「第12課:イスラエルの陣営」『末日聖徒の歴史:1815-1846年 教師用資料』
「第12課」『末日聖徒の歴史:1815-1846年 教師用資料』
第12課
イスラエルの陣営
紹介とタイムライン
1834年2月24日,ジョセフ・スミスは主から啓示を受け,ミズーリで苦しむ聖徒を支援するためにボランティアの一団を組織するよう命じられました(教義と聖約103章参照)。200名以上からなるボランティアはイスラエルの陣営(後のシオンの陣営)として知られ,ミズーリの聖徒が彼らの土地を取り戻すのを助けるため,およそ900マイル(約1400キロ)の距離を行軍しました。陣営がミズーリに到着した後,主はジョセフ・スミスに,シオンの贖いの時はまだ来ていないことを明らかにされ,,陣営は解散しました(教義と聖約105:9-11)。カートランドに戻ってから約6か月後,ジョセフ・スミスは十二使徒定員会および七十人定員会を組織しました。十二使徒のうちの8人が,また七十人のすべての会員が,イスラエルの陣営とともに行軍した者たちでした。
生徒用読書課題
『聖徒たち—末日におけるイエス・キリスト教会の物語』第1巻「真理の旗」1815-1846年, 第18-19章
教えるためのヒント
主はイスラエルの陣営を組織するようジョセフ・スミスに命じられる
レッスンの前に,ホワイトボードに次の質問を書いておきます:どのように,都合の悪いときや困難な状況下で主に仕えるよう招かれるでしょうか。
生徒に,この質問に対する答えを発表してもらいます。ホワイトボードに生徒の答えを書いてください。
生徒たちに,都合の悪いときや困難な状況下で主に仕えるよう招かれるときに助けとなる,今日のレッスンの原則や教義を見つけてもらいます。
掲載されているミズーリ州の地図を掲示します。
1833年の秋,ミズーリ州ジャクソン郡の聖徒たちは彼らの土地や家から無理やり追われ,彼らの多くは,ミズーリ川を渡った先のミズーリ州クレイ郡に一時的に避難しました。
一人の生徒に,次の段落を声に出して読んでもらいます:
教会の指導者たちが助けを求めて地元の役人や州当局に訴えたので,聖徒たちは,ミズーリ州知事であったダニエル・ダンクリンが自分たちをジャクソン郡の土地まで護衛する州軍を派遣してくれるという知らせを受けていました。しかし,聖徒たちは,かつての彼らの土地を取り戻すため,教会員を保護する自衛手段を講じる必要がありました。1834年2月24日,預言者ジョセフ・スミスは教義と聖約第103章に記されている啓示を受けました。その中で主は,ミズーリ州で苦しむ聖徒たちの援助を目的としたボランティアの一団を組織するよう命じられました。啓示を受けて間もなく,ジョセフ・スミス,シドニー・リグドン,パーリー・P・プラットやそのほかの教会指導者は,候補者を募るために教会の支部を旅して回りました。これらのボランティアたちによってイスラエルの陣営(後にシオンの陣営として知られる)が形成され,ミズーリの聖徒たちが土地を取り戻し,州軍が去った後も,さらなる攻撃を防ぐのを助けることを目的としていました。(See The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 3: February 1833–March 1834, ed. Gerrit J.Dirkmaat and others [2014], 458–59; The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 4: April 1834–September 1835, ed. Matthew C.Godfrey and others [2016], xix–xxi.)
