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第28課:聖徒たちはノーブー神殿を完成させ,多くの聖徒がエンダウメントと結び固めを受ける


「第28課:聖徒たちはノーブー神殿を完成させ,多くの聖徒がエンダウメントと結び固めを受ける」『末日聖徒の歴史:1815-1846年 教師用資料』

「第28課」『末日聖徒の歴史:1815-1846年 教師用資料』

第28課

聖徒たちはノーブー神殿を完成させ,その多くがエンダウメントと結び固めを受ける

紹介とタイムライン

預言者ジョセフ・スミスの殉教後間もなく,聖徒たちはノーブー神殿の建設を再開しました。神殿の完成に向けて,聖徒たちは犠牲をささげ,勤勉に働きました。1845年12月,教会指導者と会員たちは,未完成の神殿の中二階で聖徒たちに神殿のエンダウメントを施し始めました。彼らは,高まる敵対と迫害により,聖徒たちがノーブーからの退去を余儀なくされる前に,5,500人以上の聖徒が自身のエンダウメントを受けられるように,休みなく業を行いました。また使徒たちは結び固めの儀式を執行し,夫と妻,その子供たちを永遠に結び固めました。1846年2月4日には,聖徒たちの最初の一団がノーブーを出発し,ソルトレーク盆地へと旅立ちました。

1844年7月8日聖徒たちがノーブー神殿の建設を再開した。

1845年11月30日ブリガム・ヤングがノーブー神殿の中二階を奉献した。

1845年12月10日聖徒たちがノーブー神殿の中二階でエンダウメントの儀式を施し始めた。

1846年2月4日聖徒たちの最初の一団がノーブーからの脱出を始めた。

1846年4月30日-5月1日完成したノーブー神殿が奉献された。

生徒用読書課題

『聖徒たち—末日におけるイエス・キリスト教会の物語』第1巻「真理の旗」1815-1846年第46章

教えるためのヒント

ノーブー神殿の完成に向けて働き続ける聖徒たち

クラスが始まる前に,ホワイトボードに次の質問を書いておきます:神殿の祝福が受けられなかったとすれば,あなたの人生はどのようなものになるでしょうか

生徒たちに,この質問について深く考えてもらいます。一人か二人の生徒に,思ったことを発表してもらってもよいでしょう。

預言者ジョセフ・スミスが殉教したとき,ノーブー神殿が完成していなかったために,聖徒の大半はまだ神殿の儀式を受けていなかったことを説明します。1844年10月,十二使徒定員会は聖徒たちに向けて手紙を出しました。教会の繁栄と,神殿を完成させることの重要性について述べられています。

一人の生徒に,手紙からの抜粋を声に出して読んでもらいます。使徒が聖徒たちへ向けて伝えた内容に注意して聞くよう,クラスの生徒たちに言います。

「神殿は,わたしたちおよび死者の救いと昇栄にかかわる備えと儀式に直結するものであり,人々のための偉大で栄えある業として,最優先に注意を傾ける必要があります。……

この業を推し進めるために,聖徒として,これより働く力のある若者を送り出し,お金や食料,衣服,道具,馬と馬車,また働き手たちが現地で必要とするであろうあらゆるものも一緒に送ろうではありませんか。」(“An Epistle of the Twelve,” Times and Seasons, Oct. 1, 1844, 668

  • 当時の聖徒たちが,神殿建設に関してそれほどに高い優先順位を置いていたのはなぜだと思いますか。

一人の生徒に,同じ手紙からの抜粋を声に出して読んでもらいます。

「そうです,兄弟の皆さん,わたしたちは確かに知っています。そして,証を述べることができます。あふれんばかりの祝福,エンダウメント,完全な神権の鍵,永遠の命にかかわる事柄がわたしたちを,またふさわしい人々すべてを待ち受けており,地上にそれらの祝福を受ける場所があれば,すぐにも実現するのです。……皆さんの心が,このきわめて重要な業からそらされませんように。」(“An Epistle of the Twelve,” Times and Seasons, Oct. 1, 1844, 668

  • 神殿を通してのみ受けられる神からの祝福には,どのようなものがあるでしょうか。(生徒たちが答えた後,次の真理をホワイトボードに書き出します:神から与えられる最も大いなる祝福は,永遠の命を含め,神殿の儀式を通してのみ得られる。

