リアホナ
高潔:キリストのような特質
2024年5月号


11:25

高潔:キリストのような特質

高潔な人生を送るには,神に対して,周りの人に対して,自身の神聖な特質に対して誠実であることが必要です。

救い主は,この世での業の終わりに,オリブ山のゲツセマネと呼ばれる園に行き,弟子たちに待っているように言われました。1一人になった主は,「みこころならば,どうぞ,この杯をわたしから取りのけてください」と御父に嘆願されました。2主は苦悶し,次のような苦しみを受けられました。「神であって,しかもすべての中で最も大いなる者である〔主〕が,苦痛のためにおののき,あらゆる毛穴から血を流し,……その杯を飲まずに身を引くことができればそうしたいと思」われたのです。3しかし,この深い絶望の中で,救い主は身を引かずに「杯を飲み,人の子らのために〔主の〕備えを終え」4られました。

御父の独り子として,イエス・キリストには,死や苦痛や苦悩を克服する力があったので,身を引くことはなさいませんでした。主は御父と交わした聖約を全うすることで,現在わたしたちが住む世界で重要視されるようになってきているキリストの特質である,高潔さを示されました。主は神に対して,わたしたち一人一人に対して,また御自身の神性に対していつも忠実であられました。

高潔

イエス・キリストはわたしたちの模範です。高潔な人生を送るには,神に対して,周りの人に対して,自身の神聖な特質に対して誠実であることが必要です。高潔さは,神を愛するようにという第一の偉大な戒めから生まれます。皆さんは神を愛しているので,常に神に忠実です。皆さんは善と悪があること,そして絶対的な真理,すなわち神の真理があることを理解しています。高潔さとは,人に良い印象を与えたり人に受け入れられたいからといって,自分の標準や行動のレベルを下げないことです。5正しいことを行えば,結果がついてきます。6宣教師のガイド『わたしの福音を宣べ伝えなさい』の最近の改訂では,キリストのような特質として「高潔」が追加されました。7

何年も前に,ウークトドルフ長老が,わたしたちのステークを再組織する割り当てを受けました。わたしは面接で,忘れられない次の質問を受けました。「あなたの人生で,もし世間に知られたら,あなたや教会にとって恥となるようなことがありましたか。」驚いたわたしは,すぐに自分のこれまでの人生を振り返り,自分が至らなかったと思われる瞬間を思い出そうとして,こう自問しました。「もし自分がしてきたすべてのことをほかの人が知ったら,わたしや教会についてどう思うだろうか。」

ウークトドルフ長老がふさわしさについて聞いているだけだと思っていたわたしは,その瞬間,実は高潔さについて尋ねているのだと分かりました。わたしは自分の証に忠実だろうか。世の人は,わたしの言動に一貫性があると思うだろうか。わたしの行動を通して,人々は神を見るだろうか。

スペンサー・W・キンボール大管長は,「高潔さ」とは「自分の信条と決意に従って生活しようとする意志とその能力」であると教えています。8

神に忠実である

高潔な人生には,何よりもまず,神に忠実であることが求められます。

わたしたちは幼いころから,ライオンの穴に入れられたダニエルの物語を学びました。ダニエルはいつも神に忠実でした。嫉妬深い仲間たちは,「ダニエルを訴えるべき口実を得ようとし」,彼らの神だけに祈ることを命じる条例を考案しました。9ダニエルはその条例を知っていましたが,家に帰ると「窓の開かれた所で」10ひざまずき,イスラエルの神に日に三度祈りました。その結果,ダニエルはライオンの穴に投げ入れられました。翌朝,王はダニエルの神が彼を救われたことを知り,ダニエルの神は生ける神であるから,「人はみな……おののきおそれなければならない」という新しい条例を定めました。11

王は,ダニエルの高潔さを通して神を知りました。人々は,わたしたちの言葉と行いを通して神を見ます。ダニエルと同じように,神に忠実であれば,わたしたちはますますこの世とは異なった者となります。

救い主は次のように宣言されました。「あなたがたは,この世ではなやみがある。しかし,勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。」12ラッセル・M・ネルソン大管長は,こう助言しています。世に打ち勝つとは,「神にかかわる事柄よりもこの世の事柄を気にかけるという誘惑に,打ち勝つことです。人の哲学よりもキリストの教義を信頼すること……です。」13同じように,わたしたちは「〔自分の〕道を,自分の神の像を求めて歩む」という誘惑に打ち勝たなければなりません。14