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もしあなたがイスラエルの陣営に加わるよう召されたら,どのような思いや感情を持ったと思いますか。それはなぜでしょうか。
生徒たちに,『聖徒たち』第1巻の第18章を開くように言います。数名の生徒に,190ページの,「1834年4月……」で始まる段落から,191ページの「集まった隊員は……」で始まる段落までを順番に声に出して読んでもらいます。ほかの生徒には,その箇所を目で追いながら,イスラエルの陣営に加わることが一部の聖徒たちにとって困難だった理由を見つけてもらいます。
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ミズーリへ行くようにという召しは,一部の聖徒たちにとってどのように信仰の試しとなったでしょうか。
一人の生徒に,ウィルフォード・ウッドラフ大管長(1807-1898年)の次の言葉を声に出して読んでもらいます。なぜウッドラフ大管長はイスラエルの陣営に加わるという招きを受け入れたかを注意して聞くよう,クラスの生徒たちに言います。
「命の危険を冒してミズーリへ行くよう召され,わたしたちのわずか一握りが兄弟たちを救うためでかけて行った。わたしたちはまさに信仰によって進む必要があった。わたしの隣人はわたしを呼び止め,行かないよう懇願して言った。『行くな。行けば命を失うぞ。』わたしはこう答えた。『ミズーリ州に足を一歩踏み入れた瞬間に心臓を射抜かれる〔撃たれる〕と分かっていたとしても,わたしは行きます。』……それが,神の業に関して当時感じていたことだったし,今もそのように感じている。わたしは救いと永遠の命を追い求め,わたしとわたしの求めるものの間に何の隔たりも望まない。」(Wilford Woodruff, in Journal of Discourses, 17:246; spelling standardized)
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ウッドラフ大管長のこの言葉からどのような原則を学ぶことができるでしょうか。(生徒たちは以下を含む,幾つかの原則を見つけるでしょう:主の招きに従順になって主に仕えることは,主を信じる信仰を働かせることを必要とし,永遠の命に向かって成長するようわたしたちを助ける。ホワイトボードにこの原則を書きます。)
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主に仕えるようにというこれらの招きは,わたしたちが主を信じる信仰をどのように働かせることを必要とするでしょうか。
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主に仕えるという主の招きを,救いと永遠の命に向かって成長するための機会と捉えることは,なぜ役に立つでしょうか。
イスラエルの陣営がミズーリに向かって行軍する
イスラエルの陣営がたどった行路を示した,掲載されている地図「シオンの陣営の経路,1834年」を掲示します。
ジョセフ・スミスがオハイオ州カートランドからボランティアの一団を率いてミズーリへ向かっている間,ハイラム・スミスとライマン・ワイトはミシガン準州で集めた一団を率いて,1834年6月9日に預言者のグループと合流しました。イスラエルの陣営は,合わせて200人以上の男性からなり,約12名の女性と10名の子供を伴いました。(See The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 4: July 1834–January 1835, 12–13)
一人の生徒に,次の4段落を声に出して読んでもらいます。
シオンの陣営の隊員の多くは,この遠征への参加に意欲的で,この経験を肯定的に捉えていました。しかし,彼らは多くの苦難にも遭遇しました。この一団は,起伏の多い地形を900マイル(約1,448キロメートル)旅しました。その多くが徒歩で旅しました。彼らは,暑さや湿気,雨,泥,壊れた備品,病気,足には靴ずれや出血,そして食糧と水の不足に苦しみました。この一団のメンバーだったネーサン・ボールドウィンはこのように回想しています。
「この広大な荒れ野を横断している間,わたしたちは水不足に幾度となく苦しんだ。そのような環境に慣れることもなく,そのための備えもなかった。時々,芝生から素早く皿をすくいあげて集めた滴を飲んだりした。皿に落ちた滴をためて濾過すれば,使える準備は整った。」(Nathan Bennett Baldwin, Account of Zion’s Camp, 1882, 11–12, Church History Library, Salt Lake City; spelling and punctuation standardized)