  • この真理を理解するなら,人生における神殿の重要性について,あなたの見方はどのように変わりますか。

迫害が増していく中,ノーブー神殿を完成させ,自身のエンダウメントを受けるために犠牲をささげる聖徒たち

ノーブー神殿

掲載されているノーブー神殿の写真を見せ,以下のように尋ねます:

  • 読書課題の『聖徒たち』第1巻第46章によると,ノーブー神殿を建設するに当たって聖徒たちが直面した課題にはどのようなものがありますか。(聖徒たちは地元の暴徒から脅しや迫害を受けており,また建設に費やせる時間や資源は不足していた。)

1845年の秋ごろになると,地元の暴徒たちはいっそう頻繁に教会員を攻撃するようになったことを説明します。預言者ジョセフ・スミスの殺害に関して無罪となった人物の一人,リーバイ・ウィリアムズは,200人の男から成る暴徒を率い,人里離れた末日聖徒の農地や家を組織的に焼き払いました。教会指導者は,聖徒たちを避難させてノーブーへ率いるに当たり,有志を募りました。

一人の生徒に,次の文を声に出して読んでもらいます。当時ノーブーに暮らしていた教会員,ペリグリン・セッションズの言葉です。

ペリグリン・セッションズ

「9月と10月の間も,争いや騒動が絶えることはありませんでした。神殿建設の作業はほとんど中止せざるを得ない状況で,働く人々の多くは常に小型銃を持ち歩いており,有事の際に備え,皆がマスケット銃を手元に携えていました。」(Perrigrine Sessions, in Exemplary Elder: The Life and Mission Diaries of Perrigrine Sessions, 1814–1893, ed. Donna Toland Smart [2002], 88–89; spelling, punctuation, and grammar standardized)

  • このような迫害にあっても,聖徒たちが神殿建設を続けられたのはなぜだと思いますか。

1845年10月,聖徒たちは地元の政府高官と交渉の末,半年以内のノーブー退去に同意したことを説明します。10月6日に開かれた教会の大会において,ブリガム・ヤングは聖徒たちがノーブーを離れ,西部へ向かうことを告げました。西部へ移ることが決まってからも,聖徒たちは神殿を完成させるべく勤勉に働きました。退去前にエンダウメントを受けるためです。

クラスを各2,3人から成るグループに分けます。各グループに,付属の配付資料から一つを渡してください。グループごとに配付資料を一緒に読み,その終わりに書かれた質問について話し合ってもらいます。

配付資料1:神殿建設のために犠牲をささげる聖徒たち

ノーブーの聖徒たちは,ノーブー神殿を完成させるに当たって大きな犠牲を払いました。

教会員のルイーザ・バーンズ・プラットは次のように振り返っています。

ルイーザ・バーンズ・プラット

「わたしたちの手と心は,神殿の完成を速めることに向けられていました。釘やガラスの購入に充てられるようにと,姉妹たちはそれぞれ50セント差し出すことまで決意しました。徹底して倹約し,その額をためました。わたしは善意をもって,自分の献金をささげようと神殿の事務所へ向かいました。すると道中突然,誘惑が襲いかかったのです。わたしは立ち止まりました。家族は今,どれほど多くのものを必要としているだろうか,あのお金を使えば当面の必要は満たせるだろうなどと,あれこれ思い巡らせたのです。わたしはすぐさま誘惑を払いのけました。『1週間,パンくずしか食べられないとしても,このお金をささげよう』と自分に言い聞かせたのです。

わたしは急ぎ足で進み,お金を支払うと,ひそかな満足感に満たされつつ家路に就きました。次の朝,玄関近くに腰を下ろしていると,一人の兄弟が通り,1ドル銀貨を玄関マットに放り投げました。わたしは心から感謝しました。そうして店に行くと,ほんとうに必要としていたものを購入したのです。」(Louisa Barnes Pratt, in The History of Louisa Barnes Pratt, ed. S. George Ellsworth [1998], 72–73

