リアホナ
イエス・キリストを通して受ける聖約に基づく確信
2024年5月号


14:29

イエス・キリストを通して受ける聖約に基づく確信

主の宮に入るとき,わたしたちはイエス・キリストのより気高く,より聖なる弟子になることを学ぶ神聖な旅に出るのです。

愛する兄弟姉妹,わたしたちがこの週末に指導者たちの霊感に満ちたメッセージによって霊的に新たにされ,わたしが「イエス・キリストを通して受ける聖約に基づく確信」と呼んでいるものを感じて喜びを得られるように祈っています。この確信は,神が聖約を守る人に約束しておられる祝福を受けるという,穏やかでありながらも揺るぎない確信であり,今日の困難な状況の中でとても必要とされているものです。

ラッセル・M・ネルソン大管長の霊感あふれる指導の下に,世界中に新設されている主の宮は,教会員の間に大きな喜びをもたらし,主の王国の発展を示す重要なシンボルになっています。

昨年10月,わたしはカリフォルニア州フェザーリバー神殿の奉献式での荘厳な経験を振り返りながら,わたしたちは時として,地元に新しい神殿が建つことに興奮するあまり,神殿で交わす聖約の,より神聖な目的をおろそかにしていることはないだろうかと思いました。

各神殿の正面には,「聖きを主にささぐ」という厳粛な言葉が刻まれています。1この霊感に満ちた言葉は,主の宮に入るときに,イエス・キリストのより気高く,より聖なる弟子になることを学ぶ神聖な旅に出るようにという,はっきりとした招きです。神の前で厳かに聖約を交わし,救い主に従う決意をするとき,わたしたちは心を変え,霊を新たにし,神との関係を深める力を授かります。そのような努力により,霊が聖められ,神とイエス・キリストとの神聖なきずなが形作られ,永遠の命の賜物を受け継ぐという約束が与えられます。2この神聖な旅の結果,わたしたちはイエス・キリストを通して交わした聖約の中での日々の生活に向けて,より神聖で,より深い確信を得るのです。

そのような確信は,神との神聖なつながりの頂点であり,イエス・キリストとその贖いの犠牲に対する献身と感謝の気持ちを増してくれます。人を愛し,奉仕する能力を高め,ますます暗さを増し落胆してしまうような不道徳な世界で生きていく強さを与えてくれます。特に,人生がつらいとき,試練が長く続くとき,状況が困難なときに,敵がわたしたちの心に深く感じさせようとする疑いや落胆,恐れ,挫折,心痛,絶望の種に打ち勝つ力を与えてくれます。聖書の次の一節は,現世の困難という強風に立ち向かうわたしたち一人一人に的確な助言を与えています。「自分の持っている確信を放棄してはならない。」3

愛する兄弟姉妹の皆さん,イエス・キリストを通して主の宮で交わした聖約に対して真の確信を得る人は,この世で受けられる最も強い力の一つを得ているのです。

今年,『わたしに従ってきなさい』でモルモン書を研究する中で目の当たりにしたように,ニーファイは主の命令に従って版を手に入れるといった困難や挫折に直面したとき,その忠実さを通して,聖約に基づく確信がもたらすこのような力を見事に実証しました。ニーファイは,レーマンとレムエルの恐れと不信仰をひどく悲しみましたが,主が版を渡してくださるという確信を抱き続けました。ニーファイは兄たちに言いました。「主が生きておられ,またわたしたちが生きているように,わたしたちは主から命じられたことを成し遂げるまでは,荒れ野にいる父のところへは下って行きません。」4ニーファイは主の約束を確信していたので,命じられたことを成し遂げることができました。5後にニーファイは示現の中で,このような確信が及ぼす影響を見ています。「わたしニーファイは,神の小羊の力が,小羊の教会の聖徒たち,また……主の聖約の民のうえに下るのを見た。彼らは義と神の力とをもって,大いなる栄光のうちに武装していた。」6

わたしは,主の愛に満ちた約束と力が神の子供たちの生活に流れ込み,人生の状況に立ち向かえるように彼らを強くするのをじかに見てきました。先日,神殿での礼拝から帰宅した妻は,神殿で経験したことにどれほど深く心を動かされたかを話してくれました。主の宮に入ると,車椅子の男性がとてもゆっくりと進み,また,杖をついた女性が非常に苦労して歩いて行く姿を見たそうです。二人とも,主の宮で礼拝するために,勇気をもって参入していました。妻がイニシャトリーのエリアに入ると,片腕と,もう片方の腕の大部分を失った優しそうな姉妹が,割り当てられた務めを美しく,また神々しく果たしていました。

その経験について話し合い,わたしたち夫婦が得た結論は,主の宮で交わした聖約を通して神から与えられる永遠の約束を心から信じる純粋な確信だけが,あの凍てつくような日に,個々の状況がどうであろうと,キリストのすばらしい弟子たちを家から出て行かせることができたということでした。

愛する友人の皆さん,わたしたちに持てるものが一つあるとすれば,そして,今後の試しや試練に遭うときの助けとなるよう,子供や孫たちに伝えられるものが一つあるとすれば,それはイエス・キリストを通して交わした聖約に対する確信でしょう。そのような神聖な確信を得ると,忠実に従う人に主が約束されたように生活する助けが得られます。「わたしの弟子たちは聖なる場所に立ち,動かされない。」7

