「軍人支部」教会歴史のテーマ
「軍人支部」教会歴史のテーマ
軍人支部
末日聖徒は,1800年代に初期の教会員が民兵の部隊に入って以来,様々な軍隊の組織や外交機関に参画していました。20世紀の海外出兵より,教会に新しい組織の必要性とフェローシップの問題が生じました。軍隊および外交機関からの要請により,軍人とその家族には常に海外への転居が付いて回ったからです。紛争が頻発する期間には,様々な国から召集される末日聖徒が増えます。そのため,時には一時的に支部を組織して特別な連絡手段を作らなければならないこともありました。第二次世界大戦後,教会がそれまで恒久的なワード・支部を建てることができなかった地域で地元教会員をサポートする必要が出てきている場合に,軍人支部が役に立つことが実証されました。
19世紀の兵役
第一世代の末日聖徒が集合したアメリカ合衆国の初期の時代はたいてい,軍隊または民兵の組織が地域ごとにありました。ミズーリやイリノイ,ユタにあった末日聖徒の共同体は,民兵の部隊を召集しました。この部隊は教会員で構成されることが多く,地元の教会指導者が指揮官を務めました。1時には,末日聖徒の志願兵から成る民兵の部隊がアメリカ合衆国の常備軍に組み込まれることもありました。2よく知られているモルモン大隊など,末日聖徒の幾つかの部隊は,メキシコ・アメリカ戦争(1846-1848年)やアメリカ南北戦争(1861-1865年),アメリカ・スペイン戦争(1898年),第一次世界大戦(1914-1918年)で,アメリカのために戦いました。3
アメリカ・スペイン戦争で,初めて米陸軍従軍聖職者に任命された末日聖徒,エライアス・S・キンボールは,宗教的に中立の立場で,担当した連隊の末日聖徒の兵士特有のニーズに対処しなければならないという悩みを抱えていました。定期的な礼拝行事ができず,末日聖徒特有の信条や教義に関する助言もできなかったため,キンボールは葛藤を感じることが多々ありました。その後従軍聖職者に任命された人たちも,これと同じような葛藤を感じるようになります。4教会の指導者は,ほかの部隊にいる末日聖徒の兵士たちについては,ある便宜を図りました。兵役に就いている会員のいるワードや支部に,自分のワードまたは支部から出ている兵士たちに聖典や教会書籍を送り,定期的に手紙を書くようにと勧めたのです。陸軍の野営地の近くにあるワードや支部には,地元で行われる礼拝行事に兵士たちを招待したり,必要に応じてフェローシップしたりするよう勧めました。また,戦地または遠隔地にいる兵士たちには,相互発達協会(MIA)のグループを独自に作ることを許可する場合もありました。このようなMIAは,1898年にマニラ湾海戦時にフィリピンのマニラで初めて組織されました。5この「極東の相互発達協会」の後援の下で,末日聖徒の兵士たちは集まって聖文を学び,聖餐を取り,社交活動に参加したのです。6
二つの世界大戦
第一次世界大戦では,教会史上初めて,多くの末日聖徒の兵士たちが世界大戦の両陣営で戦いました。7ドイツ・オーストリアの中央同盟国と,グレートブリテン・カナダ・ニュージーランド・オーストラリア・アメリカ合衆国の連合国で戦う兵士たちに,ホームワードやホーム支部から絶えず手紙が送られました。時には,カナダ陸軍の第13騎兵連隊(いわゆる「アルバータ連隊」)のように,多数の末日聖徒が教会の定例集会を開くこともありました。後に中央幹部になる将校のヒュー・B・ブラウンは,自分の連隊にいる末日聖徒たちに霊的なサポートを与える努力を,指導者として行いました。8
1917年にアメリカ合衆国軍が参戦すると,教会の指導者たちは,末日聖徒の兵士たちをサポートするために新たなプログラムを作るようになりました。3人の末日聖徒がアメリカ合衆国軍の従軍聖職者に任命されており,全世界の兵士たちは,どこに駐屯していようともその地域にあるワードまたは支部を探すようにと勧告されていました。ワードや支部の定例集会に参加できない訓練基地や戦闘地域の近くでは,MIAのグループが組織されました。9
1930年代に第二次世界大戦が勃発すると,教会の指導者たちは,第一次世界大戦で学んでいたので,兵士たちに対してもっときめ細やかなサポートができるようになっていました。1940年から1941年にかけて兵役に就く末日聖徒が増加するのに伴い,指導者たちは,海外の兵士たちに教会書籍や手紙を送るための新しい経路を作りました。MIAのグループは,駐屯地で末日聖徒が仲間意識を育てるために中核的な役割を果たしていました。十二使徒定員会のハロルド・B・リー長老を委員長とし,ヒュー・B・ブラウンをコーディネーターとする軍人委員会が1941年に組織され,MIAのグループリーダーを正規の手順で召して任命するなどの,兵士たちの支援計画が考案されました。10同委員会はまた,Handbook for Chaplains and Group Leaders(『従軍聖職者およびグループリーダーのための手引き』)およびポケットサイズの聖典や,その他の兵士向けの教会書籍を出版しました。住所録は毎年更新されて,兵士たちがどこに配属されてもその地域の支部やワード,伝道部の連絡先を知ることができるようにしました。また,地元の教会員がコーディネーター補佐として働き,近隣の軍隊の駐屯地が地元の教会のワードや支部と交流できるようにしていました。11
第二次世界大戦では末日聖徒の従軍聖職者の数も増え,軍人委員会は下士官兵を好んでグループリーダーに召しました。このような手配をするようになるにつれ,末日聖徒の礼拝行事が,特定の宗派に捉われない礼拝行事を行うよう求める軍隊の規律に反することなく,公然と行えるようになっていきました。故郷を離れる前にグループリーダーに任命された若者は,どこに配属されても,戦闘中も含めて,グループを組織して集会を開くことができました。12MIAのグループは,捕虜収容所を含むあらゆる戦地で組織され,それに参加した多くの兵士たちはあらゆる機会を使って仲間の兵士や,交流のある地元の人々に福音を伝えたのです。米海兵隊員であり,後に使徒になったL・トム・ペリーのように,軍の仲間やほかの教会の人たち,支部の会員たちと力を合わせて,戦争で荒廃した地域の再建に取り組む兵士たちもたくさんいました。13
海外における軍務,外交と,教会の発展
第二次世界大戦以後,教会は軍隊や外交機関で働く末日聖徒を支援する活動を引き続き行い,改善していきました。14ヨーロッパやアジア,ラテンアメリカ,アフリカ,太平洋地域の一部では,軍隊および外交機関で働く末日聖徒の家族のために組織された支部が,多くの国々で地元の初期の教会の発展を助けたり,教会の設立を指導したりする役割を果たしてきました。全世界での教会員の急速な増加が,海外に駐在する末日聖徒の働きと努力の直接的な結果として起こることが,頻繁にあったのです。15
関連テーマ:「アメリカ・メキシコ戦争」,「アメリカ南北戦争」,「Spanish-American War(スペイン・アメリカ戦争)」,「World War I(第一次世界大戦)」,「World War II(第二次世界大戦)」,「伝道活動の発展」