教会員のエリザベス・カービー・ヒュアードは次のように綴っています。

「手放すのに胸が痛むようなものは何も思い浮かびませんでした。そうです,他界した夫の残した時計を除いては……。わたしはノーブー神殿の建設費用の足しにと,その時計を差し出しました。そのほか取っておくこともできたものもすべて,また,手元に残っていたお金も一緒に,合わせて50ドル近くを献金しました。」(Elizabeth Kirby Heward, in Carol Cornwall Madsen, In Their Own Words: Women and the Story of Nauvoo [1994], 180

教会指導者と神殿委員会は,資金不足により神殿建設が滞ることを度々懸念していました。ブリガム・ヤング大管長(1801-1877年)は後に,ジョセフ・トロントとの経験について語っています。トロントはイタリアからの船乗りで,1843年にバプテスマを受けていました。

ブリガム・ヤング

「当時,わたしたちは神殿の建設にかなりの労力を割いており,働き手たちの食べ物にも事欠く状態でした。わたしは神殿にかかわる物資を管理していた委員会に,手持ちの小麦粉をすべて分配するなら,神はさらに祝福してくださると助言しました。委員会はそのとおりにしました。程なくすると,トロント兄弟がやって来て,金貨で2,500ドルを差し出しました。……わたしはビショップに言いました。『さあ,行って神殿で働く人々のために小麦粉を買ってください。もはや主を疑ってはなりません。わたしたちは必要なものを与えられるのです。』」(Brigham Young, in Wilford Woodruff, Wilford Woodruff’s Journal, ed. Scott G.Kenney [1984], 5:19–20; spelling, capitalization, punctuation, and grammar standardized

  • こうした人々がノーブー神殿建設のために進んで多大な犠牲を払ったのはなぜだと思いますか。

  • こうした話から,犠牲についてどのようなことを学べますか。

配付資料1:神殿建設のために犠牲をささげる聖徒たち

配付資料2:犠牲をささげ,エンダウメントを受けられるように助け合う聖徒たち

1845年11月30日,ブリガム・ヤングはノーブー神殿の中二階を奉献し,1845年12月10日以降,神殿のエンダウメントが施されるようになりました。

エラスタス・スノーは次のように回想しています。「12月12日,わたしと妻のアルティメシアは最初のエンダウメントの儀式を受け,その後は神殿内で働き,儀式を執行するように召されました。わたしは6週間ほど,十二使徒や同じように選ばれた人々とともに,神殿から出ることなく,昼夜を問わず働いて務めを果たしました。同じく妻も1か月ほど奉仕しました。」(“From Nauvoo to Salt Lake in the Van of the Pioneers: The Original Diary of Erastus Snow,” ed. Moroni Snow, Improvement Era, Feb. 1911, 285

エリザベス・アン・ホイットニーはこのように綴っています。「わたしは自分自身と,自分の時間と関心をその使命にささげました。神殿が閉館になるまで毎日休むことなく働きました。」(“A Leaf from an Autobiography,” Woman’s Exponent, Feb. 15, 1879, 191

マーシー・フィールディング・トンプソンは次のように記録しています。「わたしはヤング大管長に呼ばれ,神殿に住んで女性側の手助けをするよう言われました。わたしは頼まれたとおり,子どもも神殿に連れていき,昼も夜も働いたのでした。」(in Matthew S.McBride, A House for the Most High: The Story of the Original Nauvoo Temple [2007], 285

ブリガム・ヤング大管長は次のように回想しています。「エンダウメントの儀式を受けられるのかと心配する聖徒が大勢おり,彼らに儀式を施す側のわたしたちも同じく不安を抱えていました。そのため,わたしは神殿で主の業を果たすことにすべてをささげました。昼も夜もほとんどの時間を神殿で過ごし,平均して1日4時間以上の睡眠を取らず,週に一度家に帰るための時間や機会もめったに取りませんでした。」(Brigham Young office files, Journal, Sept. 28, 1844–Feb. 3, 1846, 101–2, Church History Library, Salt Lake City; spelling and punctuation standardized