ジョージ・A・スミスは,16歳でイスラエルの陣営とともに行軍しましたが,後にこう記しています。
「わたしたちは渇きに苦しみ,生物でいっぱいの泥沼から水を飲むことを余儀なくされた。そこでわたしは,自分の歯を使ってボウフラを濾す方法を学んだ。」(Memoirs of George A.Smith, circa 1860–1882, 19–20, Church History Library, Salt Lake City; spelling standardized)
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もしあなたがイスラエルの陣営の一員であったなら,これらの状況に対してどのように対処するでしょうか。
一人の生徒に,ジョージ・A・スミスの次の話を声に出して読んでもらいます。ほかの生徒には,陣営の隊員の一部が行軍の状況にどのように対応したか注意して聞くように言います。
「預言者ジョセフは,旅の間中ひどく疲れていました。必要物資の調達や陣営の管理に加え,行程の大半を徒歩に頼らざるを得なかったため,足には水ぶくれ,出血,靴ずれが絶えませんでした。それは暑い季節の中を一日に25マイルから40マイル〔40キロから65キロ〕歩いた当然の結果でした。しかし旅の間,ジョセフは決して不平を漏らすこともつぶやくこともありませんでした。一方で,陣営のほとんどの人々は,つま先の靴ずれや足の水ぶくれ,長い行軍,食糧の不足,粗末なパン,味の悪いとうもろこしの堅焼きパン〔コーンブレッド〕,腐ったバター,悪臭を放つ蜂蜜,うじのわいたベーコンやチーズなどについて,ジョセフに不平を言いました。犬にほえられたことについてさえ,彼らはジョセフにつぶやきました。野営地の水質が悪ければ,暴動が起きそうな状態でした。シオンの陣営に属しているにもかかわらず,多くの人が祈らず,思慮に欠け,軽率で,不注意で,愚かで,悪魔に従い,それでもなおそのことに気づいていませんでした。ジョセフはわたしたちに忍耐強く接し,子供に教えるように教えなければなりませんでした。しかし陣営の中には,決してつぶやかず,いつでも進んで指導者の望むとおりに行動する用意ができている人も大勢いました。」(ジョージ・A・スミス『歴代大管長の教え—ジョセフ・スミス』 287-288で引用)
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陣営の隊員たちは,同じ状況に対してなぜこんなにも異なる対応をしたと思いますか。
旅の間苦難を経験したことに加えて,イスラエルの陣営の隊員の多くは,主の天使と主の臨在をそばに感じたことを認め,遠征のきっかけとなった啓示の中で主が与えられた約束が成就したことを説明します。(教義と聖約103:20;『歴代大管長の教え—ジョセフ・スミス』288-289参照)
一人の生徒に次の言葉を声に出して読んでもらいます。
「敵は暴力に訴えるという脅しの言葉を絶えず吐いていましたが,わたしたちは恐れることも,旅を続けるのを躊躇することもありませんでした。神がともにおられ,天使たちが前を行ってくれたからです。小さな隊の信仰が揺らぐことはありませんでした。わたしたちは天使たちが同行してくれていたことを知っています。なぜならわたしたちは天使たちを見たからです。」(『歴代大管長の教え—ジョセフ・スミス』288)
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読書課題の『聖徒たち』第1巻第18章によると,パーリー・P・プラットとオーソン・ハイドがミズーリに到着した後にイスラエルの陣営に伝えた残念な知らせは何でしたか。(彼らは,聖徒たちがそれぞれの土地に戻るのを助けるための州軍をダニエル・ダンクリン知事が派遣しないことをイスラエルの陣営に伝えた。)
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イスラエルの陣営はその知らせを聞いて何をしようと決意しましたか。(彼らは,「クレイ郡に……追いやられた聖徒たちが……ジャクソン郡の人々と和解交渉を行えるよう」助けるという期待を持って,旅を続けることにした〔『聖徒たち』第1巻,195〕)
掲載されている写真を掲示し,ミズーリ州のフィッシング川であることを説明します。
生徒たちに,『聖徒たち』第1巻の第18章を開くように言います。数名の生徒に,195ページの,「イスラエルの陣営は……」で始まる段落から,196ページの「川の水かさが依然として増え続けていたため……」で始まる段落までを順番に声に出して読んでもらいます。ほかの生徒には,その箇所を目で追いながら,神がイスラエルの陣営を見守っておられたという証拠を見つけてもらいます。
