え,導く労を惜しむなら,わたしたちは少なくともある程度罪の責めを受けることになるでしょう。」2末日聖徒は,家族が子供たちを教育し,育てることができるよう,初等協会や日曜学校,若い男性と若い女性のための相互発達協会など,様々な組織を創立しました。3
20世紀に入ると,ソルトレーク・シティーにあるグラナイトステークの会長,フランク・Y・テーラーは,多くの親が福音の原則に関する子供の教育を,教会の提供する組織任せにしていことを懸念していると述べました。そのうえで彼は,家族が子供たちを福音の中で養い,「家庭を少年少女にとって世界中でいちばん幸せな場所〔にする〕」ことができるよう家族を助けるようにと,神権指導者に要請しました。41909年,テーラーステーク会長は,「聖徒たちの家族の家庭の夕べ」というステークの行事を定期的に行う計画を進めるための委員会を立ち上げました。5同委員会は,ジョセフ・F・スミス大管長の出席・承認のもとで行われた親のための特別集会で,この家庭の夕べを行うようにと勧めました。委員会の発表した計画は,週に一度家庭に家族が集まって一緒に祈り,歌い,聖文を読み,短い福音のレッスンを行い,子供を中心にした活動を行い,リフレッシュメントを出すことによって,教義と聖約68章にある戒めを親に思い出してもらう,というものでした。「形式ばったことや堅苦しいことは一切」なしにして,その日の夜にはほかにどんな予定も入れないようにと親たちに勧めました。6
この家庭の夕べの成功を見て,スミス大管長と大管長会の顧問たちは1915年,月に一度,夜家庭で過ごす日を作ってグラナイトステークのプログラムで行ったのと同じ活動を行うことを親に勧めるよう,全ステーク会長と全ビショップに指示しました。7その後各家族や組織の指導者たちは,おもに家庭の夕べで行う活動のアイデアを教会の機関誌や手引きに載せていました。しかし1946年,大管長会と十二使徒定員会は,「ジョセフ・F・スミス大管長の指導の下で始まったこのプロジェクト……を復活させる」ことにしました。8扶助協会は,新たに「家族タイム」と名づけられたこのプログラムをワードや支部の会員たちが実施できるよう監督する責任を受けて,親に参考にしてもらうための手引きを作成しました。9エズラ・タフト・ベンソン長老はこのプログラムを「大いなる責任」であり「霊的な基礎」となるものとして強く推奨しました。使徒であり,1954年にアメリカ合衆国政府の閣僚も務めたベンソン長老は,全国放送のテレビ番組「Person to Person(人から人へ)」で,自分の家族の家庭の夕べを司会し,その様子を生放送で見せました。10
1964年,デビッド・O・マッケイ大管長とハロルド・B・リーは,家庭での福音教育をさらに充実したものにしようと考えました。リー長老は総大会で,新しい家庭の夕べプログラムは現行の神権コーリレーションの取り組みによってステークの神権指導者を通して導かれるようにすると発表したのです。11教会は,あらゆる年齢の人たちに合わせることのできる教えとアイデア,レッスンを載せた『家庭の夕べの手引き』を出版しました。ほんの数年のうちに,この手引きは17か国語に翻訳されました。12
定期的に家庭の夕べを行うことに熱心になったのは,末日聖徒だけではありませんでした。1973年,New York Times(『ニューヨークタイムズ』紙)は,家庭の夕べには家族のきずなを強くする効果があることを取り上げた記事を掲載しました。すると,改訂版『家庭の夕べの手引き』に関する問い合わせが,いろいろな教会や組織から殺到したのです。13それは,宣教師が『Uniform System for Teaching Families(家族を教える統一システム)』という新しい教科課程を使い始めた年で,その教科課程には,家庭の夕べが新たな伝道方法として追加されていました。全世界の宣教師は,一般市民の行事や新聞・雑誌等の記事,街頭伝道,家庭集会で,この家庭の夕べプログラムを宣伝しました。14この年にはまた,末日聖徒たちは家庭の夕べプログラムについてバージニア州知事と討論も行いました。同知事は後に,1974年5月を「家族結束月間」に制定すると宣言しています。ほかの都市や州もそれに倣い,アメリカ合衆国中の市長や知事が,家族を結束させる活動を実施するようになりました。そして,家庭の夕べを開くことを市民たちに推奨したのです。15
通常,家庭の夕べを何曜日に開くかは,ステーク評議会が決めていたのですが,1970年に大管長会と十二使徒定員会が月曜日の夜を家族で過ごす時間とするようにと勧めてからは,月曜日に開くことになりました。16ハワード・W・ハンターは,1994年に教会の大管長になってからの初仕事の一つとして,月曜日には教会のすべての建物と施設を閉館し,ステーク評議会とワード評議会は家庭の夕べを妨げるような行事や活動を月曜日の夜に計画しないようにと指示しました。17その5年後,ゴードン・B・ヒンクレー大管長と大管長会顧問たちは,ハンター大管長の方針を再度強調し,月曜日の夕べに親と子供を家庭から遠ざけるような活動を入れないよう地域社会や学校に働きかけるようにと,教会員に勧めました。182018年に発表された新しい集会スケジュールは,家庭で福音を学習する時間が取れるようにしています。シングルアダルトにも参加してもらうために『総合手引き』などの資料に載せる名称を「home evening」に変えました〔訳注:英語では「family home evening」から「home evening」に変わったが,日本語訳では「家庭の夕べ」のまま変わっていない〕。大管長会は,「個人と家族は日曜日に家庭の夕べを開いて家庭で福音を研究するように」と勧めています。ただし,月曜日には引き続きほかの集会を開かず,教会の建物は使用しません。19広く親しまれてきた家庭の夕べの伝統は,特に,信仰の伝統を次世代に伝えるという意味で,今でも末日聖徒の大きな特徴となっています。この家族の定期的な集まりを1世紀以上にわたって続けてきたおかげで,末日聖徒の中には,現代のほかの宗派にはない強い世代間のつながりがあります。20