イエス・キリストを通してそのような確信を得るには,どうすればよいでしょうか。謙遜になり,救い主を生活の中心とし,イエス・キリストの福音の原則に従って生活し,救いと昇栄の儀式を受け,主の聖なる宮で神と交わした聖約を尊ぶことによって,その確信がもたらされます。

2019年10月の総大会の結びの言葉で,わたしたちの愛する預言者は,聖約に基づく確信を得るための重要なステップについて思い起こさせ,こう言いました。「主の宮に参入する個人のふさわしさには,多くの霊的な備えが求められます。……個人のふさわしさには,主にさらに似た者となり,正直な市民,よりよい模範,そしてより聖い人となるために,思いと心を完全に改めることが求められます。」8ですから,神殿に参入する準備の仕方を変えるなら,神殿での経験が変わり,それによって神殿の外での生活も違ったものとなるでしょう。「そうするときに,神の前においてあなたの自信は増し,神権の教義は天からの露のようにあなたの心に滴るであろう。」9

わたしの知っているあるビショップは,初等協会の最年長のクラスを「初等協会」のクラスではなく,「神殿準備」クラスと呼んでいます。そのビショップは1月になると,クラスの生徒と教師をビショップ室に呼んで,神殿参入に備えるためにこの一年をどのように過ごすかについて話し合います。また,神殿推薦状の面接で尋ねる適切な質問について話し合う時間を取り,その後,初等協会のレッスンでも採り上げるようにします。そして,1年後にビショップ室に来るときには自信をもって,聖約に基づく確信を抱き,神殿推薦状を受けて主の宮に参入する用意ができているように,準備をするよう子供たちを招きます。今年そのビショップは,神殿に行くのを楽しみにしている,よく準備ができ,確信を抱いた4人の若い女性から,元旦の午前0時1分に推薦状を印刷してほしいと求められました。

準備が必要なのは,初めて神殿に参入する人だけではありません。わたしたち全員が,主の宮に参入する準備を絶えず行う必要があります。わたしの知っているあるステークでは,「家庭中心,教会サポート,神殿行き」というモットーを採用しています。「神殿行き」の「行き」に当たる英語の「bound」10は興味深い単語で,ある方向を目指すことを意味しますが,結びつけられる,固定される,決意する,確信するという意味もあります。つまり神殿に向かうことは,わたしたちを救い主に結びつけ,正しい方向性と安定を与え,イエス・キリストを通して受ける聖約に基づく確信を確かに抱かせてくれるのです。ですから,わたしたちは皆,神殿が近くても遠くても,主の聖なる宮で主とお会いする次の約束をしておくことで,そのような結びつきを意図的に深める必要があります。11

わたしたちの愛する預言者,ラッセル・M・ネルソン大管長は,これらの重要な原則について思い起こさせ,こう述べています。「神殿は,救い主と主の教義がまさにその中心に据えられているため,わたしたちの信仰と不屈の霊性を強めるうえで最も重要です。神殿で指示と御霊を通して教えられるすべてのことは,イエス・キリストに対する理解を深めてくれます。主の必須の儀式は,神聖な神権の聖約を通して,わたしたちを主に固く結びつけてくれます。そして,わたしたちが聖約を守るならば,主はわたしたちを癒し強める主の力を授けてくださいます。ああ,これから先,何と主の力が必要なことでしょう。」12

救い主は,わたしたちが主の御名によって御父と聖約を交わすときに,どのように行動すべきかを明確に理解できるように準備することを望んでおられます。また,わたしたちが特権や約束や責任を経験できるように,そして現世で必要な霊的な理解や目覚めを得られるように準備することを望んでおられます。主は,わたしたちが主と主の宮で受ける儀式や聖約を進んで生活の中心にしようと,わずかでも望みを持ち,義にかなった努力をするのを御覧になるとき,わたしたちが必要とする奇跡と深い憐れみをもって,完全な方法で祝福してくださいます。

主の宮は,わたしたちがより高く,より神聖な方法で変えられる場所です。ですから,聖約による約束に希望を抱くことで変えられ,高い所から授けられる力をもって武装して神殿を出るとき,わたしたちは自分の家庭や生活の中に神殿を持ち込むのです。主の宮の御霊を受けるとき,わたしたちは完全に変わります。

またわたしたちは,生活の中で主の御霊が制限されないことを望むなら,だれに対しても不親切な感情を抱くことはできませんし,抱いてはいけないということを神殿で学んでいます。心や思いの中で,不親切な感情や考えに場所を与えると,ソーシャルメディア上であれ,家庭の中であれ,思いやりのない言動を生み出し,主の御霊がわたしたちの心から離れる原因となります。ですから,確信を捨てることなく,むしろ強くしてください。

現在も進められ,さらに加速している神殿の建設は,これからもわたしたちに胸の高鳴りと,霊感と,祝福を与えてくれるでしょう。しかしそれ以上に重要なのは,神殿に参入する準備の仕方を変えるときに,神殿での経験が変わり,それによって神殿の外での生活も違ったものになるということです。この変化によって,わたしたちがイエス・キリストを通して神と交わした聖約に対する確信に満たされますように。神は生きておられ,イエスは救い主であられ,この教会は地上に回復された主の教会です。これらが真実であることを,救い主イエス・キリストの聖なる御名により敬虔に宣言します,アーメン。