フィッシング川での奇跡について『聖徒たち』第1巻 から読む代わりに, ビデオ「シオンの陣営」 (18:43) の8:01から13:04を視聴することも検討してください。〔訳注—日本語は次の「ビデオ教材」(リンク)の第27課で視聴可能https://www.ldschurch.jp/gospel-library/manuals/sunday-school/dc-class-video〕
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神はどのような方法でイスラエルの陣営を守られ,祝福されたでしょうか。
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イスラエルの陣営の隊員たちの経験から,どのような真理を学ぶことができるでしょうか。(生徒たちは次のような真理を幾つか見つけるでしょう:神に信頼を置くとき,神は困難で不確かな状況からわたしたちを救い出してくださる。わたしたちが忠実であれば,試しの中にあっても主の祝福を見つけることができる。)
イスラエルの陣営が解散する
嵐が去った3日後の1834年6月22日,主はジョセフ・スミスに「長老たちがしばしの間シオンの贖いを待つこと」(教義と聖約105:9),イスラエルの陣営は,聖徒たちがジャクソン郡の土地を取り戻すのを助けるという当初の使命を継続すべきではないということを明らかにされたことを説明します。この啓示はダンクリン知事が聖徒たちのための軍の支援の提供を断った後に与えられ,もし聖徒たちがジャクソン郡に入ろうとするならば,争いと流血が起こるということを明確にしました。啓示を受けて間もなく,イスラエルの陣営は解散を始めました。
一人の生徒に,教義と聖約105:9-13,18-19を声に出して読んでもらいます。ほかの生徒には,その箇所を目で追いながら,イスラエルの陣営の忠実な隊員について主が言われたことを見つけてもらいます。数人の生徒に見つけたことを発表してもらいます。
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19節は,イスラエルの陣営の隊員が遠征に掲げられた主の目的を理解するうえでどのように助けとなったでしょうか。
この啓示を耳にした後,陣営の隊員の多くはこれを主の言葉として受け入れましたが,戦う機会がなかったことに対して怒る者たちもいたことを説明します。ヒーバー・C・キンボール(1801-1868年)は,イスラエルの陣営の隊員であり,その後十二使徒定員会や大管長会で奉仕しましたが,陣営の隊員がミズーリ州へ入る前,預言者ジョセフ・スミスが次のように彼らに警告したことを記録しています。「隊員の中の怒りや不従順な精神のために,陣営に懲らしめがもたらされ,やせ衰えた羊のように死ぬであろうと主は言われました。それでも,彼らが悔い改めて,主の前にへりくだるなら,さらなる懲らしめは取り去られるかもしれません。」(in Orson F.Whitney, Life of Heber C. Kimball [1888], 61–62)
教義と聖約105章に記された啓示が与えられた2日後に,陣営はコレラの大発生を経験しました。その結果,預言者ジョセフ・スミスを含む68人が感染し,陣営の隊員13人とクレイ郡に住む末日聖徒2人が死亡しました。(see Whitney, Life of Heber C. Kimball,76; The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 4: April 1834–September 1835, 72, note 334)病と闘った陣営の隊員たちが回復した後,ほとんどの隊員は1834年8月までに家へ戻りました。
一人の生徒に,十二使徒定員会のデビッド・A・ベドナー長老の次の言葉を声に出して読んでもらいます。
「聖徒をジャクソン郡の地に戻すことができなかったことから,シオンの陣営の試みは不成功に終わり,何の益もなかったと考える人もいました。陣営への参加を志願する信仰がなく,カートランドにいたある兄弟は,ブリガム・ヤングが帰って来たときに『あなたはジョセフ・スミスとミズーリに行ったこの無駄な旅で何か得たことはありましたか』と尋ねました。ブリガム・ヤングは,『この旅が目的としたことの全部です。わたしはこの旅で得た経験を,ジアーガ郡の全部の富とでも引き換えたいとは思いません』と即座に答えました。ジアーガ郡とは,当時カートランドのあった郡のことです。〔ブリガム・ヤングの言葉。B・H・ロバーツ,A Comprehensive History of the Church,第1巻,370-371で引用〕」(デビッド・A・べドナー「主の側に立つ—シオンの陣営から学ぶ教訓」『リアホナ』2017年7月号,17)