  • こうした人々が進んで多大な犠牲を払い,自身のエンダウメントを受けられるよう人々を助けたのはなぜだと思いますか。

  • こうした話から,犠牲についてどのようなことを学べますか。

配付資料2:犠牲をささげ,エンダウメントを受けられるように助け合う聖徒たち

十分に時間を取った後,配付資料1と配付資料2を読んだ各グループからそれぞれ二人の生徒に依頼し,各資料の内容を要約してクラス全体に伝えてもらいます。

  • こうした模範から,犠牲についてどのような真理を見いだせるでしょうか。(生徒たちは的確な答えを複数挙げるかもしれません。生徒たちが答えた後,次の真理をホワイトボードに書き出します:神殿の儀式の重要性を知ると,わたしたちはそのために必要とされるどのような犠牲をもささげるようになる。主の御心を果たすために犠牲をささげるとき,主はわたしたちを祝福してくださる。)

一人の生徒に,トーマス・S・モンソン大管長(1927-2018年)の次の言葉を声に出して読んでもらいます。

トーマス・S・モンソン

「神殿のもたらす永遠の祝福を理解している人は,これらの祝福を受けるためにいかなる犠牲,いかなる代価,いかなる苦労もいといません。どこまでも旅をして,あらゆる障害を克服し,どれほどつらいことにも彼らは耐えます。いつの日か永遠の家族として天の御父のみもとに戻れるようにし,高い所から祝福と力を授けてくれる神殿の救いの儀式には,あらゆる犠牲と努力を注ぐ価値があることを彼らは知っています。」(トーマス・S・モンソン 「聖なる神殿—世界に輝くかがり火『リアホナ』2011年5月号,92)

  • 神殿の祝福を受けるために,現代の人々はどのような犠牲を払う必要があるでしょうか。

  • 神殿で儀式を受け,神殿で主を礼拝するために犠牲を払うことから,どのような祝福を得てきましたか。

神殿からもたらされる永遠の祝福をさらに享受するうえで自分がささげようと思うものを学習帳に書くよう生徒たちに勧めます。書き出した事柄に基づいて行動するよう,生徒を励まします。

聖徒たち,ノーブーを去る

生徒たちに,『聖徒たち』第1巻46章を開いてもらいます。数人の生徒に,550ページの「2月2日……」で始まる段落から,552ページの「その後数週間にわたり……」で始まる段落まで,順番に声に出して読んでもらいます。

  • この話で印象に残ったのはどんなことですか。

  • ノーブーで聖約を交わしたことにより,聖徒たちは西部への長き旅路を歩むうえでどのように備えられたと思いますか。

1846年2月4日,聖徒たちの最初の一団が幌馬車でノーブーをたったことを説明してください。一人の生徒に,教会員であったサラ・ディアーモン・ピー・リッチの次の言葉を声に出して読んでもらいます。神殿の祝福を通して彼女ができるようになった事柄に注意して聞くよう,クラスの生徒たちに言います。

サラ・ディアーモン・ピー・リッチ

「わたしたちは主の宮でたくさんの祝福を受け,それにより,あらゆる悲しみのただ中にあって喜びと慰めを得,神を信じる信仰を持つことができました。 待ち受ける未知の旅において,神がわたしたちを導き,支えてくださることが分かったのです。」(Sarah P.Rich, Autobiography and journal, 1885–1890, 66, Church History Library, Salt Lake City; capitalization standardized

  • サラの言葉によると,神殿の祝福により,聖徒たちは西部への旅路に向けてどのように備えられたでしょうか。

  • サラの言葉から,神殿の儀式と聖約についてどのような真理を見いだせるでしょうか。(生徒たちの発言は様々でしょうが,次のような真理を見いだすはずです:神殿の儀式と聖約は,困難な状況にあってもわたしたちが喜びと慰めを受け,神への信仰を増し加えるうえで助けとなる。

  • 試練に耐える中で,神殿での礼拝はあなたにどのような喜びと慰めをもたらし,信仰を増し加えてくれましたか。

神殿の儀式と聖約は,わたしたちが試練にあって喜びと慰めを受け,信仰を増し加えるうえで助けとなることを証してください。この課で話し合った真理を振り返り,それらの真理に従って行動するよう生徒たちを励まします。

配付資料1:神殿建設のために犠牲をささげる聖徒たち
配付資料2:犠牲をささげ,エンダウメントを受けられるように助け合う聖徒たち