この世の反対する力は,神の救いの計画に不可欠な要素です。その力にどう対応するかに,わたしたちの本質が現れ,それが高潔さの尺度になります。俗世の力には,結婚における貞節を破壊するような直接的なものや,教会の教義や文化に対して批判的なコメントを匿名で投稿するといったものもあります。わたしたちは高潔さを選択するときに,救い主イエス・キリストに従う決意を行動に表します。

人に対して誠実である

高潔さは,神を愛するという第一の偉大な戒めから生じるように,互いに誠実であることは,自分を愛するように隣人を愛するという第二の戒めから生まれます。高潔な人生とは,完璧な人生ということではありません。それは,何よりも神に忠実であり,さらに人にも誠実であろうと日々努力する人生です。オークス管長は,こう述べています。「この二番目の戒めを守ることに熱心になるあまり,心と精神,思いをつくして神を愛するという最初の戒めを忘れてはなりません。」15

世の中では,人と組織の関係を規制する行動規範や倫理規則を定めることによって,高潔さへの取り組みがますます進んでいます。絶対的な真理に基づいていないため,これらの規則は良いものであったとしても,文化的な受容に基づいて変わる傾向があります。ウークトドルフ長老が投げかけた質問と同じように,自分の決断や意思決定のプロセスが,インターネットや大手新聞の一面に掲載されたらどう見えるか考えるよう,従業員を訓練する組織もあります。教会が「暗黒と暗闇」から出て来るとき,16わたしたちはダニエルのように,この世の期待をはるかに超え,いつでもどこでも,生けるまことの神の顔とならなければなりません。17

わたしたちの行いが言葉と一致していなければ,自分は高潔ですと言うことはできません。同様に,クリスチャンの優しさは,高潔さに代わるものではありません。わたしたちは聖約の民として,また主の教会の指導者として,主の定めた標準に従う,非の打ちどころがない者とならなければなりません。

高潔な行いは,信仰と信頼を築き,主の御心を行うことがわたしたちの望みだと,人々に示します。評議会では,外部からの影響力を退け,男女それぞれから洞察を求め,主が明らかにされた方法に従い,霊感により与えられた勧告に沿って行動します。18

わたしたちは救い主に焦点を当てます。自分の利益のため,家族のため,あるいはだれかを犠牲にして別のだれかを優遇するため,と受け取られかねない行動を避けるよう注意を払います。また,自分の行動が個人的に評価されたり,「いいね」の数を増やしたり,引用または出版されたりするなど,「人の誉れ」19に影響されていると思われるのを避けるために,ことさら努力します。

自身の神聖な特質に忠実である

最後に,高潔な人生を送るには,自身の神聖な特質に忠実であることが求められます。

そうでない人もいました。「肉の思い」に快い言葉で多くの人を背かせた,反キリスト者コリホルはその最たる例です。20しかし,最後には,「わたしは神がましますことを前から知っていました」と告白しました。21ヘンリー・B・アイリング管長は,「うそをつくことは,わたしたちの霊の本質〔神聖な特質〕に反しています」と教えています。22コリホルは自分を欺き,彼の中に真理はありませんでした。23

対照的に,預言者ジョセフ・スミスはこう宣言しました。「わたしはそれを知っていた。神がそれを御存じであるのを,わたしは知っていた。 わたしはそれを否定でき……なかった。」24

ジョセフの兄ハイラムが主から愛されたのは,「彼の心が高潔である」からでした。25ハイラムとジョセフは,最後まで忠実であり続けました。自分たちの神聖な特質と,受けた光と知識,そして自分がなり得る真の姿に忠実でした。

まとめ

わたしたちが「神の御心」と自分自身を和解させ26,高潔というキリストのような特質を育むことができますように。また世の救い主の模範に従い,ひるむことなく,神に対して,互いに対して,そして自分の神聖な特質に対して,忠実に生活できますように。

ヨブはこう言いました。「正しいはかりをもってわたしを量れ,そうすれば神はわたしの〔高潔さ〕を知られるであろう。」27イエス・キリストの聖なる御名により,アーメン。