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ブリガム・ヤングが「この旅が目的としたことの全部です」と答えたのは,どのような意味だったのでしょうか。(主が彼らに達成するよう望まれた事柄を彼らは果たした。)
一人の生徒に,ウィルフォード・ウッドラフ大管長の次の言葉を声に出して読んでもらいます。ほかの生徒には,イスラエルの陣営での経験についてウッドラフ大管長が述べている事柄を聞き取るように言います。
「それは,ほかのどのような方法によっても決して得ることのできない経験でした。預言者の顔を見,ともに1,000マイル(16,000キロ)を旅し,神の御霊が預言者に働きかけるのを目の当たりにする特権を得ました。さらにイエス・キリストの啓示がジョセフに与えられて,成就するのを目にするという特権を得ました。」(ウィルフォード・ウッドラフ『歴代大管長の教え—ジョセフ・スミス』283で引用)
1835年2月14日,陣営の隊員がオハイオに戻ってきて数か月後,預言者ジョセフ・スミスが十二使徒定員会を組織したことを説明します。その2週間後,ジョセフは七十人定員会を組織しました。生徒たちが十二使徒定員会に召された兄弟たちの名前を覚えているか尋ねてみるとよいでしょう。(『聖徒たち』第1巻206-207参照)
一人の生徒に,デビッド・A・ベドナー長老の次の言葉を声に出して読んでもらいます。ほかの生徒には,その箇所を目で追いながら,イスラエルの陣営の行軍が新たに召された教会指導者をその召しに備えるうえで果たした役割を見つけるように言います。
「興味深いことですが,1835年に十二使徒定員会に召された幹部のうちの8人,また時を同じくして召された七十人の全員が,シオンの陣営に参加した人々でした。七十人が召された後に開かれた集会で,預言者ジョセフ・スミスはこう宣言しました。
『兄弟の皆さん,あなたがたの中には,ミズーリ州で戦わなかったことで,わたしに対して怒りを感じている人がいます。しかし,聞いてください。神はわたしたちに戦うことをお望みになりませんでした。神は,自分の命をささげ,アブラハムのような犠牲を払った人でなければ,地上の国々で福音の扉を開くための12人や,その指示の下に働く70人を召すことはおできにならなかったのです。』〔Joseph Smith, in Joseph Young Sr., History of the Organization of the Seventies (1878), 14; see also History of the Church, 2:182〕……
主の軍で隊員が得た経験は,教会員が将来行うことになるさらに大規模な入植の備えとなりました。シオンの陣営の参加者のうち20人以上が,二つの大移動で隊長や副隊長となりました。一つ目の大移動は,わずか4年後で,8,000人から10,000人の人々がミズーリ州からイリノイ州まで移動しました。二つ目は,それから12年後で,およそ15,000人の末日聖徒がイリノイ州からソルトレーク,そのほかロッキー山脈のふもとを目指す西部への大移動でした。備えの訓練であるシオンの陣営は,教会にとって計り知れないほどの価値がありました。」(デビッド・A・べドナー「主の側に立つ—シオンの陣営から学ぶ教訓」『リアホナ』2017年7月号,18)
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シオンの陣営の行軍から,主の業を果たせるよう主がわたしたちをどのように備えられるかについて,どのような原則を学ぶことができるでしょうか。(生徒たちは次のような原則を見つけるでしょう:主はわたしたちに経験をお与えになり,主の業を果たすようわたしたちを備えられる。)
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この真理を理解することは,なぜわたしたちにとって重要だと思いますか。
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主の業を果たせるよう,主があなたやあなたの知り合いを備えられるのをどのように見たことがありますか。
このレッスンで話し合った真理をもう一度考えます。生徒たちに,クラスで学んだり感じたことを理由にして,行おうと決めた事柄を学習帳に書き留めてもらいます。何人かの生徒に,彼らの答えを分かち合ってもらってもよいでしょう。
生徒に,次のレッスンのために『聖徒たち』第1巻の第20-21章を読んで準備してくるように勧めます。