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主の言葉を超えては何もすることができない
以下の聖句を研究する。
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民数22:1-21。モアブの王バラクは,イスラエル人が近づいて来たことを知り恐れおののく。彼はバラムにモアブヘ来てイスラエル人をのろってくれれば,礼をすると申し出る。神はバラムにその申し出を断るようにお命じになり,バラムもそれに従う(22:1-14)。しかしバラクはバラムに,モアブへ来て,イスラエルをのろってくれれば前に話したよりも多くの富と誉れを与えると再度申し出をする。神はバラムに,望むならば行ってもよいが,神の告げること以外は語ってはならないと命じられる(22:15-21)。そしてバラムはモアブへ行くことに決める。
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民数22:22-35。神はバラムが,バラクから恩賞をもらえるという期待をもってモアブへ行ったことに怒りを発せられる。途中,バラムはろばと主の使いの語る言葉を聞いて,神の怒りを招くことの恐ろしさを思い知らされる。
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民数22:36-24:25。バラクはイスラエルをのろうように,3度バラムに頼むが,バラムは神に従い,その度にイスラエルを祝福する(22:36-24:9)。そして逆にモアブをのろい,イエス・キリストについての預言をする(24:10-25)。
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民数31:1-16。イスラエル人はミデアン人を滅ぼし,バラムを殺す。モーセは,バラムがミデアン人にイスラエル人を罪の中に引き込むように勧めたと説明している。(バラムがそのような勧めをしたことの結果が,民数25:1-3に記されている。バラムは直接的にイスラエルをのろうことはしなかったが,恩賞を望むあまり,イスラエルを罪の中に誘惑するよう提案し,彼らが神の守りを受けられないようにしてしまった。)
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イスラエルをのろうなら恩賞を与えるというモアブからの申し出に,バラムはどうこたえましたか(民数22:5-14参照)。わたしたちは,神の戒めに従わないことを条件に与えると誘惑されるような恩賞が何かあるでしょうか。
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モアブへ行く途中,バラムは3度,ろばを無理に進ませようとしました(民数22:22-30)。この事柄と,バラムと主の間の関係にはどのような共通点がありますか。現代において,神の
御心 に従ったり,親や指導者の義にかなった勧告に従ったりせず,かたくなに自分の考えを通そうとする個人やグループの例を挙げてください。 -
『新約聖書』を書いた3人がバラムについて言及しています(2ペテロ2:15-16;ユダ1:11;黙示2:14)。彼らはバラムをどのような人物としてとらえていたでしょうか。バラムの物語から何を学ぶことができるでしょうか。